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若葉の頃 中欧へ  1

2011-10-20 19:08:07 | 2004年 若葉の中欧

古都プラハへ記念の旅

こんなに続けてお休みが取れる5月の連休はめったにありません。
 そして ダーさまのお誕生日〇〇のお祝い 赤いものは一切いらないとのこと/(=^m^=)ヽぷッ

そこで提案~♪ ダーさまの行きたがっていたプラハへの旅

長期のお休みは年末年始しか取れない・・・ その頃の中欧は厳寒 旅を楽しむどころではないはず
秋の黄金の小道を歩いてみたいけれど それは無理・・・  このお休みを逃したらいつ行けることやら 
無理をしても実行あるのみ  はたしてダーさまの決断は・・・・・

                                                                          

v(=^▽^V)~~ぶいっ♪
そんなこんなで1週間 中欧の旅へ・・・ 記念の旅へ・・・

2004・5・1~5・8

成田からブタペストへ

1日の集合時間がAM8:30  こちらからでは時間的に無理があるので 前夜 最終の新幹線で上野へ
7時のスカイライナーで行けば 荷物を受け取り集合時間に慌てずに間に合うはず。

成田に着いて ̄(〃゜o ゜〃) ̄ えぇ~~~  搭乗予定の便が欠航
オーストリア航空 整備時点で欠航と決まり ルフトハンザに振り替えとのこと
 添乗員の方が座席を続きで確保&フランクフルトでのトランジェット8時間をいかに過すか 必死の対応   
しかも10:30発が9:50発と早くなった為 現地との電話連絡も時間が少ない・・・
果たしてどうなりますことか/(=´・`=)ノ フッ…   

 

1日 ブタペスト到着が・・・

予定外のフランクフルト観光
ツアーコンダクターSさんの機転&気配り&力のおかげでフランクフルトに着いた時には 迎えのバスと通訳の方がいらしていた。
空港で8時間も時間つぶし・・・ と みなさんがっかりしていたところ なんとラッキーなことでしょう。
13名 みるみる笑顔が(●^o^●)


楽しく市内観光へ

マルクト広場を中心に街中の建物をいろいろ見ながら「ゲーテの家」
ゲーテが裕福な貴族の出身であることがお家を見ることで再確認

まず お台所・・・ 大きなかまど いくつもお鍋を乗せられる作りになっていました

壁には銅のお鍋が整然とかけられ なんとひとつの棚には大振りの型がたくさん並べられていました。
(当時のものなのでかなり古めかしいものでしたが 使い込まれた銅製のクグロフ型 パウンド型 etc)

そして極めつけはお台所に井戸があることです。。。
お水は外へ汲みに行く時代ですから 家の中に有るということは かなり裕福な貴族であったということですよね。


3階建て+ロフト 各階・階段ホールが広く取られ 暖房の焚き口があり(壁の一部に)
凝った装飾の棚や時計が置かれていました。

各部屋に置かれたストーブもプライベートルームにはシンプルに 団欒の部屋&客間には陶器で彩色&絵が描かれた物等
壁紙も豪華なシルクのもの シンプルな紙製など インテリア大好きな私には興味深く楽しく見学することが出来ました。

お庭にはオダマキやパンジーなど 我が家と同じ時期に花開くのだわ~♪ と


そしてビヤホールでお食事をして 空港へ戻り 一路ブタペストを目指してフライト
PM11:40その日のうちにどうにかブタペスト入りできました。
/(=´ー`)┌ ヤレヤレ...

インテリア好きな私が・・・ ゲーテの家の写真がないページ 不思議でしょ~


 原因は後程・・・

 

 

 


若葉の頃 中欧へ 2 ブタペスト

2011-10-20 18:22:02 | 2004年 若葉の中欧

   

2日 ブタペスト

昨夜はぐっすり・・・ 気がつくと朝~~(=笑=)
今日は日曜日なので午前中 教会は日曜ミサがあるので 午後から「ドナウの女王」と形容される歴史と芸術の古都を巡ります。
まずAM8:30出発で ドナウ川クルーズ ゆったり流れるドナウ川 午後がとても楽しみな風景を船上から・・・
ドナウ川中洲のセンテンドレ島
ブダ側の王宮





ペスト側の国会議事堂

 

センテンドレ島

 

ブタペストから北へ約19km  メルヘンチックな町並みと入り組んだ石畳の小路 中世の童話の世界へ迷い込んだ村のような小さな町  
小さな美術館・・・  小さな教会・・・ 温かな親しみやすい雰囲気でした。

