雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

めでたきもの

2014-11-28 11:00:10 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第八十三段  めでたきもの

めでたきもの。
唐錦。
飾り太刀。
造り仏の木画。
色あひふかく、花房ながく咲きたる藤の花、松にかかりたる。
         (以下割愛)


すばらしいもの。
唐錦(カラニシキ・唐舶来の錦。国産の倭錦に対する)。
飾り太刀。
造り仏(彩色された仏)の木画(モザイクのような工芸品と考えられるが、同種のものは現存していない)。
色合いが深くて、花房が長く咲いている藤の花が、松にかかっている姿。

六位の蔵人。身分の高い若君であっても、決して着ることの出来ない綾織物を、(天皇の身近に仕えるという職掌柄)平気で着ていて、青色の袍姿などがとてもすばらしいのです。
もとは蔵人所の雑色(ゾウシキ・雑役を務めた無位の役人。青色は着れず、定められた色がなかったことからこう呼ばれるようになった)であったり、一般人の子供なので、お歴々の侍所の侍として勤める四位や五位の官職のある人の下に使われていて、目にも止めてもらえない存在だったのですが、いったん蔵人になってしまいますと、その変わりようは何とも驚くばかりです。
勅使となって宣旨などを持参したり、大饗(ダイキョウ・正月に左右大臣家で、太政官の官吏を饗応する行事。この時、天皇から甘栗などを賜った)の折の使いとして参上した時などは、大臣がありがたがって大切に扱われる様子などは、「どこから天下った天人なのだろう」と思ってしまうのです。

御娘が后となっていらっしゃる場合、また入内前でも「姫君」などと申し上げている方に、蔵人が天皇から御手紙の使いとして参上しますと、その屋敷の女房は、天皇のお手紙を御簾の内に取り入れるのからはじめて、敷物を差し出す時の立派な袖口など、御使いに対する待遇ぶりは、これが明け暮れ見慣れている人とは思われないほどです。
下襲の裾を長く引いている衛府(武官)を兼ねている蔵人の場合は、さらにすばらしく見えます。その家の主人御自ら杯などをお差しになるのですから、蔵人自身も、どれほどすばらしいと感じていることでしょう。
以前は、ひどくかしこまって土下座していた、一族の方や若君たちに対しても、今は、表面的には慎み深くかしこまっているけれど、その人たちと対等に連れ立って歩きまわっていますのよ。

天皇が、身近に召し使いになられるのを見ると、妬ましい気持ちさえします。お側離れずにお仕えする三年、四年ぐらいの間を、制服である青色の袍を着ている時はいいのですが、粗末な服装で、その色合いも平凡なもので、殿上のお偉い方々と交わるのは、やりきれないことです。
身分低くても天皇の近くにお仕え出来る特別な立場を、叙爵の時期になって殿上を下りることが近づくことさえ、命よりも惜しく思われるはずなのに、この頃は臨時の受領の空きなどを申請して、殿上を下りてしまうのは、全くとんでもないことです。
昔の蔵人は、任期の一年も前の春夏からもう泣き騒ぎしたものですよ。ところが当世の蔵人は、早々に次の叙爵を目指して駆けっこするのですよ。

博士の才学のある人は、すばらしいというのは当然のことです。顔は醜くて、官位が随分低くても、学問のお陰で、高貴な方の御前近く参上し、それなりのご下問があり、経書の師匠として伺候しているのは、「うらやましく、すばらしいものだ」と思うのです。また神仏への願文、上奏文、詩歌の序文などを作成して褒められるのも、とてもすばらしい。

法師で才学のあるのは、まったく改めて言うまでもありません。
后の昼の行啓は、特に華麗ですばらしい。
摂政・関白の御外出。
春日明神への御参詣。
葡萄染(エビゾメ)の織物。
全て、どのようなものでも、紫色であるものは、すばらしいのです。花でも、糸でも、紙でも。
庭に雪が厚く降り積もっている景色。
摂政・関白。
紫の花の中では、かきつばただけが少し憎らしい。
六位の蔵人の宿直姿が魅力的なのは、それは指貫が紫のせいなのですよ。



