吃飯了没有?

元中国深セン駐在員のブログ~中国・中国芸能情報・各方面の旅行日記、日本の街歩き情報を配信します。

鹿沼ぶっつけ秋祭り2014 (5)

2014-11-19 21:16:49 | 宇都宮の暮らし・自然
高倉健さんの訃報が入ってきました。高倉さんと言えば2005年に出演された「千里走単騎」が懐かしく思い出されます。この映画、中国で見たのですが、中国でも高倉さんは人気が高く、何人かの友人から高倉さんの名前を耳にしました。本当に残念ですね。ご冥福をお祈り申し上げます。

鹿沼ぶっつけ秋祭りの話題を続けます。


↑屋台を回転させる方法を眺めてみたのですが、屋台の中央底あたりをジャッキで上げて回転させていました。


↑屋台の周囲にいる人々の中には役に着いている人がいますが、役を担った人は皆提灯を手にしているんですね。一昨日紹介した先導の女の子は「金棒」の提灯を手にしていました。


↑屋台の動きをコントロールしている人は「木頭」という提灯を持っていました。


↑前にコメントしかたかもしれませんが、鹿沼の女性は「ハンサムウーマン」が多いですね。格好良かったです。


↑鹿沼の祭りは、岸和田の祭りのように威勢の良い屋台の引き回しは無く、ちょっと物足りなさを感じますが、これはこれで秋らしい感じで好きです。


↑反対を眺めると別の町の屋台が・・・。


↑女の子の役目は「金棒」だけでなく「拍子木」というのもあるんですね。でも、拍子を打っている様子は無かったような・・・。こちらの町の男衆の帽子は洒落てました。

鹿沼ぶっつけ秋祭り2014 (4)

2014-11-18 23:20:40 | 宇都宮の暮らし・自然
本日も帰宅がやや遅くなって今ようやくPCの前にいます。ここ最近帰りが遅いのは、実は私の部下が12月に中国に赴任することが決まり色々ゴタゴタしているからです。今日は、歓送会の会場探しや送別の品物をどうするか等々、別の部下と色々相談してきました。恐らく70名くらいの大きな会になるのでそれなりの会場と準備が必要です。

ということで今日も疲れましたのでコメントは控えます。写真だけお楽しみください。


↑久保町の屋台と銀座三丁目の屋台が対峙しています。






↑暫くしたら久保町の屋台が方向転換を始めました。






↑十字路の別の方角へ屋台を進めていくようです・・・。

鹿沼ぶっつけ秋祭り2014 (3)

2014-11-17 21:51:02 | 宇都宮の暮らし・自然
昨日K's電器にタブレット端末を見に行ったのですが、Nexus7が欲しくなってしまいました。値段もさほど高くありませんし。画面は綺麗だし私が今持っているASUSのタブレットよりも軽量でサクサク動きますね。今週末衝動買いしてしまうかもしれません。

さて今日も鹿沼ぶっつけ秋祭りの続きです。今日は帰りがやや遅くなりましたので、軽めのコメントとさせていただきます。


↑屋台の天井に上る男衆はどうやって決められるのでしょうね?


↑鹿沼銀座の看板アーチすれすれを屋台がすり抜けていきます。


↑十字路の奥からも屋台が近づいてきました。こういった十字路で異なる屋台が鉢合わせになる状態をぶっつけと言うらしく、お互いにお囃子を掛け合って自分の町の屋台をアピールしていきます。


↑こちらの屋台が右に移動した後に・・・


↑奥にいた屋台が十字路に移動してきますが、その前に・・・


↑彫刻屋台の前に色鮮やかな旅支度に錫杖(しゃくじょう)を持って屋台を先導する「鉄棒(かなぼう)引き」の女の子が、対面の屋台の男衆に対峙しました。


↑挨拶の儀式なのでしょうか?こういった伝統のお祭りに参加できることは彼女たちの今後の将来の糧になっていくことでしょうね。

鹿沼ぶっつけ秋祭り2014 (2)

2014-11-16 15:56:10 | 宇都宮の暮らし・自然
一昨日の晩、久しぶりに「今泉食堂」へ行って来ましたが、目に前に置いてあった寒ブリ美味しそうだったので食べてみたら激ウマでした。今の時期にしか食べられない季節ものはやっぱり良いですよね。今晩も某レストランで季節限定の料理を食べてくる予定です。

鹿沼ぶっつけ秋祭りの話題に戻ります。


↑そうこうしていたら辺りはかなり暗くなってきました。当日は昨年と違ってかなり暖かくて過ごし易かったです。


↑提灯の明かりが綺麗に映えるようになってきました。


↑周辺の道路を暫く彷徨ってみることにしました。


↑この通りでも後で屋台の引き回しがあったようです。


↑この先に老舗の屋台の形をした最中(もなか)のお店があるようです。一度食してみたいと思っていますが・・・。


↑さあっ!いよいよ屋台の登場です!!


