mokoangelの青島日記

夫との7年間の中国留学を終え7月に帰国しました
これからの日本での生活を模索中です

平遥③~南門付近を観光

2014-05-27 17:06:43 | 旅行

城壁から南門に降りてきました・・とても暑く、疲れていたので私はアイス、夫はスプライトを買って休憩しました

どう言う訳で今はないのか分かりませんが、兴国寺xingguosiと言うお寺の基礎の石だけがあり、傍に復元図が掲げてありました


ここから南大街が始まり・・東面の城壁と西面の沙巷街と平行で距離も等しくなっています

南大街はこの古城の背骨(メインストリート)と言われ、沢山老舗や小店が並び最も賑わいを見せている所です

  間違わないように案内板を確認して歩きます

 


雷履泰故住居


 
ここは為替業の創始者 雷履泰の住居

北京の四合院は有名だがこの地方の住宅も皆、四合院の様です

北京の四合院は元代に始まっているので、平遥も影響を受けてきたのでしょうか

 

近も授業で四合院について学んだばかり・・生活の部分まできちっと残っている正真正銘の四合院だったけれど

写真は割愛します


私たちが次の観光場所を探して歩いていると・・中国人の男性が近寄ってきて「この先に是非観ておかなければならない場所があるので
案内するから付いて来なさい!」とさっさと私たちの前を歩き出します


夫によると、「酒臭いにおいがするので胡散臭いと思った」そうですが、私は彼について行くことにします

 

お土産を見て回っていて分かったことですが「漆塗り」はこの地の特産品らしい

 しかし、あまり気に入ったものが無かったので買わずに帰りました

 

ここでもなぜか、このおじさんが私たちにだけ付き添って案内してくれる・・説明は懇切丁寧です

日本人だから好いお客と思われたのか?


此処もしっかり保存された四合院だった


外に出ると・・彼のおじさんが待ち受けていて、「どうだ、面白かっただろう!?」と話しかけてくる

最後には日本語で・・「さようなら!」  何とも愉快なおじさんだった こういう出会いがあるから自由旅は面白い



私たちは更に县衙xianya(県役所)方面に向けて歩く・・・は日本語ではと訳されているが日本の県よりは小規模な物

ここに平遥县(縣)署xianshu(県庁)があった

       広い敷地の中に色んな部門の建物がありました(古木まで)

記録の為にサムネイルにしてあります 説明が付けられなくて申し訳ありませんが、興味のある方は拡大してご覧下さいね

 

役所の業務の一部だろうか、傍に時を告げ钟楼zhonglou(观风楼)があります

登れそうなので上ってみることにします

 

余り高くない塔でしたので・・通りの様子が手に取るように分かります

 


城惶廟henghuangmiao;
城隍とは(城壁のある)街を守る神ののことです

 

 

文庙wenmiao学問と言えば中国では当然孔子を祭っている物と思いますが、中には違う人物の像が置かれていました

 

科举kejuはとても難しく点数順に名前が付けられる

登竜門と言う言葉はは“鲤鱼跳龙门”と言う故事からきています



やっと平遥の1日目の予定の観光が終わりです

通りでは夕飯客目当てのテーブルが用意され始めました


私たちは疲れ過ぎて?外食をする気になりませんでしたので・・偶々見つけた羊肉の串焼きと名物の焼き餅を買って

ホテルでゆっくり食事をしました


それに、運転手さんが教えてくれた平遥特産のジュース(名前を忘れましが、街の至る所に並んでいますのですぐに分かります)

これがとても美味しくて・・ふと思いついてスプライトで割って飲んでみましたら、これがとてもいけるのです!

後の旅行地ではどこにもありませんでしたから本当に特産品なのでしょうね

平遥に行かれることが有りましたら是非お試しください!

 

おまけに・・足ツボマッサージ

揚州旅行した時に、夫が足つぼマッサージ初経験しました

帰り路に足つぼマッサージの女主人に声をかけられ・・夫がやって帰ろうと言います

1時間30元のコースを二人でやってもらいました

とても足が軽くなったような気がしました


平遥②~北門から城壁に登る

2014-05-27 14:16:46 | 旅行

平遥は今回の旅行で初めて聞いた地名です

教科書にも中国の観光名所が度々登場しますので、有名な名胜古迹(名所旧跡)は大体知っているのですが
これ程の街とは知りませんでした


夫のレクチャーを聞き書きしますと

平遥古城は、明代に築かれたレンガ造りの城壁が街を取り囲む城壁都市です。
城内に入る門は、南北に各1か所と東西に各2か所の計6か所のみで
(運転手さんに聞くところによると)北門(拱極門)が
一番大きい門だそうです

城壁のある街は中国には沢山あります(私たちが旅した所では西安、曲阜、荊州など)
平遥古城は特に清代に金融の中心地として栄えましたが清末からの動乱に際して業務継続が困難となり、
20世紀後半には貧困地域に転落しました。

しかしながら、県財政に余裕がなかったために都市の再開発が行われず、
結果として平遥古城には明代初めに造営された町がそのまま残ることとなったのです。



先ずは旅支度を解き、少し休憩をして北門に向かいます

北門前の広場ではもう沢山の人たちが記念写真を撮っています

北門の階段から城壁に登って行くのですが・・入場料は120元の所、老人優遇制度で無料です

今までの旅は半額の所が多かったのですが、この後もどこも無料でしたので、今回の旅は経費がとても安く上がりました


北大街~人があまり歩いていませんが、とても沢山の遊覧バスが走っていて大概の人はそれに乗って観光しています

何故だか、ラクダまで待機しています・・これに乗って観光する人がいるのでしょうか?


階段を上がるとすぐにこの様な地図が有りました

夫はこれを見て・・今日は城壁を北門から南門まで歩き、南門周辺を観光しようと決めました

北門城楼にはガイドさんに引き連れられた団体さんたちが次々に上がってきて

ガイドさんの説明の大きな声が響き渡ります


歩いている途中に、煉瓦に何か刻まれているのに気づきました!

“平遥城砖”中国語ですがご覧になって意味はお分かりですよね・・・一つ一つに刻まれていました

何だか心惹かれてずっと下を向いて歩いておりました


次の日、北門から西門に向かって歩いてみましたが・・刻まれていない所もありました(そこは新しく修築したのでしょうか)

城壁の上には城楼chenglouの他に角楼jiaolou、敌楼dilou等があります

 角楼は文字通り、4つの角に設けられた楼です
 敌楼は72ヶ所もあり、凸凹の部分は3000もあると書かれています
              普通は兵士が休息をし、戦時には武器を置いていたらしいです

城壁の上からも沢山の客栈を見つけました・・
「あっ、あそこに泊まろうかと思っていたんだ!」と調べて置いた客栈の名前を見つけた夫は大きな声を出しています



一部には昔懐かしい香りのする風景がありました・・日本の農家も昔、こんなでしたよね

 

西門の城楼で休んでいると・・・団体さんがやって来て傍に坐りましたので、話しかけてみます

彼らは青島と同様、ビールが有名な宝鸡baoji(西安の西)から来られたとのことでした


城壁から見る街の風景は、中国の時代劇映画のセットのような歴史情緒たっぷりの街並み、まるで箱庭の様です

一気に東門から北門まで歩きたかったのですが・・今日中に観光しておかなければならない所が沢山ありますので

ここで降りて観光します

南門まではかなり歩かなくてはいけませんでしたが・・頑張って歩き通しました!


南門(迎门yingxunmen)~ここからも上って行く観光客が沢山います

もう午後2時半を過ぎています急いで観光しなければ、今日の予定が狂ってしまいます