右の手と左の手。

2008-04-26 02:30:17 | 日記・エッセイ・コラム

大岡昇平の「野火」を読んだ。

もうずいぶん長いこと本が読めなくなっていた上に、「無性に本が読みたいのに読めない、その読めないという事実がもはや活字から目を背けさせる」程の酷い苦痛となってしまっていた。

そんな時期を経て、きっかけがあったにせよこの本を選んだのは、とにかく牛らしいなぁ。
なぜ「牛らしい」のかは牛自身にしかわからないのがもどかしいけれど、何かこう、原点に還ったような気持ちなのだ。
昔から読みたかったんだけど、なぜか廻りあわなかった1冊。こんなタイミングで読む事になったのには、まさに「めぐりあわせ」な感がある。

中身は、とにかく戦争を経験した人の書いたものである。
極限状態。人肉食。狂気。
その間に描かれる、空や風景、地形などの事物の描写が、物語と「死」を引き立たせて妙にリアルに感じさせる。
「どこまでが作者の経験でどこからがフィクションか」を問うのは意味が無い。
国家のシステムで人と人が殺しあう現場に居たのなら、どこまでだって実体験の可能性があるわけで、その可能性を全否定できないところがこの本の重要なところだから。

高校生の頃、ひたすら戦争実体験モノを読み漁ったが、どこか戦争や死を美化しているものが少なくなかった。
そりゃそうなのである。
人道的に考えて戦争を肯定する事はできなくても、感情的に想う時、彼らの経験や負った傷が、ただ無意味なもの、否定されるべき悪しきものにしかならないだなんて、きっとそれこそが耐え難い苦痛に違いない。
年配のじーちゃんやばーちゃんが、もしも戦争の事を語ってくれるなら、たとえどんなに偏ったものだとしても、牛はそれとして聞きたいのである。

そのあたり、これはれっきとした小説である。
だから一気に読めたし、読むことに迷わずに済んだ。
描写のグロさはともかくとして、むしろ清々しくさえ感じられる。

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「僕は病気じゃないかも知れませんよ」。
その一文がしばらく頭から離れそうに無い。

そうだなぁ、次は何を読もうかなぁ。
牛の右手と左手が、それぞれどんな本を選ぶのか楽しみである。


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