雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

淑景舎、春宮にまゐりたまふ・・その1

2014-11-11 08:01:14 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第九十九段  淑景舎、春宮にまゐりたまふ・・その1

淑景舎、春宮にまゐりたまふほどのことなど、いかが、めでたからぬことなし。
正月十日にまゐりたまひて、御文などは繁う通へど、まだ御対面はなきを、二月十余日、宮の御方にわたりたまふべき御消息あれば、常よりも、御しつらひ、心ことにみがきつくろひ、女房など、みな用意したり。

夜半ばかりにわたらせたまひしかば、いくばくもあらで、明けぬ。
登花殿の、東の廂の二間に、御しつらひはしたり。宵にわたらせたまひて、またの日はおはしますべければ、女房は、御膳宿に向かひたる渡殿に、さぶらふべし。
殿・上、暁に、一つ御車にてまゐりたまひにけり。
         (以下割愛)


淑景舎(シゲイサ・道隆二女、中宮の妹、この時十五歳位)の君が東宮の妃としてお輿入れなされる時のことなどは、何から何まで、それはそれはすばらしいものでしたわ。
正月十日にお輿入れなされたあと、中宮様とお手紙などは頻繁にやりとりなさっていますが、まだご対面はありませんでしたが、二月十日過ぎの日に、中宮様の御方にお越しになる予定とのご連絡がありましたので、いつもよりもお部屋の準備を特別入念に磨きをかけて整え、女房なども、皆とても緊張しておりました。

夜中の頃にお越しになられたので、それから間もなくして、夜が明けました。
登花殿の東の廂の二間に、お迎えの支度はしてあります。前日の夜お越しになって、翌日は御滞在の予定だというので、淑景舎付きの女房は、御膳宿(オモノヤドリ・配膳室)と向かい合った渡殿に控えることになっています。
関白殿と奥方は、明け方に一つの御車で参内なさいました。

翌朝、とても早くに御格子をすべてお上げして、中宮様は、お部屋の南に、四尺の屏風を、西から東に御敷物を敷いて、北を正面に向けて立てて、そこに御畳や、御敷物ぐらいを置いて、御火鉢を差し上げてあるところにいらっしゃいます。
御屏風の南や、御帳台の前に、女房が大勢伺候しています。

まだこちらで、中宮様の御髪などのお手入れをして差し上げている時、
「淑景舎はお見かけしたことはあるか」とお尋ねになられるので、
「まだでございます。御車寄せの日に、ただ後ろ姿ぐらいを、ちらっと」と申し上げますと、
「そこの、柱と屏風とのそばに寄って、私のうしろから、こっそり見なさい。とても愛らしい方よ」と仰せになられるので、うれしくなるし、拝見したさが募って、「早く、おいでになれば」と思う。

中宮様は紅梅の固紋、浮紋のお召物を、紅の御打衣三枚の上にじかに重ねてお召しになっていらっしゃるのを、
「紅梅の表着には濃い紫の打衣がいいのだけれど、それを着られないのが残念ね。今はもう、紅梅の衣などは着ない方がいい季節なのだわね。けれども、萌黄などは好きではないのでねぇ・・・。やはり紅の打衣には合わないかしら」
などと仰せになられますが、ただただ、とてもすばらしくお見えになる。
お召しになる御衣装の何色にでも、そのままぴったりとお顔がよくおうつりになりますものですから、
「やはり、もうお一人のすばらしいお方も、このような風でいらっしゃるのかしら」と、お目にかかりたい気持ちが増します。

中宮様は、それからお席へと膝行してお入りになったので、私は、すぐさま御屏風にぴったりと寄り添って覗くのを、
「失礼ではないの」
「はらはらするやり方だわ」
などと話しあっている、女房たちの声が聞こえるのも可笑しい。
お部屋が随分広く開いているので、とてもよく見えます。
奥方は、白いお召物を何枚かに、紅で糊のきいた打衣を二枚だけお召しで、女房としての裳なのでしょうか、腰につけて(中宮の母であるが、臣下としての服装をしている)、母屋の方によって、東向きに座っておいでなので、ほんの少しお召物などだけが見えます。
淑景舎の君は、北に少し寄って、南向きにおいでになる。紅梅の袿をたくさん、濃淡さまざまに重ねて、その上に濃紫の綾のお召物、少し赤味がかった小袿は蘇芳色の織物で、萌黄色の若々しい固紋の表着をお召しになって、扇でぴったりとお顔を隠していらっしゃるのが、何とも、実にすばらしく、愛らしい様子をしていらっしゃいます。

