自分自身との別れのようなもの。
もしくは、手を、足を、切り落とされたとしたらこんな気持ちになるだろうか。
違う。
自分で切り落とした。
まだ動く手足を切り落とそうと自分で決めた。
まだ旅に出るヨロコビもわからなかった頃に出会ったインプレッサw。
おぼつかない運転をインプレッサwがフォローしてくれた。
たくさん走ったっけ。ちょっとずつ運転もうまくなった。
友達とバカ笑いしたり、真剣に話したり、怯えながら山道を進んだり、歌を歌っておいしいものを食べて、流れる景色の美しさに感動して。嵐の中を進む時も。
私の上に降るこの雨はずっと止まないのだと、明日なんて来ないと絶望して一人ぼっちだったときも、私はインプレッサwと一緒だった。
どこへも行けずに途方に暮れても、ただあの車だけが、無条件に私の居場所を提供してくれた。
誰も居ない海辺、山奥の夜のパーキング、長い旅の途中に、一晩中雨風から守ってくれた。
「車はただのモノであって消耗品」・・・そのとおり。
それでも私が自分自身の存在を許して受け入れようとするために重要で、それなくしてはうまくできなかった。
服を着替える事はできる。でも、自分の体は脱ぎ捨てられない。
唯一無二の相棒。
だけど他の誰にも理解されなくても仕方ない。
ここ数年、インプレッサwのオイル漏れは激しくなる一方だった。
はじめはパーキングにオイル染みもなかったからそれほど気にしなかった。
だけど、違った。
エキゾーストの上に垂れたオイルが白煙を上げるようになって、それが次第に多くなるにつれて認めたくない別れが脳裏をかすめるようになった。
エンジンもミッションもオーバーホールして、サスペンションも変えたらまだ走れる?
いや、燃料ポンプも。ハブも。後輪のドラムブレーキのブレーキシューはいつ変えたっけ?
エキゾーストの腐食はあとどの程度もつだろう。
そこかしこで錆を噴き、樹脂は割れ、ゴムは弾性を失い、革は縮んで擦り切れている。
きしむドアはどうしたらいいだろうか。
苦悩して諦めては考え直した。
無力感。後ろめたい気持ち。
別れが決定的になっても、実感なんてわかなかった。
きれいサッパリお別れ!なんてできるはずなかった。
一途に愛する他、私にできることなんてあったっけか?
そして最後のミッション。
それはマカオから来た知人夫妻を松島周遊観光に連れて行く、というものだった。
友人を介して知り合った、6年前にマカオを訪れた時にお世話になったヒトを、こんどは私とインプレッサwがガイドする。
彼らが網膜に映す景色を記憶に焼き付けるお手伝い。
そして私も同じように、インプレッサwを。
三陸道の、仙台港あたりから見る景色はなかなかに広い。
幾重にも重なるジャンクションをくぐりぬけて。
ジャダーを気にしてそっとクラッチをつなぐ。
NAだし、燃費を気にするよりもトルクを最大限に活用したくて常に低めのギアで走る癖がついちゃってる。
シフトダウンするときに、右足のかかとが少しだけあおるアクセルの距離。
ふぉん、ふぉーんという音、エンジンブレーキの効き具合は感覚に染み込んでるけど、同乗者には少し不自然かもしれない。だから私の運転は乱暴だって言われるんだ(汗)
左手が掴むシフトノブはピロボールと化した私の手のひらと接続される。
右手が掴むステアリングは私の視線の行く先に同期する。
シートから伝わる振動、鼓膜を刺激するエンジンの音、視覚に流れる情報は脊髄を通って両手足を動かす。
当たり前のルートの、何の変哲もない曲がり角を行くのが楽しくて、空が晴れてたらなおさら口角が上がる。
早く走るだけが車の楽しさじゃないのだと、それを実感できている事それ自体がうれしいんだ!
そして後方視認性の良さは、帰り際、新幹線の時間を気にして先を急いでいたら、唐突に現れた白と黒の車にもすぐに気づかせてくれた!さすがインプレッサw(笑)
こんなにも愛しく思える車を、いったいどれだけのヒトが持ってるだろうか。
どれだけのヒトが、一台の車をこんなに愛せるだろうか。
きっと私は誰よりも幸せなんだ。
別れの前日は、昔よく一緒に旅に行ったK子が来てくれた。
久しぶりの彼女と半日、車の中で話した。
車中泊の思い出、ふざけて撮った写真、旅先で話したこと、食べたもの、共に見た三陸沿いのあれこれがどうなっているか。
お互いの近況も、家族の事も、どうでもいい事も。
彼女を送って行った後も、どうしても帰る気になれなくてずっと走ってた。
夜もだいぶ更けてきて、なんだか妙に疲れているのを不思議に思った。
ふと、今日は12時間、ずっとインプレッサwの中で過ごしてると気づいた。
たかが車を手放すだけで何してんだろ。
ただの消耗品。
古くなって塗装もヤレて、あちこちに錆が浮いてオイルダダ漏れでミッションも逝ったポンコツだよ?
次の瞬間、最近見た映画のセリフがいくつもあふれてきた。
「頭を持っていった・・・あの・・・手を」
「トラの目に映っているのはおまえ自身の心だ」
「真心を尽くすということは辛いことよ。孤独になってしまう。」
「オレ、やばいみたいだ。」
唐突に泣けてきて、バカみたいにしゃくりあげて泣いた。
だってさ?
何にも誰にも頼らずに自分の力だけで全てをなんとかしなきゃいけないと思っていたあの頃からずっと、ずーーーーーっと、私の手が掴んでたのはこの車のステアリングだったんだよ?
だったら、手を離すんじゃなくて自分の手を切り落とさなきゃ別れられないじゃないか。
他に何を掴めるっていうの?何か間違ってるの?わかんないよ。
バカみたいなんじゃなくてバカなんだな。
つける薬も飲む薬も無いってやつ?
不治の病だっていうなら、余生をどう過ごそうか。
そう思って、帰路についた。
道中、どうしてだかとても穏やかな気持ちだった。
これからどこへ行こうと大丈夫。
知らないヒトの手に渡っても、海を渡ることになっても、もしかしたらパーツ取りにされてバラバラにされたとしても。
息も絶え絶えに、オイルは容赦なく漏れて流れるだろう。
たけど、たくさんの夜、潮を浴びる海辺、豪雨、雷雨も震災で割れたアスファルトすら走り抜けてきた。
たくさんの道を走っていろんなヒトと出会ってきた。
いくつものSSとおだやかなリエゾン、何度も繰り返すラリーみたいに。
だから大丈夫。
たった1つのパーツになろうとも。
アンタならどこまでだって走っていくに違いない。
そうだ、海外に輸出されるっていい考えかもね?
日本よりも広い広い大地に行くとしたら今度こそ、どこまでもどこまでもどこまでも走っていけるもの。
いっそユーラシア大陸の端から端まで・・・それともアフリカの大地を駆け抜けられたらいいのに!
廃車になって金属片と化して溶かされるその日まで。
きっとそこが永遠のパルクフェルメだ。
だけどさ、もし、もしもだよ?
ウチの近所を通りかかることがあるとしたら。
リチャードパーカーみたいに振り返らずに行くとしたら、やっぱり私も寂しくて泣いちゃうんだろうな。
大丈夫。
大丈夫。
夜空には六連星が、光ってる。