枕草子 第八十五段 宮の五節出ださせたまふに
宮の、五節出だせたまふに、かしづき十二人。
異どころには、「女御・御息所の御方の人出だすをば、わるきことになむする」ときくを、いかに思すにか、宮の御方を十人は出ださせたまひ、いま二人は、女院・淑景舎の人、やがてはらからどちなり。
(以下割愛)
中宮様が、その御もとから五節の舞姫をお出しになられるのに、介添えの女房が十二人付きました。
よそでは、「女御や御息所にお仕えする女房を出すのを、良くないことにしている」と聞くのに、どうお考えなのでしょうか、中宮方の女房を十人もお出しになられる。あとのもう二人は、女院と淑景舎の女房で、その二人は姉妹の間柄です。(何故良くないのかは、はっきりしない)
中宮様は、節会の当日の辰の日の夜に舞姫が着る青摺りの唐衣や汗衫を、これらの女房や童女全員にお着せになられました。このことは、中宮付きの他の女房にさえ前もって知らせないで、外の人には特に秘密にして、他の人々がすっかり装束を付け終わって、あたりが暗くなった頃に、青摺りの衣を持って来て、お着せになりました。
赤紐を品よく結び下げて、たいそう艶出しされた白い衣、それに型木で摺るのが通例の紋様を、手描きされているのです。各自の装束の織物の唐衣の上にこれを重ねて着ているのは、まことに珍しく、中でも、汗衫を着た童女は他の人よりさらに優雅に見えます。
下仕えの女までが青摺りを着て簾際に居並んでいるので、殿上人、上達部は、驚きそして面白がって、「小忌の女房」とあだ名をつけられましたが、本当の小忌の若君たちは簾の外に座っていて、中の女房と話をしたりなどしています。
「五節の局を、辰の日の日も暮れないうちから全部取り壊して明けはなってしまい、介添え人たちをみっともない格好で居させるのは、大変奇妙なことです。やはり、辰の日の夜までは、きちんとしたままで置きたいものね」と、中宮様が仰せられましたので、介添えの女房たちは追い立てられるようなこともなく、几帳の隙間などをそれぞれ綴じ合わせて、袖口などを局の外にこぼれ出させて美しく座っています。
小兵衛という介添えの女房が、赤紐が解けているのを、そばの女房に、
「これを結んでほしいのだけれど」と言うと、
外にいた実方の中将が御簾のきわに近寄って結び直すのですが、何か意味ありげなのです。
「あしひきの山井の水はこほれるを
いかなる紐の解くるなるらむ」
(山の湧き水が凍っている冬なのに、一体どういう紐『氷も、との掛け詞』が解けるというのですか)
と、思った通り、実方の中納言は詠みかけます。
小兵衛は年若い人で、しかもこんなに人目の多いところなので、言いにくいのでしょうね、返歌もしないのです。また、そばにいる女房たちも、そのまま見過ごすばかりで何とも云わないので、中宮職の役人たちは、今に返歌があるものと、耳をすまして聞いていましたが、時間がかかりそうなのが気がかりで、五節の局に別の方から入って、女房のそばによって、
「どうして返歌をせずにおいでなのか」などと囁いているようです。
私は小兵衛とは四人ばかり隔てて座っていましたので、
「返歌をうまく思いついたとしても声を掛けにくい。まして、歌詠みと名高い人の歌には、余程よく出来たものでなければ、言い出したりは出来ない」と、気後れするのが何とも情けないことです。
一人前に歌を詠む人であれば、そうではないはずです。それほど立派な出来でなくても、間髪をいれずに口に出すものでしょう。
中宮職の役人がやきもきして指先を鳴らしまわるのも、気の毒なので、
「うは氷あはにむすべるひもなれば
かざす日かげにゆるぶばかりを」
