私信:柿の葉ずし

2008-04-26 23:00:01 | うまいもの

あなたがあんなに気にしていたから、牛はどうしても、こうしなくちゃいけないと思ったの。
だって今なら、こんなにすぐ側に在るんですもの。

だから…だから牛は…

Kakinoha02

食べちゃった。柿の葉寿司。

仙台-泉線は北根界隈、文学館の向かいにある「柿の葉寿司」。
このあたりは昔から、通過する事はあっても立ち寄る事が少なくて、立ち並ぶ店も名前はなんとなく知っていても何の店だかわからなかったり。
今回、この地にてやんごとなき任務を拝領つかまつり至極有難き禄を給された故、はてこの禄をば如何にすべき、と悩むこと一晩。
「そうだ!柿の葉寿司を食べよう、そうしよう♪」と、そりゃモウあっさりと思い立ったわけで。

この柿の葉寿司、小さな押し寿司が6個入りで630円。
小さなお店に入ると、ガラスケースを隔てて、結構かわいいおねぇさんが接客してくれました。
うんうん、女の子いいねぇ女の子♪(牛は現在かわいらしい女の子に飢えている。)

中身はというと、柿の葉にくるまれた鯖の押し寿司。
柿の葉に包むっていう形態は、奈良・和歌山界隈の物なのね。

何故こんなところで鯖寿司なのかよくわからないんですが、とにかくナレズシはアジアの宝。有難く頂戴することとしました。
いっただっきまぁ~す♪

Kakinoha01

あーーーーんっ♪

…ほのかな柿の葉の香り。乳酸醗酵がもたらす酸味の奥にある風味という恵み。
うむ~、あなどれない。納豆だのヨーグルトだの味噌だのを愛する発酵食品好きにはたまりません。

そんなわけで今回は私信なわけですがそこのアナタ。
牛はミッションコンプリート。
アナタもいかがですか?
タワービルから八乙女まで徒歩で帰宅するという健脚の持ち主なアナタにこそ、ぜひ食べていただきたい!
18時半までにたどり着くには、やっぱりバスですよバス。
季節も良くなってきたことだし、北根2丁目のバス停で降りてみてはいかがでしょうかっ。

ねっ、さおりんっ♪


右の手と左の手。

2008-04-26 02:30:17 | 日記・エッセイ・コラム

大岡昇平の「野火」を読んだ。

もうずいぶん長いこと本が読めなくなっていた上に、「無性に本が読みたいのに読めない、その読めないという事実がもはや活字から目を背けさせる」程の酷い苦痛となってしまっていた。

そんな時期を経て、きっかけがあったにせよこの本を選んだのは、とにかく牛らしいなぁ。
なぜ「牛らしい」のかは牛自身にしかわからないのがもどかしいけれど、何かこう、原点に還ったような気持ちなのだ。
昔から読みたかったんだけど、なぜか廻りあわなかった1冊。こんなタイミングで読む事になったのには、まさに「めぐりあわせ」な感がある。

中身は、とにかく戦争を経験した人の書いたものである。
極限状態。人肉食。狂気。
その間に描かれる、空や風景、地形などの事物の描写が、物語と「死」を引き立たせて妙にリアルに感じさせる。
「どこまでが作者の経験でどこからがフィクションか」を問うのは意味が無い。
国家のシステムで人と人が殺しあう現場に居たのなら、どこまでだって実体験の可能性があるわけで、その可能性を全否定できないところがこの本の重要なところだから。

高校生の頃、ひたすら戦争実体験モノを読み漁ったが、どこか戦争や死を美化しているものが少なくなかった。
そりゃそうなのである。
人道的に考えて戦争を肯定する事はできなくても、感情的に想う時、彼らの経験や負った傷が、ただ無意味なもの、否定されるべき悪しきものにしかならないだなんて、きっとそれこそが耐え難い苦痛に違いない。
年配のじーちゃんやばーちゃんが、もしも戦争の事を語ってくれるなら、たとえどんなに偏ったものだとしても、牛はそれとして聞きたいのである。

そのあたり、これはれっきとした小説である。
だから一気に読めたし、読むことに迷わずに済んだ。
描写のグロさはともかくとして、むしろ清々しくさえ感じられる。

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「僕は病気じゃないかも知れませんよ」。
その一文がしばらく頭から離れそうに無い。

そうだなぁ、次は何を読もうかなぁ。
牛の右手と左手が、それぞれどんな本を選ぶのか楽しみである。