めでたきものとは、立派ですばらしいものといった意味ですが、多くの事例が列記されています。
その中でも、六位の蔵人に関して特に重点が置かれています。
少納言さまは、この六位の蔵人の青色の袍姿が特にお気に入りのようで、あちらこちらの章段に登場してきます。

その裏返しとして、天皇の側近くに伺候するというすばらしい職掌なのに、もっと実入りのよい受領を希望する者が多いというのが、大変お気に召さないようです。
「兄妹」と呼ばれた仲の則光もその一人であり、大変ご立腹の様子が描かれていますものねぇ。(第七十九段)
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なまめかしきもの

2014-11-27 11:00:06 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第八十四段  なまめかしきもの

なまめかしきもの。
ほそやかにきよげなる君達の、直衣姿。
をかしげなる童女の、表の袴などわざとはあらで、ほころびがちなる汗衫ばかり着て、卯槌・薬玉など長くつけて、高欄のもとなどに、扇さしかくしてゐたる。
          (以下割愛)


優美なもの。
ほっそりとして美しい貴公子の直衣姿。
愛らしげな童女が、上の袴などは堅苦しい格好ではなくて、縫い合わせたところの少ない汗衫(カザミ・上流階級の童女の正装)ぐらいを着て、卯槌、薬玉など組糸を長くして袖脇あたりにつけて、高欄のもとなどで、扇で顔を隠して座っている姿。

薄様の草子。
柳の萌え出ている枝に、青い薄様の紙に書いてある手紙を結びつけたもの。
三重がさねの扇。五重がさねの扇は、あまり厚くなって、手元の所などが不格好です。
ごく新しいというのでもなく、ひどく古びてもいない桧皮葺の家の屋根に、長い菖蒲を行儀よく葺き並べてある様子。

青々とした御簾の下から几帳の帷子の朽木形の紋様がとても鮮やかに見えて、帷子の紐が風に吹かれてなびいているのは、とても情緒があります。
白い組み紐で細いもの。
真新しい帽額(モコウ・簾の上方外側に張った覆いの布)のついた簾の外の高欄のあたりに、とても可愛らしい猫が、赤い首綱に白い札がついて、いかりの緒(意味不詳、遠くへ行かないための重しとも)、組み紐の長いのなどを付けて、それを引きずって歩くのも可愛らしく優美なものです。

五月の節会のあやめの女蔵人。髪に菖蒲のかずらを付け、赤紐ほど派手な色ではないが、領巾(ヒレ・正装の時肩に掛ける装飾の帯状の布)、裙帯(クタイ・正装の時腰に結び垂れる紐)などをまとって、薬玉を親王たち、上達部たちが、立ち並んでいらっしゃるのに差し上げるのは、実に優美なものです。
受け取った親王方が、薬玉をめいめい腰につけて、御礼の拝舞をなさるのも、実にすばらしいものです。
紫の紙を包み文にして花房の長い藤の枝につけたもの。
小忌(オミ・神事に奉仕する男性)の役の若君たちも、とても優美なものです。


「なまめかしきもの」を、優美なものと表現しましたが、単に「優美」とか「優雅」というよりも、少し色っぽいものが加わったものと説明されていることが多いようです。ただ、現在使われている「なまめかしい」よりは、清純な感じのようです。


そこで、少納言さまが「なまめかしきもの」として列記されているものを想像してみるのですが、「ああ、これがなまめかしいというものなのだな」と、なかなか感じ取れないのですよ。

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宮の五節出ださせたまふに

2014-11-26 11:00:04 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第八十五段  宮の五節出ださせたまふに  

宮の、五節出だせたまふに、かしづき十二人。
異どころには、「女御・御息所の御方の人出だすをば、わるきことになむする」ときくを、いかに思すにか、宮の御方を十人は出ださせたまひ、いま二人は、女院・淑景舎の人、やがてはらからどちなり。
          (以下割愛)


