モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



まだ終わらないの?って・・・・ 一泊して14ケ寺も周ったんですもん・・・・でも最後ですよ。

佐世保市戸尾町 104番札所 大智院さんは全体が新しくピッカピカです。でも仁王像は古いものだと思います。

 

鉄筋コンクリートの3階建ての建物に多宝塔がつながってました。

 

 車窓から3本の鉄柱が見えました。 

ニイタカヤマノボレ・・・・トラ・トラ・トラ  この電文を送信した電波塔だそうです。。  わが芦屋町はとっても縁深いんですよ。。米軍基地のことではありません。

 

あしや町のかるたでご紹介しますね。 日米合作の映画 トラ・トラ・トラは芦屋町で撮影されました。

「す」  砂浜に 「長門」・「赤城」 がよみがえり

 

このかるたの説明の文面は若い方の作ですね。“賑わったという”  という表現です。 

巨大な戦艦のこと ざわめいた町のこと・・・・40年以上過ぎたなんて・・・・夢のようです。

 

 

バスは、このあと お買いもの休憩 西海橋です。。 西海橋と新西海橋 両方見える位置に その休憩所があります。

そこには建設費イチオク円のお手洗いがありました。 確かに立派ですが・・・・・・ウオシュレットじゃありませんでした。

 

西海橋 ここも若かりし頃 行きました。

 

こちらは新西海橋です。

 

 そして とうとう佐世保最後の札所  71番札所 浄漸寺さんです・・・ こうなるともう覚えてなくって写真が頼りです。

 

思い出しました。屋根瓦が大げさだなーと思ったんです。 スミマセン

 

ここにも大きな大きな楠がありました。  別れの1本杉 ならぬ 別れの1本クス です・・・振り返りながら・・・

 

長々と書いた11回目の お遍路 お・し・まい です。。。 

第一観光さんの 九州108霊場 お遍路は 1年をかけ全12回 その11回目でした。

 



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佐世保は札所が多いです。  大きな楠は樹齢500年・・・・根っこが地上に出ているけど倒れないんですね。 山門が積み木のようにみえます。

 

74番札所 東漸寺さんです。本堂は私が作ったドールハウスの温泉の老舗旅館のようです。 スミマセン 

 

はい ランチです。。 ”九十九島海遊” 鯛のあら煮です。。。 わたくし魚の食べ方は下手ですが美味しかったです。

前の記事で雪だるまを作っていたショウマ君は 御箸で挟んで [鯛の鯛!] って喜んでいましたよ。 爺ちゃんっ子は言うことが違います。

 

九十九島 遊覧船のようです。 乗りたいなぁ~ 

 

九十九島水族館 海きらら ガラスの向こうこの展示してある船は400年前に 実際に働いていたそうです。

水族館にゆっくり入る時間はないから 受付のお嬢さん聞きました。。。 入らないで外から見られる生き物はないですか?

あきれ顔されました。。 クラゲで有名なところなんですが、  客寄せクラゲちゃんはいませんでした。

 

 

午後です。駅の方に行きました。  右側に海が見えて造船所がみえ それから米軍基地がありました。  エンタープライズ佐世保寄港阻止闘争のあったところですね。

狭い道を上がって・・・宮地町 72番札所 光輪院さんです。 御本尊は阿弥陀如来でした。

 

お不動さんの台座 工事中でした。 その間隅っこに立ち お不動さんが現場監督してます。

 

 私 窓からずーっと外を観ていて 見つけました。 18年前の1月 阪神大震災で被災し 今年成人式を迎えた姪孫が通う大学です。

「佐世保」 もはや関係ない街 ではありません。。

 

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佐世保のお遍路です。 3日前に降った雪は佐世保の方が積もったようです。最初にお参りするのは佐世保市中里 75番札所 御橋観音寺さんです。。 

 

御橋観音・・・どんな橋があるんだろう・・・・ それは重なり合った2枚の岩が橋のように見える景色でした。。

 

 

移動中 車窓から橋梁が見えました。   響きも懐かしい世知原に向かうバスの中です。。 

 

私はいつも写真ばかり撮っていると思われそうですが、 他の方も・・・・・ほらね。   

このお寺には野生化したアライグマが 朝方来るそうです。 佐世保市世知原 76番札所 西福寺さんの本堂です。

 

岩屋もありました。   ここのご住職の法話は心に残りました。

人は生まれて来るときには泣き 鳴きながら生まれ 周りの人は喜んで笑っているけど、死ぬ時には 笑いながら死んで 周りの人が泣く・・・・ なるほど・・・

お話は自分を律すること でした。 私には特に必要なようです。

 

このあとの札所に行くのに 世知原の峠越え 思い出の道を雪が覆っています。 枠内の写真 私 反対側の座席越しに高観寺橋のアーチを観たんです。 分からないでしょう?

