山名(さんめい)、山の名前というのは結構やっかいなものです。基本は、地元の人々が呼んでいる名称が採用されます。地元といっても大勢いるわけで、その山が見える範囲といったらかなりの広さになってしまいます。もっとも確実なのは、その山に住んでいる人々や麓の人々で、その山と深く関わりがある人々がいれば、それが最も有力なものとなります。但し、現在は地方自治体の担当者が確認して国土地理院に報告するようですが、その人が山名に詳しいとは限らないので、誤った報告がなされることもあるわけです。地形図はめったに更新されないので、誤った地形図がずっと流布される事態になります。位置が間違ったままずっと修正されないという例もあります。
もう一つ、山名というのは時代により変遷するということです。むしろ古代の山名がそのまま残っている方が珍しいのではないでしょうか。その山で大きな自然災害があれば、それで名前が変わったり、戦国時代以降には国替えも盛んに行われたため、多くの山名が生まれたり変わったりしたはずです。また、山の反対側で名称が異なるということも普通にあることです。ある集落で東山と呼ぶ山も、反対側の集落では西山と呼んでいたりします。そのどちらもが正しくて間違いではないのです。でも地形図にはひとつしか載りません。その場合、結局は力のある方が採用されるということでしょう。
そんなわけで妻女山ですが、最近検索でたくさんの人が「妻女山の位置と名称について」を訪れてくれたので、私のホームページとブログから選択して「妻女山まとめ」を作ってみました。
■妻女山の名称の変遷
●西條山は、斎場山である!(『甲陽軍鑑』に斎場山を当て字で西條山と記されてから迷走が始まった)
●古代科野の国と斎場山(妻女山)のお話(斎場山は古代科野国を起源とする)
●時に笑える『地名辞典』における妻女山の記述 その1(辞典は結構いいかげんです)
●時に笑える『地名辞典』における妻女山の記述 その2
●時に笑える『地名辞典』における妻女山の記述 その3
●妻女山字図・地名図(斎場山・妻女山・赤坂山の地理的歴史的考察)(地元ならではの考察です)
●近頃創作の「妻女山」という名は最低!(そう看破したのは、明治15年編纂の土口村(現長野県千曲市土口)村誌の編者・飯島謙貞氏でした)
●埴科郡(長野市松代町・千曲市)における山名の考察(色々深いいわれがあるものです)
●上杉謙信槍尻之泉の新事実発見!(元々作り話ではあるのですが)
■妻女山・斎場山(川中島合戦史跡)ガイド
●妻女山」「妻女山 行き方」「妻女山 地図」「斎場山」「さいじょざん」「さいじょうざん」
●妻女山から斎場山への行き方(徒歩で15~30分です)
●妻女山から陣場平への行き方(徒歩で20~40分です)
●ガイドに載っていない川中島合戦の史跡!(歴史マニア必見です)
●川中島合戦の地名が載った妻女山のパノラマ写真
■川中島合戦について
●『第四次川中島合戦』啄木鳥戦法の検証(有名な武田別働隊について)
●【上杉謙信斎場山布陣想像図・川中島謙信陳捕ノ圖】(これは必見ですよ)
●武田別働隊はいずこへ、三滝山と戸神山の謎!(物語か史実か!?)
●続 武田別働隊はいずこへ、三滝山と戸神山の謎!
●地名から読む戦国時代の千曲川河道(第四次川中島合戦当時の千曲川)(当時の千曲川の流れが戦局を大きく左右した? 戦の頃は渇水期でした)
●上杉謙信が妻女山(斎場山)に布陣したのは、千曲川旧流が天然の要害を作っていたから
■福島第一原子力発電所事故に伴うCs137の大気降下状況の試算 - 世界版SPEEDI(WSPEEDI)を用いたシミュレーション - (これを全部積算するとどこがホットスポットか見えてくる)
■【必読!】関東大震災等で発生した前兆現象 「地震の起こるとき」亀井義次著から引用
★ネイチャーフォトのスライドショーやムービーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。ニホンカモシカや粘菌、森のあんずのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。
★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。オオムラサキとスミナガシの写真はこちらにたくさんあります。
★夏の信州のトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】をご覧ください。京ヶ倉アップ!
