★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「日本で終活」

2023-04-13 11:23:40 | ベトナム・ハノイ

 特殊な事情で「日本出張の機会を得た」

急な出張で「営業アポも1社しかできず」少々時間が余った。

こんな機会を少々考え、有効に使おうと思った。

・コロナで何度言っても「制限に引っ掛かり」会うことのできなかった「母への面会」

どうやら今回は「叶いそうだ」もうお互いに「最後かもしれない」という思いでいる事だろう

(母は今年で97歳になる。少々耳は遠いが元気である)

・高校時代の親友T君、彼の結婚式の司会もさせて頂いた。現在も「兼特メーカで現役」だそうだ。一級建築士である。

もう「何十年も会っていない」。良く一緒にスキーをやり、水上町,鹿野沢にある彼の家に良く泊まらせていただいた。

とてもおいしい彼のお母さんの手料理、そしてあの頃は自分よりもお酒の強かったお父様もう両方とも亡くなったそうだ。

自分も父を失っている。(母は97歳でまだ存命である)こんな気下でもないと合いには行けなかった。楽しみである。

・兄、もう5年近く会っていない。兄は長くアメリカ在住(17年)に居た。私が長いと言ってもまだまだ兄の領域には及ばない。

兄は家族帯同で「クレムソン」と言うアトランタから400kmの田舎町に暮らしていた。軽井沢のようなきれいな場所だった。

帰国し「アメリカ企業であるG社に60歳まで勤め、その後は東京で暮らし、アパートや一戸建ての賃貸業、そして大がかりに

「太陽光発電」を運用している。大病を患ってから会っていなかった。実家の処理やお墓の扱いについて、話さなければと思う

終活である。未だ健康のようだ、良い事である

・大学時代の親友Y君。成績もよく良いか社に就職したが「厳しい会社で精神がやられた」転職して入り少し良くなったが

「やがて鬱になり、早めに会社を辞めた」今は奥さんと共に「アルバイトをしながら悠々自適の生活をしている」

最近は「鬱をコントロールできるようになった」誠に喜ばしい事である。毎回会うときは「これが最後かな?」と

想いながら今度も又会うことができる。うれしい事である。

・そして、私のベトナム語の先生である。彼女は「国家大学(日本語学科)の大学生だった」日本の国の「国費留学生試験」

に合格し「東京外語大」に、そして今年「一般入試で一橋大学に合格した才女」である。大学生活を始めたばかりだが、

「ぜひ会いたい」ということで「国立で会うことになった」、そう「合格祝い」である。

 今回、思いがけずこの5名を訪ねることになった。今までは、こんなことは無かったが、すでに終活を行う年齢、思い切って

実行することにした。

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ベトナムハノイの「理不尽ベトナム対応の、急遽の日本出張」

2023-04-13 10:42:06 | ベトナム・ハノイ

 ベトナムとは「成熟してない国である」しかも「社会主義」悪しき習慣は多い。

11年で初めて「弊社に税務上の査察が入った」・・予想通り(他の会社から聞いていた通り)

自分にすれば「言いがかり的」な結果を提示され、「有無も言わさず」

「あなたの会社はこれだけの**があった、付いては*****追徴課税します」

・・・・・しかし「*****だけ私たちに払えば」「*****だけにしてあげる」 ということだ。

信じられないが「実しやかに、こういうことが定常的に行われているのだ」円安に加えての

この「追徴金+賄賂」の資金調達のために「急遽の日本出張」なのだ。

 到底承服できない、色々聞いてみたが「やめた方がいい、結局傷口を大きくし会社がつぶされる」

と言うのが「大方の意見だった」 納得も承服もできないが、円安で資金が無い中、

これ以上のリスクを冒すわけにもいかず、泣く泣く従わざるを得なかった。

 コロナ以降「航空券は高額傾向だ」、LCCならばそこそこ安いが「大病をした体でLCCはつらい」

そこで「500-600回も飛行機搭乗」したおかげで一時期は「スターアライアンスダイヤモンド」

「ワンワールド(マルコポーロ)シルバー」「スカイマイル」等々上級会員だったが

結局は「ポイントが無くならないデルタスカイマイル」以外は知らない間に失効してしまった。

しかしデルタマイルは失効しないため70000マイルほど残っていた。こんな時なので

問い合わせると「ハノイー東京」ならば35000マイルで往復できる。しかたがない

「35000マイル+70ドル」で発券した。 出張2日前だった。当日は「オンラインチェックイン」すると

ガラガラの状況だった。少し後ろ目に席を取ったが周りにはほとんど状況はおらす「3列で横になって」

出張できた。しかし群馬在住の自分はここからが大変。重いスーツケースをもっての移動(通常は

空港から送るが、今回はその時間が無かった) 羽田⇒北千住(バス)⇒自宅まで東武電車で移動

自宅の駅は無人駅、重いスーツケースを引きづりようやく帰宅した。

 さてさて何とか「出張目的を果たし」帰国しないと。?

帰宅早々風呂を沸かし、ベトナムではできない入浴をしながら「そんなことを考えた」

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ベトナムハノイの「XE OM 休憩」

2023-04-06 15:05:43 | ベトナム・ハノイ

 ここのところハノイは最高気温30℃以上、35,36℃にもなっている。

いつものように午前10時、社員と一緒に「TRA DA」(チャーダー)に行った。

「冷たいお茶」を注文し、「風呂場の椅子のような低い椅子に座り、休憩をしていると」

すぐ前の歩道で「XE OM」(せーおむ) バイクタクシーのおじさんが、バイクの上で「器用に熟睡していた」

ベトナムでは全然珍しい事ではなく「ごく普通の風景なのだ」

11年前、初めてベトナムに来た時は「現在のGRAB」などは存在せず。バイクタクシーを探すすべは

「この格好で道端で寝ている人を探したものだ」(そう、バイクが商売道具であるゆえに、バイク上で寝ている

のが当時の言い方ではXE OM(せーおむ)であることが分かったのだ)「せーおむ」とは直訳すると

「抱き着き車」とでも言おうか? (OM(オム)は「抱く」「XE」(セー)は車)

最近は「昔ながらの【せーおむ】」は少なくはなったが「GRABの制服やヘルメットを着用しててもただのせーおむ」

である人たちも多い(IT化されている本物のGRABから見ると稼働率は雲泥の差があるのだが?)

年齢も高く「GRABになり切れないせーおむ」も多いのである。

しかし、この寝方だけは双方共通した寝方なのだ。 不思議なものである。

見る限り熟睡している。しかし「転げ落ちたりしないのが、摩耶不思議なところである」

10時休みにチャーダーをしながら「そんなことを考えた」

道端の歩道上で狭いバイクの上に「見事に寝転がり、熟睡している」

GRABになって稼働率が上がった今では「少なくなりつつはあるが?」

それでも「ベトナムでは昼寝は必然である」 これもまた「ベトナム文化」なのだろう

 

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