たばこを吸ってなぜ悪い、とやかく言われとうない!
(最新更新 2018.7.12)
ヘビースモーカーの小生。デスクワークをしていたサラリーマン時代は1日4箱は吸っていた。薬屋稼業になってからも、1日2箱半は必要としていたが、最近はストレスがあまり掛からなくなり、また閉店後は居室での喫煙を止めたから、1日1箱半といったところ。
18歳から吸い始め、今64歳。1日平均3箱を吸ったとして、今現在の価格で計算すると、何と総額2千万円、うち税金1千万円!
よくぞこれだけ高額の税金を納めたものだと我ながら感心させられる。これからも、飽きることなく毎日コツコツと納税し、これは死ぬまで続けることになるに違いない。
小生は誰しも認める愛煙家である。たばこは健康のバロメーターであり、朝の一服で“今日もたばこがうまい”と感ずれば、“健康である”と自己診断できる。その昔、専売公社がコマーシャルでやっていたとおりである。
朝の一服、これはニコチンが切れた状態にあって、少々強いたばこを深く吸い込むと、“クラクラッと来て実に気持ちいい”ものである。歩こうものならフラフラする。酒で酔っ払ったときと同じ状態になる。でも、心臓が踊るわけでもないし、赤ら顔になることもない。
これは「麻薬」と同じであろう。小生も合法的麻薬をイスラム教徒に倣って一度経験してみたことがあるが、“フワフワッと宙を舞うような実に気持ちいい気分”がずっと続き、酒のような副作用が全くなく、はまりそうになったが、しかし、翌日は完全な便秘となり、それに懲りて1回きりで止めてしまった。
たばこの最大の効能は、何と言ってもストレスの解消であろう。
精神科医などがそう言っている。小生の経験からして、デスクワークほどストレスが溜まるものはない。やにくい仕事をどうやってこなすか、次から次へと難題が降りかかり、それをどう捌くか、などなどに毎日対処していくには、降り掛かったストレスを絶えず発散し続けるしかない。そのために、気分転換の一つの方法としてコーヒーブレイクがあり、小生はインスタントコーヒーを1日に10杯程度は飲んでいたのだが、胃に負担が掛かりすぎてしまい、ストレス解消には程遠い。ストレス解消には、やはり体を動かすのが一番で、小生は、頭を掻きむしったり、貧乏揺すりしたりしてしのいでいたのだが、これだけではストレスの出納は入りが超過となる。
そんなとき、たばこを1本取り出して、ゆっくりと一服する。すると、不思議にストレスがスーッと消えていく感がする。そして、イライラがけっこう治まるのである。
こうして、考え事をしている間は、たばこにしょっちゅう手が行き、連日のように残業もあって、1日4箱80本は吸ってしまっていたのである。
ただし、日曜日で家に仕事を持ち帰らない日にあってはストレスが少ないから、たばこは半量で済んでいた。そして、薬屋稼業となってからは、厳しすぎるノルマが掛かるようなことはなくなり、また、店内を動き回ることによってストレスの小出しができ、たばこの本数も大きく減ったのである。
こうしたことから、“たばこの本数はストレスに比例する”ことを身をもって経験したのであり、これは“定理”と考えてよかろう。
たばこの2つ目の効能は、ニコチンに特有の作用であるが、脳細胞のネットワークづくりを促進することにあり、これでもって思考力が向上し、年寄りになってもボケない。
これは、科学的にも証明されていることだが、今日では、嫌煙家が学問の世界を支配しており、これを言うのはタブーとなってしまった。
3つ目の効能は、タールの刺激による免疫力の向上にある。喉、鼻の粘膜がタールによって刺激され、白血球は絶えず戦闘態勢にあり、これでもって黴菌やウイルスが粘膜に張り付いても、即退治できるのである。逆に、異物には鈍感になっており、花粉が鼻の粘膜にくっついても、どってことないと判断し、花粉症にかかりにくい。これらのことについても、発言することは今ではタブーだ。
極め付けの効能は、“自殺者に喫煙者がいない”というものである。これは、日本免疫学会会長であり順天堂大学医学部教授の奥村康氏が調査されたものであって、その調査は、自殺者3万4千人のうち2千人を任意抽出して調べたら、喫煙者は一人もいなかったというものである。“禁煙運動によって自殺者を増やしている”とも言えるのであるが、奥村教授は、相関関係はあれど今のところ因果関係は分からないから何とも言えないとおっしゃっておられるものの、注目すべき事実であろう。これも、マスコミは決して取り上げない。
たばこの効能は、これ以外にも幾つかあるが、ここら辺りで止めにしておき、害についても幾つか書いておこう。
