この写真集、横浜だけではないけれど、かなりのページ、昭和30年代の横浜(黄金町、日の出町、横浜橋 真金町などなど)の子供の写真が掲載されている。
この頃、子供だった横浜ピープル、写っているかもしれないよ。
横浜が舞台の小説ミッケ。
『消防女子』
本のCMもミッケたのでお裾分け。
両方とも最近発売された本。オイラはそごう横浜の紀伊国屋で偶然ミッケたけど、何処でも売っていると思うぜよ。
この写真集、横浜だけではないけれど、かなりのページ、昭和30年代の横浜(黄金町、日の出町、横浜橋 真金町などなど)の子供の写真が掲載されている。
この頃、子供だった横浜ピープル、写っているかもしれないよ。
横浜が舞台の小説ミッケ。
『消防女子』
本のCMもミッケたのでお裾分け。
両方とも最近発売された本。オイラはそごう横浜の紀伊国屋で偶然ミッケたけど、何処でも売っていると思うぜよ。
横浜美術館で先週14日から開催中の奈良美智さんの展覧会『奈良美智:君や 僕に ちょっと似ている』
すでに始まっているのに図鑑発売予定日8月上旬で現在予約中。
こんな事ってよくある事なんすか?。
展覧会観て、その勢いでこーゆーもんって買うんじゃないの?。
一応予約するとプレゼント付きで送ってくれるそーだが、サンプル本は横浜美術館に置いてあるのだろーか?。
現物見てから買うタイプなんで、サンプル置いて無かったら予約なんかしない。(プレゼントって何?。T−シャツ、バッジだったら予約するかもしんねーけど)
でも買っても意外と図鑑読まないオイラ。
芸術新潮、ブルータスあたりが特集組んだら買おうと思っているけど、今の所、そーゆー情報無し。(やってよ芸術新潮)
歩いて行ける場所なのでサンプル本あるかどーかチェックしに行ってもいいけど、なんせ暑い。
北欧育ち(ウソ)のオイラ、溶けちゃいます。
溶けちゃうで思い出したが、以前荏原中延のバー「スピーク・イージィー」で知り合った奴が原子力発電所の内部に潜入(って仕事だけど)した時、いきなりドーン(だったか覚えて無いけど)と大きな音がしたそーです。
その瞬間、彼は「溶ける!」と思ったと笑いながら言っておりました。
でもなんとなく溶けるって表現分る!。
さて話を奈良さんに戻すと、巷の本屋にはすでに「NARA LIFE」なんて本が出回っておりますが、これはエッセイ集であります。
まだチェックしてないけど、近く本屋(有隣堂,紀伊国屋、丸善など)行ったらこれと『NO NUKES 2012 ぼくらの未来ガイドブック」探してみましょ。
一昨日、出版されたこの本、横浜ダイヤモンド街の有隣堂、東神奈川のリブロで探したが置いてなかった。
そごう横浜の紀伊国屋とルミネの丸善には行って無いけど、ダイヤモンド街の抽選で100円割引券が当たったので、それを今月中に使わないとアカン。
せっかくだから、これ使って有隣堂で買おうと思ってんの。
でも現物見てから考える。(買わないかも)
14日から横浜美術館で展覧会が始まった奈良美智さんが表紙つーのが◯。(あら、奈良さん誕生日12月5日。オイラ4日ってどーでもいいか)
この前、ディスカウントチケット屋を覗いたら、なんと10円で奈良さんの展覧会のチケット売っているではないか!。
すぐに買おーと思ったが、どー考えても変なので、もー1度チケット確認。
割引券って書いてあるじゃん。
こんなもんまでディスカウント屋って売っているのね。
図書館で、前にも読んだ事ある絵本をチェックしたかったので探したが無い。
この前来た時にも置いてなかった。
図書館ウェブサイトには貸し出してない事になっている。
つー事は盗まれないのか。
今まで何冊か、こーゆー体験ある。
ディラン・トーマスの詩集もそー。
盗むなよ!。
毎週、忘れなかったら紀伊国屋に「週刊NY生活』(フリーペーパー)をもらいに行く。
フリーペーパーばかり置いてある棚があるので、そこから勝手に持って行けばいいだけの話なんだが、カバンに入れる時、万引きと間違えられたら嫌だなーと毎回思っているので、その後、だいたい絵本、画集、写真集、雑誌コーナーで新刊本が無いかどーかチェックしてから外に出る。
以前は、自転車のフリーマガジン「グリーンモビリティ」も紀伊国屋に置いてあったが撤退。
東急ハンズにも置いてあるはずだが以前店員に聞いたら、よく分らないよーだった。
ジャックモールのスポーツオーソリティにも置いてあるはずだが、どーなんだろー。
