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川元方面へ

2022-11-12 23:59:59 | 日記
本日、秋田市の川元方面に出かけました。道中の景色を紹介いたします。

MEGAドン・キホーテ 秋田店です。(地図のA地点)


(参考)川元地区の地図です。


こちらは地図のB地点です。


日本酒醸造所の秋田酒類製造株式会社です。秋田県産の良質な米と、奥羽山系の清らかな地下水を使用して、秋田の地酒をつくっています。




先の建物はこの道路の右側にありますが、左側にも建物があります。屋上にある「高清水」の看板が特徴的です。


この会社は、1944年8月1日に設立されました。24酒造業者で事業を始めましたが、12酒造業者が残り、現在に至ります。公募により決定した「高清水」が代表銘柄です。高清水は、令和3酒造年度 全国新酒鑑評会にて金賞を受賞し、22回の連続受賞となりました。日本酒以外にも、リキュールや焼酎も製造しており、デザート純吟や化粧品などの商品も開発しています。完全予約制で、酒蔵見学もできます。

吉田山一乗院です。




標柱抜粋
「真言宗智山派。本尊は不動明王である。文亀二年(1502)に常陸国十七代佐竹義舜(よしきよ)の開基で、海義大和尚により開山する。佐竹氏の祈願寺で寺禄三百石を領し、常陸国談林寺(学問所)・中本寺(地方の本山)の格式をもった名刹である。
慶長七年(1602)に、佐竹氏の遷封とともに秋田に移転された。当初寺町(現在の西法寺)の地に伽藍を構えたが、明和四年(1767)の大火で焼失、その後城中三の丸に造営された。八幡神社の社務を兼ね、代々藩主の軍旗加持・国家安穏の修法等を専司する寺院であった。明治維新で現在地(旧東光寺跡)に移転したが、大正11年(1922)に火災により焼失し、仮住まいのまま今日に至っている。」

Googleストリートビューによると、数年前までは、この敷地は空き地となっていました。現在は本堂が再建され、立派な姿が再現されています。




総社神社の杜です。敷地内には、総社神社や広場があります。














神社の創祀は、724年(神亀元年)になるといわれています。その年の3月8日の夜半に、三森山(現在の秋田市千秋公園)に突然と神光が飛来しました。その光は真昼の如き輝きを発して、山河は動鳴したとされます。近里遠村の人々は強い驚きを感じていたところ、「我は大己貴神(おおなむちのかみ)なり。今ここに一宮を創建し祀らば、国中安泰・諸人守護・五穀豊穣といたさん。」という神勅が下りました。そこで人々が神殿を建立し、八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)と味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)を左右相殿として祀ったのが始まりと伝えられています。
1602年(慶長七年)に、佐竹氏が常陸から国替えにより秋田を知行する際に居城を三森山(神明山ともいう)に定めたため、翌年に川尻郷下浜(したはま,現在の秋田市楢山川口境)に移されました。下浜の地は低地多湿で神地としてはふさわしくなかったため、1659年(元禄七年)に川尻上野岱の仮社地へ遷されました。1707年(宝永四年)9月6日に、現在の場所に本遷宮が行われました。以来川尻郷一帯(山王,川尻,川口,楢山)の鎮守として現在に至ります。

市立秋田総合病院です。


(地図のD地点から撮影)


新病院建設工事が令和2年2月17日から行われていましたが、今年の7月末に完了しました。10月5日に、新病院での外来診療等が再開されました。旧病院の解体工事も行われますが、11月は事前工事が主な作業となるそうです。解体工事はこれから本格化する見込みです。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。


出典
秋田酒類製造株式会社
秋田酒類製造株式会社 全国新酒鑑評会「本社蔵」「御所野蔵」金賞受賞しました
総社神社
市立秋田総合病院 新病院建設について


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