薬屋のおやじのボヤキ

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毎日がなぜか楽しくなる「“一日一楽”日記」のすすめ

2013年02月18日 | 心の病から脱却

毎日がなぜか楽しくなる「“一日一楽”日記」のすすめ

 8月29日からso-netブログで書き始めた“一日一楽”日記です。
 その経緯については、このブログの9月2日付けで下記の記事で書きました。
 
 “一日一楽”日記の書き始め
 この日記をほぼ毎日綴り、今日で172本にもなりました。
 間もなく半年になります。
 当初は、必死になって「何か楽しいことはないか」と探しまくり、「ない」となると、本の記事を引用したりして、取り繕っていました。
 そこまで無理する必要はないと、友人からアドバイスも受けましたが、毎日落ち込んでいる方々の助けとなり、落ち込みからの脱却法の見本となればと思い、少々無理もしました。

 そうして、毎日“一楽”を探しまくる生活をしていましたら、いつの頃からかははっきりしませんが、気張らなくても、「ああ、楽しい」という事柄が、直ぐに見付かるようになってしまいました。
 なぜだろうと考えてみると、「以前は楽しいとは思わなかったほんの些細な事柄が、なぜだか楽しく思えてしまう」という自分がいることを発見したのです。

 こうして、約半年前の自分と違う自分が今ここにいるような気がします。
 “毎日が楽しい” そんな気分の連続です。
 落ち込むような日がめったにない小生ですが、以前は、“今日は何もいいことがなかった”と思える日が多かったものの、“一日一楽”日記を書き綴ることによって、“ああ、今日もいいことがあった”となってしまったからでしょうね。
 “楽しいこと探し”にはまってしまった小生。
 その“楽しさ”から、今日、中間報告として、「“一日一楽”日記のすすめ」を書かせていただきました。
 なお、最近“楽しいこと探し”をしていて、これが見付かる前に“幸せだなあ”と感ずる事柄の方が心に浮かぶことが多くなりました。
 “楽しい”と“幸せ”は、似ているようで似ていない、そんな感じがします。
 でも、どちらも心を明るくしてくれますから、“楽しい”と“幸せ”の両方の事柄が訪れてくれるのは、よりうれしいことです。そう言えば、“うれしい”という言葉も、似ているようで似ていないですね。
 何だか全てが、いい方に、いい方に、と回っていきますね。

 皆さんも、“一日一楽”日記なり、“一日一幸”日記なり、“一日一嬉”日記なり、はたまた“一日一福”日記なり、“一日一喜”日記なりを、お書きになるとよいですよ。
 なお、日記帳を作るなり、ブログを立てて投稿する場合は、例えば、「“一日一楽”おやじ日記」など、何か自分を指し示す適当な言葉を挿入すると、より楽しめることでしょう。そうしたブログが幾つもありますから、そのうち小生も改題しようと思っているところです。
 


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4 コメント

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見付かった!! (chu-tutu)
2013-02-20 08:30:55
ブログもtwitterも始めはいろいろ見つけて書くのですが だんだん 何書こうか ? に成っていた・・・・・ 【一日一?】の アイデア  アリガトォ
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楽しめない性格 (仏の提言)
2013-02-21 11:18:38
私は悲観主義者なのか。なかなか楽しい事が浮かびません。心の中には、昭和20年8月15日の生まれで終戦日に生まれた事で「平和主義に生きるのだと」心に誓ってきました。。「日本の軍国化をなんとか防ぎたい」と常に考え、世間の不正には黙っておれない性格になりました。ですから、バカを世間と一緒になりやれないのです。自分で一番楽しいのは、自給農業と自然養鶏をしている時だけです。「自分が堕落すれば、誰が軍国化に歯止めをかけてくれるのか」と言う問いかけに応えなければなりません。人生が終わるまで宿命かもしれません。しかしこの提案は良い提案かもしれないので検討します。
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Re.楽しめない性格(仏の提言) (薬屋のおやじ)
2013-02-21 13:15:31
仏の提言 様には、コメントをいただき、有り難うございます。
うちは浄土真宗ですから、教祖:親鸞がどんな人物であったか気になっていました。
何年か前に少々齧ってみましたら、彼は「人間は皆“悪人”である」と言っています。
「善」と思ってやった行為が、結果的に「悪」となることが往々にしてあり、それを行なった者も「悪人」である。
なるほど、と感じました。
「正義」とて、そうなるでしょう。
ところで、「軍国化の歯止め」ですが、スタンスは2つありそうです。
「平和集会」と「反戦集会」
ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサは「反戦集会」には決して出ず、「平和集会」にしか出席しなかったとのこと。
「苦しい、悲しい」→「反戦」
「楽しい、嬉しい」→「平和」
両者はスタート時点での心の持ち方に大きな違いがあります。
さて、人間は「楽しい、嬉しい」ことをやっていいのか悪いのか? 
このことについて、親鸞さんはどう言っているのか小生はよく知りませんが、彼は僧侶でありながら、初めて妻を持ってセックスを楽しみましたし、魚は美味い!何の遠慮もいらん、とグルメを満喫したのですから、人間は「楽しい、嬉しい」ことを大いにやっていいでしょう。
これら全て、小生に都合の良い、勝手な解釈ですが、“どうせ小生も悪人なんだから、楽しく行かなきゃ損だ”と思って、毎日暮らしています。
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はじめまして! (おばはん)
2013-03-05 09:46:57
今日初めて拝読させていただきました。
さっそく一日一楽日記を始め、冷水シャワーも試してみたいと思います!
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