↑中のお囃子の音と男衆の掛け声が祭り気分を引き立ててくれます。明日以降、屋台の様子をアップしていきます。

鹿沼ぶっつけ秋祭り2014 (1)

2014-11-15 18:00:20 | 宇都宮の暮らし・自然
今朝は寒かったですね。寒くて起きてしまいましたが、もうすっかりエアコンに頼って生きています。そろそろタイヤをスタッドレスに交換しないといけない季節となりました。次週あたりを考えています。

今日久しぶりに「やまや」へ行ってみましたが、竹鶴に目がいってしまいました。一関で17年ものを飲んで美味しかったのでどうしようかと思いましたが、個人的にはやっぱりバーボンが好きなので、ジャックダニエルの小瓶を買ってしまいました。今晩ちびりちびりやってみます。

余談はこれくらいにしまして、今日からは10/11に行った鹿沼ぶっつけ秋祭りの写真をアップしていきます。もう1か月前の出来事なんですね。時の流れは本当に速いです。


↑鹿沼に行くと、こういった山車を保管しておく蔵がたくさんあるんですよね。


↑大通りにはたくさんの人が繰り出していて、否が応でもワクワクする気持ちが強まってきます。


↑腹が減っては戦が出来ぬということで、広島焼きを。キャベツの量が少なくて今一つでしたが、やっぱりそば入りのお好み焼きが好きな私です。


↑道の駅の中で餅つきも行われていました!子供たちの食べたそうな眼差しが可愛かったです。


↑広島焼きだけではお腹を満たすことは出来ませんでしたので、牛肉の串焼きを!これは失敗でした。鹿沼牛だそうですが、高い割には美味しくありませんでした。


↑ということで次に目がいったのはいわき市の海鮮屋台。色々ありましたが・・・


↑私の好きなつぶ貝の串を注文しました!これは美味しかったです!本当はビールも飲みたかったですが、運転があるので泣く泣く持参したお茶で我慢です。

会津紀行(20)

2014-11-14 21:46:27 | 挨拶・その他
錦織選手は強かったですね。今本当に脂が乗り切った時期ではないでしょうか?一方、今日のキリンカップサッカーも強かったです。プレーが美しいので見ていて本当に楽しいですね。水泳しかり、体操しかり、スケートしかり、日本はようやく男子競技で世界レベルの選手が出てきて嬉しいです。若い選手がこの後に続いてくれればと切に願っています。

さて、会津の話題に戻ります。


↑会津を離れて猪苗代湖へ向かうことにしました。途中山を越えるルートを選んだのですが、峠道から会津の街並みが見える場所がありましたので、車を停めて1枚収めてみました。少し天気が悪かったのが残念でしたが、美しい風景を心に留めて再度車を走らせました。


↑峠を越えて猪苗代湖の近くにも田園風景が広がっていました。本当に美しいですね!


↑さあ、猪苗代湖に到着です。本当なら湖畔沿いを暫く散策したかったのですが、この頃から天気予報の通り雨が強くなってきましたので、この後の散策は断念しました。


↑磐梯山の写真も撮って来たかったのですが、雨を避けながら写真を撮影できる場所がなく、これが精一杯でした。この後猪苗代湖湖畔の道路沿いに車を走らせたのですが、猪苗代湖の大きさを改めて実感した旅となりました。

長らく続けてきた会津紀行シリーズはこれにて終了です。明日から何の話題に移るかは乞うご期待!

会津紀行(19)

2014-11-13 23:35:20 | 挨拶・その他
先週東北旅行に出たときに宇都宮駅で餃子の像が移転されていることを発見。昔は1階の目に付きにくい場所にひっそり立っていましたが、今は2階広場の目につきやすい場所に置かれています。ここ最近餃子消費量日本一の座を奪われるなどよくないことが多かったので、半分縁起をかついでのことだそうですが・・・。どうなることでしょうね?

