枕草子 第九十九段 淑景舎、春宮にまゐりたまふ・・その1
淑景舎、春宮にまゐりたまふほどのことなど、いかが、めでたからぬことなし。
正月十日にまゐりたまひて、御文などは繁う通へど、まだ御対面はなきを、二月十余日、宮の御方にわたりたまふべき御消息あれば、常よりも、御しつらひ、心ことにみがきつくろひ、女房など、みな用意したり。
夜半ばかりにわたらせたまひしかば、いくばくもあらで、明けぬ。
登花殿の、東の廂の二間に、御しつらひはしたり。宵にわたらせたまひて、またの日はおはしますべければ、女房は、御膳宿に向かひたる渡殿に、さぶらふべし。
殿・上、暁に、一つ御車にてまゐりたまひにけり。
(以下割愛)
淑景舎(シゲイサ・道隆二女、中宮の妹、この時十五歳位)の君が東宮の妃としてお輿入れなされる時のことなどは、何から何まで、それはそれはすばらしいものでしたわ。
正月十日にお輿入れなされたあと、中宮様とお手紙などは頻繁にやりとりなさっていますが、まだご対面はありませんでしたが、二月十日過ぎの日に、中宮様の御方にお越しになる予定とのご連絡がありましたので、いつもよりもお部屋の準備を特別入念に磨きをかけて整え、女房なども、皆とても緊張しておりました。
夜中の頃にお越しになられたので、それから間もなくして、夜が明けました。
登花殿の東の廂の二間に、お迎えの支度はしてあります。前日の夜お越しになって、翌日は御滞在の予定だというので、淑景舎付きの女房は、御膳宿(オモノヤドリ・配膳室)と向かい合った渡殿に控えることになっています。
関白殿と奥方は、明け方に一つの御車で参内なさいました。
翌朝、とても早くに御格子をすべてお上げして、中宮様は、お部屋の南に、四尺の屏風を、西から東に御敷物を敷いて、北を正面に向けて立てて、そこに御畳や、御敷物ぐらいを置いて、御火鉢を差し上げてあるところにいらっしゃいます。
御屏風の南や、御帳台の前に、女房が大勢伺候しています。
まだこちらで、中宮様の御髪などのお手入れをして差し上げている時、
「淑景舎はお見かけしたことはあるか」とお尋ねになられるので、
「まだでございます。御車寄せの日に、ただ後ろ姿ぐらいを、ちらっと」と申し上げますと、
「そこの、柱と屏風とのそばに寄って、私のうしろから、こっそり見なさい。とても愛らしい方よ」と仰せになられるので、うれしくなるし、拝見したさが募って、「早く、おいでになれば」と思う。
中宮様は紅梅の固紋、浮紋のお召物を、紅の御打衣三枚の上にじかに重ねてお召しになっていらっしゃるのを、
「紅梅の表着には濃い紫の打衣がいいのだけれど、それを着られないのが残念ね。今はもう、紅梅の衣などは着ない方がいい季節なのだわね。けれども、萌黄などは好きではないのでねぇ・・・。やはり紅の打衣には合わないかしら」
などと仰せになられますが、ただただ、とてもすばらしくお見えになる。
お召しになる御衣装の何色にでも、そのままぴったりとお顔がよくおうつりになりますものですから、
「やはり、もうお一人のすばらしいお方も、このような風でいらっしゃるのかしら」と、お目にかかりたい気持ちが増します。
中宮様は、それからお席へと膝行してお入りになったので、私は、すぐさま御屏風にぴったりと寄り添って覗くのを、
「失礼ではないの」
「はらはらするやり方だわ」
などと話しあっている、女房たちの声が聞こえるのも可笑しい。
お部屋が随分広く開いているので、とてもよく見えます。
奥方は、白いお召物を何枚かに、紅で糊のきいた打衣を二枚だけお召しで、女房としての裳なのでしょうか、腰につけて(中宮の母であるが、臣下としての服装をしている)、母屋の方によって、東向きに座っておいでなので、ほんの少しお召物などだけが見えます。
淑景舎の君は、北に少し寄って、南向きにおいでになる。紅梅の袿をたくさん、濃淡さまざまに重ねて、その上に濃紫の綾のお召物、少し赤味がかった小袿は蘇芳色の織物で、萌黄色の若々しい固紋の表着をお召しになって、扇でぴったりとお顔を隠していらっしゃるのが、何とも、実にすばらしく、愛らしい様子をしていらっしゃいます。
関白殿は、薄い紫色の御直衣、萌黄色の織物の指貫、下に紅の御袿を何枚か召され、直衣の御紐をきちんと締めて、廂の間の柱に背を当てて、こちら向きに座っていらっしゃいます。姫さまたちのすばらしいご様子を前に、にこにこしながら、いつものように冗談をおっしゃっていらっしゃいます。
