ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

ぼくたちは新しい

2008-12-22 23:35:04 | 寓話集まで
  
レコード針を買った
小さかったこどもにダメにされて数年ぶりで
古いレコードを聴いた
ロバータ・フラックのダニーに捧ぐ
ジョージ・ベンスンのギミ・ザ・ナイト
イーグルズのホテル・カリフォルニア
デイヴ・メイスン
ウィッシュボーン・アッシュ
テン・イヤーズ・アフター

庭の電話の引込み線にトンボが群れて止まっている
暑すぎる夏の晴れたゆふぐれ
陽が落ちる西の山脈―熊山(市民の森のある山)と手長山

ジェリー・ガルシア氏(米ロック・グループ、グレイトフル・デッドのリーダー)
サン・フランシスコのマリン郡保安官事務所によると、九日死去、五十三歳。死因は明らかにされていない。
1960年代、サン・フランシスコを代表するロック・グループでサイケデリック音楽の立役者として知られたグレイトフル・デッドの伝説的リーダー。リード・ギター、ボーカル、作曲を担当した。(米カリフォルニア州ノバト、AP=共同)
八月十二日付河北新報に小さく報じられている。
悦ばしい死
ぎいぎい軋る音に満ちた死
いらいらさせる不快さに満ちた死
GRATEFUL―感謝している、喜ばしい
GRATE―ぎいぎい軋る音をたてる、不快な感じを与える
DEAD―死
別の新聞によれば麻薬中毒者(ジャンキー)の施設にいたとも言う

二十数年前
デッド(とグレイトフル・デッドを略した)のレコードは持っていなかった
バンドでカンバーランド・ブルースという曲を演奏したことがある
リーダーのギタリストがデッド・フリークだった
ニュー・ミュージック・マガジンによるとデッドのコンサートはとりとめのない演奏がえんえんと続き聴衆は何かに酔ったようにえんえんと聴きつづけていたという
デッドのCDを買って改めて聴こうとおもう

八月十三日
高校卒業して二十年経ってはじめて同級会をひらいて頭に花という字のつく先生があなたたちは制服の自由化を行ったそのときの経験が今でも教師として原点にあると語った
ぼくたちは気仙沼高校で制服の自由化を最後にたたかい勝ちとった
ぼくたちはそういう人間だ
ぼくたちはロックしつづけているそういう人間だ

ぼくたちは新しい
1960年代から継続していつでもぼくらは新しい

アンシャンレジームをぶち壊せ
プロローグは終わる
変革の成果をぼくたちが勝ちとる

ぼくたちは新しい
ぼくたちは永遠に新しい

庭の電話の引込み線にトンボが群れて止まっている
暑すぎる夏の晴れたゆふぐれ
陽が落ちる西の山脈―熊山(市民の森のある山)と手長山



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1 コメント

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この詩について (私)
2008-12-31 23:58:47
 高校を出て20年と書いているから、14~5年前の詩。もう既に、ジェリー・ガルシアの亡くなった年齢を大きく超えてしまった。ジョン・レノンももちろん。
 西の山脈というのは、写真の二つの山塊。向かって右が手長山、左は市民の森のある山。熊山というのだと思う。
 50を過ぎても、私は、私たちは新しい、と思っている。むしろ、最近、ますますそう思っている。
 

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