さて、今日は御薬園の跡向かった会津若松のある場所を紹介します。


↑会津若松と言えばもう1つ有名なのが、野口英世が青春時代を過ごした街であることです。野口英世青春通りに足を運んでみました。初めてこの場所に来たのですが、栃木市の雰囲気に似ていました。古き良き時代の面影が残っています。


↑行ってみたかったのはここ。野口英世青春館と併設された會津壱番館です。


↑會津壱番館は野口英世が子供時代、火傷で負傷した傷の手術を受けた場所がカフェとして改装されて開かれた場所になっています。カフェ全体がノスタルジックな雰囲気に包まれていて、色々な思いが交錯して感傷的な気持ちになってしまいました。


↑美味しい珈琲と遅い朝食、と言ってもトーストを食べただけですが、を食べて来ました。ゆったりとした時間の流れに身を委ねながらの珈琲は美味しさ倍増でした。前にも何度かコメントしてしまったかもしれませんが、宇都宮にもこういうカフェがあれば嬉しいのですが。


↑遅い朝食の後は、野口英世青春館に入ってみました。2階にある資料館には英世が使用していた椅子や調度品の展示や、貴重な資料が数々展示されていました。


↑この場所は元々會陽醫院と呼ばれた病院で、この病院で英世は手術を受けて左手の指が切り離された奇跡に感動し医者を目指すことになった訳ですが、この2階の部屋で猛勉強したそうです。

私が初めて読んだ伝記は野口英世のものだったので、こうして彼の青春時代そのままの風景を目にすることが出来、非常に貴重な時間を過ごすことができました。

会津紀行(18)

2014-11-12 21:50:56 | 挨拶・その他
一昨日だったか、またBSの報道番組か何かで香港雨傘革命の女性リーダーの近況が取り上げられていました。でも、どうやら彼女、政府関係者からのプレッシャーが相当強くなってしまったのか、リーダーを引退することになったようです。雨傘革命、最終的にどういう結末を迎えるのかわかりませんが、真の民主化を獲得して欲しいですね。

さて、一昨日に続いて御薬園の続きです。御薬園の写真は今日で終了です。


↑本当に色々な変化に富んだ庭園です。


↑御茶屋御殿が近づいてきました。


↑池の水自体はあまり綺麗では無かったのですが、こうやって反射する水面の模様なども一種の借景になっていますね。


↑御茶屋御殿までやって来ました。茶席としては勿論のこと、書院、御慰所として用いられ、戊辰戦争では西軍傷病者の治療所としても利用されていたとか。


↑日本庭園の美しさに名残惜しさを感じつつ、御薬園を去ることにしました。駐車場横に目にしたことのない花が咲いていましたので1枚収めてきましたが・・・、この花がシオン(紫苑)であることを後で知った次第です。沢田聖子さんの歌で「シオン」という曲があって、前からどんな花なのかなあと思いながら今まで知らずに過ごしてきましたが、ようやくその花を自分の目で見ることが出来ました。薄紫色が可憐な綺麗な花でした!

会津紀行(17)

2014-11-10 21:22:28 | 挨拶・その他
昨日旅行から戻ってみると自宅に封筒が届いていました。それは、古くなったPCをリサイクルセンターまで郵送するために使う郵パックの伝票でした。早速古くなったデスクトップPCとノートPCを出しに郵便局へ行って、処分してきました。

ここ数か月、部屋の床をかなり占領していたPCを出すことが出来、部屋がスッキリしました!これまで出来なかったゴルフのパターの練習が出来るようになったのが嬉しいですね。今回不要PCの処分は初めて実施しましたが、意外に面倒でした。

余談はこれくらいにして御薬園の続きです。尚、明日なのですが、部下の面々との慰労会がありますので、明日のブログアップはお休みさせていただきます。あしからず。


↑楽寿亭は、主に藩主や藩重役等の納涼や観光、茶席や密議等の場として使われていたようです。


↑楽寿亭の命名は三代・松平正容によるものだとか・・・。松平正容は時折御薬園に入って山水を観賞していたが、自然の造化の中に仁者の「寿」と智者の「楽」のあることを感じ、この名前を付けたそうです。


↑小島の上から対岸に御茶屋御殿が見えます。


↑小島を離れ池の周囲の散策を続けると、こんな小川の流れもあって風流ですね。


↑苔むした小径がまた素敵でした・・・。

会津紀行(16)

2014-11-09 14:07:47 | 挨拶・その他
旅行から戻ってくると嫌なのは、行った場所が素敵であればあるほど虚無感に襲われることです。特に戻ってきた場所が雨模様だと最悪ですね。好きな音楽でも聞いて心を落ち着けます。

仙台は毎年12月に光のページェントをやっていますが、実は一度も見たことがないので、また12月に泊りがけで行ってみる予定です。

さて、旅で少し疲れましたのでアップは軽めに済ませます。会津旅行の続きです。


↑今日は御薬園の心字の池の周囲の散策路の写真を。




↑池の中央の小島に立つ小屋は楽寿亭と呼ばれる建物です。




↑池には鯉が、水面では鴨が悠々と泳いでいました。風流です。