総括的な害については、WHOが定めている指標としてDALYs(ダリー:生涯調整生存率)があり、これは疾病やリスク要因が健康にどの程度影響を与えるかを示すものであって、喫煙の影響4.1%、アルコール4.0%とされている。つまり、喫煙も飲酒も害は同程度というものである。ただし、厚生労働省は喫煙は飲酒の何倍も体に悪いと言っている。
最も騒がれているのは、ガンの罹患率や死亡率である。
たしかに咽頭ガンは、非喫煙者に対して喫煙者は40倍も罹患率が高い。しかし、日本における咽頭ガンの死亡者は年間5千人程度で、肺がんの死亡者は6万5千人にも昇ることから、咽頭ガンはまれな病気として考えてよく、大騒ぎする必要はない。
喫煙とガンの相関関係が騒がれるようになったのは30年ほど前からだが、それは、1966~1982年に行なわれた大規模疫学調査の結果、喫煙者は非喫煙者よりも、がん死亡率(肺がんだけでなく、全がんトータル)が高いと発表されたからだ。男は1.7倍、女は1.3倍という結果が出たのである。
しかし、この調査データの解析を、順天堂大学奥村教授が改めて行なわれたところ、時々吸うという喫煙者の死亡人数は10万人当たり264人であるのに対し、非喫煙者は304人となり、がん死亡率は逆転していたのである。
標本数は十分にあるから、統計学的に有意な結果と言えるのであるが、“たばこは時々吸った方が、がんで死ぬことが少ない”という奇妙な結果をどう評価するかである。
次に、喫煙と肺がんの関係であるが、ここ40年間で喫煙率は8割から4割へと半減しているにもかかわらず、肺がんの死亡者は10倍になっている。
グラフにすると、きれいな逆相関図形となる。
このことから、喫煙と肺がんに相関関係があるとするのは大きな疑問となる。
肺がんは大別すると、肺の“管”の部分にできるものと“風船”の部分にできるものの2種類がある。東洋人は圧倒的に“管”にがんができるのだが、これは喫煙とは無関係であり、喫煙によってがんができるのは“風船”の方で、日本人はこちらのがんはわずかしかないのである。こうしたことから、肺がんの原因は、大半が車の排気ガスなどによる化学物質、いや、空気汚染以外の要因が主な原因になっていると考えるべきであろう。
しかしながら、厚生労働省は、たばこを最大の原因とみなして禁煙運動を展開しているだけであり、これではとうてい肺がんを減らすことは不可能であると断言できよう。
以上のことから、たばこには種々の大きな効能があるのであり、害は取り立てて騒ぐほどのものはないのであるからして、たばこを吸う、吸わないは個人の勝手であって、他人からとやかく言われる筋合いのものではないと、声を大にして言いたい。
たばこは嗜好品であるのだから個人の自由に任せておこう、でいいではないか。
ところが、世の中、クリーンな環境を志向する傾向がどんどん強まってきた。
それに伴い、“煙たいのは嫌だ”、という主張が通りやすくなってきた。野焼きも廃棄物処理法の改正によって基本的に禁止されるに至った。たばこについては、全館禁煙が普通になり、路上禁煙条例もできた。事ここに至っては、クリーンも度がすぎる。
その昔、小生の子どもの頃は家の中にかまどがあり、家中煙もうもうとなったことがしょっちゅうあった。でも、煙が気になったことはなかったのである。今でも、白川郷の合掌造りの家に入ると、囲炉裏に24時間薪がくべてあり、キナ臭いにおいがして、子どもの頃を懐かしく思い出す。その合掌造りの2階に上がれば、柱から天井まで真っ黒で、それがためにノミもダニも全く湧かない。ヤニが天然の防腐剤になっているのである。昔の我が家もそうであった。
しかし、今はこれでは通らない。人が集まり、換気が悪い所は全て禁煙となり、ヘビースモーカーの小生もそれに従うしかない。これは、ご時世であり、止むを得ない。
しかし、頭に来る旅館もある。食事は、囲炉裏端で岩魚を焼いて食べるのであるが、何と禁煙とある。岩魚が焼けて少々煙が出るのだが、これは問題ないとするも、たばこの煙はダメだというのである。加えて、ロビーの囲炉裏には薪がくべられ、フードで煙が集められるようになっているものの、かなりが部屋中に漏れ出しており、キナ臭いのであるが、ここも禁煙だという。薪もたばこも煙はタールという物質で全く一緒のものであり、なぜ禁煙なのか、全く解せない。時々利用するお気に入りの旅館であったが、前回行ったとき、そのように改変されてしまったので、以後、行くのを止めた。
少々の煙は我慢せえ、と言いたいところだが、それはググッと抑えて、気にならない程度の煙は許していただきたいものである。
しかし、たばこの受動喫煙が大きな問題となり、わずかな煙であっても叩かれるようになってしまった。これの調査発表結果には、ほとほと参ってしまう。一見すると、けっこう大掛かりな調査に見えてしまい、皆が納得してしまうからである。