ネットでも読めるが、なんとなーく紙で読みたいフリーペーパー。
この前、久しぶりに野毛のハナハナ寄った時、ビールのフリーマガジン「「横浜シーサイダー」ゲット。
これはアメリカジンのライさんが編集長やってるマガジンだが、これだってネットで読める。
基本、PCだと字を大きく出来るから便利は便利なんだけど、なんか紙で読みたい気がする。
でも結局読んだら捨てちゃうので、もったいないと思うオイラはネットで読んだ方がいいのかな。
因みに、これ以外に「BERRY」「ぱど」「ハマジン」「BUN2」「SALUS」など現在オイラの傍に置いてある。
昨日、トニーモナコのライブ。ファースト開始10分前ぐらいにサンドラ(仮名)と横浜モーションブルーに出没。
すでに満席状態だったのでカウンター席に座る。
ブルーノート東京を小さくした感じの小屋。
ミュージックライブのクラブとしては、この程度の大きさがいいんじゃないの!。
ステージ後ろの窓から海が見える。
これが六本木のビルボードや横浜の大桟橋ホールみたいに、背景全部開けられたら気持ちいいだろーねなどと話しながらハイネケンを飲んでいると、トニーの日本でのマネージャー松永誠一郎君がやってきて、
「セカンドライブにジェレミー・スタイグを招待しました」(6月24日のブログ参照)
「え~、一緒にプレイやれたらいいのにね」
「お客として来るので、フルートは吹かないと思います」
ジェレミースタイグが横浜に住んでいる事は前に書いたが、松永誠一郎君、素早い行動取った。
別に何にもなくてもジェレミースタイグと連絡取れただけでも◯。
さてライブ開始。
ギターの小沼ようすけさん、ピック使わずプレイ。
オルガンのトニーモナコは靴を脱いで演奏。(オルガンは足の操作がかなり重要)
左手のベースラインが、なかなか鋭い。
ウェス・モンゴメリーでおなじみ「ロードソング」演奏。
昔、ウェスとジミースミスが共演している、この曲。
昨日はトニーと小沼ようすけで再現。
トニーモナコ1曲歌披露。
アンコール交えて1時間15分ぐらいやったのではないだろーか。
とにかくジャズは楽しいと言う事を改めて教えてくれたライブでありました。
ジャズオルガンって言えば思い出すのは、とーぜんジミースミス。(トニーも、何度もジミーの名前を出していた)
オイラも1990年に某雑誌の表紙用に一度だけ写真撮った事があるが、そんときジミーはお腹が減っていて、さっさと取材を終わらせて欲しい感じだった。
インタビュアーの澤君に「お前、まだ十代か?」なんて、からかっておりました。(当時、澤は30代じゃないかな?)
決め写真撮るのも最初拒否。
マネージャー(たぶん奥さん)が、「私が説得するからセッティングしていいわよ」
と言われ撮影用のバック布を貼って、なんとか撮影したけど、
「オレはマイケル・ジャクソンじゃない」
『I KNOW I KNOW!」
「腹減ったー」
「I'm too!」とオイラ返事したのを覚えてる。
結局、決め写真は不機嫌な顔だったのか表紙に使われず、顔と指のUPのモノクロ写真が採用されたが、オイラにとってジミースミスと言う人の「THE CAT](音出ます)と言うアルバムが生まれて初めて買ったLPだったので会えただけでも嬉しかったのでありました。
やっぱり書けない。
5年前のストーリー、展開に無理がある。
展開なんて考えて書いている訳じゃないので当たり前って言えば当たり前。
前にも書いたが、インプロビゼーション、アドリブなんでね。(よーするに思いつき)
前半のアイデアはいいんだけどなー。
やっぱりお家に向かって帰って来れない。(なんの事だか分らないと思うが)
天災(間違い天才)じゃないから、あっと驚く展開閃かない。(困った困った)
でもこれ以上考えても、なーんも出てこないでしょ。
このアイデアは取って置きましょ。
基本、会話のやり取り書くのが好きなんだが、このストーリーは言葉のリズムが中心だからなーと言い訳。
アイデアアイデアって考えていたら、FBに紹介されていた本、よさそー。
名著「アイデアのつくり方」(日本発売は1988年だが原著の初版は1940年)は東京時代に図書館で借りて読んだ。
この本、横浜の図書館にも7册入っているが6冊貸出し予約2になっている。
紹介されていた著者の本は以前にも読んだ事がある。(有名だもん)
この本、図書館にあるか検索したら驚いた事に30冊、ぜーんぶ貸出し中で予約が13も入っている。(1986年に出版された本なのに!)