(水面の氷は薄く凍っているので、「ひかげのかずら」をかざす小忌の君達に会うと、この紐も解けてしまうのですよ・・「淡く結んだ紐」と「薄く凍った氷」を掛けている)
と、弁のおもとという女房に中継ぎさせて伝えさせましたが、恥かしがるばかりで満足に詠み上げることも出来ないので、実方の中将は、
「何ですって・・・、何ですって」と御簾越しに耳を傾けて聞き返すのですが、もともと少し言葉がつかえる癖のある人なのに、たいそう気取って「すばらしいと思われるように詠もう」としたものですから、とうとう実方の中将は聞きとることも出来ないで終わってしまったのですが、かえって下手な歌を詠んだ私の恥が隠れる思いがしまして、結構なことでした。
舞姫が御殿に上がるのを送って行く時も、
「気分がすぐれない」と言って行こうとしない女房をも、中宮様が厳しく仰せられたので、いる限りの女房がこの五節所に連れ立って行ったものですから、他から出ている舞姫と違って、あまりにも賑やかすぎたようでした。
中宮様から出された舞姫は、相尹の馬の頭の娘で、染殿の式部卿の宮の妃の御妹の四の君の御腹であり、十二歳であってとても明るく愛らしげでありました。
最後の夜も、疲れ果てた舞姫を背負って退出するといった騒ぎもありませんでした。
舞の終わったあと、そのまま仁寿殿を通って、清涼殿の御前の東の縁側から、舞姫を先に立てて、中宮様の弘徽殿の御局へ参上した時も、大変楽しいものでした。
五節の舞姫を中宮様がお出しになった時の様子が、華やかに描かれている章段です。少納言さまが仕える中宮定子の一家が、最も権勢を誇っていた頃のことだと思われます。
それにしても、中宮様の力の入れ方は尋常ではないように感じられます。
また、実方の中将への返歌に関するあたりの記述は、謙遜の言葉はあるとしても、少納言さまは和歌にも相当の自信があったと考えられるのですが、今日に伝えられている和歌が少ないのは不思議なことです。
宮の、五節出だせたまふに、かしづき十二人。
異どころには、「女御・御息所の御方の人出だすをば、わるきことになむする」ときくを、いかに思すにか、宮の御方を十人は出ださせたまひ、いま二人は、女院・淑景舎の人、やがてはらからどちなり。
(以下割愛)
中宮様が、その御もとから五節の舞姫をお出しになられるのに、介添えの女房が十二人付きました。
よそでは、「女御や御息所にお仕えする女房を出すのを、良くないことにしている」と聞くのに、どうお考えなのでしょうか、中宮方の女房を十人もお出しになられる。あとのもう二人は、女院と淑景舎の女房で、その二人は姉妹の間柄です。(何故良くないのかは、はっきりしない)
中宮様は、節会の当日の辰の日の夜に舞姫が着る青摺りの唐衣や汗衫を、これらの女房や童女全員にお着せになられました。このことは、中宮付きの他の女房にさえ前もって知らせないで、外の人には特に秘密にして、他の人々がすっかり装束を付け終わって、あたりが暗くなった頃に、青摺りの衣を持って来て、お着せになりました。
赤紐を品よく結び下げて、たいそう艶出しされた白い衣、それに型木で摺るのが通例の紋様を、手描きされているのです。各自の装束の織物の唐衣の上にこれを重ねて着ているのは、まことに珍しく、中でも、汗衫を着た童女は他の人よりさらに優雅に見えます。
下仕えの女までが青摺りを着て簾際に居並んでいるので、殿上人、上達部は、驚きそして面白がって、「小忌の女房」とあだ名をつけられましたが、本当の小忌の若君たちは簾の外に座っていて、中の女房と話をしたりなどしています。
