1974年(昭和49年)の水害のこと
昭和49年7月23日、三重県四日市市を襲った梅雨末期の集中豪雨は、中小河川の天白川の氾濫を呼び、日永駅と伊勢八王子駅を結んでいた八王子線の西日野から先の区間を帰らぬ鉄路としてしまいました。
新生成った「四日市あすなろう鉄道」の門出を祝い、貴重な過去データを再度紐解くことにしました。
モノクロネガをフイルムスキャナで読み取ったものなので、解像度の点はご容赦下さい。

伊勢八王子駅の駅名標
伊勢八王子駅の駅名標です。昭和49年8月、水害で孤立してしまった同駅にて撮影したものです。既に当ブログ別記事にてアップしており、皆様にご覧頂いております。

被災後の伊勢八王子駅構内
四日市方から見た伊勢八王子駅構内。機回り線側(右側)の軌道上には、水害で孤立してしまった付随車が2両、ブルーシートに包まれて留置されています。

上記付随車の拡大画像

上記付随車の足回り
軌道上に留置された付随車の拡大画像です。転動防止のため、ハンドスコッチ(手歯止め)で固定されています。この車両達は、後日陸送にて現役復帰できました。

四日市方分岐器部分の状況
四日市方の分岐器の被害状況です。道床が流出してしまっていますが、全区間この程度の被害なら、復旧可能と思われたのですが・・・。

「八王子線利用者の皆さまへお知らせ」の看板

「ご乗客各位 お知らせ」の看板(代行輸送の告知)
伊勢八王子駅の正面へ回ってみると、二つの看板が置かれていました。内容を読む限り、「当分の間」とはあるものの、まさか西日野~伊勢八王子間が廃止されてしまうとは、思えませんでした。
また、代行バスが内部線の南日永接続で運行されたことから、この後、過渡的に需要が増加し、従前なら20分ヘッドが、朝のラッシュ時は上り4本/時と増便されることになります。
内部線の車両編成が、M+T+T+M(最後尾はT車扱い)と、4両編成と長編成化化されたのもこの時期です。

道床まで流された天白川沿いの八王子線軌道(伊勢八王子付近)

撤収された枕木とレール(伊勢八王子付近)

水害によりねじ曲がった軌道

つい先日まで電車が通っていたとは信じられない、室山駅の惨状

正面からモニの伊勢八王子行き単行が現れそうな、桜の川辺、そして取り残された3本の軌道
伊勢八王子駅は天白川から離れていたため、深刻な水害を被りませんでした。
しかし、四日市に向かって、天白川沿いに進むと、厳しい現実が。桜の綺麗だった天白川沿いの鉄路は見るも無残な有様。昨年度、近鉄が発行した、「ありがとう そしてこれからも 内部・八王子線記念入場券」の題材ともなった、「室山付近を行く四日市行きモニ212他2連」の面影はどこにもありません。

天白川から離れた日永~西日野間の状況(1)

天白川から離れた日永~西日野間の状況(2)
日永~西日野間は幸いなことに天白川に隣接していませんでした。しかし、洪水が運んだ大量の土砂は、八王子線の軌道をあたかも路面電車のそれのように埋め尽くしていました。
八王子線部分復旧へ

撤収された軌道と架線柱

再開に向け工事中の西日野駅、作業員の姿も

四日市南高校の校舎をバックに、進む八王子線復旧工事
八王子線は甚大な被害を受けた天白川沿いの区間(西日野~八王子)に見切りを付け、四日市南高校の通学需要が大きく、天白川から離れた、日永~西日野間に限り復旧することになりました。このため、西日野駅は、天白川沿いにあった旧西日野駅から少し四日市寄りに移設されることになり、天白川よりの鉄路は撤収、西日野駅は新たに場所を変え建設という運びになりました。
(了)
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