受動喫煙が問題視されるようになった、その調査結果は次のものである。
夫婦ともに喫煙 妻 21,895人のうち肺がん死亡者 14年間で 32人
夫のみが喫煙 妻 69,965人のうち肺がん死亡者 14年間で142人
死亡率は非喫煙の妻の方が1.4倍となり、受動喫煙は肺がんに罹りやすいとされてしまったのである。しかし、夫婦とも喫煙の場合の妻の死者32人という小さな数値でもって物を言うのは、統計学的に有意とは言えず、これでもって断定することはできない。
もっとも、国際的には、これより大掛かりに調査されたものがあって、示されたリスク比は1.2倍と出ているが、これは無視できるほどの低い値と言えよう。
受動喫煙については職場についても数多く調査されているが、23例中統計学的に有意なものは1例しかなく、9例は逆の結果(受動喫煙で肺がん死が減る)が出ているのであるからして、何ともお粗末な調査ばかりである。
しかしながら、統計学的に有意でなくても、受動喫煙によって肺がん死が多いという調査結果については、大々的に報道されるのに対して、大した差がなかったり、逆の結果が出たものについては報道もされないし、学会に発表されることも控えられたりする。
統計学的に意味のないウソ・デタラメをさも本当のように扱うのはいい加減にしてほしいものである。
健康問題、特に肺がん罹患の危険でもって嫌煙の声を発するのではなく、単に“たばこの煙が嫌いだから”という理由で十分である。
そう言われれば、素直に”ああ、ごめんなさい”と、その場では吸うのを止めればよいのであり、また、遠慮して言い出せない方もあろうから、それは喫煙者がキャッチして、吸うのを控えればよいのである。
しかしながら、度がすぎる“嫌煙運動”である。喫煙コーナーでたばこを吸っていて、たばこを吸わない人に迷惑をかけていないにもかかわらず、“たばこは健康に悪いから止めなさい”と、他人から何度も言われる。“吸う、吸わないは俺の勝手だ!”と喧嘩を売りたくもなる。なぜに愛煙家はこうも叩かれなければならないのか。
こうなってしまった、そもそもの発信源はどこであろうか。
どうやらこれは、米国のアル・ゴア氏(クリントン政権の副大統領)のようである。ゴア家はたばこ農園を経営していたのだが、愛煙家であった彼の姉が肺がんで亡くなり、原因は喫煙にありと思ったゴア家はたばこ農業を止め、たばこ産業を潰しにかかったのである。
このとき働いたのが米国人特有のピューリタン的発想であり、これに“すり替えの論理”でもって、禁煙運動に拍車をかけたようである。
“すり替えの論理”とは、どんなものかというと、これには前例があり、ベトナム戦争中に枯葉剤による健康・環境被害が生じたとき、環境保護団体から強烈に叩かれたのであるが、米国政府は、その批判勢力の矛先をうまく反捕鯨運動に誘導したのである。そして、ベトナム戦争後における禁煙運動も、生活習慣病が蔓延するという健康被害の原因となるものは多々ある中で、たばこを特別に悪玉に仕立て上げてしまったのである。
次に“ピューリタン的発想”とは、その厳格さ、潔癖さから、一度こうだと決めてしまうと、それ以外の価値観を根絶やしにしてしまうといった真面目すぎな傾向を言うのだが、“たばこは害だ”と叫ばれて、これに政府が調査研究費を付け、“肺がんになる、心筋梗塞を起こす、受動喫煙が問題だ”と、禁煙運動一直線に走らせてしまったのである。
これが日本に入ってくると、そもそも米国追従になりやすい上に、“空気を読む”という日本人特有の文化でもって、間違った調査研究結果であっても誰一人批判することなく、だんまりを決め込むという自己保身が学者や官僚たちに働いてしまい、にっちもさっちもいかない固定観念ができあがってしまうから、より質が悪い。
こうして、愛煙家は肩身の狭い思いをさせられ、そろそろ我慢も限界に近付いてきた。
いつ爆発するか、自分が心配にもなる状況にある。
しかし、そうなってしまっては大人気ない。喫煙の害を説く学者も大人気ないが、同じレベルに自分を落としてしまっては寂しい限りである。
ここは、お仲間同士でグチをこぼすしかなかろう。そこで、ときどき覗いているのが、著名人で構成されておられる喫煙文化研究会の愛煙家通信Web版である。“ああ、俺と同じことを思っておられる”と安心し、ホッとする。
そして、非喫煙者でありながら、愛煙家の味方をしてくださる方もいらっしゃる。中部大学教授の武田邦彦氏が、日本の禁煙運動は間違っていることを何本もの記事で主張されており、近く「たばこは止めないほうがいい(竹書房)」を発刊されるとのことでもある。
