注目されていた米大統領選挙は、トランプ氏が圧倒的な強さを見せて勝利しました。
かなりの激戦が予想されていましたが、結果は、激戦州とされていた七つの州においても、全国の総投票数においても、トランプ氏が圧倒していて、予想以上に早く決着がつきました。
トランプ氏の勝利を受けて、日米共に株式市場は大きく上昇しました。これは、トランプ氏が勝利した場合のシナリオとして、市場では予想されていたことのようですが、こんなに上昇するほど良いことがあるのかと思わないでもありません。
おそらく、米国内においても、祝賀モードで大はしゃぎする人々を横目に見ながら、戦略の練り直しを考えている人も少なくないでしょうし、多くの国々の首脳方は、ある程度の覚悟はあったとしても、現実を目にして頭を抱えている人もいることでしょう。
きっと、わが国も同様なのではないでしょうか。
選挙制度は、民主主義政治の根幹をなす制度の一つだと思うのですが、国家により、時代により、様々に変化しています。
米国の大統領選挙もかなり個性があるように思われます。
また、二大政党による首班争いというのも大きな特徴です。英国もやはり二大政党による政権担当が続いていることもあってか、わが国でも、かなり熱っぽく二大政党論が語られた時期がありましたが、これまでのところ定着しそうな気配は薄いようです。
ただ、ここ数回の米大統領選挙を見ていると、どうも、国家を分断に導く可能性を感じてなりません。
米国にも、二大政党の他に多くの政党が存在しています。しかし、大統領選が始まる当初には、二大政党以外の候補者の名前を聞くことがありますが、数か月も経たないうちに、この二党の代表者を決める選挙戦に集約されています。
そこで、遅ればせながら、米国の共和党と民主党について勉強してみました。
民主党は、1828 年に第七代ジャクソン大統領の支持者たちによって設立された党で、現存している政党の中で世界で最古の歴史を有しています。
もともとは、独立宣言の起草者の一人でもある第三代ジェファーソン大統領が設立した民主共和党を母体としているようです。
主な大統領としては、第二次世界大戦を主導した第三十二代ルーズベルト大統領や跡を継いだトルーマン大統領がいますし、第三十五代ケネディ大統領は今も人気の高い人物です。
一方の共和党は、1854 年に、南部の奴隷制度に反対する北部の運動の連合体として結党され、1860 年に、第十六代リンカーン大統領を同党最初の大統領として誕生させています。第二次世界大戦後の第三十四代アイゼンハワー大統領も同党です。
このようにして誕生した両党ですが、設立当初は、民主党が保守的、共和党が進歩的とされていましたが、二十世紀の中頃にはこれが逆転して、現在では、民主党が進歩的、共和党が保守的とされています。
もっとも、多くの課題に対処していく政治の世界ですから、単純に何々的などと色分けするのは正しくないのでしょうが、現在の米国が、二大政党のそれぞれの支持者を中心に分断の危機にあることは多くの人が指摘しているところです。
もしかすると、これから四年間のトランプ大統領の最大の課題は、米国の最大の弱みになりつつあるこの危機を修正することではないでしょうか。
トランプ次期大統領には、その責務と、断行出来る可能性があると思うのです。
一方、わが国も政治的には混乱の時期に突入しつつあるような気がします。
その良し悪しはともかく、二大政党制など、遠い昔の話のような気がして、今は、「弱・弱・弱」の三すくみ政治になるのではと懸念しています。
何はともあれ、主義主張はともかく、現在のわが国にとって、経済・防衛など多くの点において米国軽視など出来るはずがないのですから、トランプ米国と対等とは言いませんが、きっちりと交渉出来る政権を作り、国民も支持出来る施策を進めてくれることを祈る気持ちで願っています。
『 靴を履く習慣のない国に派遣された二人の営業マン、一人は「靴を必要としない人々に靴が売れるはずがない」と報告し、もう一人は「みんな裸足です。靴はいくらでも売れます」と報告した。』
これは、ある時期かなり使われた、営業職や市場調査に当たる人などへの教材として使われたことがある有名なお話です。
この話を聞いて、「売れない」と判断した人と、「いくらでも売れる」と判断した人のどちらが積極的か、あるいは正しいかという事について、様々な意見や事例が広がっていきます。
