もう雪景色は飽きましたと書いたのですが、さすがに山蕗は出ているだろうと妻女山の奥山へ。編笠百合(貝母)も芽が出たかどうか気になります。展望台のある旧赤坂山の妻女山松城招魂社は雪も溶けて麗らかでしたが、そこから北面の林道はしっかりと積もっていました。樹上で盛んに小鳥がさえずっているのですが、鳴き声だけで種類が分かるほどの知見は持ち合わせていないので、ただ佇んで聴いていました。春の喜びの歌です。

長坂峠へ向かう北面林道には、ちょうど一週間前に次男と登った時の足跡が残っています。その時は足が雪に埋まって歩くのが大変でしたが、今回は凍って雪渡りが出来る状態。林道を詰めて足跡も全くない場所へ。そこは妻女山山系で最も早く山蕗が出る場所なのです。予想通り10個ほど初物が採れました。蕗の天ぷらになりました。山蕗は里蕗と種類は一緒ですが、味の濃厚さが全く違うのです。山蕗を里に持ってきて植えても、里蕗の味になってしまいます。畑は過栄養なのでしょう。

戻って亡き友人のKさんのログハウスへ寄ろうと道もない森を下って行くと何かの気配がしました。見下ろすとニホンカモシカが一頭、こちらを見ていました。シロの双子の兄妹の内の妹のブランカの方です。シロ自体が兄妹の双子だったので、親子二代で双子を産んだという実に珍しいケースです。時々手を振りながら静かにゆっくりと近づいていきました。まだ冬毛のままです。最高気温が10度を超えるようになると冬毛がおちて夏毛になります。ブランカは夏毛になると、白っぽい山羊のようになります。限界距離を超えたところで逃げ出しましたが、呼び止めると止まってジッとこちらを見ていました。ウシ科なのでどうにも好奇心が強いのです。ここでブランカと別れてログハウスへ。

ログハウスから見る千曲川と北アルプスの風景は、Kさんが亡くなる前と少しも変わりません。今年も福寿草が一面に咲いています。前回来た時は、雪でかなり傷んでいたのですが、復活したようです。古墳の上にもたくさん咲いていました。カタクリなどと同じく初春に花を咲かせ、夏までに光合成をおこない、それから春までを地下で過ごす、典型的なスプリング・エフェメラル(春の妖精・春の儚い命)です。漢方薬にもなりますが、毒草です。花言葉は永久の幸福、思い出、幸福を招く、祝福。

編笠百合の様子を見ようと坂道を登ると、Kお婆さんの森のコナラの大きな木が四本も倒れていました。これはいずれ始末しなければなりません。椎茸のホダ木にでもしましょうか。薪もたくさん取れそうです。もちろんKお婆さんには承諾を得ています。陣場平に出ると雪の溶けた部分に編笠百合の艶々とした芽が出ていました。去年より若干遅い感じです。4月中旬からGWにかけて見事な花畑を見せてくれるでしょう。ここはヤブだらけで、編笠百合も絶滅しかかっていたものを、私が二年かけて切り開いて群生地を復活させたものです。元々は薬草畑でした。先日雪かきのお手伝いに行ったらT婦人が、うちに亡くなったお祖父さんが持ってきた貝母が植えてあって、それが増えて毎年咲きますよと言っていました。編笠百合は茶花として用いられるとも。風流で優雅なお話でした。貧しくとも、昔のほうが心にゆとりがあって豊かだったなと思います。

林道へ戻る途中に、雪の重みで折れたカラコギカエデの翼果が逆光に透けていました。陽だまりの斜面では、この山で最初に咲くすみれ、アオイスミレの小さな葉が見られました。まだ固い蕾の梅圃の下ではオオイヌノフグリが咲き始めていました。

妻女山展望台からは、まだまだ雪深い飯縄山が。飯縄山は長野市民の憩いの山ですが、山頂付近は放射線量が高めです。麓の戸隠高原や飯綱高原、野尻湖あたりの野生キノコや山菜は、長野県のホームページを見て汚染度を確認したほうがいいでしょう。

最後にブランカの大きな写真を載せます。ここは、元々はブランカの母親のシロのテリトリーだったところです。ブランカはオスのプレット(黒)と双子ですが、実は母親のシロもクロ(オス)と双子だったのです。産んだのはマダムと私が呼んでいた母親。ニホンカモシカの双子は珍しいそうです。母娘で双子を生むというのは相当に稀なことなのだろうと思われます。その親子三代の変遷はこちらで御覧ください。
ニホンカモシカの親子は緩い縄張りを持ち、時に共有します。一日のある時間を一緒に過ごすこともあります。塒(ねぐら)もたぶんまだ一緒でしょう。ニホンカモシカは、本来はメス同士とその子供たちで共同生活をしていたと私は考えています。『遠山奇談』の記述にその描写が見られます。そのことについては、以前の記事「ニホンカモシカは昔、群れを作っていたのでは・・」をご高覧ください。
春よ来いの北信濃です。

