ベトナムは1800年代後半から長い間フランスの植民地でした。
第二次世界大戦で1940年にドイツがフランスを占領したのをきっかけに、今度はドイツの同盟国である日本がベトナムに進駐します。
そんな時代の中、ホーチミンが植民地支配に抵抗する組織、ベトミン(ベトナム独立同盟会)を作り活動を開始しました。
1945年、日本の敗戦によって終結した第二次世界大戦後、日本に帰らずにベトナムに残っていた600人ほどの日本兵も、ベトミンとなってフランス軍と戦っていたそうです。
戦闘機や高性能の兵器を持つフランス軍に対して、古びた武器しか持たないベトミン軍(4万人)は険しい山々を突き進み、フランス軍の軍事基地があるディエンビエンフーを見下ろすところまでたどり着きます。そしてゲリラ攻撃によって1万6千人ものフランス軍と戦い勝利したのです。
こうして1954年 インドシナ戦争は終結しました。超簡単ですが8年も続きました。
このあとベトナムは南北に分断されてしまった為、1965年から10年もの長いベトナム戦争が始まったのです。
街には戦争の名残りが点在してあり、この丘は戦いに勝ったベトミン軍が勝利の記念像を建立した勝利の丘です。
勝利の記念像
勝利の丘から見たディエンビエンフーの町
山の向こうはラオスです。
『A1の丘』フランス軍が最後まで立てこもった丘の一つ。
塹壕(ざんごう)が延々と続いています。塹壕の入り口は十段ほどの階段なんですが、中は真っ暗でアリの巣のようになっています。
タシデレさんはこの塹壕に入って行きましたが、私は狭い所は苦手なので丘の上にいました。ところがなかなか帰って来ないのでおかしいなと思っていると、ずっと離れた塹壕から顔を出して「おーい」と呼んでいます。なんと迷ってしまって出口の階段がわからなくなってしまったというのです。
真っ暗なところは抜け出せたのですが、塹壕の深さはタシさんの肩くらいまであるし、ツルツルの土壁は引っかかりもなく上がれません。
ジグザグに続く塹壕をずっと歩いて低そうな所を見つけてやっと這い上がることができました。やれやれです(>_<)
塹壕は丘の上の周囲から下の車道のあたりまで、見え隠れしながらずっと続いています。真ん中の大きな穴はベトミン軍が落とした爆弾のあとです。
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