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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

大波乱の予感がする新年に、杏の里の古刹へ(妻女山里山通信)

2014-01-03 | 歴史・地理・雑学
 喪中のため、神社への初詣は控えて杏の里の古刹、信濃三十三番札所第六番「洗渕山観龍寺」へ行きました。坂上田村麿が東征の際の草創で、かの川中島合戦の時にも山陰にあったため兵火を逃れたという古刹です。本尊は、藤原初期のものと言われる榧(かや)の一木造り十一面千手観音菩薩座像。

 観龍寺の駐車場からは、杏の里を見渡すことができます。薄雪に覆われた山麓は、花の季節とは違った趣があります。時折吹き付ける強い北風に、向かいの尾根から雪煙が立ち上っていました。茅葺きの観龍寺は、戦国時代の川中島合戦において、山陰にあったため、武田の戦火を免れたという言い伝えがあります。本道の両脇には、昔味噌や醤油を作るときに大豆を炊いた大きな釜が置かれ、防火用水が入っています。訪れる人もほとんどなく閑寂としていましたが、周辺は長野の自然百選に選ばれており、特に花の季節はおすすめです

 そこから見える杏畑の中の大槻(けやき・つき)を見に行きました。推定樹齢600年の古木です。中央の一番太い主幹は、随分前に折れたようで、その他にも折れた太い枝がいくつもありますが、樹勢は衰えてはいないようです。枝も見事ですが、根の張りのもの凄さに圧倒されます。

 杏は、冬芽が膨らんでいました。杏の枝は艶があって、冬の日差しに光っていました。次に周遊道路を巡って西側の薬師山展望台へ。南の眼下には、天才・立川流内匠二代和四郎富昌の「子持龍」の山門で有名な大城山興正寺があります。展望台からは、薄雪を冠った大峯山と鏡台山が見えます。大峯山と鏡台山の間には、倉科と森の沢山を結ぶ林道芝平樽滝線があり、杏の里を起点としてループのサイクリング・コースが組めます。林道からは、杏の里全体が俯瞰できる場所が一カ所あり、花の季節には必ず訪れています。杏の里を出て、古代科野国の初代大王の墓といわれる森将軍塚古墳を見上げながら、戸倉上山田の万葉温泉へ向かいました。

 温泉で暖まって帰路へ就くと前方左に雪を冠った西山、右に雪のない東山。たった数キロ西と東に分かれた同じ様な低山なのですが、これだけ雪の状況が異なるのです。今年はまだ一度も大雪にはなっていませんが、一月中旬過ぎから二月中旬までの間に、幾度か大雪に見舞われるのではないかと予想しています。今年は、なにか大波乱が起きる予感がします。細心の準備をしておいた方がいいでしょう。

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川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。関連記事のリンク集も

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コメント (4)
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