      

 

午後は世界遺産の街 Budapest(ブダペスト)
 
Buda(ブダ)側は丘陵地帯で 中世の面影を残す王宮や歴史的建物 邸宅が並ぶ落ち着いた町並みと自然豊かな地域です。
Pest(ペスト)側は平坦な大地がひろがり道路が放射線状に整然と走り 政治や商業のの中心地でブタペスト一の繁華街があります。
国会議事堂 大聖堂 英雄広場 ビジネス街 官庁街 繁華街 学生街 活動的な地域だそうです

ブダとペストを繋ぐ9本の橋 一番有名なセーチェニ公のくさり橋を両方向から眺めてみました。
  
ペスト側が開けている様子が良く分ります                          小高い丘に立つ王宮          

 

  



  

 


若葉の頃 中欧へ 2-2ブタペスト旧市街

2011-10-20 18:08:56 | 2004年 若葉の中欧

ブダペスト 午後編

 

ではでは・・・ 「ドナウの女王」 歴史と芸術の古都巡り~♪

まず一番にハンガリー王の戴冠式が行われてきたマーチャーシュ教会
王宮と同じ丘陵にある13世紀に建てられた荘厳なゴシック様式のカトリック教会です。
カラフルなモザイク模様の屋根 装飾された石の塔 そして1541年ブダがオスマン朝に占領された時 モスクに改装され
中東の独特な色使い&文様などがほどこされ 1686年にオスマン朝撤退後すぐにカソリックの教会に戻った。
その後 バロック形式で修復 増改築が繰りかえされ 1800年代後半にゴシック様式に・・・

そんな歴史があるためか聖堂内に入ると幻想的な異国空間を感じました。
       



ドナウの見張り番 漁夫の砦
マーチャーシュ教会に隣接するネオ・ロマネスク様式の回廊の砦はドナウ川とペスト地区が一望できます。
それぞれの塔は職業ごとにお金を集め人手を掛け 他国の侵略を防ぐ為に作られたそうです。
そういえば・・・ 少しづつ塔の形が違いますよね。




威厳に満ちた王宮
ドナウ川に面した高さ60m・長さ1.5km 南北に長い丘の城壁に囲まれた南半分を占め
13世紀に最初の王宮が建てられてから 数世紀にわたり戦争や大火災などに見舞われたハンガリーの歴史の舞台です。
現在の王宮は第2次世界大戦後修復され完成したのは1950年代 そのたたずまいは昔からハンガリー国民を守り続けた歴史と威厳を感じます。


         

王宮からの景色
   



国王の名を冠す 聖イシュトヴァーン大聖堂
1851年から1906年 半世紀を掛けて作られたドームの高さ96mというブダペスト最大の教会 なんと8000人入れるそうです。。。
 キリスト教を積極的に受け入れた 初代ハンガリー国王イシュトヴァーン1世
死後聖人に列せられ 国王の右手が聖遺体として保存・展示されています。




建国1000年記念に造られた英雄広場
ハンガリー史に残る歴代国王や芸術家の14人の像が並び 
柱の上にはローマ法王の夢に現れ イシュトヴァーンに王冠を与えるように告げた大天使ガブリエルを戴き
足元にはマジャル族の首長を中心に左右に3人づつ部族長が勇ましく並んでいま。
     
7人づつ並んでいる上には 左側には蛇を掲げる戦いの神  右側にはオリーブの枝を掲げる平和の女神を戴いています。


今日は朝からのブダペスト巡り・・・ 素朴で静かな佇まい 心地よい疲れ・・・ 
お夕食は名物料理 グヤーシュ(特産のパプリカでお肉と野菜を煮込んだスープ)
デザート前にダーさまの前にバースデーケーキが・・・

皆さんに ハッピバースデー〇〇さ~~ん♪とお祝いしていただきました 記念の旅に更なる感激が。。。
ありがとうございました<(_ _)>


若葉の頃 中欧へ 3ウィーン

2011-10-19 20:26:54 | 2004年 若葉の中欧

 

 

3日 ブタペスト→ウィーン

ブタペストからウィーンへ列車のたび・・・

                                                             ブダペスト東駅                                   車窓から ボヘミアの田園風景

6人がけのコンパートメント 国境を越えた頃パスポートチェックに あら?5月1日からEUに加盟したのでは・・・
 
 *旧西側諸国の東端に位置するオーストリアは地理的に短時間で中欧諸国へ移動できるので
   ゲートウエイの役割をウィーンが担っている。  プラハよりも東なんですよ~。