この著者の他本をチェックしてみたら、この本の実践本が2010年に出版されていた。
これも図書館にあったが、こっちは2冊で予約無し。
オイラ、右目の状態が悪いので図書館で借りても読むのが遅くて読み終わらないので、明日にでも本屋でチェックしてみましょ。
しかしアイデア本って人気あるのね。
6月8日の、このブログに書いたY君こと山崎君と昨日YCC行く前、道路でバッタリ再会。
一旦別れて、YCCに向かい橋本さんと撮影打ち合わせ。
山崎君も取材の為、現れる。
十何年ぶりだろーか。
たぶん最後に会ったはJL編集部。
彼がニューヨークから帰国してすぐかもしれない。
彼が、まだ大学生の頃、編集部でバイトしていた時からの知り合い。
そんで昨日山崎君の年齢(若く見えるのでビックリしたけどね)知ったが、初めて会ってから20年ぐらい経っている。
FMヨコハマでジャズの番組やってると言っていたので、この前FBで「ジェレミー・スタイグが横浜に住んでいるよ」と情報提供。
連絡取ったそーでありますが番組出演などはしたくないそーでコメントのみ貰ったもよう。
この前、久しぶりにジェレミー・スタイグとビル・エバンスの『WHAT’S NEW』の枯れ葉をYOUTUBEで聴いたけど、エネルギッシュでハードなフルート。(ベースのエディ・ゴメスも弦をかき鳴らしていてゴキゲン)
スタイグのフルートは軟弱感のあるフルートのイメージを払拭してくれる。
どーせエバンズの話を聞きたいんだろーと思っているだろーね。
そりゃ当然聞きたい。
このアルバム録音した時、難航し二人の仲も旨く行ってなかったよーな事を書いている人がいましたが、それが良い方向に作用したのでないでしょーか。
聴き方に寄ってはお互い脅しているよーにも聴こえます。
ピアノの詩人と言われていたエバンスもかなり過激なプレイをしている。
STRAIGHT NO CHASERのプレイもどーぞ。
現在の彼の演奏はどんな感じかと言えば本人ウェブサイトに映像UPしています。
彼の、おとーさん、ウイリアム・スタイグさんはアニメーション映画の「シュレック」の原作絵本「みにくいシュレック」を描いた著名な絵本作家でもあります。
そんな環境で育ったジェレミーさんも絵本を出版している。
ビル・エバンズ、せっかくだからスコット・ラファロのベースで同じ「枯れ葉」をどーぞ。
ジェレミーさんの時とだいぶタッチが違うのが解ると思いますぜ。
そして昨日手に入れた「つみきのいえ」
どれも好きな絵本。
今日も「つみきのいえ」を読みながら、いいストーリーだなーと思っていたのであります。
これらの絵本の色も好き。
そして最近気に入った絵本は「なみ」
文字の無い絵本でかなり話題になったらしいが知らなかった。
この絵本と「つみきのいえ」を図書館から借り、何時でも手に取れる場所に置き「もいもいまる」を書いていた。(すべて海の話なんでね)
海と山だと海の方が好き。
海より湖の方が好きかもしれない。
なので湖が出て来る神秘的なストーリーも少し書いてあるが完成出来るかどーかは分らない。
湖は子どもの頃に行った野尻湖の印象が強いんだと思う。
湖の真ん中に島があった。
外人村もあった。
大人になってから訪れ、子どもの時に泊まったホテルに行ったら修学旅行専用みたいになっちゃったみたいで受付も感じ悪かった。(このホテル、母親も友達と行った時、感じ悪かったと後で言っていたが、その後、すぐ潰れたと思う)
なのでしょうがなくプリンスホテルに変更。
ホテルで不愉快な思いをしたけど野尻湖は行ってよかった。
湖畔で鍵を挿したまま車のドアを閉め、あわてていた観光客がいた事も憶えている。
祖父の別荘(蛇が出るよーな別荘だったが)があった霞ヶ浦も、子どもの頃、夏休みに泊まりに行っていたので印象に残っている。