中宮様が、その御もとから五節の舞姫をお出しになられるのに、介添えの女房が十二人付きました。
よそでは、「女御や御息所にお仕えする女房を出すのを、良くないことにしている」と聞くのに、どうお考えなのでしょうか、中宮方の女房を十人もお出しになられる。あとのもう二人は、女院と淑景舎の女房で、その二人は姉妹の間柄です。(何故良くないのかは、はっきりしない)

中宮様は、節会の当日の辰の日の夜に舞姫が着る青摺りの唐衣や汗衫を、これらの女房や童女全員にお着せになられました。このことは、中宮付きの他の女房にさえ前もって知らせないで、外の人には特に秘密にして、他の人々がすっかり装束を付け終わって、あたりが暗くなった頃に、青摺りの衣を持って来て、お着せになりました。
赤紐を品よく結び下げて、たいそう艶出しされた白い衣、それに型木で摺るのが通例の紋様を、手描きされているのです。各自の装束の織物の唐衣の上にこれを重ねて着ているのは、まことに珍しく、中でも、汗衫を着た童女は他の人よりさらに優雅に見えます。
下仕えの女までが青摺りを着て簾際に居並んでいるので、殿上人、上達部は、驚きそして面白がって、「小忌の女房」とあだ名をつけられましたが、本当の小忌の若君たちは簾の外に座っていて、中の女房と話をしたりなどしています。

「五節の局を、辰の日の日も暮れないうちから全部取り壊して明けはなってしまい、介添え人たちをみっともない格好で居させるのは、大変奇妙なことです。やはり、辰の日の夜までは、きちんとしたままで置きたいものね」と、中宮様が仰せられましたので、介添えの女房たちは追い立てられるようなこともなく、几帳の隙間などをそれぞれ綴じ合わせて、袖口などを局の外にこぼれ出させて美しく座っています。
小兵衛という介添えの女房が、赤紐が解けているのを、そばの女房に、
「これを結んでほしいのだけれど」と言うと、
外にいた実方の中将が御簾のきわに近寄って結び直すのですが、何か意味ありげなのです。

 「あしひきの山井の水はこほれるを
            いかなる紐の解くるなるらむ」
(山の湧き水が凍っている冬なのに、一体どういう紐『氷も、との掛け詞』が解けるというのですか)
と、思った通り、実方の中納言は詠みかけます。
小兵衛は年若い人で、しかもこんなに人目の多いところなので、言いにくいのでしょうね、返歌もしないのです。また、そばにいる女房たちも、そのまま見過ごすばかりで何とも云わないので、中宮職の役人たちは、今に返歌があるものと、耳をすまして聞いていましたが、時間がかかりそうなのが気がかりで、五節の局に別の方から入って、女房のそばによって、
「どうして返歌をせずにおいでなのか」などと囁いているようです。

私は小兵衛とは四人ばかり隔てて座っていましたので、
「返歌をうまく思いついたとしても声を掛けにくい。まして、歌詠みと名高い人の歌には、余程よく出来たものでなければ、言い出したりは出来ない」と、気後れするのが何とも情けないことです。
一人前に歌を詠む人であれば、そうではないはずです。それほど立派な出来でなくても、間髪をいれずに口に出すものでしょう。

中宮職の役人がやきもきして指先を鳴らしまわるのも、気の毒なので、
  「うは氷あはにむすべるひもなれば
            かざす日かげにゆるぶばかりを」 
(水面の氷は薄く凍っているので、「ひかげのかずら」をかざす小忌の君達に会うと、この紐も解けてしまうのですよ・・「淡く結んだ紐」と「薄く凍った氷」を掛けている)
と、弁のおもとという女房に中継ぎさせて伝えさせましたが、恥かしがるばかりで満足に詠み上げることも出来ないので、実方の中将は、
「何ですって・・・、何ですって」と御簾越しに耳を傾けて聞き返すのですが、もともと少し言葉がつかえる癖のある人なのに、たいそう気取って「すばらしいと思われるように詠もう」としたものですから、とうとう実方の中将は聞きとることも出来ないで終わってしまったのですが、かえって下手な歌を詠んだ私の恥が隠れる思いがしまして、結構なことでした。