「五節の局を、辰の日の日も暮れないうちから全部取り壊して明けはなってしまい、介添え人たちをみっともない格好で居させるのは、大変奇妙なことです。やはり、辰の日の夜までは、きちんとしたままで置きたいものね」と、中宮様が仰せられましたので、介添えの女房たちは追い立てられるようなこともなく、几帳の隙間などをそれぞれ綴じ合わせて、袖口などを局の外にこぼれ出させて美しく座っています。
小兵衛という介添えの女房が、赤紐が解けているのを、そばの女房に、
「これを結んでほしいのだけれど」と言うと、
外にいた実方の中将が御簾のきわに近寄って結び直すのですが、何か意味ありげなのです。
「あしひきの山井の水はこほれるを
いかなる紐の解くるなるらむ」
(山の湧き水が凍っている冬なのに、一体どういう紐『氷も、との掛け詞』が解けるというのですか)
と、思った通り、実方の中納言は詠みかけます。
小兵衛は年若い人で、しかもこんなに人目の多いところなので、言いにくいのでしょうね、返歌もしないのです。また、そばにいる女房たちも、そのまま見過ごすばかりで何とも云わないので、中宮職の役人たちは、今に返歌があるものと、耳をすまして聞いていましたが、時間がかかりそうなのが気がかりで、五節の局に別の方から入って、女房のそばによって、
「どうして返歌をせずにおいでなのか」などと囁いているようです。
私は小兵衛とは四人ばかり隔てて座っていましたので、
「返歌をうまく思いついたとしても声を掛けにくい。まして、歌詠みと名高い人の歌には、余程よく出来たものでなければ、言い出したりは出来ない」と、気後れするのが何とも情けないことです。
一人前に歌を詠む人であれば、そうではないはずです。それほど立派な出来でなくても、間髪をいれずに口に出すものでしょう。
中宮職の役人がやきもきして指先を鳴らしまわるのも、気の毒なので、
「うは氷あはにむすべるひもなれば
かざす日かげにゆるぶばかりを」
(水面の氷は薄く凍っているので、「ひかげのかずら」をかざす小忌の君達に会うと、この紐も解けてしまうのですよ・・「淡く結んだ紐」と「薄く凍った氷」を掛けている)
と、弁のおもとという女房に中継ぎさせて伝えさせましたが、恥かしがるばかりで満足に詠み上げることも出来ないので、実方の中将は、
「何ですって・・・、何ですって」と御簾越しに耳を傾けて聞き返すのですが、もともと少し言葉がつかえる癖のある人なのに、たいそう気取って「すばらしいと思われるように詠もう」としたものですから、とうとう実方の中将は聞きとることも出来ないで終わってしまったのですが、かえって下手な歌を詠んだ私の恥が隠れる思いがしまして、結構なことでした。
舞姫が御殿に上がるのを送って行く時も、
「気分がすぐれない」と言って行こうとしない女房をも、中宮様が厳しく仰せられたので、いる限りの女房がこの五節所に連れ立って行ったものですから、他から出ている舞姫と違って、あまりにも賑やかすぎたようでした。
中宮様から出された舞姫は、相尹の馬の頭の娘で、染殿の式部卿の宮の妃の御妹の四の君の御腹であり、十二歳であってとても明るく愛らしげでありました。
最後の夜も、疲れ果てた舞姫を背負って退出するといった騒ぎもありませんでした。
舞の終わったあと、そのまま仁寿殿を通って、清涼殿の御前の東の縁側から、舞姫を先に立てて、中宮様の弘徽殿の御局へ参上した時も、大変楽しいものでした。
五節の舞姫を中宮様がお出しになった時の様子が、華やかに描かれている章段です。少納言さまが仕える中宮定子の一家が、最も権勢を誇っていた頃のことだと思われます。
それにしても、中宮様の力の入れ方は尋常ではないように感じられます。
また、実方の中将への返歌に関するあたりの記述は、謙遜の言葉はあるとしても、少納言さまは和歌にも相当の自信があったと考えられるのですが、今日に伝えられている和歌が少ないのは不思議なことです。