別荘は湖畔にあったので、しょっちゅう湖で泳いでいた。
庭に長い机があり、そこで親戚の直子ばちゃんに怒られながら夏休みの宿題やらされていたのを思えている。
風呂は五右衛門風呂。
蚊帳の中で寝ていた。
以前、霞ヶ浦の想い出を書き始めたら途中から妙な展開になっちゃったのが、おバカショートショート小説2(このブログの右側にあるカテゴリーにある)
この頃はMoiMoi。ではなく、まだmoimoiなのだ!。
東京日比谷にある日比谷図書文化館と言う所で名取洋之助の写真展やってます。
オイラは以前銀座の和光のギャラリー(確か)で写真観て、ビックリしたのを憶えている。
映画のワンシーンを切り取ったよーな写真。
日本人が撮った写真には見えなかった!。
名取洋之助の自伝は今でも持っているけど、この人、オイラの父親の友人だったそーです。(最近分った事実)
土門拳も木村伊兵衛も、名取さんがやっていた日本工房に一時期いた事がある。
会社があった場所は銀座の交詢社
このビル改築しちゃったけど改築前に一階にあったビアホール『ピルゼン』に行った事がある。
トイレが昔のまんま(たぶん)でレトロ感いっぱいだった記憶あり。(写真載ってるサイトミッケ)
建て直す時も反対運動が起こってましたが残念ながら改築。(ホント残念)
この名取洋之助の写真展と横浜美術館で行なわれる奈良美智展には目が直ったら行く!。
図書館から何冊か本借りているけど、絵本以外読むの諦めた。
途中まで読んだ「スティーブ・ジョブズ1」
和田さん持っていると言っていたので右目復活したら貸してくれないかなー。(って和田さんが、オイラのブログ読んでいるかどーか知らないけど)
今度会ったら聞いてみましょ。
でも毎月一回やってるミーティングは欠席予定。
横浜美術館でやってる「マックス・エルンスト展」にも行きたいが辞めときましょ。
なるべく右側を歩くようにしましょ。(右側が見にくい)
当たり前だが、すでに自転車には乗ってない(乗らなくなって2ヶ月ぐらいになるかな)
今週、来週、横浜色々イベントあるけど行けるかな。(横浜市民放送局はユースト生中継やる予定)
土曜だけでも出たいけど。
そんでもって昨日の「横浜山下公園芸術祭」の録画はこちらから。
たぶん橋本さんが編集してYOUTUBEにUPすると思うが、中村誠一さん(音出ます)のライブだけでも、この前、大岡川でやったお花見ミュージックLIVEの時のようにカメラ指示を出したかった。
ジャズの演奏展開、分っているのと分ってないのでは大違い。
マルチカメラで撮影していたので、ソロ回しを振り分けきちんと撮れる。
サックス→ドラム→サックス→ドラム~。
サックス→ギター→サックス→ベース~。などなど。
しかし誠一さんのバンド、ピアノレスだったね。
ロコさんにも久しぶりに会いたかったな。
(追伸)
もいもいまる、たぶん完成。
でもオイラの事、ペリーテイト君は憶えているだろーか?。
朝になったら、読み返して、問題無かったらメールで送りましょ。
『人間は誰でも月である。誰にも見せない暗い面を持っている』
オイラのFACEBOOKの好きな言葉にも書いてあるけど、マーク・トウェインの言葉。
マーク・トウェインは毒舌家としても有名なアメリカを代表する作家。
アインシュタインの言葉の本が売れた出版社の社長に会った時、マーク・トウェインみたいな毒舌家の言葉は売れないみたいな事を言っていたが、日本では最近マーク・トウェインの名前があまり知られてないんじゃないかな。(作品は知っていても)
でも日本にも「日本マーク・トウェイン協会」なんてもんがあるのね。
『マーク・トウェイン 研究と批評』なんて雑誌も出ている。
一昨年が没後100年だったが、マーク・トウェインの言葉を時々読むと元気がでる。(オイラ時々マーク・トウェインの事を書いているよーな気がするが)