舞姫が御殿に上がるのを送って行く時も、
「気分がすぐれない」と言って行こうとしない女房をも、中宮様が厳しく仰せられたので、いる限りの女房がこの五節所に連れ立って行ったものですから、他から出ている舞姫と違って、あまりにも賑やかすぎたようでした。
中宮様から出された舞姫は、相尹の馬の頭の娘で、染殿の式部卿の宮の妃の御妹の四の君の御腹であり、十二歳であってとても明るく愛らしげでありました。
最後の夜も、疲れ果てた舞姫を背負って退出するといった騒ぎもありませんでした。
舞の終わったあと、そのまま仁寿殿を通って、清涼殿の御前の東の縁側から、舞姫を先に立てて、中宮様の弘徽殿の御局へ参上した時も、大変楽しいものでした。


五節の舞姫を中宮様がお出しになった時の様子が、華やかに描かれている章段です。少納言さまが仕える中宮定子の一家が、最も権勢を誇っていた頃のことだと思われます。
それにしても、中宮様の力の入れ方は尋常ではないように感じられます。

また、実方の中将への返歌に関するあたりの記述は、謙遜の言葉はあるとしても、少納言さまは和歌にも相当の自信があったと考えられるのですが、今日に伝えられている和歌が少ないのは不思議なことです。
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細太刀に平緒つけて

2014-11-25 11:00:48 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第八十六段  細太刀に平緒をつけて

細太刀に平緒つけて、きよげなる郎等の、持てわたるも、なまめかし。

儀礼用の細太刀に平緒をつけて、見栄えのよい召使の男が持って通るのも、優雅なものです。



この前後のあたりは、比較的長い文章の章段が多いのですが、全く突然のように、一項目だけの文章が登場してきます。

内容からしますと、第八十四段の「なまめかしきもの」に加えていいものですし、わざわざ独立させる必要性も感じられません。
伝承される段階で紛乱したものか、それとも、もともとこのように分類されていたのか、大いに疑問が残るところです。
そして、もし、この一文を独立して設けることが少納言さまの意図するものであるとすれば、これは枕草子の謎の一つに挙げなければなりません。
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内裏は五節のころこそ

2014-11-24 11:00:11 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第八十七段  内裏は五節のころこそ

内裏は、五節のころこそ、すずろに、ただなべて見ゆる人も、をかしうおぼゆれ。
殿司などの、いろいろの裂栲を物忌のやうにて、釵子につけたるなども、めづらしう見ゆ。
          (以下割愛)


内裏は、五節の頃が特に、わけもなく、日頃顔を合わせている人まで、素敵な感じがします。
主殿司の女官などが、いろいろな色の小切れを物忌の札のようにして、釵子(サイシ・正装の時髪を結い上げて差すかんざし)につけているのなども、目新しく見えます。

宣耀殿の反り橋の上に、結い上げた髪の元結のむら染が、とても鮮やかな姿で、この人たちが並んで座っているのも、それぞれに多彩で、まことに風情があるものばかりです。
清涼殿に仕える雑仕や、女房に仕えている童女たちも、「大変晴れがましいことだ」と思っているのも、もっともなことです。
染料に用いる山藍や、冠につける日陰のかずらなどを、柳筺(ヤナイバコ・柳の枝を細く削って作った箱)に入れて、五位に叙せられた男性(大夫。六位の蔵人から無役になった者か)が持ってまわるのなども、大変風情があるように見えます。

殿上人が直衣を肩脱ぎをして、扇やその他の物を拍子に使って、
「つかさまさりと、しき波ぞ立つ」(当時の歌謡か)という歌をうたいながら、五節の局それぞれの前を練り歩くのは、すっかり宮仕えに慣れきっているような人の心中も、ときめくことでしょう。まして、殿上人たちが、どっと一斉に笑いなどしているのは、ひどく恐ろしい。(作者がまだ宮仕えに慣れていないためか)