★妻女山(斎場山)の歴史については、「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」。をご覧ください。「きつつき戦法とは」、「武田別動隊経路図」などリンク記事も豊富です。
このブログでもページの右上で「妻女山」や「斎場山」、「川中島合戦」、「科野」などでブログ内検索していただくとたくさん記事がご覧いただけます。主に古代科野国と戦国時代、幕末から明治維新にかけての記事がご覧頂けます。
川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。関連記事のリンク集も。
★妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。蝶の写真はこちらにたくさんあります。
★ネイチャーフォトのスライドショーやムービーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌やオオムラサキ、ニホンカモシカのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。

長坂峠へ向かう北面林道には、ちょうど一週間前に次男と登った時の足跡が残っています。その時は足が雪に埋まって歩くのが大変でしたが、今回は凍って雪渡りが出来る状態。林道を詰めて足跡も全くない場所へ。そこは妻女山山系で最も早く山蕗が出る場所なのです。予想通り10個ほど初物が採れました。蕗の天ぷらになりました。山蕗は里蕗と種類は一緒ですが、味の濃厚さが全く違うのです。山蕗を里に持ってきて植えても、里蕗の味になってしまいます。畑は過栄養なのでしょう。

戻って亡き友人のKさんのログハウスへ寄ろうと道もない森を下って行くと何かの気配がしました。見下ろすとニホンカモシカが一頭、こちらを見ていました。シロの双子の兄妹の内の妹のブランカの方です。シロ自体が兄妹の双子だったので、親子二代で双子を産んだという実に珍しいケースです。時々手を振りながら静かにゆっくりと近づいていきました。まだ冬毛のままです。最高気温が10度を超えるようになると冬毛がおちて夏毛になります。ブランカは夏毛になると、白っぽい山羊のようになります。限界距離を超えたところで逃げ出しましたが、呼び止めると止まってジッとこちらを見ていました。ウシ科なのでどうにも好奇心が強いのです。ここでブランカと別れてログハウスへ。

ログハウスから見る千曲川と北アルプスの風景は、Kさんが亡くなる前と少しも変わりません。今年も福寿草が一面に咲いています。前回来た時は、雪でかなり傷んでいたのですが、復活したようです。古墳の上にもたくさん咲いていました。カタクリなどと同じく初春に花を咲かせ、夏までに光合成をおこない、それから春までを地下で過ごす、典型的なスプリング・エフェメラル(春の妖精・春の儚い命)です。漢方薬にもなりますが、毒草です。花言葉は永久の幸福、思い出、幸福を招く、祝福。

編笠百合の様子を見ようと坂道を登ると、Kお婆さんの森のコナラの大きな木が四本も倒れていました。これはいずれ始末しなければなりません。椎茸のホダ木にでもしましょうか。薪もたくさん取れそうです。もちろんKお婆さんには承諾を得ています。陣場平に出ると雪の溶けた部分に編笠百合の艶々とした芽が出ていました。去年より若干遅い感じです。4月中旬からGWにかけて見事な花畑を見せてくれるでしょう。ここはヤブだらけで、編笠百合も絶滅しかかっていたものを、私が二年かけて切り開いて群生地を復活させたものです。元々は薬草畑でした。先日雪かきのお手伝いに行ったらT婦人が、うちに亡くなったお祖父さんが持ってきた貝母が植えてあって、それが増えて毎年咲きますよと言っていました。編笠百合は茶花として用いられるとも。風流で優雅なお話でした。貧しくとも、昔のほうが心にゆとりがあって豊かだったなと思います。

林道へ戻る途中に、雪の重みで折れたカラコギカエデの翼果が逆光に透けていました。陽だまりの斜面では、この山で最初に咲くすみれ、アオイスミレの小さな葉が見られました。まだ固い蕾の梅圃の下ではオオイヌノフグリが咲き始めていました。

妻女山展望台からは、まだまだ雪深い飯縄山が。飯縄山は長野市民の憩いの山ですが、山頂付近は放射線量が高めです。麓の戸隠高原や飯綱高原、野尻湖あたりの野生キノコや山菜は、長野県のホームページを見て汚染度を確認したほうがいいでしょう。

最後にブランカの大きな写真を載せます。ここは、元々はブランカの母親のシロのテリトリーだったところです。ブランカはオスのプレット(黒)と双子ですが、実は母親のシロもクロ(オス)と双子だったのです。産んだのはマダムと私が呼んでいた母親。ニホンカモシカの双子は珍しいそうです。母娘で双子を生むというのは相当に稀なことなのだろうと思われます。その親子三代の変遷はこちらで御覧ください。
ニホンカモシカの親子は緩い縄張りを持ち、時に共有します。一日のある時間を一緒に過ごすこともあります。塒(ねぐら)もたぶんまだ一緒でしょう。ニホンカモシカは、本来はメス同士とその子供たちで共同生活をしていたと私は考えています。『遠山奇談』の記述にその描写が見られます。そのことについては、以前の記事「ニホンカモシカは昔、群れを作っていたのでは・・」をご高覧ください。
春よ来いの北信濃です。






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★妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。蝶の写真はこちらにたくさんあります。
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