『あなたの夢を小ばかにするような人からは
離れていきなさい。
器の小さい人は、
いつも人を小ばかにするのです。
しかし、真に偉大な人は、あなたも偉大になる
可能性があることを教えてくれます』
『健康法の本を読むときは注意が必要だ。ミスプリントで命を落とすかもしれない。』
山下達郎の「WINDY LADY」↑が入ってるアルバム「サーカスタウン」と桑名正博の「WHO ARE YOU?」。
この2枚が、オイラがプロモーターとして最初にかかわったアルバム。
この「WINDY LADY」
今聴いても、かっちょいー。
ベースはウィル・リー(ある雑誌で表紙撮った事がある)
ドラムはアラン・シュワルツバーグ。
アルトサックスソロはジョージ・ヤング。
レコード会社にバイトで入り「ステーションに行くよ」と先輩に言われ、ステーションがなんだか分らなかったオイラ。(放送局の事)
シュガーベイブ解散して初ソロデビューの山下さん。
ファニーカンパニー解散して初ソロデビューの桑名さん。
東西、こんな凄いアーティストのソロデビューアルバムのプロモーションを大学生アルバイトプロモーターにやらせちゃっていいすか状態。
なにを考えているのかRCAレコード。(理由は分っていたが)
だいたい、こんな一押しアーティストのアルバムを同時期に(発売月覚えて無いけど)出すなんて!。
山下達郎さんに、当時プロモーションビデオを作りたいと言われたが、オイラ、何が何だか分らず、上司に提案出来なかった。(だめな社員。と言ってもアルバイト)
めちゃ時代を先取りしていた、山下さん。
しかしオイラ、仕事していて対人恐怖症なのか、人と話すの、めちゃ苦手な事が判明。(相手によるけど、今でもある)
なのでずーっと前にも書いたが、集英社の月刊プレイボーイの大パーティー(ホテルの会場にバニーガールが仰山いた。大学生には目の毒だったが、ちゃんと目を開けチェックしておりました)終了後、
『お前、酒飲むとしゃべるじゃないか』
と先輩に言われ、そのまま酔っぱらいのオイラ、タクシーに乗せられ、RFへ(ラジオ関東[現ラジオ日本])
そして井上さんと言うディレクターにジュリエットと言う横須賀のバンドを番組ゲストとしてブッキングするのに成功。(しかし酔っていたのに、よく憶えているな)
だけど素面だと、やっぱりしゃべりは苦手。(これじゃプロモーター失格。3年前だったか、赤レンガ倉庫でネット中継やった時も、毎日何かしらアルコール飲んで、しゃべっていたのであります)
辛くなって、半年でRCAのバイト辞め大学戻り卒業してKITTYへ。(やはり音楽関係の仕事をしたいと思っていた)
このレコード会社でも会議中に「オマエ 何言ってんのか分らない」と言われたが、話している自分だって支離滅裂で分らないんだから他人が分る訳ねーよなと心の中で思ったのを憶えている。
こりゃ人前で話す仕事は、やっぱ無理かなと思っていた(人と話さなくても良い仕事なんてあるんかいな)ので、何か違う仕事を密かに考えていた。(ホント相手によるんだけどねー。会議などは、ちょー緊張しちゃって今でも苦手。余計な事言って嫌われる。あーヤダヤダ)
でも、バカな企画を考えるのは好きだったよーで、RCサクセションの「雨上がりの夜空」のプロモーションは飴(雨)、お茶(上がり)持ってステーション回りなどした。(これは当時CBSソニー[現ソニーミュージック]が得意としていたやり方)
オイラは、雨上がりなんだから靴磨きセットがいいじゃないのと提案したが、確か予算の関係で却下されちゃった。
まっ基本、宣伝関係嫌いじゃない。
なので今でも、TWITTER、FACEBOOKなど活用しネット中継告知を、バカなコピーを書いたりして宣伝している。