(2013.1.22追記:「たばこはやめないほうがいい(竹書房)」発刊なる)
書店に並んだら1冊買おうと楽しみにしているところである。
なお、この記事を書くに当っては、“たばこは捨てたものではない”という内容の情報はどれだけも入ってこないので、今紹介した2つのサイトによるところが多い。
末筆ながら随分と長文になってしまった小生のボヤキに最後までお付き合いいただきました諸兄諸姉の皆様には厚く感謝申し上げます。
愛煙家あるいは非喫煙者で愛煙家の味方をしてくださる方から、本稿を補強するための情報をお寄せいただけたら幸いです。また、本稿の内容は、当然にして引用フリーですから、愛煙家の方はブログなどでドンドン主張なさってください。
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2018.7.12 男がタバコを吸わなくなったから出生率が落ちてきた? 見事な相関関係にビックリ!
まるで、喫煙者は何も言えないような社会は異様です。
そのうち喫煙者は精神疾患にでっち上げられかねません。
すでにデマゴギーと同調圧力が喫煙者を四面楚歌に追い込んでいます。
引用転載させて頂きました。
http://bator.blog14.fc2.com/blog-entry-1549.html
先日の会社の健康診断でも、もはや病人扱いで
面談での看護婦の罵詈雑言に耐えかね、
ジャパニーズパラドックスを引き合いに出して思わず反論した次第。
応援してます。
例えば、中部大学教授の武田邦彦氏が、恣意的な解釈でタバコと肺がんの関係性を述べられていることは否めません。(http://www.gohongi-beauty.jp/blog/?p=16085)
科学的に正当な議論ができる方の主張を、受け入れていきたいものです。
何より発想がいい。え、えっー!と、思っても見なかったことをバンバン提示していただける。脳トレに最高です。小生、そうした脳トレでもって、新たな学術論文に取り組んでいるところです。遅々として進みませんが。
喫煙率と肺がん死者数の逆相関関係、あれは武田先生が提示されるより前に当然に知っていたことですが、こうした事例は、正の相関関係を含めてゴマンとあります。
この世の中の様々な事象は、どんなものでも幾つもの相関関係にあることを証明できます。
たばことの関係においても、そうです。
お示しいただいたサイトよりもっと手の込んだ相関関係を示したサイトもあります。
https://www.kinen-sensei.com/%E3%82%BF%E3%83%90%E3%82%B3%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%82%E3%81%82%E8%A8%80%E3%81%88%E3%81%B0%E3%81%93%E3%81%86%E8%A8%80%E3%81%86/%E5%96%AB%E7%85%99%E7%8E%87%E3%81%A8%E8%82%BA%E3%81%8C%E3%82%93/
ここで示された喫煙本数との相関は面白いです。よくぞ、まあ、こんな因子を思いついたとは、感心します。通常考えるのは、吸引したタールの量なんですけどね。昔のタール20mg、今のタール1mg、これを持ち出すと、逆相関になっちゃいます。でも、本数なら正の相関関係になる。
いずれにしても、正の相関であろうと逆の相関であろうと、どれもこれも何の説明にもなっていないということです。
「相関関係は因果関係を含意しない」のであり、議論するにあっては因果関係を見出すしかないのです。
それをやりうるのは、愛煙家でもない嫌煙家でもない第三者的立場の人が調査研究するしかないのです。
そうでないと、事たばこに関しては微妙な因果関係しかなさそうですから、正確な報告書はできないことでしょうし、本来の議論もできません。
でも、それをやったところで、明白かつ重大な因果関係なんて絶対に出ないと断言できる事象です。
ここは嫌煙家の学者先生方のお手並み拝見です。多少の捏造は目をつむってやりましょう。捏造したって大した結論は出っこないですから。
学者先生のトンデモ(かもしれない)理論も、物事を固定概念から離れて再考するには良い機会ですね。
因果関係を解き明かす過程に、相関関係の議論があるのでしょう。相関関係の議論を学者の理屈と切り捨てるのは早急かもしれません。種々の議論が科学的に中立かどうか考えつつ、動向を見守っていきたいと思います。
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