ウィーン西駅に到着 まずはエネルギー補給 ̄(=笑=) ̄


ランチはウィーン名物「ヴィーナー・シュニッツェル」仔牛の肉をたたいて薄く延ばしたカツレツと
「アップフェルシュトゥルーデル」おりんごを薄いパイ生地で包んで焼いたケーキ
飲み物はコーヒーと泡立てたミルク半々のメランジェを頂きました。
ちなみに日本でのウィンナーコーヒーはアインシュペンナー  ブラックコーヒーはシュヴァルツァー

 

17世紀末に建てられたパフスブル家の夏の宮殿「シェーンブルン宮殿」へ

外観は黄色系のクリーム色のバロック様式 宮殿内は豪華なロココ調 バロック庭園は1.7km2
豪華絢爛な大広間や執務室 会議室 女帝マリア・テレジアにまつわる部屋 ヨーゼフ1世と皇妃エリザベートの部屋など 40室これでも一部分
女帝マリア・テレジアは16人も子供を生み そして各王家との婚姻を結び 姻戚関係からヨーロッパの各地への力を波及していきました。

パフスブル家繁栄の陰には女性の力あり (=笑=)   少女時代のマリー・アントワネットもこちらで過していました。

        


リンク沿いのオペラ座からケルントナー通りを歩いて突き当たりの シュテファン寺院 建築最古(12世紀)部分はロマネスク様式の正面入り口 
ハプスブル家支配になってからゴシック様式で立て替えられ 内部祭壇は18世紀になってからバロック様式
 第二次世界大戦で被害を受けましたが ウィーン市民やオーストリア各州の寄付により再建されました。
地下の墓地にはペストで亡くなった人々の遺骨と 歴代皇帝の内臓を納めた壷が保存されています。


夜はオランジュリー(ここはシェーンブルンの温室だった所です。)にてミニ・コンサート
「シェンブルン宮殿オーケストラ」はウィーンの良く知られているオーケストラの音楽家達が集まって形成されています。

実際にモーツアルトも モーツアルトとサリエリの演奏競争もここのオランジェリーで繰り広げられたそうです
時を超えモーツアルトと同じ空間にいると思うと なんだか(●^o^●)ドキドキしてしまいました。
    

第一部はモーツアルトの有名な作品の演奏
第二部は王宮音楽監督として また有名なワルツ作曲家ヨハン・シュトラウスにささげられ
アリアやデュエット ダンスペァーの美しい踊りに楽しい時を過しました。


 

 

 

 

 

 

 

 


若葉の頃 中欧へ 4ウィーンフリータイム

2011-10-19 13:33:51 | 2004年 若葉の中欧

 

 

4日 ウィーン フリータイム

今日は以前行けなかった美術史博物館
地下鉄と路面電車の一日券を購入(5ユーロ) 最初に入る駅で機械にいれ「ガチャン」と日付けと時間を記載する
後は一日乗り放題  不正乗車ないのかしら?(ランダムに職員が出入り口でチェックするらしい)

美術史博物館の建物自体が美術品!
        
外観・内装はルネッサンス様式で 建築と絵画・彫刻による内装が融合しあい 
蒐集された芸術と古代の記念碑にふさわしい 荘厳かつ華麗な空間をもった博物館です。
階段・廊下使われている大理石も 普通なかなか見かけることが出来ないような石を使っています。
絵画を引き立てるに壁やロープ カーテン 警備の方が座っている椅子にまで色彩が考えられ纏められている
このセンスの良さ・・・ 宗教絵画ちょっと苦手な私・・・ 視点がこんな感じ
 洗面所の石&コントラストにも感激 ̄(=笑=) ̄

中心に階段&ホールを造り その空間の見事さ・・・
絵画以外に古代エジプト・オリエントコレクション 彫刻・工芸コレクション バロック時代の宝石細工 etc
2階のビュッフェがとてもお洒落~♪ 一日いてもここでひと休み&ランチもいただけるgoodです(・_*=)ヽ\ペチ!!

撮ってしまいました・・・  いけなかったかしら/(=-。-=)\ボソ...