さて。KITTY時代のある日、先輩(青木さん)がカメラ買いに行くというのでヨドバシ同行。
なぜかオイラ、ローライ(ドイツ製)の小型カメラ購入。(カメラ欲しかったのか)
青山学院の横にあったバー『ブラックバード』で毎晩飲みながら友人、同僚、業界仲間を撮影。
この頃から、カメラマンになりたいと思っていたが、回りからは止められた。
ある人に「いい年して」と言われた。
今では考えられないが、20代でそんな事言われる時代だったのね。
転職なんて、ほとんどしない時代だったのかも。
今まで積み重ねてきた仕事の実績を無駄にするなみたいな事をFM東京(現TOKYO FM)の外部制作会社にいたOと言う男に言われたが、別に大した実績なんたー無いと思っていたオイラにとって、どーでもよかった。(Oとは、その後、嫌な事があったので決別した)
カメラマンだったら、しゃべらなくてもいいんじゃないのと思っていたのと、1人で出来るのがいいなと思ったオイラ。
キャノンのF−1購入。
当時、まだまだニコン全盛期。
なので担当アーティストの取材で来たプロのカメラマンに、見せてと言われた事もある。
「ホントはニコンが欲しかったんでしょ」と言われた事もあるが、その後、キャノンが主流の時代に突入する。
KITTY4年で、とっとと退社。
退社する前、有給休暇すべて使って1月2日に成田を経ち、パリへ。
そのままパリに居着いたってーんだったらカッコいいけど、2週間後に帰国。
「オマエはプロモーターであって、カメラマンではない」とトップに言われて、さっさと辞表。
バカなトップだと思ったね。
自社のアーティストのライブなども撮影していたんだが、その写真を宣材に使えば、わざわざプロに頼む事ないじゃん。
週刊ポストは中山ラビの記事が掲載された時、オイラが国分寺で撮った写真を使ってくれたんじゃなかったかな。
ロッキング・オンにはRCサクセションの写真が掲載されたし。
会社の先輩達にはオイラの写真の評判よかったんだけどね。
まー、ワンマン会社だったので、どーしよーもなかったけど、今はレーベルしか残っていないんじゃないかな。(もちろん、当時のスタッフ誰もいない)
退社した後、2ヶ月アシスタントした後、なーんも写真、カメラの事など分らないのに仕事来ちゃった。
失敗だけはするなと親分に言われていたので、ストロボの使い方など色々変えて撮影。
今でも憶えているけど、何処かのホテルでアイアン・メイデンのギターリストを撮影した時、
「面白い撮り方するね」と言われたが、失敗しないよーに、色々試行錯誤して撮っていただけ。
しゃべるの苦手なオイラでもカメラ構えていると意外と話せた。
ある意味、オイラにとってカメラは性格改善手段だったかも。
カメラがあれば出不精なオイラでも外出する事多くなるんじゃないかと思っていたし。(引きこもりの人にカメラ持たせると、いいんじゃないかなと思ったが、そんな簡単な事ではないか)
そして時が経ち、I-MAC購入。
回りにMACユーザーしかいなかった。
PCなんて,誰かに教えてもらわなければ、なーんも分らん。(今でも分ってないので、分らない事はすぐ聞く)
PC買って、何が一番良かったかというと文字が書ける事。
オイラ、メチャ字が汚いので、PC買うまで文章なんて書いた事無い。
別に国語が得意だった訳ではない(むしろ苦手か)が、今こーやって文章書ける事がとても嬉しい。
色々思い出したら、長文になっちゃったよ。ゴメンおやすみ。
日曜深夜にmacbookのACコード付けたまま寝ちゃったのに気がついた。
だったらバッテリーのメンテしましょと(たまにやる)朝、ACコードを接続せずにMAC使用。
バッテリー残量ゼロになり画面がまっくら。
そのまま5時間放置。
その間、佐野眞一さんの孫正義伝「あんぽん」読みだす。
子どもの頃住んでいた朝鮮の話。(凄い!)
