枕草子 第九十段 ねたきもの
ねたきもの。
人のもとにこれよりやるも、人の返りごとも、書きてやりつる後、文字一つ二つ思ひなほしたる。
とみのもの縫ふに、「かしこう縫ひつ」と思ふに、針をひき抜きつれば、はやく尻を結ばざりけり。また、返さまに縫ひたるも、ねたし。
(以下割愛)
いまいましいもの。
人のところにこちらから送る手紙でも、人からの手紙に対する返事でも、書いて持って行かせた後で、文字の一つ、二つこう書けばよかったと気がついた時。
急ぎの物を縫う時に、「うまく縫い上げた」と思うのに、針を引き抜いたところ、もともと糸のはじを結んでおかなかったのですよ。また、裏返しに縫ってしまったのも、いまいましい。
南の院に中宮様がおいでになられる頃、
「急ぎのお仕立物です。誰も彼も皆、時を移さず、大勢で手分けして縫って差し上げよ」ということで、反物を下さったので、皆は明るい南の廂に集まって、お召物の片身頃ずつを、「誰が早く縫い上げるか」と、近くに向かい合いもしないで競い合って縫う様子も、全く正気を失ったような感じです。
命婦の乳母が、随分早く縫い終えて下に置いたが、ゆき丈の片身を縫ったのが、生地が裏返しなのに気がつかず、糸の結び止めをするかせぬかのうちに、慌てて置いて席を立ってしまったのですが、もう片方と、背縫い合わせになると、全く表裏が違ってしまったのです。
一同笑うやら騒ぐやらで、
「早くこれを縫い直しなさい」と言うのを、
「『間違って縫ってあることが誰に分かる』というので直すのですか。綾などであるならばこそ、『裏を見ないでも分かる』ということですから、直しもしましょう。これは、無紋のお召物ですから、何を目印にするというのですか。私でなくても、縫い直す人は誰でもいるでしょう。まだお縫いになっていない人に直させて下さい」
と言って、言うことを聞かないので、
「そんなことを言っても、このままにしてはいられないわ」
ということで、源少納言、中納言の君などという人たちが、おっくうそうに取り寄せてお縫いになっているのを、命婦の乳母がじろじろ見ていた様子ときたら、実に滑稽でした。
きれいに咲いた萩や薄などを、植えて眺めている時に、長櫃を持った者が、鋤などを引きさげて来て、片っぱしから掘り取っていったのときたら、情けないやら、いまいましいやら。
そこそこの男性でもいる時には、そんなこともしないものなのに、女ばかりだと思って、一生懸命止めても、「ほんの少しだけ」などと言うだけで行ってしまうのは、言うかいもなく、いまいましい。
受領などの家にも、ご大家の下僕などが来て、小ばかにしたような口を聞き、「そんなことを言っても、自分に対して何も出来まい」などと思っているのは、まことにいまいましい感じです。
早く見たい手紙などを、男の人が横取りして、庭に下りて、立ったまま読んでいるのは、とてもやりきれない感じで、いまいましく思うのですが、追って行っても、御簾の外まで追うなどというはしたないことも出来ず、御簾の際で立ち止まって見送ってしまうのは、いまいましく、飛び出して行ってしまいたい気持ちがするものですよ。
「ねたきもの」とは、いまいましいもの、癪なもの、といったものですが、現在と同じような感覚と思われます。
命婦の乳母が登場する部分ですが、この部分の「ねたきもの」は、命婦の乳母の言動ではなく、他の女房が自分の間違ったものを縫い直しているのを見ている命婦の乳母が、「ねたき」気持ちだと言っています。このあたりが少納言さまらしい描写ではないでしょうか。
ねたきもの。
人のもとにこれよりやるも、人の返りごとも、書きてやりつる後、文字一つ二つ思ひなほしたる。
とみのもの縫ふに、「かしこう縫ひつ」と思ふに、針をひき抜きつれば、はやく尻を結ばざりけり。また、返さまに縫ひたるも、ねたし。
(以下割愛)
いまいましいもの。
人のところにこちらから送る手紙でも、人からの手紙に対する返事でも、書いて持って行かせた後で、文字の一つ、二つこう書けばよかったと気がついた時。
急ぎの物を縫う時に、「うまく縫い上げた」と思うのに、針を引き抜いたところ、もともと糸のはじを結んでおかなかったのですよ。また、裏返しに縫ってしまったのも、いまいましい。
南の院に中宮様がおいでになられる頃、
「急ぎのお仕立物です。誰も彼も皆、時を移さず、大勢で手分けして縫って差し上げよ」ということで、反物を下さったので、皆は明るい南の廂に集まって、お召物の片身頃ずつを、「誰が早く縫い上げるか」と、近くに向かい合いもしないで競い合って縫う様子も、全く正気を失ったような感じです。
命婦の乳母が、随分早く縫い終えて下に置いたが、ゆき丈の片身を縫ったのが、生地が裏返しなのに気がつかず、糸の結び止めをするかせぬかのうちに、慌てて置いて席を立ってしまったのですが、もう片方と、背縫い合わせになると、全く表裏が違ってしまったのです。
一同笑うやら騒ぐやらで、
「早くこれを縫い直しなさい」と言うのを、
「『間違って縫ってあることが誰に分かる』というので直すのですか。綾などであるならばこそ、『裏を見ないでも分かる』ということですから、直しもしましょう。これは、無紋のお召物ですから、何を目印にするというのですか。私でなくても、縫い直す人は誰でもいるでしょう。まだお縫いになっていない人に直させて下さい」
と言って、言うことを聞かないので、
「そんなことを言っても、このままにしてはいられないわ」
ということで、源少納言、中納言の君などという人たちが、おっくうそうに取り寄せてお縫いになっているのを、命婦の乳母がじろじろ見ていた様子ときたら、実に滑稽でした。
きれいに咲いた萩や薄などを、植えて眺めている時に、長櫃を持った者が、鋤などを引きさげて来て、片っぱしから掘り取っていったのときたら、情けないやら、いまいましいやら。
そこそこの男性でもいる時には、そんなこともしないものなのに、女ばかりだと思って、一生懸命止めても、「ほんの少しだけ」などと言うだけで行ってしまうのは、言うかいもなく、いまいましい。
受領などの家にも、ご大家の下僕などが来て、小ばかにしたような口を聞き、「そんなことを言っても、自分に対して何も出来まい」などと思っているのは、まことにいまいましい感じです。
早く見たい手紙などを、男の人が横取りして、庭に下りて、立ったまま読んでいるのは、とてもやりきれない感じで、いまいましく思うのですが、追って行っても、御簾の外まで追うなどというはしたないことも出来ず、御簾の際で立ち止まって見送ってしまうのは、いまいましく、飛び出して行ってしまいたい気持ちがするものですよ。
「ねたきもの」とは、いまいましいもの、癪なもの、といったものですが、現在と同じような感覚と思われます。
命婦の乳母が登場する部分ですが、この部分の「ねたきもの」は、命婦の乳母の言動ではなく、他の女房が自分の間違ったものを縫い直しているのを見ている命婦の乳母が、「ねたき」気持ちだと言っています。このあたりが少納言さまらしい描写ではないでしょうか。