お向かいの王宮

皇妃エリベート展開催中でした。
皇太子ヨーゼフ1世と皇妃エリザベートは美男美女のお似合いのカップル 
 エリザベートは乗馬もかなりの腕 プライベートルームにはスタイル&体力を維持するために鍛えていた器具が・・・ 
 懸垂用の吊り輪がさがり 脚力を鍛える為の器具 足の疲れを癒すフットバス etc 
50cmのウエストを維持する努力に わが身を省みて思わず/(=;´・`)>フゥゥゥ... 

また旅が好きで列車に専用のお部屋やお気に入りの家具を・・・
旅に出ているときにヨーゼフ1世が亡くなり その後エリザベートは着衣は黒で通されたそうです。

(強い姑のマリア・テレジアと聡明&意志の強いエリザベーとは相性が悪かったらしい・・・ そのための不在説も)

 

中心街を一周する路面電車で のんびり街の様子を眺め・・・

 予定ではホテル・ザッハーもしくは 王室ご用達のデーメルで ザッハートルテor美味しいケーキを頂きたいなぁ~と
時間が足りなくなり予定は未定でした・・・ ちょっぴり残念

お夕飯はお肉が続いていたのでシーフードのお店へ・・・

  

この時期だけのホワイトアスパラ   生牡蠣・・・小ぶりで丸い貝

 

 

   
                                                       

  

 


若葉の頃 中欧へ 5チェスキークロムロフ

2011-10-18 23:49:06 | 2004年 若葉の中欧

 

5日 ウィーンチェスキー・クルムロフプラハ

今日は一日バスの旅 自分で運転していれば大丈夫だけれど バスには乗り物酔いする私
出発前にどの薬が自分に合うかちゃんとチェック&お席も最前列 v(=^▽^V)~~ぶいっ♪

のどかなボヘミヤの田園風景 緑鮮やかに菜の花の黄色い絨毯(菜種油を採る為)
移動:ウィーン→チェスキーまで256km  チェスキー→プラハ167km

 

世界遺産の街 チェスキー・クルムロフ

13世紀に南ボヘミヤの豪族によって城が築かれ 支配は移り変われども その美しさを保ち続ける街 
旧市街地は石畳の細かい路地が入り組み 中世そのままの雰囲気が残っていました。


   
ボヘミヤではプラハ城に次ぐ大きな城 チェスキー・クルムロフ城
13世紀に建てられてから それぞれの時代の支配者によって新しい建物が付け加えられ それぞれの様式が調和した複合建築です。

メインの城内は予約制でガイド付きのツアーです(チェコ語→英語→日本語)
今回は英語→日本語でした  ̄(=*^・^*=)\ホッ
一部屋ごとに大きな鍵穴に鍵を差込 ギィ~~と扉を開け 次の部屋に行く時はまた鍵を掛け
最後の城主シュヴァルツェン家にまつわる19世紀のインテリアや使われていた品々 ルネッサンス&バロック時代の部屋
そして壁面にフレスコ画で仮面舞踏会の様子が書かれている「仮面舞踏会の間」を案内していただきました。

残念なことは撮影禁止(お城や博物館などはほとんどの所が禁止ですよね)
      
街の外はボヘミヤの豊かな大地が広がり 大きく屈曲して流れるヴルタヴァ川に囲まれた静かな時が止まっているような・・・
そんなことを感じながら石畳の路地を歩きました。

*2002年8月の大洪水・・・ 大きな被害がもたされ1階軒下まできた水害の後が壁に残っていました

 

一路 憧れの街プラハヘ


夕方到着~~(●^o^●)
お部屋に荷物を置き チェコ料理のお店へ  舞台では民族舞踊と音楽 離れたお席でよかった
(華やかですが 凄いボリュームの音とテーブル近くでの民族舞踊 埃が・・・)
プラハ城のライトアップがとっても綺麗~♪  デジカメ忘れてしまったので 明日の夜は絶対撮りますわん~♪




 

 


若葉の頃 中欧へ 6プラハ

2011-10-18 18:26:26 | 2004年 若葉の中欧

6日 プラハ

楽しみにしていたプラハ ワクワク~♪
朝食後にお散歩・・・ 朝の通勤風景 ロータリーは車や路面電車が行き交い いずこも同じ急ぎ足



やはり・・・(●^o^●) プラハ城から
正門には直立不動の凛々しい衛兵
正午の交代のセレモニー 音楽隊付き 見学したかったわん/(=-。-=)\ボソ...


