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湘南鉄道研究会

我々の住む、湘南地区の鉄道ニュースを発信して行きたいと思います。全国から集めたオリジナルなレア記事にも注目!

内部・八王子線過去の車両車内

2015-04-11 14:02:17 | 近鉄、三岐鉄道
車内の写真はあまり撮影しておらず、数枚があるのみです。ご覧下さい。



モニ210形の内部・西日野方車中です。季節は夏と思われ、窓
が全開になっています。



モニ220形の近鉄四日市方車中です。モニの名に相違なく、キャブ後部には開放室では有りますが、柱で仕切られた荷物室があるのがわかります。

四日市あすなろう鉄道開業記念(4) 内部・八王子線過去の車両図鑑(2/8) モニ210形

2015-04-10 11:17:20 | 近鉄、三岐鉄道
電動客車の部(その2)

モニ210形

モニ210形はモニ211~モニ214の4両で構成され、北勢線に260系が登場し、モニ220形3両が転入して既存2両と合わせ5両を有するまで、内部・八王子線の過去の車両の中では最大の両数(4両)を持つ電動客車でした。
モニ210形は元々四日市鉄道が現在の近鉄湯の山線(1435ミリゲージに改軌済)用の特殊狭軌用車両として、1928年に田中車輛(現、近畿車輛)でデ50形として製造した車です。
以降、三重鉄道、三重交通、三重電気鉄道、そして近鉄と所有者と呼称が変わり、1982年現行の270系導入により淘汰されました。以降、号車ごとにご覧下さい。

モニ211

モニ210形のトップナンバーです。モニの二は、お察しのとおり、荷物のニです。内部線では近鉄四日市方に荷物室が有り、客室と違い椅子もつり革も無い空間でした。外側には「手荷物」と表記があるものの、ここに荷物が置かれていたのは、販売店向け?の新聞位でしょうか。



泊~追分間で撮影したM+T+T+M(T車代用)の画像 (内部行き)
何故か後尾のM車のパンタが上がっている。



赤堀~日永間の鹿化(かばけ)川橋梁に向けた勾配を2連で上がるモニ211



内部を出発し、内部の庫の脇を近鉄四日市へ向け走行するモ二211他3連



赤堀駅で内部行きのモニ211他2連


モニ212

モニ210一族4両のうちで、淘汰されてから30年以上経過して、奇遇にも記念入場券を飾ることになった果報者です。記念入場券で取り上げられたのは、豪雨の水害で廃線となってしまった、八王子線室山付近で撮影された画像ですが、当ブログでは内部線を中心にした活躍の姿をお目に掛けます。
それではまずは、リバイバル出場?の記念入場券の記事からご覧下さい。

(参考記事)

ありがとう そしてこれからも 内部・八王子線記念入場券 … モニ212が登場する記念入場券の紹介記事




モニ212他2連 泊~追分間 内部行き



モニ212他3連 内部駅構内内部行き



内部駅構内に留置されるモニ212他3連(後より2両は付随車)



モニ212の床下機器(1) 模型作成用の参考写真です。



モニ212の床下機器(2) 模型作成用の参考写真です。



モニ212他3連 近鉄四日市10番ホームにて



泊駅を発車するモニ212他3連 右奥に泊駅の旧看板も。


モニ213

モニ210一族4両の第3編成です。特記事項があれば追記します。


モニ213他2連 泊~追分間 内部行き



モニ213他4連 小古曽~内部間 内部行き



内部の庫内で検修中のモニ213


モニ214

モニ210一族4両の第4編成です。特記事項があれば追記します。



モニ214 2連内部行き 場所?



