枕草子 第九十七段 中納言まゐりたまひて
中納言まゐりたまひて、御扇たてまつらせたまふに、
「隆家こそ、いみじき骨は得てはべれ。それを張らせて、進(マイ)らせむとするに、おぼろけの紙は、得張るまじければ、もとめはべるなり」
と申したまふ。
「いかやうにかある」
と、問ひきこえさせたまへば、
「すべて、いみじうはべり。『さらにまだ見ぬ。骨のさまなり』となむ、人々申す。まことに、かばかりのは見えざりつ」
と、言高くのたまへば、
「さては、扇にはあらで、海月のななり」
ときこゆれば、
「これは、隆家が言にしてむ」
とて、笑ひたまふ。
かやうの事こそは、かたはらいたき事のうちに入れつべけれど、「一つな落しそ」といへば、いかがはせむ。
中納言(中宮の弟)が参上なさって、御扇を中宮様にお差し上げになられます時に、
「この隆家は、すばらしい扇の骨を手に入れたのですよ。その骨に紙を張らせて進上させていただこうと考えているのですが、いい加減な紙などはとても張るわけにはいきませんので、探しているのです」
と申し上げられる。
「いったいどのようなものなの」
と中宮様がおたずねなさいますと、
「ともかく、すばらしいのです。『全く見たこともない骨の見事さだ』と人々が申します。本当に、これほどのものは見たことがありません」
と、声高におっしゃいますので、
「そういうことですと、扇の骨ではなくて、くらげの骨なのですね」
と私が申し上げますと、
「これは、隆家が言ったことにしてしまおう」
と言って、お笑いになる。
このようなことは、かたはらいたき事(苦々しい自慢話)の中に入れてしまうべきなのですが、「一つだって書き落とさないで欲しい」と人が言うものですから、仕方なく書き残しておきます。
隆家が、十七、八歳(数え年)の頃の逸話のようです。
中宮は二歳上で、繁栄の絶頂期にある若々しい姉と弟の和やかな場面です。
「海月の骨」とは、なかなかの名文句だと思うのですが、さすがに少納言さまも少々面映ゆいのか、最後の部分で言い訳されているあたり、それこそ「いとをかし」ですよね。
中納言まゐりたまひて、御扇たてまつらせたまふに、
「隆家こそ、いみじき骨は得てはべれ。それを張らせて、進(マイ)らせむとするに、おぼろけの紙は、得張るまじければ、もとめはべるなり」
と申したまふ。
「いかやうにかある」
と、問ひきこえさせたまへば、
「すべて、いみじうはべり。『さらにまだ見ぬ。骨のさまなり』となむ、人々申す。まことに、かばかりのは見えざりつ」
と、言高くのたまへば、
「さては、扇にはあらで、海月のななり」
ときこゆれば、
「これは、隆家が言にしてむ」
とて、笑ひたまふ。
かやうの事こそは、かたはらいたき事のうちに入れつべけれど、「一つな落しそ」といへば、いかがはせむ。
中納言(中宮の弟)が参上なさって、御扇を中宮様にお差し上げになられます時に、
「この隆家は、すばらしい扇の骨を手に入れたのですよ。その骨に紙を張らせて進上させていただこうと考えているのですが、いい加減な紙などはとても張るわけにはいきませんので、探しているのです」
と申し上げられる。
「いったいどのようなものなの」
と中宮様がおたずねなさいますと、
「ともかく、すばらしいのです。『全く見たこともない骨の見事さだ』と人々が申します。本当に、これほどのものは見たことがありません」
と、声高におっしゃいますので、
「そういうことですと、扇の骨ではなくて、くらげの骨なのですね」
と私が申し上げますと、
「これは、隆家が言ったことにしてしまおう」
と言って、お笑いになる。
このようなことは、かたはらいたき事(苦々しい自慢話)の中に入れてしまうべきなのですが、「一つだって書き落とさないで欲しい」と人が言うものですから、仕方なく書き残しておきます。
隆家が、十七、八歳(数え年)の頃の逸話のようです。
中宮は二歳上で、繁栄の絶頂期にある若々しい姉と弟の和やかな場面です。
「海月の骨」とは、なかなかの名文句だと思うのですが、さすがに少納言さまも少々面映ゆいのか、最後の部分で言い訳されているあたり、それこそ「いとをかし」ですよね。