例えば、「いくらでも売れる」と言った人は、その市場を任され、何人かのモニターに無料で靴を履かせたところ、一年後には数百足の靴を売ることが出来ました。ところが、「売れない」とした人は、既に靴を履く習慣はあるが劣悪な商品しか出回っていない国に行き出店したところ、一年で数千足を売り上げました。
この結果を見れば、「売れない」と判断した人の方が正しいということになります。
しかし、十年後には、この数字は逆転して、靴を履く習慣のなかった国での売り上げが、十倍以上になったというのです。
これも、ある有名な経営指導者の言葉ですが、「無能な者を並みの水準に引き上げるには大変な労力がいる。一流の者を超一流に育てる方がはるかに簡単だ」と教えています。ただ、その理論が正しいかどうか疑問に思うのは、超一流の管理職や経営者はそうそう簡単に生まれていないような気がするからです。
野球の指導者は、チーム強化の手段として、多くの人が全員野球を提唱するようです。ところが、本音は、全員に努力をさせるための手段にされているような気がしないでもありません。
先日の総選挙で躍進した国民民主党は大変な強気で、過半数割れに落ち込んだ自民党は、首班指名に向けて、同党のご機嫌取りに大変なように見えます。
特に、同党の看板政策とも言える、基礎控除を103万円から178万へという政策は、相当の減税効果があり、パートなどで働く人の稼働時間を広げるなど効果は大きいのですが、税収減が7兆円余りというのが本当だとすれば、財政は耐えられるのでしょうか。それに、納税していない人には全く影響がなく、そうした人たちの中には、相当厳しい生活を強いられている人も少なくありません。まさか、そうした人たちは放っておけばよい、と言うのではないと思いますし、いくらなりふり構わぬ自民党と言えども、この政策を丸呑みすることはないでしょうが、何事も、絶対正解というものはないようです。
先人たちは多くのすばらし言葉を残してくれています。
ごく身近で接した人たちの中にも、何かと教えられるものを与えてくれた人もいます。
私たちの知識や知恵の多くは、そうした人々から得た物が少なくありません。むしろ、ほとんどがそうだとも言えます。
しかし、いくらすばらしい言葉や教えであっても、所詮それはその人が身につけているものであって、その人にいくら有用であっても、誰にとっても生かせるというわけにはいきません。何事にも裏があり、真似る場合も完全に受け入れることなど出来ません。
そう考えれば、人の教えを自分のものにするのは至難のことだと思いますし、自分の思いや経験を、若い人に押しつけるようなことは慎重であるべきだと思うのです。
小さな小さな物語 目次
NO.1801 新しい朝
1802 人も逆送する
1803 誰のせいでもないが
1804 選択の自由
1805 散らぬ間に行け
1806 高齢者が優しい社会
1807 天使もいるが悪魔もいる
1808 謙虚であれ
1809 AパターンBパターン
1810 プチ政権交代か?
1811 アホとバカの境界線
1812 ブレない男
1813 一生懸命頑張ります
1814 無我の境地
1815 それにつけても金の欲しさよ
1816 どっこいしょ
1817 理想への道中
1818 田毎の月
1819 人間到る処青山あり
1820 新たな政治体制への転換点
衆議院選挙は、多くの予想を超えるものだったのではないでしょうか。
自民が議席を減らすということは予想されていましたが、ここまで凄まじい減少には少々驚きました。公明も大幅に議席を減らしましたが、様々な要因はあるとしても自民に足を引っ張られた面は否定できないでしょう。
維新は、公明の地盤を蹴散らして、大阪府の小選挙区19を全勝したのには凄さを感じましたが、全体としては議席を減少させました。橋下徹氏がその原因について述べられていましたが、全国政党としては惨敗だったのかもしれません。
立憲民主は、大幅増で大勝利と言えますが、さて、本当に自民の数々の不祥事の受け皿になったのか、検証が必要な気がします。むしろ、国民民主やれいわや参政各党などに、政治に対するやるせない気持ちの票を集めたような気もします。
素人が評論家もどきの意見を述べても仕方がありませんが、今回の選挙は、何とはなく大きな転換点になるのではないかという気がしてならないのです。