お城の中にある聖ヴィート大聖堂チェコ・ゴシックを代表する建物
            

とにかく 広い・・・ 凄い!! 旧王宮・宮殿・教会・修道院・博物館・美術館 落ち着いた歴史の重みを感じる佇まいです。
旧王宮内のヴィラディスホール(肋骨状の梁が支えるアーチ型の天井の広~いホール)では騎士の馬上競技や戴冠式が行われ
1934年からはここで大統領選挙が行われているそうです。 

室内で馬術・・・ しかも馬専用の階段もあるんですよ~ 
(゜O゜;=) ̄ビックリ~~~

プラハ城内の中世の雰囲気が残る石畳の小路
色とりどりの小さな家が軒を連ね 城に使える従者&一角に錬金術師が住むようなったので黄金の小路と名がついたそうです。
       
 本当に小さな家 入り口は身をかがめないと入れないくらい・・・   小さなお家は おみやげ物屋さんになっていました。
青い壁No22のお家はカフカが執筆の為 半年間過したそうです(奥の小さなブルーの家です)
小路を下って カレル橋へ 




カレル橋15世紀初頭建造された石造りの全長500mもある橋

橋の上は歩行者天国  30対の聖像と大道芸人で有名・・・ ものすごい賑わい  スリにご用心!!
    


旧市街広場に 市庁舎天文時計(からくり時計)があります・・・
1410年に時計技師ミクラーシュと天文学者シンデルにより 天動説に基づいて造られたそうです
どんな動きをするのか楽しみに 時間に合わせて急いでいくと 観光客が沢山集まっていました


期待が大きかった分   /(= ゜ ゜=)ほ?  でした。。。
旧市街広場 こちらも観光客で大変な賑わい・・・  花嫁さん 見~~つけた(●^o^●)
       

 


若葉の頃 中欧へ 6-2プラハ

2011-10-18 16:53:32 | 2004年 若葉の中欧

街角で・・・

現代プラハ事情・・・
きっとダーさまがイメージしていたプラハは 5~6年前の姿ではなかったでしょうか・・・ 
歴史の重みを感じ 叙情的 幻想的な街・・・ そして素朴な心豊かな街
今ではちょっと違った面も・・・ そんなことを感じるシーンがいろいろと/(=´・`=)ノ フッ…

ガイドをしてくださったカレルさんは
 昔はみんなが同じように働いて少しの家賃で家族5人が暮らせるアパートメントが使えたよ。
今は一生懸命働いても 生活は大変 でも僕は自転車持ってるから良いですよ(●^o^●)~♪
歴史的建物持っている人は借り手がいくらでもいるから 働かなくても家賃収入でBMWとか乗ってるんですよね・・・
資本主義のメリット・デメリットいろい ろです。 と 旅人の私たちに語りかけました。


左端上に飛行船が・・  ゆっくりと流れる時

  





さてプラハ最後のディナーは・・・
 I ご夫妻とツアーコンダクターのSさんが午後のフリータイムにチェックしてくださったお店
A ご夫妻とご一緒に 細く曲がりくねった路地をぶっ飛ばす 手に汗握る雷タクシー (゜o゜;=)\...
↑強調 !!
石畳の路地を飛ばすので タイヤが横滑りするのですもの

地下にあるワイン倉風お洒落なレストランに到着  ワインレッドを基調としたインテリア・・・ お食事中静かに流れるピアノの調べ
奥まったお部屋 一段高い2つのお席にはカップルが(一組は男&女 もう一組は男&男)しっとりと・・・ というよりは 
なぜかしょっちゅう席を立つ(・_・?=)~~ハテ? などと7人で話しながら お料理(フレンチ風?)を頂く

オードブルはなんと海苔巻きのアレンジ・・・
    
アスパラ
ロブスター
ラム
 チーズ&コーヒー
デザート

満席の為か時間がかかり デザートの頃には 灯っていたキャンドル すっかり融けてテーブルクロスに
アルコールいただけない私は長い時間になると/( =- _ゞ ネムイ /(=´0`=)ゞファー
(=笑=)



ダーさまがイメージしていたプラハとは6~7年のずれがあり 現地ガイドのカレルさんのお話でも分かるように

プラハの春以降 より良くなった点もあれば 昔を懐かしむ点もあるらしい・・・

旅の最終日 叙情的・幻想的なプラハ城を目にし 

ここにプラハへの想い凝縮されている気がし 肌寒い中しばし佇んでおりました