関白殿は、薄い紫色の御直衣、萌黄色の織物の指貫、下に紅の御袿を何枚か召され、直衣の御紐をきちんと締めて、廂の間の柱に背を当てて、こちら向きに座っていらっしゃいます。姫さまたちのすばらしいご様子を前に、にこにこしながら、いつものように冗談をおっしゃっていらっしゃいます。
淑景舎の君が、とても愛らしげに絵に描いてあるようにきちんとお座りになられているのに対して、中宮様はごくゆったりとしていて、もう少し大人びておいでになられるご表情が、紅のお召物に美しく照り映えていらっしゃるところは、「さすがに、匹敵する方は絶対にない」と思われるほどにお見受けいたします。

朝の御手水を差し上げる。
あちらの淑景舎の御方のは、宣耀殿、貞観殿を通って、童二人、下仕え四人で、お持ちするようです。
片廂のこちらの廊には、女房が六人ばかり伺候しています。「廊が狭い」ということで、半数は前夜淑景舎の君をお送りしてきたあと、皆帰ってしまったのです。
童女が桜重ねの汗衫、下仕えが萌黄色、紅梅色などの着物が色とりどりで、髪を長く引いて、御手水を次々手渡しでお運びするのが、とても優美で奥ゆかしい。

あちらの女房たちの織物の唐衣がいくつか、御簾からこぼれ出ていて、相尹の馬の頭の娘である少将、北野宰相の娘である宰相の君などが廊近くに座っている。
「すばらしい」と見ているうちに、こちらの中宮様の御手水は、当番の采女が、青裾濃の裳、唐衣、裙帯(クタイ)、領布(ヒレ)などを着けて、顔を白粉で真っ白に化粧して、下仕えなどが取り次いで差し上げる時の様子は、これもまた、格式ばった唐風で、結構なものです。

朝のお食事の時になって、御髪あげの女官が参上して中宮様の御髪をあげ、女蔵人たちが髪を結いあげた姿で、中宮様にお食事を差し上げる時は、今まで隔ててあった御屏風も押しあけてしまったので、覗き見していた私は、隠れ蓑を取られたような気がして、もっと見ていたいのに残念なので、御簾と几帳との間で、柱の外から見させていただく。
私の着物の裾や裳などは御簾の外にすっかりはみ出しているので、関白殿が端の方からお見つけになって、
「あれは、誰だろう。あの御簾の間から見えるのは」と、お咎めになられますと、
「少納言が、珍しいもの見たさで、あそこに控えているのでしょう」
と、中宮様が関白殿に申し上げられますと、
「ああ、恥ずかしいことよ。あの人とは古いなじみだよ。きっと、『随分不細工な娘たちを持っている』とでも、見ておるに違いない」
などとおっしゃるご様子は、いかにも得意そうです。

                                (以下その2に続く)
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淑景舎、春宮にまゐりたまふ・・その2

2014-11-11 08:00:58 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          (その1からの続き)

あちらの淑景舎の君にもお食事を差し上げる。
「うらやましいねぇ。どちら様も、皆さんお膳が出たようだ。早く召し上がって、じじやばばにも、せめてお下がりなりとください」(自分たちを物乞いの爺婆にたとえて皆を笑わせている)
などと、関白殿は一日中、こっけいな冗談を言っておいでになるうちに、大納言(関白の三男伊周)と三位の中将(四男隆家)が、松君(伊周の長男)を連れて参上してこられました。
関白殿は待ちかねたかのように松君をお抱き取りになって、膝の上にお座らせになっていらっしゃる。その松君の可愛らしいこと。狭い縁に、関白殿は正装のため仰山な御衣装なので、下襲などが無造作に引き散らされています。
大納言殿は堂々たる風采で美しく、中将殿はとても精悍な感じで、どちらもご立派なのを拝見するするにつけても、関白殿は当然のこととして、奥方のご果報というものは実にすばらしいものです。
「御敷物を」などと奥方がおすすめ申し上げなさるも、
「陣の座に出席いたしますので」と言って、大納言殿は急いで座を立っておしまいになられました。

しばらくたって、式部の丞某という者が、天皇の御使いとして参上したので、配膳室の北に寄っている間に、敷物を差し出して座らせました。
中宮様からの御返事は、すぐにお出しになられました。
まだ、その敷物も中に取り入れないうちに、東宮から淑景舎の君への御使いとして、周頼の少将が参上しました。
あちらの渡殿は狭い縁なので、こちらの縁に別の敷物を差し出しました。
東宮のお手紙を中に取り入れて、関白殿、奥方、中宮様など順にご覧になられる。