もう一つ、山名というのは時代により変遷するということです。むしろ古代の山名がそのまま残っている方が珍しいのではないでしょうか。その山で大きな自然災害があれば、それで名前が変わったり、戦国時代以降には国替えも盛んに行われたため、多くの山名が生まれたり変わったりしたはずです。また、山の反対側で名称が異なるということも普通にあることです。ある集落で東山と呼ぶ山も、反対側の集落では西山と呼んでいたりします。そのどちらもが正しくて間違いではないのです。でも地形図にはひとつしか載りません。その場合、結局は力のある方が採用されるということでしょう。
そんなわけで妻女山ですが、最近検索でたくさんの人が「妻女山の位置と名称について」を訪れてくれたので、私のホームページとブログから選択して「妻女山まとめ」を作ってみました。
■妻女山の名称の変遷
●西條山は、斎場山である!(『甲陽軍鑑』に斎場山を当て字で西條山と記されてから迷走が始まった)
●古代科野の国と斎場山(妻女山)のお話(斎場山は古代科野国を起源とする)
●時に笑える『地名辞典』における妻女山の記述 その1(辞典は結構いいかげんです)
●時に笑える『地名辞典』における妻女山の記述 その2
●時に笑える『地名辞典』における妻女山の記述 その3
●妻女山字図・地名図(斎場山・妻女山・赤坂山の地理的歴史的考察)(地元ならではの考察です)
●近頃創作の「妻女山」という名は最低!(そう看破したのは、明治15年編纂の土口村(現長野県千曲市土口)村誌の編者・飯島謙貞氏でした)
●埴科郡(長野市松代町・千曲市)における山名の考察(色々深いいわれがあるものです)
●上杉謙信槍尻之泉の新事実発見!(元々作り話ではあるのですが)
■妻女山・斎場山(川中島合戦史跡)ガイド
●妻女山」「妻女山 行き方」「妻女山 地図」「斎場山」「さいじょざん」「さいじょうざん」
●妻女山から斎場山への行き方(徒歩で15~30分です)
●妻女山から陣場平への行き方(徒歩で20~40分です)
●ガイドに載っていない川中島合戦の史跡!(歴史マニア必見です)
●川中島合戦の地名が載った妻女山のパノラマ写真
■川中島合戦について
●『第四次川中島合戦』啄木鳥戦法の検証(有名な武田別働隊について)
●【上杉謙信斎場山布陣想像図・川中島謙信陳捕ノ圖】(これは必見ですよ)
●武田別働隊はいずこへ、三滝山と戸神山の謎!(物語か史実か!?)
●続 武田別働隊はいずこへ、三滝山と戸神山の謎!
●地名から読む戦国時代の千曲川河道(第四次川中島合戦当時の千曲川)(当時の千曲川の流れが戦局を大きく左右した? 戦の頃は渇水期でした)
●上杉謙信が妻女山(斎場山)に布陣したのは、千曲川旧流が天然の要害を作っていたから
■福島第一原子力発電所事故に伴うCs137の大気降下状況の試算 - 世界版SPEEDI(WSPEEDI)を用いたシミュレーション - (これを全部積算するとどこがホットスポットか見えてくる)
■【必読!】関東大震災等で発生した前兆現象 「地震の起こるとき」亀井義次著から引用
★ネイチャーフォトのスライドショーやムービーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。ニホンカモシカや粘菌、森のあんずのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。
★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。オオムラサキとスミナガシの写真はこちらにたくさんあります。
★夏の信州のトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】をご覧ください。京ヶ倉アップ!