つまり、強大な自民勢力に対して、揚げ足を取るのが主戦力のように見えてしまう野党との対抗で国会の日程の多くが使われ、本当の論戦、政策の協同、と言ったことなどごくごく限られているといった状態から脱皮できるのか、それとも、自民を中心とした勢力、あるいは立憲民主を中心とした勢力、のいずれにしろ、与野党が入れ替わることがあっても、現状とあまり変らない国会運営が続くのか、与野党間で本気の協議が行われ政策に反映されるような政治風土構築に動くのか、そうした分岐点だと思うのです。
相手をこれでもかというほど非難し、自らを正義の味方のように増長していたかに見える人たちが、戦い終えたからといって、果してどれだけ実のある協議が出来るのか、期待するのは無理かもしれませんが。
「悪木盗泉」という言葉があります。「暑くても悪木の陰では休まない、渇しても盗泉の水は飲まない」といった意味です。
「盗泉」というのは、中国の山東省にあった泉の名前らしいのですが、孔子はこの名前を嫌って、その水を飲むのはもちろんのことその地に留まることさえ嫌ったという故事があり、中国三国時代の政治家であり文学者でもある陸機( 265 - 303 )がそれを題材にして詠んだ詩から生れた言葉のようです。
孔子の清廉潔白を称えようとしたものかどうか分りませんが、現代人であれば、名前がどうであれ、実害がないのであれば、暑いのであれば日陰に入らなくては熱中症になりますし、喉が渇いているのであれば水を飲まなくては命に関わる、と合理的に考える人も多いはずです。
しかし、これが政治の世界となれば、そうそう簡単にはいかないのでしょうね。
多くの国民の信託を受けてその身分を得た議員の方々ですが、残念ながら人格崇高な方々ばかりではないはずです。何も聖人君子を望んでいるわけではありませんが、国民の多くが、ごく普通に描いている程度の常識は習得し維持し続けて頂きたいものです。
ただ、残念ながら、お金を持てばお金に汚くなり、権限を持てばそれをもてあそぶ人を私たちはたくさん見てきています。当然、私たち自身も自覚する必要がありますが、権限ある公職にある人には、ぜひ初志を貫いて欲しいと願うのです。
折から、大波乱の選挙結果を受けて、首班指名が行われるまでは、各党間の交渉や綱引きが展開されることでしょう。清く正しく美しく、などとは望みませんが、国民に目を向けた真摯な協議が行われることを切に願っています。
先日行われたプロ野球のドラフト会議、毎年のように見ていますが、希望にあふれて飛び立とうとする若武者たちの姿に、そのお裾分けを頂戴したような気持ちになって楽しませてもらっています。
そして、これも毎年のようにですが、指名を待ち焦がれながら果たせなかった人や、意中の球団でなかった人たちの気持ちを思い、あるいは、これから入団が決まっていく人の数だけ、選手生活を打ち切ることになる人のことが気にかかります。
これもまた毎年のように、「『人間至る処に青山あり』だから、頑張れよ」と声をかけたくなります。
「人間(ジンカン/ニンゲン)到る処青山あり」という言葉の意味を、私は「人間が活動できる場所は、どこにでもある」といった意味で使っていますし、辞書などもそう説明しているものが多いようです。しかし、厳格に言いますと、少し意味が違うのかもしれません。
この言葉は、幕末の僧である月性(ゲッショウ・1817 - 1858 )の漢詩から引用されています。なお、西郷隆盛と入水自殺を図った月照とは別人です。
『 男児立志出郷関 学若無成死不還 埋骨豈惟墳墓地 人間到処有青山 』
「 男児志を立てて郷関を出づ 学もし成る無くんば
骨を埋(ウズ)むに何ぞ只墳墓の地のみならんや 人間到る処青山あり 」
( 墳墓の地は、先祖の眠る墓地。青山は、青々とすばらしい墓地。)
この詩の最後の部分からの引用です。
最後の部分だけを見れば、言葉の意味として間違っていないと思うのですが、詩そのものが訴えているのは、むしろ、初志を貫徹せよ、もしうまく行かなくてもおめおめと故郷に帰るな、人間どこであっても骨を埋める青々とした墓地はあるのだから、と言ったものだと思うのです。この詩は、月性が二十七歳の頃に詠んだものですから、決して、青年が勢いだけで詠んだものでもなく、相当の知識や経験を経たうえでのものだと考えますと、そうそう安易に使えないような気もしてしまいます。