淑景舎の君が、とても愛らしげに絵に描いてあるようにきちんとお座りになられているのに対して、中宮様はごくゆったりとしていて、もう少し大人びておいでになられるご表情が、紅のお召物に美しく照り映えていらっしゃるところは、「さすがに、匹敵する方は絶対にない」と思われるほどにお見受けいたします。
朝の御手水を差し上げる。
あちらの淑景舎の御方のは、宣耀殿、貞観殿を通って、童二人、下仕え四人で、お持ちするようです。
片廂のこちらの廊には、女房が六人ばかり伺候しています。「廊が狭い」ということで、半数は前夜淑景舎の君をお送りしてきたあと、皆帰ってしまったのです。
童女が桜重ねの汗衫、下仕えが萌黄色、紅梅色などの着物が色とりどりで、髪を長く引いて、御手水を次々手渡しでお運びするのが、とても優美で奥ゆかしい。
あちらの女房たちの織物の唐衣がいくつか、御簾からこぼれ出ていて、相尹の馬の頭の娘である少将、北野宰相の娘である宰相の君などが廊近くに座っている。
「すばらしい」と見ているうちに、こちらの中宮様の御手水は、当番の采女が、青裾濃の裳、唐衣、裙帯(クタイ)、領布(ヒレ)などを着けて、顔を白粉で真っ白に化粧して、下仕えなどが取り次いで差し上げる時の様子は、これもまた、格式ばった唐風で、結構なものです。
朝のお食事の時になって、御髪あげの女官が参上して中宮様の御髪をあげ、女蔵人たちが髪を結いあげた姿で、中宮様にお食事を差し上げる時は、今まで隔ててあった御屏風も押しあけてしまったので、覗き見していた私は、隠れ蓑を取られたような気がして、もっと見ていたいのに残念なので、御簾と几帳との間で、柱の外から見させていただく。
私の着物の裾や裳などは御簾の外にすっかりはみ出しているので、関白殿が端の方からお見つけになって、
「あれは、誰だろう。あの御簾の間から見えるのは」と、お咎めになられますと、
「少納言が、珍しいもの見たさで、あそこに控えているのでしょう」
と、中宮様が関白殿に申し上げられますと、
「ああ、恥ずかしいことよ。あの人とは古いなじみだよ。きっと、『随分不細工な娘たちを持っている』とでも、見ておるに違いない」
などとおっしゃるご様子は、いかにも得意そうです。
(以下その2に続く)
淑景舎、春宮にまゐりたまふほどのことなど、いかが、めでたからぬことなし。
正月十日にまゐりたまひて、御文などは繁う通へど、まだ御対面はなきを、二月十余日、宮の御方にわたりたまふべき御消息あれば、常よりも、御しつらひ、心ことにみがきつくろひ、女房など、みな用意したり。
夜半ばかりにわたらせたまひしかば、いくばくもあらで、明けぬ。
登花殿の、東の廂の二間に、御しつらひはしたり。宵にわたらせたまひて、またの日はおはしますべければ、女房は、御膳宿に向かひたる渡殿に、さぶらふべし。
殿・上、暁に、一つ御車にてまゐりたまひにけり。
(以下割愛)
淑景舎(シゲイサ・道隆二女、中宮の妹、この時十五歳位)の君が東宮の妃としてお輿入れなされる時のことなどは、何から何まで、それはそれはすばらしいものでしたわ。
正月十日にお輿入れなされたあと、中宮様とお手紙などは頻繁にやりとりなさっていますが、まだご対面はありませんでしたが、二月十日過ぎの日に、中宮様の御方にお越しになる予定とのご連絡がありましたので、いつもよりもお部屋の準備を特別入念に磨きをかけて整え、女房なども、皆とても緊張しておりました。
夜中の頃にお越しになられたので、それから間もなくして、夜が明けました。
登花殿の東の廂の二間に、お迎えの支度はしてあります。前日の夜お越しになって、翌日は御滞在の予定だというので、淑景舎付きの女房は、御膳宿(オモノヤドリ・配膳室)と向かい合った渡殿に控えることになっています。
関白殿と奥方は、明け方に一つの御車で参内なさいました。
翌朝、とても早くに御格子をすべてお上げして、中宮様は、お部屋の南に、四尺の屏風を、西から東に御敷物を敷いて、北を正面に向けて立てて、そこに御畳や、御敷物ぐらいを置いて、御火鉢を差し上げてあるところにいらっしゃいます。
御屏風の南や、御帳台の前に、女房が大勢伺候しています。
まだこちらで、中宮様の御髪などのお手入れをして差し上げている時、
「淑景舎はお見かけしたことはあるか」とお尋ねになられるので、
「まだでございます。御車寄せの日に、ただ後ろ姿ぐらいを、ちらっと」と申し上げますと、