天白川橋梁に差し掛かるモニ212他2連 近鉄四日市行き
(天白川橋梁に注目下さい。架け替え前の上路ガーダー橋梁です。)



日永~南日永間を走行するモニ214他3連 内部行き



近鉄四日市駅9番ホームに止まるモニ214他



南日永~泊間を走る無二214他3連 右手奥は日永小学校

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四日市あすなろう鉄道開業記念(3) 内部・八王子線過去の車両図鑑(1/8) モ230形、モ240形

2015-04-09 16:30:50 | 近鉄、三岐鉄道
初めに

管理人が内部・八王子線に惚れ込んだ理由は、第一に過去の私鉄標準型のミニチュア版とも言える形態を持つ車両が、日本の大都市近郊の鄙びた風景を走っていること。第二に、関西の私鉄の雄、近鉄が過去の三重交通路線の継承とは言え、ローカル線の象徴とも言える、ニブロク(2フィート6インチ、即ち、762ミリゲージ)路線を大切に運営していたことです。
過去の車両は様々な経緯を持ちますが、一番好きな車は何といっても、モ231でしょう。
それはあくまでも、管理人の思い入れですので、皆様とご一緒に車両たちを見て行きたいと思います。
今後、四日市あすなろう鉄道に継承されても、ニブロク路線の相方、三岐鉄道北勢線とともに、末永く庶民の足として役立って欲しいと願わずにおれません。


(お断り)
以下にご紹介する画像は、過去にモノクロのフィルムカメラで撮影したデータを、フィルムスキャナで二値データ化したものです。従いまして、解像度の点など、ご不満の向きもあるかとは存じますがご容赦下さい。


電動客車の部(その1)

モニ230形

モ230形はモ231の1両のみの少数で、元を辿れば、かっての松阪鉄道が、1927年の松阪 - 大石間電化完成に備え名古屋の日本車輌製造本店でデ31形3両とともに製造した、付随車フ21形2両のうちの1両で当初の車番はフ22でした。
その後、三重交通の三重線時代に台車を履き替え、改修の上で電装化、モ231となります。
妻面の丸みを帯びた優美なデザイン、1両しかないという、希少性。残念ながら、1977年、北勢線260系電車投入に伴い、モニ220形3両(モニ225~モニ227)が移籍したため、淘汰されてしまいましたが、今でも印象に残る1両です。



近鉄四日市に向け3連で快走するモ231 追分~泊間


近鉄四日市駅で発車を待つモ231 モ231はT車代用のため、パンタを上げていない。


近鉄四日市に向け3連で快走するモ231 追分~泊間   


モニ240形

モ231と同じく、モ240形モ241は、1両しかいない少数派で、元を辿れば、四日市鉄道が1928年に田中車輌(近畿車輛の前身)で製造したデ50形(後のモニ210形)の付随車として製造され、当初は「61」号車と呼ばれた車です。
その後、三重交通時代に電装され、モ240形モ241と名乗るようになりました。
このような経緯から、後にご紹介する、モニ210形と似たデザインになっています。
モ231と同様に、1977年、北勢線260系電車投入に伴い、モニ220形3両(モニ225~モニ227)が移籍したため、淘汰されてしまいました。



内部電留線に憩うモ241


内部行きのモ241他3連 近鉄四日市駅行きの電車の姿も


内部行きのモ241他4連 泊~追分間


近鉄四日市行きのモ241他 日永駅で


内部行きのモ241他2連 小古曽駅で


近鉄四日市行きのモ241他3連 小古曽駅で


近鉄名古屋線の高架下を内部へ向け発車するモ241他

(追伸)
以降、260系登場前にに在籍した車輌殆どを順次アップしていきますので、ご期待の程を。


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内部線南浜田信号所有りし頃

2015-04-07 08:01:48 | 近鉄、三岐鉄道
内部・八王子線の四日市を発車した電車は、しばらく単線で進み、ホーム一線の赤堀に到着します。
ご存知の方も居られると思いますが、過去は途中に「南浜田信号所」なる設備が存在し、列車交換を行っていました。
特に、豪雨による八王子線不通(後に西日野まで復旧)のころは、代行輸送で内部線の需要が増加し、20分ヘッドから15分ヘッドに列車頻度が上がった時期がありました。
この時は、内部線列車同士が南浜田信号所や日永で交換するスジが存在しました。
時が経ち、内部、八王子線ともに25分ヘッドとなってからも、上りの内部線四日市行き電車と下りの八王子線西日野行き電車が交換するのが常でした。
3月に現地を訪れた折、信号所内の軌道が単線化され、元信号所跡と分かるのは、スパンの長い架線柱のみとなっていて、変貌に驚いたものです。



内部線南浜田信号所(四日市行き電車車中より撮影)

