車で三郷・流山の古社3箇所を巡った。
<三郷丹後稲荷神社>
丹後稲荷神社(三郷市丹後)
丹後神社の名前の由来は丹後村という地名である。 丹後村は、明治22年に早稲田村となり、現在は三郷市早稲田8丁目となっている。このあたりは古来から早稲の産地として知られている。
左手に見えるのが「葛飾早稲発祥地の碑」
葛飾早稲発祥地の碑文(表)と葛飾早稲万葉歌碑(裏)
万葉歌碑の説明はこちら
神社社殿
<流山茂侶神社>
茂侶(もろ)神社(流山市三輪野山619)
平安期に編集された延喜式内社に列する。大和三輪山の大物主命を分霊する。
神社参道
「ヂンガラ餅行事」の説明版
若衆が大きな供餅を引きちぎりあい、奪いあう「餅取り」を行う。行事はかつては近郷から若衆が集まり裸で餅を奪いあうもので、奇祭とよばれていた。その餅の割れ方でその年の作柄を占ったと言われている。
葛飾早稲発祥を伝える碑
「古書は、当社を中心とした一帯を葛飾早稲の故地と伝える。伝統のヂンガラ餅神事もあるいは古代の新嘗(にいなめ)の祭りに発したものか」と書かれている。
葛飾早稲の万葉歌碑
万葉歌碑の説明はこちら
神社横に続く三輪野山散策の森」
<流山諏訪神社>
諏訪神社(流山市駒木655)
古くから“駒木のおすわ様”と呼ばれ、地元住民から厚く信仰されている。かつて源義家が奥州平定に臨む前に戦勝祈願のために訪れており、それにちなんだブロンズ像が建てられている。御鎮座1200年を迎えた古社。
神社境内
葛飾早稲の万葉歌碑
万葉歌碑の説明はこちら
山上憶良の万葉歌碑
銀も 金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも(巻5-803)
藤原仲麻呂の万葉歌碑
いざ子ども たはわざなせそ 天地の固めし国そ 大倭島根は(巻20-4487)
なぜ諏訪神社にこの2つの歌碑があるのかはおそらく、諏訪神社は七五三で賑わうようなので、子供を大切にしなさいということで建立されたのではないかと思われる。
馬にちなむ万葉歌碑が見られる。
諏訪神社付近一帯は馬の産地であり、のちに江戸幕府が軍馬牧場の小金牧として指定したが、その先史を伝えるとされる(諏訪神社の境内には「神馬の像」および「馬を連れた源義家像」の2体の青銅像が置かれている。)
(右)3314 つぎねふ 山城路(みち)を 他夫(ひとづま)の 馬より行くに
己夫(おのづま)し 歩(かち)より行けば 見るごとに ね(音)のみし泣かゆ
そこ思ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と 我が持てる まそみ鏡に
あきづきれ 負ひ並(な)め持ちて 馬買へ我が背 (巻13)
(左)3317 馬買はば妹かちならむよしゑやし石は踏むとも我は二人行かむ(巻13)
七五三参りとして近郷では有名な神社で、境内の「童謡の小径」には童謡の石碑が多数見られる。
「ねんねんころりの童謡歌碑」
<三郷丹後稲荷神社>
丹後稲荷神社(三郷市丹後)
丹後神社の名前の由来は丹後村という地名である。 丹後村は、明治22年に早稲田村となり、現在は三郷市早稲田8丁目となっている。このあたりは古来から早稲の産地として知られている。
左手に見えるのが「葛飾早稲発祥地の碑」
葛飾早稲発祥地の碑文(表)と葛飾早稲万葉歌碑(裏)
万葉歌碑の説明はこちら
神社社殿
<流山茂侶神社>
茂侶(もろ)神社(流山市三輪野山619)
平安期に編集された延喜式内社に列する。大和三輪山の大物主命を分霊する。
神社参道
「ヂンガラ餅行事」の説明版
若衆が大きな供餅を引きちぎりあい、奪いあう「餅取り」を行う。行事はかつては近郷から若衆が集まり裸で餅を奪いあうもので、奇祭とよばれていた。その餅の割れ方でその年の作柄を占ったと言われている。
葛飾早稲発祥を伝える碑
「古書は、当社を中心とした一帯を葛飾早稲の故地と伝える。伝統のヂンガラ餅神事もあるいは古代の新嘗(にいなめ)の祭りに発したものか」と書かれている。
葛飾早稲の万葉歌碑
万葉歌碑の説明はこちら
神社横に続く三輪野山散策の森」
<流山諏訪神社>
諏訪神社(流山市駒木655)
古くから“駒木のおすわ様”と呼ばれ、地元住民から厚く信仰されている。かつて源義家が奥州平定に臨む前に戦勝祈願のために訪れており、それにちなんだブロンズ像が建てられている。御鎮座1200年を迎えた古社。
神社境内
葛飾早稲の万葉歌碑
万葉歌碑の説明はこちら
山上憶良の万葉歌碑
銀も 金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも(巻5-803)
藤原仲麻呂の万葉歌碑
いざ子ども たはわざなせそ 天地の固めし国そ 大倭島根は(巻20-4487)
なぜ諏訪神社にこの2つの歌碑があるのかはおそらく、諏訪神社は七五三で賑わうようなので、子供を大切にしなさいということで建立されたのではないかと思われる。
馬にちなむ万葉歌碑が見られる。
諏訪神社付近一帯は馬の産地であり、のちに江戸幕府が軍馬牧場の小金牧として指定したが、その先史を伝えるとされる(諏訪神社の境内には「神馬の像」および「馬を連れた源義家像」の2体の青銅像が置かれている。)
(右)3314 つぎねふ 山城路(みち)を 他夫(ひとづま)の 馬より行くに
己夫(おのづま)し 歩(かち)より行けば 見るごとに ね(音)のみし泣かゆ
そこ思ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と 我が持てる まそみ鏡に
あきづきれ 負ひ並(な)め持ちて 馬買へ我が背 (巻13)
(左)3317 馬買はば妹かちならむよしゑやし石は踏むとも我は二人行かむ(巻13)
七五三参りとして近郷では有名な神社で、境内の「童謡の小径」には童謡の石碑が多数見られる。
「ねんねんころりの童謡歌碑」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます