★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「これがソイ(Xoi)」

2024-01-18 15:12:18 | ベトナム・ハノイ

 昨日は「遠方の社員の結婚式に出席」したため、帰宅が遅く

寝るのも遅くなった、案の定「2度寝」してしまい、朝のルーティンが忙しかった。

洗濯物もたまっていたので「洗濯機を回し」「相棒ミッの鶏モモをゆでた」

自分の朝食には手が回らず、今日は「ソイ」を買っていこうと決めた。

 ソイ(Xoi)とは「おこわ」である。ベトナムでは「定番の朝食」である。

自分も「頻度高くお世話になっている」 Xoiもいろんな種類があり、オプションもたくさん存在する。

以前もブログに記したが、基本のソイが4~6種類、そしてオプションがある店ではこの基本のソイに

トッピング種類が2-4種類程度あることが多い。(豚肉の煮物、煮卵、ベトナムソーセージ【ぞー】など)

自分がいつも「購入する、ソイの屋台」は「基本のソイ飲み売っている」

ソイは食べると「体が熱くなる」と言われるため「ベトナム人でもソイは冬の食べ物」的な思われ方をするが?

一年中「売っている」自分も「季節を問わず買っている」

ベトナムの朝、道端で「幾つかの大きなザルの上に布をかぶせた屋台」があればそれは「ソイ売りの屋台」である。

ベトナムに来て、朝散歩に出たら「是非食してほしい」種類があるので「指定をしなければならないが?」お勧めは、

*ソイラック(ピーナッツ入りおこわ)

*ソイセオ(青豆の粉入りおこわ)

*ソイガック(ソイの中では唯一甘い風味のあるおこわ、ガックの実で味付けしている)

と思う。是非トライしてほしい。ベトナム朝の「風物詩」でもある。どれでも価格は10000~15000VNDである。

左が「ソイセオ」ササの葉に包まれ標準トッピングとして「セオ」と「豚肉のでんぷ」「砕いたピーナッツ」「玉ねぎの素揚げ」が付く。

右が「ソイガック」トッピングは「豚のでんぷ」のみ。そこそこのボリュームでこの店は「10000VND(現在のレートで日本円換算≒60円)

日本人には「バインミーは有名」だが、「ソイはあまり知られていないようだ」 是非訪問の際は「食してほしい」

結構1つでおなかは膨れる。

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ベトナムハノイの「遠い社員の結婚式出席」

2024-01-18 10:25:04 | ベトナム・ハノイ

 昨日、「社員の結婚式」に出席した。午後3時に「5人の社員と自分」でチャーター車で

会社を出発したが、「思ったよりも遠い場所だった」ナムディンと言う場所だったが、彼女の家は

ナムディンのはずれ、中心街から50km離れた田舎町だった。行きは3時間かかりようやく到着。

 着くなり「ご両親、親戚縁者からのご挨拶ラッシュ」だった。いつもの通り「すぐに私たちの宴席」が準備され

すでに先に乗り込んでいた「花嫁の同期3名も合流し、花嫁も一緒に宴会が始まった」

 今までもそうだったが、こういう席に「外国人(日本人)が来ることなどほとんど無い」従って物珍しさもあり

親戚縁者が次々と「挨拶」(挨拶とは、焼酎をもってきて、乾杯をすることなのだが?)にくる。

以前はここですべての人に対応したため「早々に酔っ払い、バスの中で寝ていたことも有った」、注意が必要である。

失礼にならない程度に「お付き合いさせていただいた」、横に居る通訳も大変で「この方は、花嫁のお母さんのお兄さんです」

「この人は・・・・」もうそのうち「全く誰が分からなくなってしまう」、それでも楽しい宴会だった。瞬く間に時間は過ぎ

19:30に出発するつもりが20:00を過ぎてしまい「かの6歳友人宅に預けた相棒ミッの事も気になり」

あわてて社員と共に車に乗りこみ帰途に就いた。

帰りは「2時間半余り」で帰ってこれたが、「弾丸披露宴出席」で正直「疲れた」それでも「社員のおめでたい門出に出席することが出来て良かった」

かえりの車中、あと何名の結婚式に出席できるのだろうか?・・・そんなことを考えた。

 

