雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

二月晦ごろに

2014-11-08 11:00:15 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百一段  二月晦ごろに

二月晦ごろに、風いたう吹きて、空いみじう黒きに、雪すこしうち散りたるほどに、黒戸に主殿寮来て、
「かうてさぶらふ」
といへば、寄りたるに、
「これ、公任の宰相殿の」
とてあるを見れば、懐紙に、
  すこし春ある心ちこそすれ
とあるは、げに、今日の気色に、いとようあひたる、「これが本は、いかでか付くべからむ」と、思ひわずらひぬ。

「誰々か」と問へば、
「それそれ」といふ。
「みな、いと恥づかしき中に、宰相の御いらへを、いかでか事無しびにいひ出でむ」
と、心一つに苦しきを、御前に御覧ぜさせむとすれど、主上のおはしまして、御殿ごもりたり。主殿寮は、
「疾く、疾く」といふ。

げに、遅うさへあらむは、いと取りどころなければ、「さばれ」とて、
  空寒み花に紛がへて散る雪に
と、わななくわななく書きて、取らせて、「いかに思ふらむ」と、わびし。
「これがことをきかばや」と思ふに、「譏られたらばきかじ」とおぼゆるを、
「俊賢の宰相など、『なほ、内侍に奏してなさむ』となむ、定めたまひし」
とばかりぞ、左兵衛督の、中将におはせし、語りたまひし。


二月の末ごろに、風がひどく吹いて、空はすっかり暗い状態で、雪が少しちらついている頃、黒戸に主殿寮(トノモヅカサ)の官人が来て、
「おじゃましております」
と言うので、私が御簾際に寄りますと、
「これは、公任の宰相殿のお手紙です」
と差し入れるのを見ると、懐紙に
   「少し春ある心地こそすれ」
と書いてあるのは、いかにも今日の天候に、実にうまくあっているのを、「これの上の句は、どうして付けられましょう」と思案にくれてしまいました。

殿上の間には、どのような方々がおいでなのか」と尋ねますと、
「これこれの方々」と言う。
「皆さま、ご立派な方々がお揃いの中に、宰相殿へのご返歌を、どうして通り一編に言い出せましょうか」と、自分の胸一つでは収捨がつかないので、中宮様にお目を通していただこうとしましたが、天皇がみえられていて、すでにおやすみになられていました。その上、主殿寮の官人は、
「早く早く」と急かせる。

確かに、下手な上に遅いようでは、全く取り柄がないものですから、「ままよ」と思って、
   「空寒み花にまがへて散る雪に」
と、ぶるぶる震える手で書いて渡しましたが、「どう思っているであろうか」と、心細い。
「この顛末を知りたいものだ」と思うのですが、「けなされたのなら聞きたくない」という気持ちもしていましたが、
「俊賢の宰相などは、『やはり、内侍(ナイシ・女官の最高位)にと任命を奏上しよう』とまでの評価をされましたよ」
とばかりに、左兵衛督(サヒョウエノカミ・藤原実成か?)が、その頃中将であられた方が、話して下さいました。



少納言さまご自慢のエピソードなのでしょう。
何せ、公任の宰相(藤原公任)といえば、当代切っての歌人ですから、さすがの少納言さまでも緊張されたことでしょう。自分の心理を細かく書かれていますが、決して誇張ではなかったのだと思われます。
なお、贈られてきた下の句は、白氏文集の一節に合わせたもので、少納言さまの返歌も、それを承知した上のものだったので絶賛されたのでしょう。

なお、「少納言さまを内侍に奏上しよう」という話がありますが、実際は、少納言さまは中宮の女房で正式の官職はなかったと思われますので、これは冗談として言われたのでしょうが、このことから、少納言さまは内侍よりは低い「命婦」相当の待遇であったと推定されます。
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