ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

霧笛第125号〈編集後記〉

2018-04-30 16:37:47 | 霧笛編集後記

◆霧笛の会代表である西城健一さんが、十八年ぶりとなる詩集を発行した。今年二月一〇日付け、「詩集 優しい雨」。多くが霧笛に掲載の作品だが、十編ほどは、書き下ろしとのこと。あとがきにこう書く。「特筆すべきことは「震災」の詩だと思います。私は被災者ではありませんが、被災者に寄り添い、被災者の代弁者になるような詩を書き続けてきたつもりです。しかし震災から年月が経つにつれ、私の心の風化が始まり、当時の心に戻って書き続けることが困難になってきました。今まで私が書き綴った作品が、震災に向けた私の使命としての形であると思います。」

 自宅に、職場に、そしてごく近い身内に被害を受けなかった点で、私も西城さんと同じく、被災者ではない。しかし、気仙沼という地域に生きて生活している限り、多少なりとも当事者である、被災者であるとは言うべきかもしれない。詩を書くものとして書き残す使命はあるのだろう。われわれ霧笛の同人は皆、その使命を負っている、共有している。

 「優しい雨」には、西城さんらしい、やさしくシンプルで、しかし、どこか骨の通った力強い詩が詰まっている。

◆童話作家のなかがわちひろさんから、前号に載せた「新しい記憶」について、「「記憶に新しい」という表現がありますが、それとは似て非なるイメージに、はっとして、にんまりしました。」と、メールをいただいた。私たちは、過去のさまざまな記憶をもって現在を生きている。かつ、未来に向けて、活動し何かを生み出し、制作し創作し、過去の記憶のうえに積み重なるもの、新たな記憶となるべきものを作り出していく。前号の詩は、気仙沼という場所にいま、現在のひとびとが新たな歴史を重ねていく営為を描いた。これも、震災後のひとこまではある。

◆なかがわさんのメールには「新しい図書館。わたしも見てみたいものです。」とも。この三月三十一日に、新しい気仙沼図書館が開館する。なかがわさんは、石津ちひろさんらとともに「チヒローズ」と称して、本吉図書館を窓口に、震災後の気仙沼の子どもたちへの読み聞かせを継続されている。気仙沼に思いを寄せられている。

◆十一日に、宮城県詩人会のポエトリーカフェの一環として、「気ままな哲学カフェ」特別編を行った。仙台の秋亜騎羅さんのところである。日野修さんが駆けつけてくれた。「迷宮の五十年と、ある男」と題して、自作の詩を、妻とふたりで朗読し、その感想や連想を気ままに語りあってもらった。そこで描いたのは気仙沼図書館と、伝説の館長菅野青顔のことである。今回も「哲学カフェ」独特の良き時間となったものと思う。

◆私の詩集「迷宮 寓話集Ⅱ」については、いま、常山俊明のもとに校正刷を預けて、じっくりと絵を描いてもらっている。この三月中にという思いもあったが時間をかけている。その第一章は、哲学カフェで読んだ「五十年」と「ある男」が核となる詩篇である。

◆仙台短編文学賞の結果、発表となった。さて、また、次回に。


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