ホントはこんな橋 なんですよ。。。

 

 

景色は真っ白く雪に埋め尽くされて見えなかった。。。 よかった・・・上書き保存されなくって。

 

世知原の峠を降りて 柚木町 73番札所 西光寺さんは道路を挟んで巨大なお不動さんがあり 山門の脇には大きなヒマラヤ杉がありました。

 

ツアーには小学生の姉弟ちゃんがいました。  因みに費用は大人と同じですって。。。 S君が雪だるまを作りました。 目はお線香です。

お爺ちゃん お婆ちゃんと一緒です。 ご家族では甘えん坊さんでしたが ぶっつかったら私より先に すみません って・・・とってもおりこうさんでした。

 

移動中のバスからです。 この辺の川は 河床が岩盤で 鬼の洗濯岩って感じ。。。

 

皆さん 貸切観光バスでお客さんが乗っているときに給油したこととかありますか? 私初めて・・・ひとりでクスッと笑いました。 ドライバーさんが気に入りました。。

 

まつばや 矢峰店 

 

今回 街の風景を入れているのは 佐世保出身のブログ友 とん子さんが見覚えのある景色があったらいいなぁ~と思ったからです

今日は節分  鬼は~そと  福は~うち 



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お遍路のホテルから・・・・・まだ少しだけ明るい・・・・タクシーを呼んで貰いました。 知らない所では呼んで貰う方が無難ですからね。

ホテルに備えてあるマップには車窓から見えた幸橋 のほかに 法音寺橋 誓願寺橋が載っていました。

れっつらごー  橋だけが残り 法音寺は今はもうありません。

まずは法音寺橋です。石橋の造り方の見本のようです。。 案内板には幸橋を造る時に 石工が試作したものと書いてありました。

 

運転手さんは地元の学校を出て愛知県に就職、 定年になり帰ってきたそうです。。。石橋は知らなかった・・・

だから 私がマップ片手に道案内    誓願寺はもう灯りが点いていました。 誓願寺橋と階段の上 誓願寺です。

 

誓願寺橋は 嘉永元年(1848)の絵図面にはすでに載っていて それ以前のものだそうです。(案内板より)

 

どこでもそうですが 方角によって草が生い茂っています。。

 

 

そして最後に 幸橋 本命なのにここを最後にしたのは バスの中からすでに5・6枚撮っていたから・・・・ 幸橋をご紹介します。

 

会いたいなぁと思っていました。 上の写真で左側に 門があります。 橋の外から撮りますよ。

当初ここに架けられていた橋は木橋(1669年設置)であったが 1702年(元禄15)石橋に架け替えられた。

かつてオランダ商館が築造した石造倉庫の技法によって造られたといわれており これがオランダ橋の別称の由来となっている (案内板より)

 

私は体力の衰えを感じずにいられなかった  というのは河床におりる石段で ふらつく・・・1日中 狭いバスに乗っていたからと 自分を慰める・・・

 

運転手さんは故郷に帰るときに四国お遍路をしてきたそうです。。 九州にもありますよ。 と世間話

 あたりはだんだん暗くなった 6時半の食事までに 帰らなくちゃいけない

 

もう少しだけ時間にゆとりがある。 教会を観たいと思った 寺院と教会が一緒に見れるスポットに案内してくださった 写真ではもう写りが悪いけど・・・・

平戸ザビエル記念教会 と 光明寺 手前の瑞雲寺さんの境内から裏木戸をこっそり開けて抜けて出た。。。運転手さんが・・・ですよ。

この 旅の中の 小さな旅 タクシー料金は2100円でした。

 

ホテルの夕飯はUP済みですが 翌朝の朝食です。。。 土鍋はみそスープです。。。外国人と思しき方がそういうから 味噌汁 のことを言うのかと思ったら なるほど・・・・前のお椀に味噌汁の具が入って鍋はみそスープ

 

二日目は佐世保に行きます。。。。

 石橋の写真は  私の宝物 に いやというほどしています。。ご覧頂けると嬉しいです。

 

2月になりました。。。

 

 

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