昭和51年(1976年)3月26日改正の近鉄内部線追分駅時刻表

2015-04-05 04:53:03 | 近鉄、三岐鉄道
新たな発掘ネタです。表題の時刻表写真が見つかりました。
この改正は、昭和49年(1974年)7月23日、近鉄八王子線の西日野から先の区間(西日野~伊勢八王子間)の終焉をもたらした豪雨で、代行バスが伊勢八王子~内部線南日永間に走り始めてからおおよそ1年半経った後の改正であり、運転時隔はほぼ25分ヘッドで、恐らく、「近鉄八王子線の代行運輸終了に伴う改正」と思われます。
実際、この時刻表を見ると、印刷物ではなく手書きで、猫も杓子も電算出力のできる現在とは異なる趣があります。
時刻表を見る限り、四日市方面の7時台と内部方面の9時台は時間あたり4本となっており、朝のラッシュ時間帯の運行頻度を上げていたようです。
ただ、日永で分岐する、八王子線とのダイヤ調整の必要や交換場所の位置の問題から、完全な等時隔ダイヤ化されていない点が、利用する上ではネックでした。



昭和51年(1976年)3月26日改正の近鉄内部線追分駅時刻表






四日市あすなろう鉄道開業記念(2) 内部線泊駅列車交換の思い出

2015-04-05 00:09:55 | 近鉄、三岐鉄道
内部線泊駅は有人駅で、駅員がタブレット交換と集改札を行っていました。通常のダイヤでは上下列車の交換を行うのが常で、利用客も多く、昭和50年代は活気に満ちた駅でした。
後に右側通行に変わりますが、当時はまだ左側通行で運行されており、内部方から駅を見ると、ホームの左側に近鉄四日市行き、右側に内部行きが止まる構図になります。
以降、ある日の列車交換の模様をご紹介します。



内部行きのモニ211を先頭とする3両編成の電車が、泊駅に到着しました。
踏切動作反応灯が白色に点灯。まもなく近鉄四日市行きの上り電車が到着します。



内部方より、モ241を後尾とする3両編成が、泊駅に進入します。



上り電車の到着で、一旦踏切が上がり、電車を降りたお客さんと、通行人が横断します。
ホームでは、近鉄四日市行きの電車に乗客が乗り込みます。



駅員が双方の電車のタブレットを交換し、近鉄四日市行き出発進行です。



上り電車が近鉄四日市へ向け発車し、ホームから離れました。



続いて下り電車が内部へ向けて発車します。

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四日市あすなろう鉄道開業記念(1) 近鉄八王子線レビュー

2015-04-03 05:40:14 | 近鉄、三岐鉄道
1974年(昭和49年)の水害のこと

昭和49年7月23日、三重県四日市市を襲った梅雨末期の集中豪雨は、中小河川の天白川の氾濫を呼び、日永駅と伊勢八王子駅を結んでいた八王子線の西日野から先の区間を帰らぬ鉄路としてしまいました。
新生成った「四日市あすなろう鉄道」の門出を祝い、貴重な過去データを再度紐解くことにしました。
モノクロネガをフイルムスキャナで読み取ったものなので、解像度の点はご容赦下さい。




伊勢八王子駅の駅名標

伊勢八王子駅の駅名標です。昭和49年8月、水害で孤立してしまった同駅にて撮影したものです。既に当ブログ別記事にてアップしており、皆様にご覧頂いております。



被災後の伊勢八王子駅構内

四日市方から見た伊勢八王子駅構内。機回り線側(右側)の軌道上には、水害で孤立してしまった付随車が2両、ブルーシートに包まれて留置されています。



上記付随車の拡大画像


上記付随車の足回り

軌道上に留置された付随車の拡大画像です。転動防止のため、ハンドスコッチ(手歯止め)で固定されています。この車両達は、後日陸送にて現役復帰できました。



四日市方分岐器部分の状況

四日市方の分岐器の被害状況です。道床が流出してしまっていますが、全区間この程度の被害なら、復旧可能と思われたのですが・・・。



「八王子線利用者の皆さまへお知らせ」の看板


「ご乗客各位 お知らせ」の看板(代行輸送の告知)