関白殿から、「ご返事を早く」とお言葉がありましたが、淑景舎の君はすぐにはご返事申し上げなさらないのを見て、
「誰かが見ておりますので、お書きにならないそうな。そうでない時は、こちらの方から、ひっきりなしにお手紙を差し上げになるらしい」
などと関白殿が申し上げられますと、淑景舎の君は、お顔を少し赤くして、ちょっとはにかんで微笑んでいらっしゃるのは、とてもすばらしいご様子です。
「冗談ではありませんよ、さあ早く」などと、奥方も申されますので、向こうをむいてお書きになる。奥方は近くにお寄りになって、お手伝いをしてお書かせになられましたので、ますますお恥ずかしそうでいらっしゃる。

中宮様のお心付けで、萌黄の織物の小袿、袴を御使いへの禄として、縁の方へ差し出されましたので、三位の中将が御使いに授けられる。御使者は肩に掛けられて、重さで首が苦しいのでしょう、手を添えて立ち上がる。
松君が、可愛い声で何かおっしゃるのを、誰も彼もが、可愛いいとほめそやしておられる。
「『中宮様の御子たちだ』と言って人前に出したって、おかしいことはございませんよ」などと、関白殿が仰せられるのを承るにつけ、
「全く、、どうして、中宮様には今までおめでたがないのか」と思いましてね、気がかりなことです。

羊の時(午後二時頃)ぐらいに、「筵道(エンドウ・貴人の通行の際に、通路などに敷いたムシロ)をお敷きします」などと声がすると間もなく、天皇がお召物の衣ずれの音をおさせになってお入りになられたので、中宮様も母屋の方にお入りになられました。
そのまま、御帳台にお二方がお入りになられたので、母屋の女房も遠慮して南の廂に皆衣ずれの音をさせて出て行くようです。
廊に殿上人がとても大勢います。関白殿は、御前に中宮職の役人をお呼びになって、
「果物や酒の肴などをご馳走されよ。皆を酔わせるのだ」などと仰せになる。
本当に皆酔って、南の廂の女房と話をかわす頃は、互いに「楽しい」という気分になっているようです。

日が入るころに、天皇はお起きになって、山の井の大納言(中宮の異腹の兄道頼)をお呼び入れになり、お召替えをされて、お帰りになられる。
桜の御直衣に紅の御衣を召しておいでの、夕日に一層映えた天皇の御姿などもすばらしいが、畏れ多いのでこれ以上書くのは控えましょう。

山の井の大納言はそれほど御縁の深くない御兄としては、中宮様はとても仲良くしておられる方ですよ。お美しさという点では、こちらの大納言(伊周)にもまさっていらっしゃるのに、とかく、世間の人はしきりに悪くゆがめて噂するのが、ほんとにお気の毒です。
関白殿、大納言、山の井の大納言、三位の中将、内蔵頭などが天皇のお供を申し上げなさる。

中宮様が今夜清涼殿にお上りなさるようにとの天皇の御使いとして、馬の典侍(ナイシノスケ)が参上してきました。
「今宵は、とても無理だわ」
などと、中宮様がお渋りになられるのを、関白殿がお聞きになられて、
「それは、とてもよくないことだ。早くお上りなさいませ」
と申し上げられていると、東宮の御使いもたびたび見えるので、とても騒がしい。お迎えに、女房、東宮の侍従などという人も参上して、
「早く」とお急がせになっている。

「ともかく、それでは、淑景舎の君をあちらへお帰し申し上げてから、私も参上しましょう」
と関白殿に中宮様が仰せになると、
「そうおっしゃっても、どうして私が先に参れましょう」と淑景舎の君のお言葉があるのを、
「お見送りしますわよ」
などと、御姉妹で譲り合う光景も、幸せいっぱいの様子で、いいものでした。

「それならば、遠いお方を先にお帰しした方がよいだろう」
ということで、淑景舎の君がお帰りになられる。
関白殿などが、そのお供からお戻りになられてから、中宮様は参上なさいました。
そのお供の道中も、関白殿のおどけたご冗談に、私たち女房たちなどは笑いころげて、あやうく橋から落ちてしまうところでした。


関白道隆はこの時四十三歳。中関白家道隆にとっても、中宮定子にとっても、まさに絶頂期の出来事が描かれています。
天皇の中宮と東宮の女御という美しい姉妹が対面する様子が、見事に描かれていて、少納言さまにとっては、何としても後世に残し伝えておきたい光景だったのではないでしょうか。
絶頂期にあった道隆がこの世を去るのは、この時から僅か二か月足らず後のことなのです。
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