ベトナムの結婚式:自宅の庭などのスペース(なければ歩道や、道端にさえ会場を設置する)に

このような「速成宴会場」を設置してそこで宴会が始まる。すべての人が同時に行うのではなく、

訪問してくれたグループごとにアットランダムに逐次宴会が行われる形式だ。

自分達は「社員と自分で合計10名程度で集積したので割と大きなグループでの宴会だった」

昨日の「宴会料理」こうして1グループ(4-5人分?)ごとに料理が準備されている。

縁のある人たちが三々五々集まり、入れ代わり立ち代わり食事やお酒を飲む形式である。

日本のように「受付や、引き出物などは無く」ご祝儀は適当にまとめて「花嫁に渡す」

日本のように「形式ばったイベントやプログラム」などは無く、ステージにカラオケセットが準備され、歌いたい人が

勝手に歌う方式になっている。

 

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ベトナムハノイの「頑張れ一期生」

2024-01-17 15:02:43 | ベトナム・ハノイ

 現在日本の「T自動車会社系の鋳物メーカー」に2名の社員が「勉強に行っている」

「EV化で今後仕事が増える」ということで「今ひとつのレベルUPのために」派遣依頼が来た。

資金繰りの苦しい状況から一度はお断りしたが「一部費用負担するから」ということで派遣に踏み切った。

年始早々の1月7日に1か月の予定で送り出した。時期が悪く(帰国便がベトナムテト前)LCCも飛行機料金が

15万という「高額だったため」社員には申し訳ないが「上海トランジットの中国東方航空便」にしてもらった。

ハノイをAM2:30発、トランジットの難しいと言われている「上海」、そして名古屋へ。無事着いてよかった。

そして「亜熱帯気候から、寒風吹きすさぶ日本の冬、一番寒い時期になってしまった」

2名とも女性である。当社の1期生、すでに既婚、2名とも幼いお子さんが居る。それでも打診すると「行かせてください」との言葉。

非常に「頼もしいと感じた」、アパート1室に2名同居、通勤は「自転車」である。

円安で「年末のテトボーナスも出せない」「社員旅行も行かせられない」そんな会社なのに

社員は「こうして頑張ってくれている」本当に頭が下がる。会社設立以来「一番厳しいこの時期に」

会社を支えてくれたのは「彼女ら一緒に会社を立ち上げた1期生たちだった」

これから「会社が回復したら」必ず恩返しするから。と思いを強くした。

彼ら(彼女ら)はすでに「技術的な実力」では多くの日本の技術者を超えている。そして会社の最初の目的だった

ベトナムにモータリゼーションが来た時に「ベトナム人の技術者たちでそれを支えて行こう」と言う目的は

既に射程距離内に有ると思う。会社設立から12年「彼らはよく頑張った」

昨日「日本で今年一番寒い日」と言う日本のニュースを見て、「遠い日本で過酷な環境で頑張っている2名の女性社員」

の事を思い出し、そんなことを考えた。

 