進行役の蔵人の掻練襲(カイネリガサネ・紅の練り絹の下襲)は、特に目立って美しく見えます。客用の褥などが敷いてありますが、とてもその上に座っていることも出来ず、居並んでいる女房の容姿を品定めしたりして、この頃は、五節所の噂ばかりのようです。
帳台の試みの夜(天皇が五節の舞の試し舞を見る)、進行役の蔵人は大変厳しく取り仕切って、
「理髪の役の女房と二人の童女の他は、どなたも入ってはいけない」と戸を押さえて、憎たらしいほどに言うので、殿上人なども、
「でも、この女房一人ぐらいはいいだろう」などと言われるが、
「不公平になりますから、絶対に駄目です」などと固苦しく言い張っているところに、中宮様の女房が二十人ぐらいが蔵人をものともせず、戸を押しあけて、なだれ込んだので、蔵人はあっけに取られて、
「これは、どうも、無茶な世の中だ」と言って、立ちすくんでいるのが可笑しい。
それにつけ込みましてね、介添えの女房たちも皆入る様子で、それを見ている蔵人はとても悔しげです。
天皇もお出でになられましたが、「可笑しい」と御覧になられたことでしょう。

疲れたのでしょう、灯台に向かい合って居眠りしている舞姫たちの顔も、可愛らしいものです。



少納言さまが宮仕えしてまだ間もない頃なのでしょう、華やかな五節の行事の様子が生き生きと描かれています。
宮中では多くの行事が催されていたのでしょうが、この五節の行事は特に大きな行事だったようで、再々登場してきています。
   
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無明という琵琶

2014-11-23 11:00:51 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第八十八段  無明という琵琶

「『無明』といふ琵琶の御琴を、主上の持てわたらせたまへるに、見などして、掻き鳴らしなどす」
といへば、弾くにはあらで、緒などを手まさぐりにして、
「これが名よ、いかにとか」
ときこえさするに、
「ただいとはかなく、名も無し」
とのたまはせたるは、「なほ、いとめでたし」とこそ、おぼえしか。
          (以下割愛)


「『無明』という名の琵琶の御琴(オンコト・当時「琴」とは弦楽器の総称であった)を、主上がお持ちになられたので、女房たちが手にとって見たり、爪弾いたりなどしている」
とある女房が言うのですが、弾いているのというほどではなく、弦をいじくっている程度なのですが、
「この琵琶の名前ですが、何と言いましたかしら」
と申し上げますと、中宮様は
「ほんのごくつまらないものなので、名前さえないのですよ」
と仰せになられましたのは、「なんとまあ、みごとな御返答だ」と思ったものですよ。

淑景舎(シゲイサ・中宮定子の妹原子。東宮妃で淑景舎の女御と呼ばれた)などがこちらにおいでになって、中宮様とお話をされているなかで、淑景舎は、
「私の手元にとても風情のある笙の笛(「笛」は管楽器の総称)があります。亡くなった殿(父道隆)が私にくださったものです」とおっしゃると、僧都の君(隆円、二十歳位。定子の弟で原子の兄)が、
「それを隆円にお与え下さい。私の手元にすばらしい琴(キン・中国伝来の七絃の琴)がございます。それとお取りかえください」 と申し上げられるのを、淑景舎は耳も貸そうとなさらないで他の話をなさいますので、隆円は、「返事をしていただこう」と思って、何度もそのことを申し上げられるが、やはり何もおっしゃらないので、中宮様が、
「『いな替へじ』と思っていらっしゃるのですよ」と仰せられたご様子が、実に風雅であることは、この上もありません。
この「いな替へじ」という御笛の名前を、僧都の君は御存じなかったのですから、中宮様の洒落が通じず、姉までが交換に反対なのが、ただもう恨めしく思われたようでした。
この話は、中宮様が職の御曹司においでになられていた頃のことなのでしょう、天皇のお手許に「いな替へじ」という名の御笛がございまして、その名前をお使いになったのです。