伊勢八王子駅の正面へ回ってみると、二つの看板が置かれていました。内容を読む限り、「当分の間」とはあるものの、まさか西日野~伊勢八王子間が廃止されてしまうとは、思えませんでした。
また、代行バスが内部線の南日永接続で運行されたことから、この後、過渡的に需要が増加し、従前なら20分ヘッドが、朝のラッシュ時は上り4本/時と増便されることになります。
内部線の車両編成が、M+T+T+M(最後尾はT車扱い)と、4両編成と長編成化化されたのもこの時期です。



道床まで流された天白川沿いの八王子線軌道(伊勢八王子付近)


撤収された枕木とレール(伊勢八王子付近)


水害によりねじ曲がった軌道


つい先日まで電車が通っていたとは信じられない、室山駅の惨状


正面からモニの伊勢八王子行き単行が現れそうな、桜の川辺、そして取り残された3本の軌道

伊勢八王子駅は天白川から離れていたため、深刻な水害を被りませんでした。
しかし、四日市に向かって、天白川沿いに進むと、厳しい現実が。桜の綺麗だった天白川沿いの鉄路は見るも無残な有様。昨年度、近鉄が発行した、「ありがとう そしてこれからも 内部・八王子線記念入場券」の題材ともなった、「室山付近を行く四日市行きモニ212他2連」の面影はどこにもありません。



天白川から離れた日永~西日野間の状況(1)


天白川から離れた日永~西日野間の状況(2)

日永~西日野間は幸いなことに天白川に隣接していませんでした。しかし、洪水が運んだ大量の土砂は、八王子線の軌道をあたかも路面電車のそれのように埋め尽くしていました。


八王子線部分復旧へ


撤収された軌道と架線柱


再開に向け工事中の西日野駅、作業員の姿も


四日市南高校の校舎をバックに、進む八王子線復旧工事

八王子線は甚大な被害を受けた天白川沿いの区間(西日野~八王子)に見切りを付け、四日市南高校の通学需要が大きく、天白川から離れた、日永~西日野間に限り復旧することになりました。このため、西日野駅は、天白川沿いにあった旧西日野駅から少し四日市寄りに移設されることになり、天白川よりの鉄路は撤収、西日野駅は新たに場所を変え建設という運びになりました。

(了)

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近鉄内部線 262F 近鉄四日市~赤堀間で

2015-03-29 04:17:05 | 近鉄、三岐鉄道
3月22日、久しぶりに内部線を撮影に行きました。場所は、近鉄四日市と赤堀の中間にある、浜田信号所(跡)北側です。今は線路が外されてしまいましたが、浜田信号所が現役の頃は、江ノ電の峯が原信号所と同様、2基の発條転轍機により複線化された軌道を上下列車が行き交う形式の信号所でした。
信号所があったころは、上りの内部線電車と、下りの八王子線電車が交換を行うのが主体で、八王子線を西日野止まりに陥れた豪雨災害後、代行運輸で内部線の列車頻度が高まった折は、内部線列車同士の交換もあったように記憶します。
さて、内部線の車両は262Fで(近鉄四日市方)モ262-サ122-ク162(内部方)の編成です。
先頭車のモ262とク162は、1982年新造、中間付随車のサ122号車は、かっての荷物室付き制御電動車モニ228を1982年に改造編入したものです。


内部線262F近鉄四日市行き 浜田で

内部線262F内部行き 浜田で

内部・八王子線の軌道更新

2015-03-28 17:17:13 | 近鉄、三岐鉄道
近鉄から四日市あすなろう鉄道に経営を引き継ぐ内部・八王子線です。
近鉄時代最後の姿を記録しようと、22日に現地を訪れました。
四日市~赤堀間の手近な撮影スポットで電車を待っていたら、何げに真新しく輝くレールボンドが目に止まりました。
更新されたと思われる軌道の表面もまだ磨り減っておらず、近日中に交換されたものと見られます。軌道の交換目的は不明ですが、バトンタッチを目の前にして何故でしょう。
四日市駅の自動改札機撤去は負に見えますが、軌道更新は光明と捉えられなくもない。
頑張れ「内部・八王子線」にエール!



更新された軌道(四日市~赤堀間)


真新しいレールボンド(上記の拡大画像)