高校生の時に、すでに事業をおこそうとしていた。
みんなのリーダー的存在で落ちこぼれの人間も、ちゃんとフォローしていた。
礼儀正しい少年だった。頭がよかった。
とにかく周辺取材が徹底的になされている。
韓国にある祖先の墓まで取材している。
担任など先生達が、孫さんの事はよく憶えていると言っている。
オイラなんて、たぶん久が原小学校高学年の時の担任、雨宮先生ぐらいしか憶えてくれてないかも。(この女性の先生は、アホなオイラをとても可愛がってくれた)
あと高校3年の時の担任、坂田さんも色々相談したから、もしかしたら憶えているかも。(つい最近まで明治学院高校校長だった)
オイラは小、中、高校とクラスメートに韓国人がいた。
全員名前と顔をよく憶えている。(中学は女の子で名前は文岩[ふみいわ])
小学生の時、川口と言う奴が突然朝鮮学校に転校した。
1度、道ですれ違ったが、なぜかバツが悪そーに無視され行ってしまった。
高校の時は金(キン)ちゃん(日本名、富田)
どーしているだろーか。行方が分らないとクラスメートが言っていたが。
レコード会社時代にもいたのを思い出した。
身体はでかいが、いつもニコニコしていたキム。
退社後、(彼もオイラと同じでレコード会社途中で辞めたはず)1度、何処かで会った記憶があるけど、どーしているだろーか。
よく日本の生徒が朝鮮学校の生徒と喧嘩と言う話を新聞などで読んだがオイラの回りでは、まったくそんな事はなかった。
久が原の隣の千鳥町には朝鮮学校があるが、その存在に気がついたのも大人になってから。
キムチ売っていたので買いに行こうと思っていたが、販売やめちゃったんじゃないかな。
オイラの父親は韓国の財閥の李さん(うちではリーさんと呼んでいたそーです)と仲良かった。
なので今でもリーさんにいただいた韓国家具など家にある。
子どもの頃、よく松茸を韓国から送ってくれた。
父親が韓国から帰ってきてすぐ緑内障になったと言うので入院費など全部リーさんが出してくれたそーです。(別にリーさんのせいではないのに!)
このリーさんは、たぶん韓国のロックフェラーと言われた李秉喆さんじゃないか。
今はないけど東洋放送と言う放送局も作っているので、間違いないでしょ。
会ってみたかったな、財閥の人!。
紀伊国屋で、手本にしたい絵本を手に取り立ち読み。
以前、出版社から貰った絵本など眺めながら書き直す。
「もいもい丸」のストーリー、何度も書き直したが、前に書いたストーリーも、違う時に使えるアイデアあるので残してある。
問題はストーリー展開。アイデアあるけどストーリー展開がうまく結びつかない。(これでいつも悩む)
アイデアはどこにでも転がっている。
気づかないだけ。気づこうとしていないだけ。
オイラの書くストーリーは悲しい部分が無いと某大手出版社の編集者が言っていたらしいけど、色々絵本をみた結果、そんなの関係無いじゃんと結論。
どっちにしても日本的より外国的だと思っているので、だいたいチェックする絵本は外国製。
子どもの頃、絵本読んだ記憶がない。
もしかしたら無かったのか(そんなこたーないって)
本の記憶で憶えているのは次郎物語の文庫本(全巻)を大森駅前の本屋で父親に買ってもらったが、ほとんど読まずに諦めた。
たぶん内容が暗かったからだと思われる。
ヘイエルダールが書いたコンティキ号探検記なんてなつかしー。
この人、ノルウェー人
以前は確かハイエルダールと表記されていたと思うが、たぶんこの人が初めて名前を知った北欧人かも(アムンゼンと言う説もある)
犬の話も好きだったよーで、横浜引っ越す前まで何冊か持っていたと思う。
しかし猫の話は読んだ記憶無し。
まっ猫は飼った事ないし、以前はどちらかと言えば犬好きだったからね。
昨日から風邪気味なので外出しないでストーリー展開に集中しているけど、右目がよく見えないので、パソコン見てる目が寄ってします。
せっかく図書館から取り寄せた本も、なかなか読めない。
なので今日はこれでおしまい。モイモイ(フィンランド語でバイバイ)