02:30-05:00 19.30-22.00 RadioSlovenia
ソヤル・ヴォーグラル Črt Sojar Voglar:意気軒昂な序曲 Exuberant Overture
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 op.15
ソリスト・アンコール リスト:献呈
同:交響曲第1番 ハ短調 op.68
阪田知樹(ピアノ)カヒ・ソロムニシヴィリ指揮スロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団
2025年4月4日 リュブリャナ、ツァンカリェヴ・ドム文化会議センター内ガルス・ホールから生中継
阪田知樹(ピアノ)1993年名古屋生まれ。作曲・ピアノを行い、研究と実践を積み重ねてきている。
芸大中退で、海外の音大を出たり、コンクールで成績を残したりしている中でも、音楽の
勉強は続けているという。30代になり、周りにも同職者(ライバル)の多い中で、
活動を続けている。トピックといえば2014年に「4月は君の噓」という、まんがの
イメージキャラクターに選ばれ、アニメだけでなく、映画にもなっており、その中での
演奏を担当したりしている。「のだめ」とはまた違うタイプの作品だけれど、
なにか読んでみたくなった。
今回のブラームスは、オーケストラ自体の演奏カロリーも高く、阪田さんの演奏も
骨太で確実な技術に裏打ちされたもので、指揮者ソリストオケの三位一体のバランスが
よく、一つになって向かってくるという感じがよく伝わるものでした。
1番は長く途中で飽きたりすることもあるのですが、この演奏は惹きこまれました
後半の交響曲第一番はゆったりした巨匠のテンポで開始。熱い感じの音が横溢。
今どきのモダン・オケでこのカロリーは久々。重いヘビー級の演奏。ゆったり歌う
2楽章ロマン派。3楽章も丁寧に演奏していく。中身の濃さはオケの濃さなのかな。
終楽章も同じテンションで続けていく。盛り上がりを作り最後の1音まで手を抜かない。
長めの音符でそれを伸ばして終えようとする。ロマン派的なアプローチは面白かった。
カヒ・ソロムニシヴィリ指揮は現在同フィルの首席指揮者。
阪田氏と指揮者、オケで今年の11月来日公演があるという。東京では、ブラームスの
協奏曲2曲1夜という、ある意味賭けのようなプログラムだけれど、1番の良さは
聴いた。2番は、エリザベト王妃国際音楽コンクールのファイナルで弾いている。
YOUTUBEに動画がある。多分手のうちに入っている曲だ。この2曲を携えての来日。
もう一人のソリストはガジェヴ。今どきですね。
追記。
「4月は君の嘘」
「週刊少年マガジン」で連載されてたのは知らなかった。
この歳になると、そういうものは見なくなる。少年誌は
少年が見るものだと思ってたりする。主人公は中学生。
思春期、第二次性徴真っ只中、扱いずらい人種だ。
反抗期だったりもする。こういう学業や、お稽古事に
集中するのはよっぽどモチベ―ションを保つのは大変だろう。
異性に興味を持ち、主人公は母親に鍛えられながらもその母親から
死をもって引き離され、トラウマを抱えている。その本人をステージに
呼び戻す方々も、半ばすごい論法で彼の皮をはがしていく。
そのはがしに掛かった、思いを主人公に寄せていた女子も病に倒れていく。
物語は八ッピー・エンドには終わらず、何らかの心の澱を残して終えていく。
チャイコフスキーの「悲愴」の様な終わり方なので、ある意味、読む人を選ぶかも
しれない。「泣ける作品」ではあるけれど、不用意に読み進むには、
どうかな。主人公はそれを乗り越えていく。心の健康はぎりぎり壊れなかったけれど、
母子分離不安を抱えた主人公になんてことするの的な、周りの対応に、
精神科医でも、カウンセラーでもないけど、あまりのやり方にこれはどうよと思いつつも、
主人公が立ち直っていくので、成長物語として読んだ。
作家・編集者と読者を増やす売り上げを上げるということは至上命題なのだろう。
そのうえでより良い作品を、ということなのだろうがギリギリの所かもしれない。
作画もいいので、絵を見ながら音楽が聞こえてくるというわけではないけれど、
BLUE GIANTもそうだけれど、絵からイメージを広げることはできる。
鳴ってる気になることは大きい。上手くできてる。10代の春は色々あるといいたげ。
昔、サイモンとガーファンクルの曲に「4月になれば彼女は」というタイトルの
曲があった。内容はこのストリートは違う。あと、時折、警句の様に、シュルツ氏の
セリフがスヌーピーやらマーシーによって語られる。何かのアクセントになる。
細かい工夫も面白い。まぁ、しかし、できれば、ハッピー・エンドの作品が読みたいかも。
4月6日
「週刊少年マガジン」で連載されてたのは知らなかった。
この歳になると、そういうものは見なくなる。少年誌は
少年が見るものだと思ってたりする。主人公は中学生。
思春期、第二次性徴真っ只中、扱いずらい人種だ。
反抗期だったりもする。こういう学業や、お稽古事に
集中するのはよっぽどモチベ―ションを保つのは大変だろう。
異性に興味を持ち、主人公は母親に鍛えられながらもその母親から
死をもって引き離され、トラウマを抱えている。その本人をステージに
呼び戻す方々も、半ばすごい論法で彼の皮をはがしていく。
そのはがしに掛かった、思いを主人公に寄せていた女子も病に倒れていく。
物語は八ッピー・エンドには終わらず、何らかの心の澱を残して終えていく。
チャイコフスキーの「悲愴」の様な終わり方なので、ある意味、読む人を選ぶかも
しれない。「泣ける作品」ではあるけれど、不用意に読み進むには、
どうかな。主人公はそれを乗り越えていく。心の健康はぎりぎり壊れなかったけれど、
母子分離不安を抱えた主人公になんてことするの的な、周りの対応に、
精神科医でも、カウンセラーでもないけど、あまりのやり方にこれはどうよと思いつつも、
主人公が立ち直っていくので、成長物語として読んだ。
作家・編集者と読者を増やす売り上げを上げるということは至上命題なのだろう。
そのうえでより良い作品を、ということなのだろうがギリギリの所かもしれない。
作画もいいので、絵を見ながら音楽が聞こえてくるというわけではないけれど、
BLUE GIANTもそうだけれど、絵からイメージを広げることはできる。
鳴ってる気になることは大きい。上手くできてる。10代の春は色々あるといいたげ。
昔、サイモンとガーファンクルの曲に「4月になれば彼女は」というタイトルの
曲があった。内容はこのストリートは違う。あと、時折、警句の様に、シュルツ氏の
セリフがスヌーピーやらマーシーによって語られる。何かのアクセントになる。
細かい工夫も面白い。まぁ、しかし、できれば、ハッピー・エンドの作品が読みたいかも。
4月6日