天皇のお手許の品は、御琴も御笛も、みな、珍しい名がついているのです。
琵琶は玄上、牧馬、井手、渭橋、無名など。
また、和琴なども、朽目、塩釜、二貫などという名前があるそうです。
水竜、小水竜、宇多の法師、釘打、葉二つ、その他いろいろと。
たくさん耳にしたのですが、忘れてしまいました。
「宣陽殿の一の棚に置くべき名器だ」という決まり文句は、かの頭の中将が口癖になさっていることですよ。



琴や笙などの天皇御物を紹介しています。
また、父道隆が没したあとのこととはいえ、三人のきょうだいが集まられた時の様子を、少納言さまは懐かしげに思い出されておられます。


ただ、この章段の冒頭部分、原文でも紹介させていただいている部分ですが、どうも分かりにくいのです。
一応現代訳は上記のようにしましたが、例えば、天皇御物である『無明』を女房が勝手に手に取ったり弾いたり出来たのか、ということです。
また、「この名前は何と言うのか」と女房(または少納言)が中宮に尋ねているのですが、とても主従関係の会話のように思われないなど、納得できないままの現代訳になってしまいました。
果たして、少納言さまの真意を伝えられているのでしょうか。
   

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上の御局の

2014-11-22 11:00:02 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第八十九段  上の御局の

上の御局の御簾の前にて、殿上人、日一日、琴・笛、吹き遊び暮らして、大殿油(オオトナブラ)まゐるほどに、まだ御格子はまゐらぬに、大殿油差し出でたれば、戸の開きたるがあらはなれば、琵琶の御琴を、縦ざまに、持たせたまへり。

紅の御衣どもの、いふも世の常なる袿、また張りたるどもなどを、あまたたてまつりて、いと黒う艶やかなる琵琶に、御袖をうちかけて把へさせたまへるだにめでたきに、稜より御額のほどの、いみじう白うめでたく、けざやかにて、はづれさせたまへるは、譬ふべきかたぞなきや。

近くゐたまへる人にさし寄りて、
「『半ば遮したりけむ』は、得かくはあらざりけむかし。あれは、ただ人にこそはありけめ」
といふを、道もなきに分けまゐりて申せば、笑はせたまひて、
「『別れ』は、知りたりや」
となむ仰せらるるも、いとをかし。


上の御局の御簾の前で、殿上人が一日中、琴を弾き笛を吹いて合奏しくらして、御灯台を差し上げる頃になって、まだ御格子はお下げしていないのに、中宮様のもとの御灯台に火をともしたものですから、戸の開いているのが外から丸見えなので、中宮様は琵琶の御琴を立ててお持ちになり、お顔をお隠しになられている。

紅のお召物などで、いうだけ野暮なほどのすばらしい袿、また糊張りをした衣などを、幾重にもお召しになっていて、大層黒々と艶のある琵琶に、御袖をうち掛けて、お持ちになっていられるだけでも素晴らしいのに、そのわきから御額のあたりがとても白くお美しく、くっきりとお見えになるのが、たとえようもない素晴らしさです。

上座に座っていらっしゃる上臈女房に近付いて、
「『半ば顔を隠していた』という女(ヒト)も(白楽天詩集からの引用)、きっとこれほど素晴らしくはなかったことでしょう。あれは、身分の低い人だったでしょうから」
と私が申しますと、その女房は、隙間もないところをかき分けて参上し、中宮様に申し上げますと、お笑いになられて、
「『別れ』は、少納言は知っているのか」
と仰せになるのも、大変風雅であられる。



宮中の豊かで美しい情景が描かれています。特に、少納言さまが敬愛してやまない中宮定子の魅力を懸命に描かれているように感じられます。

最後の「『別れ』は、知りたりや」という中宮の言葉の意味は、諸説あるようです。
例えば、少納言さまが引用した白楽天の「琵琶行」という詩の中に、「別れ」の部分があり、それを指しているとするもの。
あるいは、自分が琵琶を弾かずに縦に持っている理由が分かるか、と反問されたというもの。
他にも、殿上人たちの別れ、すなわち解散時を知っているのかというものもあるようです。
ただ、中宮の言葉を受けて、少納言さまは、「いとをかし」と書き残されているのですから、中宮の言葉にはかなり深い意味が込められているように思うのですが、さて・・・。
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ねたきもの