「そこの、柱と屏風とのそばに寄って、私のうしろから、こっそり見なさい。とても愛らしい方よ」と仰せになられるので、うれしくなるし、拝見したさが募って、「早く、おいでになれば」と思う。
中宮様は紅梅の固紋、浮紋のお召物を、紅の御打衣三枚の上にじかに重ねてお召しになっていらっしゃるのを、
「紅梅の表着には濃い紫の打衣がいいのだけれど、それを着られないのが残念ね。今はもう、紅梅の衣などは着ない方がいい季節なのだわね。けれども、萌黄などは好きではないのでねぇ・・・。やはり紅の打衣には合わないかしら」
などと仰せになられますが、ただただ、とてもすばらしくお見えになる。
お召しになる御衣装の何色にでも、そのままぴったりとお顔がよくおうつりになりますものですから、
「やはり、もうお一人のすばらしいお方も、このような風でいらっしゃるのかしら」と、お目にかかりたい気持ちが増します。
中宮様は、それからお席へと膝行してお入りになったので、私は、すぐさま御屏風にぴったりと寄り添って覗くのを、
「失礼ではないの」
「はらはらするやり方だわ」
などと話しあっている、女房たちの声が聞こえるのも可笑しい。
お部屋が随分広く開いているので、とてもよく見えます。
奥方は、白いお召物を何枚かに、紅で糊のきいた打衣を二枚だけお召しで、女房としての裳なのでしょうか、腰につけて(中宮の母であるが、臣下としての服装をしている)、母屋の方によって、東向きに座っておいでなので、ほんの少しお召物などだけが見えます。
淑景舎の君は、北に少し寄って、南向きにおいでになる。紅梅の袿をたくさん、濃淡さまざまに重ねて、その上に濃紫の綾のお召物、少し赤味がかった小袿は蘇芳色の織物で、萌黄色の若々しい固紋の表着をお召しになって、扇でぴったりとお顔を隠していらっしゃるのが、何とも、実にすばらしく、愛らしい様子をしていらっしゃいます。
関白殿は、薄い紫色の御直衣、萌黄色の織物の指貫、下に紅の御袿を何枚か召され、直衣の御紐をきちんと締めて、廂の間の柱に背を当てて、こちら向きに座っていらっしゃいます。姫さまたちのすばらしいご様子を前に、にこにこしながら、いつものように冗談をおっしゃっていらっしゃいます。
淑景舎の君が、とても愛らしげに絵に描いてあるようにきちんとお座りになられているのに対して、中宮様はごくゆったりとしていて、もう少し大人びておいでになられるご表情が、紅のお召物に美しく照り映えていらっしゃるところは、「さすがに、匹敵する方は絶対にない」と思われるほどにお見受けいたします。
朝の御手水を差し上げる。
あちらの淑景舎の御方のは、宣耀殿、貞観殿を通って、童二人、下仕え四人で、お持ちするようです。
片廂のこちらの廊には、女房が六人ばかり伺候しています。「廊が狭い」ということで、半数は前夜淑景舎の君をお送りしてきたあと、皆帰ってしまったのです。
童女が桜重ねの汗衫、下仕えが萌黄色、紅梅色などの着物が色とりどりで、髪を長く引いて、御手水を次々手渡しでお運びするのが、とても優美で奥ゆかしい。
あちらの女房たちの織物の唐衣がいくつか、御簾からこぼれ出ていて、相尹の馬の頭の娘である少将、北野宰相の娘である宰相の君などが廊近くに座っている。
「すばらしい」と見ているうちに、こちらの中宮様の御手水は、当番の采女が、青裾濃の裳、唐衣、裙帯(クタイ)、領布(ヒレ)などを着けて、顔を白粉で真っ白に化粧して、下仕えなどが取り次いで差し上げる時の様子は、これもまた、格式ばった唐風で、結構なものです。
朝のお食事の時になって、御髪あげの女官が参上して中宮様の御髪をあげ、女蔵人たちが髪を結いあげた姿で、中宮様にお食事を差し上げる時は、今まで隔ててあった御屏風も押しあけてしまったので、覗き見していた私は、隠れ蓑を取られたような気がして、もっと見ていたいのに残念なので、御簾と几帳との間で、柱の外から見させていただく。
私の着物の裾や裳などは御簾の外にすっかりはみ出しているので、関白殿が端の方からお見つけになって、
「あれは、誰だろう。あの御簾の間から見えるのは」と、お咎めになられますと、
「少納言が、珍しいもの見たさで、あそこに控えているのでしょう」
と、中宮様が関白殿に申し上げられますと、
「ああ、恥ずかしいことよ。あの人とは古いなじみだよ。きっと、『随分不細工な娘たちを持っている』とでも、見ておるに違いない」
などとおっしゃるご様子は、いかにも得意そうです。
(以下その2に続く)