来年(2019年)2月に、三社は経営統合されるようです。この三社はもともと同じ会社でした。聞くところによれば…
西川三社(西川産業・西川リビング・京都西川)は、西川(江戸時代は山形屋と言った)の東京支店(昭和22年法人化)・大阪支店(昭和16年法人化)・京都支店(昭和16年法人化)でした。本店(家)は、近江八幡市にありました。今でも、いわゆる西川家の本家として残っており、年に二度西川家当主を迎えられると聞いています。
現在の西川当主は、西川八一行(康行)氏であり、元国家公安委員長の佐々淳行(爺にとっては 浅間山荘事件の方がなじみがある)氏の三男です。西川實(西川リビング社長)氏の娘さまと結婚され、14代西川甚五郎(實社長の兄)氏には子が無く、養子・養女となり、西川本家の当主となられていると聞いています。
西川の本家です。二階の最奥が貴賓室。その手前に、当主奥様の部屋(6畳程度と思ったより小さい)があったと記憶してます。
西川本家の裏は、堀に直結です。江戸時代は琵琶湖の水運を利用し、物資が運ばれました。今では時代劇の映画撮影(鬼平犯科帳など)で利用されています。
平成4~5年ごろだったと思いますが、西川實社長と共に、この近江八幡の本家に立ち入らせて戴きました。一階の座敷から見た庭です。なんとなく、ゆらゆらしていると思ったら、手すきガラスでした。確かその時同行された部長から、面白い話を聞きました。(少し記憶が曖昧な所もありますが…)
戦前、西川の採用試験(面接)は、ここ近江八幡の本家で行われていました。会社としては既に分社化(昭和16年~)されていましたが、戦後もしばらくは、東京・大阪・京都の各西川の重役たちが、面接官を務めてました。そして、A君は大阪が貰う、B君は東京が、C君は京都がと…それぞれ気に入った新入社員を指名したそうです。その面接結果で、東京・大阪・京都、どの西川に採用されるかが決まったそうです。今では、絶対ありえないメチャな(?)採用試験が行われたと聞きました。
江戸時代の採用は、各村の名主などの推薦書というか保証人の書面が、蔵にたくさん残っていました。その時も京都大学の学生さんたちが古文書の研究のために大福帳などはもちろん、総ての古文書を写真に収めていました。すでに何年(何十年)もの時間が掛かっていましたが、道半ばだと言って見えました。
日本最古の勘定目録(西川リビングHPより)
本家の二階に、ステンドグラスの入った応接室があります。ここは、大切な客人と当主ぐらいしか入れないところです。もちろん實社長も、子供の頃は入室禁止であり、入れば酷く叱られたと言って見えました。
西川と言えば、「ふとん」ですが、ふとんを製造販売するようになったのは、明治20年大阪支店(西川リビング)がはじめと聞いています。太平洋戦争の始まる少し前(昭和16年)に分社化され、それぞれ独立経営されるようになりました。西川としては、創業450年を越えましたが、「ふとんの西川」は、明治20年からですが、それでも130年余の歴史があります。弊社はまだ95年です(関係ない)。
時代が変ると言えばそれまでですが、西川の創業時は畳表や蚊帳でした。江戸時代は弓の弦を商い、江戸幕府御用商人にもなりました。商う商材は、変っていきますね。富士フィルムという会社も、フィルム事業は今では1%以下とか・・・。時代の流れに乗り損ねると、とんでもないことになります。實社長のお陰で、介護事業に参入でき、今では寝具の不振を補って余りある状態になっています。とはいえ、寝具業界も激変の時代に入りました。綿桂もどうなるんでしょうね。
チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言われそうです。
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