週末は、4度目の『ボヘミアン・ラプソディ』を観に行きました。周囲からは「ボヘミアン・ラプソディ中毒」(略してボヘ中)といわれています(笑)。たぶん5度目もあるでしょう。観に行く度に新しい発見があるのです。
買い求めた色々。左からTシャツ、映画のパンフレット、AERAのQueen特集号、河出書房のQueen特集号、メンバーのインタビューや故本田美奈子のインタビュー。TOHOシネマズで買い求めたDVD「Queen MERCURY RISING」。MERCURY RISINGは、Queenとフレディ・マーキュリーを知る上で最高のドキュメントでした。関係者が言っていたのは、インテリジェンスの高さ。そして、変化を恐れない、むしろ求める勇気と好奇心。
◉わが青春のQueen。ロンドンで過ごした5週間。BIBAでメアリーに遭ったかも。フレディ・マーキュリーよ永遠に。北アルプス絶景(妻女山里山通信)
その後、10億円の寄付があったという話題の上田城へ。今年は春が1周間から10日ほど早いという予報。スプリング・エフェメラルの開花も早いでしょう。撮影の計画を慎重に進めないとと思っています。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』本編映像
映画『ボヘミアン・ラプソディ』予告編
映画『ボヘミアン・ラプソディ』メイキング映像「フレディになるまで」
上田城の千曲川の分流があった尼ヶ淵から見上げる南櫓。現在残っている城は、仙石忠政によって江戸時代初期の寛永年間に再建築城されたものです。真田昌幸時代に三層四階建ての天守が存在したという説があります。
(左)西櫓。当時は7つの櫓があったそうです。(中・右)二の丸お堀跡には上田温電北東線跡。
(左)左に南櫓、右に北櫓、間に東虎口門。(右)東虎口門。伝説の真田石。真田信之が父の形見として松代に持っていこうとしたけれどびくともしなかったという伝説が。現在の城跡は、仙石氏の時代のものですから。江戸時代に作られた物語でしょう。
(左・中)城内の真田神社。眞田神社(真田神社)は、上田合戦で「落ちなかった」城であることにあやかり、受験生の祈願も多いことで知られます。(右)本丸跡。起工から2年後の第一次上田合戦当時の資料(山鹿素行の『武家事紀』)には、「天守も無き小城」との記述が見られるそうですが、史実との確認は得られていません。
お堀越しに見る上田市民のシンボル太郎山。真田昌幸や幸村もこの景色を見ていたのです。
お堀。まもなく訪れる桜の季節には、お堀の水面が桜の花びらで桜色に染まります。
(左)眞田神社の境内に残る直径2m・深さ16.5mの井戸は真田井戸。この井戸は抜け穴になっていて、城北の太郎山麓の砦や上田藩主居館(上田高校敷地)に通じていたという伝説が残っています。
(左)真田幸村の伝説の兜松。(中)合格祈願や恋愛成就などの絵馬。(右)天保年間の上田城絵図。真田信之は松代藩に転封され、真田10万石松代藩の祖となります。
◉上田城:信州上田観光協会
◉上田城:ウィキペディア
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
買い求めた色々。左からTシャツ、映画のパンフレット、AERAのQueen特集号、河出書房のQueen特集号、メンバーのインタビューや故本田美奈子のインタビュー。TOHOシネマズで買い求めたDVD「Queen MERCURY RISING」。MERCURY RISINGは、Queenとフレディ・マーキュリーを知る上で最高のドキュメントでした。関係者が言っていたのは、インテリジェンスの高さ。そして、変化を恐れない、むしろ求める勇気と好奇心。
◉わが青春のQueen。ロンドンで過ごした5週間。BIBAでメアリーに遭ったかも。フレディ・マーキュリーよ永遠に。北アルプス絶景(妻女山里山通信)
その後、10億円の寄付があったという話題の上田城へ。今年は春が1周間から10日ほど早いという予報。スプリング・エフェメラルの開花も早いでしょう。撮影の計画を慎重に進めないとと思っています。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』本編映像
映画『ボヘミアン・ラプソディ』予告編
映画『ボヘミアン・ラプソディ』メイキング映像「フレディになるまで」
上田城の千曲川の分流があった尼ヶ淵から見上げる南櫓。現在残っている城は、仙石忠政によって江戸時代初期の寛永年間に再建築城されたものです。真田昌幸時代に三層四階建ての天守が存在したという説があります。
(左)西櫓。当時は7つの櫓があったそうです。(中・右)二の丸お堀跡には上田温電北東線跡。
(左)左に南櫓、右に北櫓、間に東虎口門。(右)東虎口門。伝説の真田石。真田信之が父の形見として松代に持っていこうとしたけれどびくともしなかったという伝説が。現在の城跡は、仙石氏の時代のものですから。江戸時代に作られた物語でしょう。
(左・中)城内の真田神社。眞田神社(真田神社)は、上田合戦で「落ちなかった」城であることにあやかり、受験生の祈願も多いことで知られます。(右)本丸跡。起工から2年後の第一次上田合戦当時の資料(山鹿素行の『武家事紀』)には、「天守も無き小城」との記述が見られるそうですが、史実との確認は得られていません。
お堀越しに見る上田市民のシンボル太郎山。真田昌幸や幸村もこの景色を見ていたのです。
お堀。まもなく訪れる桜の季節には、お堀の水面が桜の花びらで桜色に染まります。
(左)眞田神社の境内に残る直径2m・深さ16.5mの井戸は真田井戸。この井戸は抜け穴になっていて、城北の太郎山麓の砦や上田藩主居館(上田高校敷地)に通じていたという伝説が残っています。
(左)真田幸村の伝説の兜松。(中)合格祈願や恋愛成就などの絵馬。(右)天保年間の上田城絵図。真田信之は松代藩に転封され、真田10万石松代藩の祖となります。
◉上田城:信州上田観光協会
◉上田城:ウィキペディア
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。