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ベトナムハノイの「年末、窓際族」

2024-01-17 10:37:27 | ベトナム・ハノイ

ベトナムは「テト(ベトナム正月)」まで1か月を切った。

「コロナ~円安」で「経費削減対応し、多くを在宅勤務」にした当社は、いつも通り「閑散としている」

成り行き上2つの会社の世話をしているが「建築系会社」は今のところ在宅は無い。4名の技術者と1名の管理者

は通常勤務だ。本業であるCAD/CAM業務は24名中16名が在宅になっている。特に今日は

そのうちの1名の結婚式があるため「女性の友人3名は朝からそこへ出向いているため」会社はひときわ「閑散としている」

常時会社に来ているのは「自分と、本業の管理者1名、日本企業に確保されている数名だけだ」それと

忘れていけないのは「相棒ミッ(ポメプー犬)」だ。彼は私と共に毎日欠かさず出勤している。

仕事は主に「社員の見回り」と「不審者への警戒」、そして「昼食時は社員からの年貢の徴収」である。

しかし、ここのところの「在宅」により、社員数が激減したため、彼の仕事も「少なくなっている」そのため

「睡眠時間が多くなってしまった」、唯一の楽しみは「10時と15時の休憩時間を利用した外の見回り(つまり散歩)」

である。帰宅してからの「夜の散歩」を加えると「≒9000歩、距離にすると6.5km」毎日歩いていることになる。

ご主人様の「健康に多大な貢献をしているのかもしれない」

 相棒が来る前の「1週間居1回の水泳」よりも格段に「有酸素運動」が増えたことになる。相変わらず週1回の

水泳は続けている。(40往復、2000m)を合わせればそこそこの運動量である。これは「相棒ミッ」のおかげである。

そのミッは「会社では暇を持て余し、窓際族になりつつある」基本「見回り(徘徊)」と「睡眠」が主な仕事であるが

最近は「さみしいのか?」よく「自分の仕事スペース(机)」に上り「窓の外を見る」か「私の仕事ぶりを監視」している

「1歳にしてベトナム在住日本企業の窓際族である」

今日もミッはデスクに座り「窓際から、外を監視している」

こうして「自分の仕事ぶり」を厳しい表情で監視している。

 

 

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ベトナムハノイの「ハノイの師走」

2024-01-17 09:58:27 | ベトナム・ハノイ

ベトナムは「旧暦国家」である。今年のテトは新暦の2月10日が元旦になっている。

国は「一応8日から14日まで」を正月休みに指定している。(公務員や公立学校は

これに準じている)しかし一般企業や個人商店などはこの限りではない。

つまりベトナム正月(テト)まで1か月を切ったことになる。日本と同じこのテト前になると

ベトナムの人々は「ソワソワし始める」町には「テト関連商品」(テトのお土産、テトグッズ)が並び始める。

ベトナムでのテトの位置づけは「日本の3丁目の夕日の時代の感じだ」つまり、都会に働きに出ていても

テトだけは「故郷に帰り家族と過ごす」鉄則である。従って「田舎者だらけのハノイ」はテト時期になると

「急に人口が減るのである」、元日の朝などは普段バイクや車でごった返する町も、ほぼバイクも車も居ない状態になる。

1年に一度「静かなハノイを満喫できる」

それまでのハノイも「いかにも年末」と言う雰囲気が「これから色濃くなっていく」

もう少しすると「街ではモモの花の枝や、鉢植え、キンカンやザボンの実がたわわになった鉢植え」などが

売られ始める。どういうわけか「そのための鉢や花瓶、食器(ほとんどは近隣のバッチャン焼き)」が道端で

売られ始める。そして「日本で言えば正月飾り」の屋台もそこかしこに林立する。

こうなると「仕事どころでなない」(特に公務員は、この時期は機能がマヒする)

最近になって「大手のショッピングセンター(AEONなど)」は元日から営業しているが、つい数年前には

ほんの一部の「食堂」しか開いておらず、私のようなハノイで過ごさなければならない外国人にとっては

過酷な環境であった。(テト期間中の食料を確保しなければならないからだ)

この時期「働いている人などほぼない」、そんな中「日本企業相手の当社」は仕事である。

もう11年「社員には申し訳ないが、仕事をせざるを得ない」この時期は「社員が持ち寄った弁当?をみんなでよく

食べたことを思い出す」(お店はやっていないので必然的にこうなった)そしてこの時期の賃金は300%

会社としては「利益などなく、お客さんの要求に従ってやるしかないのである」この実情は現在でも変わっていない。

12年目のテト、「コロナや円安で大きく被害を受けた会社は、年末のボーナスも出せず、社員には本当に申し訳ない」

もちろん自分の「役員報酬などもう3年間以上皆無である」

来年(旧暦で)こそ、以前の「仕事状況や為替状況」に戻ることを期待してやまない。

「オーバーに言えば為替差損だけで会社がつぶれてしまいそうなのだ」・・・これを機会に

「どんな外圧が有っても耐えられる会社を作らなければならない」と遅ればせながら対応したつもりだが?

来年こそ「良い年になってほしい」、いつも通りの時間に出社して、誰もいない会社で相棒のミッと「そんなことを考えた」

 

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