2014-11-21 11:00:38 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第九十段  ねたきもの

ねたきもの。
人のもとにこれよりやるも、人の返りごとも、書きてやりつる後、文字一つ二つ思ひなほしたる。
とみのもの縫ふに、「かしこう縫ひつ」と思ふに、針をひき抜きつれば、はやく尻を結ばざりけり。また、返さまに縫ひたるも、ねたし。
          (以下割愛)


いまいましいもの。
人のところにこちらから送る手紙でも、人からの手紙に対する返事でも、書いて持って行かせた後で、文字の一つ、二つこう書けばよかったと気がついた時。
急ぎの物を縫う時に、「うまく縫い上げた」と思うのに、針を引き抜いたところ、もともと糸のはじを結んでおかなかったのですよ。また、裏返しに縫ってしまったのも、いまいましい。

南の院に中宮様がおいでになられる頃、
「急ぎのお仕立物です。誰も彼も皆、時を移さず、大勢で手分けして縫って差し上げよ」ということで、反物を下さったので、皆は明るい南の廂に集まって、お召物の片身頃ずつを、「誰が早く縫い上げるか」と、近くに向かい合いもしないで競い合って縫う様子も、全く正気を失ったような感じです。
命婦の乳母が、随分早く縫い終えて下に置いたが、ゆき丈の片身を縫ったのが、生地が裏返しなのに気がつかず、糸の結び止めをするかせぬかのうちに、慌てて置いて席を立ってしまったのですが、もう片方と、背縫い合わせになると、全く表裏が違ってしまったのです。

一同笑うやら騒ぐやらで、
「早くこれを縫い直しなさい」と言うのを、
「『間違って縫ってあることが誰に分かる』というので直すのですか。綾などであるならばこそ、『裏を見ないでも分かる』ということですから、直しもしましょう。これは、無紋のお召物ですから、何を目印にするというのですか。私でなくても、縫い直す人は誰でもいるでしょう。まだお縫いになっていない人に直させて下さい」
と言って、言うことを聞かないので、
「そんなことを言っても、このままにしてはいられないわ」
ということで、源少納言、中納言の君などという人たちが、おっくうそうに取り寄せてお縫いになっているのを、命婦の乳母がじろじろ見ていた様子ときたら、実に滑稽でした。

きれいに咲いた萩や薄などを、植えて眺めている時に、長櫃を持った者が、鋤などを引きさげて来て、片っぱしから掘り取っていったのときたら、情けないやら、いまいましいやら。
そこそこの男性でもいる時には、そんなこともしないものなのに、女ばかりだと思って、一生懸命止めても、「ほんの少しだけ」などと言うだけで行ってしまうのは、言うかいもなく、いまいましい。

受領などの家にも、ご大家の下僕などが来て、小ばかにしたような口を聞き、「そんなことを言っても、自分に対して何も出来まい」などと思っているのは、まことにいまいましい感じです。

早く見たい手紙などを、男の人が横取りして、庭に下りて、立ったまま読んでいるのは、とてもやりきれない感じで、いまいましく思うのですが、追って行っても、御簾の外まで追うなどというはしたないことも出来ず、御簾の際で立ち止まって見送ってしまうのは、いまいましく、飛び出して行ってしまいたい気持ちがするものですよ。



「ねたきもの」とは、いまいましいもの、癪なもの、といったものですが、現在と同じような感覚と思われます。
命婦の乳母が登場する部分ですが、この部分の「ねたきもの」は、命婦の乳母の言動ではなく、他の女房が自分の間違ったものを縫い直しているのを見ている命婦の乳母が、「ねたき」気持ちだと言っています。このあたりが少納言さまらしい描写ではないでしょうか。
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王朝文化の揺らめき

2014-11-20 11:00:58 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子   ちょっと一息

王朝文化の揺らめき

少納言さまが活躍された時期は、大ざっぱにいえば西暦千年の頃に当たります。
平安王朝が円熟期にさしかかり、藤原氏の絶頂期でもありました。絢爛豪華な文化は、多くの女流文学者に活躍の舞台を提供しました。
わが、清少納言も、この華やかな舞台で活躍した女房の一人でありました。

少納言さまは、藤原氏繁栄のシンボルとさえいえる中宮定子に仕えました。
定子の父道隆は関白職にあり、定子の妹は東宮に輿入れするという繁栄ぶりで、その絶頂期の様子は、枕草子のあちらこちらに描かれています。
しかし、その絶頂期は必ずしも長くは続かず、やがて道隆の弟である道長が実権を握り、藤原王朝の絶頂期に至ります。
少納言さまを取り巻く世界も、道隆の死去とともに大きく変わっていきます。宮中の栄華の中心は、定子から道長の息女である中宮彰子へと移っていきます。彰子の近くには、和泉式部や紫式部といった才女が集められ、女流文学の勢力も少納言さまは劣勢に立たされて行ったのではないでしょうか。
華やかな王朝文学界にも、無情の揺らめきがあったのです。

少納言さまは、華やかな宮廷の、しかもその中心にある定子の近くで絢爛たる繁栄を見つめ、やがてはその勢力を失っていくという悲哀をも実感しているのです。
しかし、枕草子に描かれている世界を見る限り、その悲哀に打ちひしがされたり、不運を嘆くシーンなどほとんど見ることが出来ません。
これを、枕草子の不思議の一つとされる人もいますが、これこそが、最も少納言さまらしいところだと私は思うのです。

枕草子を読み進むにあたって、少納言さまの『歯を食いしばった必死な表現』もあるということに、想いを馳せたいと思っています。
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かたはらいたきもの

2014-11-19 11:00:33 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第九十一段  かたはらいたきもの

かたはらいたきもの。
まらうどなどに会ひてものいふに、奥の方に、うちとけ言などいふを、得は制せできく心ち。
想ふ人の、いたく酔ひて、おなじごとしたる。
ききゐたりけるを知らで、人のうへいひたる。それは、なにばかりならねど、使ふ人などだに、いとかたはらいたし。

旅だちたるところにて、下種どもの戯れゐたる。
憎げなる乳児を、おのが心ちの愛しきままに、うつくしみ、かなしがり、これが声のままに、いひたる言など語りたる。
才ある人の前にて、才なき人の、もの覚え声に、人の名などいひたる。
「殊によし」ともおぼえぬ我が歌を人に語りて、人の褒めなどしたる由いふも、かたはらいたし。


いたたまれない感じのもの。
来客などに会って話をしている時に、奥の方で家族の者が露骨な内輪話などしているのを、止めることも出来ないで耳にしているときの気持ち。
想いを寄せている男性が、ひどく酔って、同じように露骨な話を無遠慮にするのも、いたたまれない。
そばにいてずっと聞いていたのを知らないで、人のうわさ話をするの。それは、たいした身分の人ではなくても、自分の使用人のことでさえ、とてもいらいらする。

ちょっとした旅先で、下男たちがはめをはずしているの。
不器量な乳飲み子を、親は自分の気持ちでいとしいと思うのに任せて、大事にし、可愛がり、その子の声をまねて、その子の言った片言などを人にしゃべっているのを聞かされるのは、いらいらします。
学識豊かな人の前で、たいして才学もない人が、いかにも物知りぶった調子で、有名人の名前などを口にしている様子は、とてもいたたまれない感じです。
「とりわけて良い」とも思えない自作の歌を他人に話して、人が褒めたりした次第をしゃべっているのも、とても聞いてはいられません。



「かたはらいたきもの」とは、いたたまれない、いらいらする、勘弁してよ、といった感覚のものでしょう。
この段の少納言さま、なかなか手厳しいですよね。「憎げなる乳児」「才なき人」などは、思っていてもなかなか言えませんよ。

なお、「想ふ人の・・・」については、「酔った人がくどくどと同じことを言うこと」という取り方もあるようですが、そんなのは、想ふ人でなくてもいやなものですから、前文の「うちとけ言などいふ」を受けたものとしました。
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