月性は、周防国大島郡(現在の山口県柳井市)で生れました。実家は本願寺系の妙円寺というお寺です。ただ、月性の母は、この寺の長女ですが、他のお寺に嫁いでいましたが、不縁となり身重で実家に戻り、月性を生んだのです。
月性は、そのお寺でかなりやんちゃ坊主だったようですが、母親の指導もあって十三歳で得度し、十五歳の時に豊前国(福岡県)の私塾に入門し五年ほど学びました。この間に広島・佐賀・長崎・平戸などに行っており、この間に先進的な考えを見聞したようです。
二十三歳の時に帰京しますが、四年後に再び大坂に出て学ぶことになりました。この出立にあたって作られたのが掲題の詩です。
三十二歳の頃帰郷し、1848 年に妙円寺内に私塾「清狂草堂」を開設し、六十人ほどが学んでいます。その評判は高く「西の松下村塾、東の清狂草堂」と称されたと言います。
三十六歳の時、叔父の跡を継いで住職となり、その娘と結婚しています。
私塾では尊皇攘夷を中心とした教えを進め、特に海防の重要性を説き、藩政に対する改革意見を建白したときには、「長州藩こそ倒幕の主唱者たれ」と提言しているそうです。
吉田松陰などと親交があり、若者たちに少なからぬ影響を与えたようです。因みに吉田松陰は月性より十三歳年下でした。
1585 年 8 月末ごろ、萩に出掛ける途中の船中で急な腹痛に襲われ、自寺に引き返しましたが、十日ほど苦しんだ後亡くなりました。病死とされましたが、暗殺との噂もあったようです。
安政の大獄と呼ばれる弾圧が始まるのは、その死から三か月ほどしてのことです。
「人間到る処青山あり」という言葉には、「だから頑張りなさい」という言葉も付属しているように思われます。また、初志貫徹というのも、一度や二度の挫折によって投げ棄てて良いものではありませんが、自分が行く道はここしか無いと固執しすぎるのも考え物です。
若い人の夢は大きく突き進む力は逞しいものですが、齢を重ねるにつれて夢は小さくなり突き進む力が弱まることは否定できません。
しかし、反対に、歩いて行く道幅は少しずつ広がっていくもののようですよ。そして、それに従って、「人間到る処青山あり」という言葉の味わいが増してくるように思うのです。つまり、挫折の度に新しい『青山』を見ることが出来ると言うことかもしれませんよ。
昨日は、二十四節気の「霜降」でした。
言葉からは、晩秋を思わせる響きがあるのですが、ひんやりする日が一、二日はありましたが、まだ夏の陽気が頑張り続けています。
「木枯らし」というのは、関西では「『霜降』から『冬至』の間に吹く8m以上の北風」を指します。東京では、その期間が「10月半ばから11月末まで」のようですが、いずれも、冬の使者と言えます。
当地は、「霜降」と共に木枯らし登場かと思わせる強い風が吹きましたが、方向は南寄りで、お天気が悪いのに温度は夏日に向けて上昇しました。
天候のせいだけではないのでしょうが、今年はどうも季節感に鈍くなっているような気がしています。
中秋の名月はお天気に恵まれませんでしたし、この秋は彗星や流星群のニュースも盛んに伝えられていましたが、どちらもテレビで拝見するだけで終りそうです。
オリオン座流星群はまだチャンスがありそうですが、この数日は雲の多い日が続いています。「紫金山・アトラス彗星」は、見事な姿を見せてくれていましたが、こちらも直接お目にかかることが出来ませんでした。何でも、次にやって来るのは8万年先だそうですから、少々頑張っても、次にお目にかかるのは無理のようです。
すると、少し弱気になっているような私を励ますように、「田毎の月(タゴトノツキ)」という美しい言葉に出会いました。
『 姥捨ての棚田は国の「重要文化的景観」や「日本の棚田百選」に選定されています。聖山高原を背に、善光寺平を一望でき、標高は460mから560mに至ります。面積は40ha程度、今も小さな棚田が1500余りも連なり、郷愁あふれる風景をつくりだしています。』 (以上は、「信州千曲観光局」のホームページから使わせていただきました。)
月の美しい夜、1500枚の棚田にそれぞれ月が映っている様子を思い浮かべますと、先人のご苦労と、その環境を守っていく大変さが思いやられ、中秋の名月を見損なったことぐらいで、ぐずぐす言ってみる身が恥ずかしくなります。
実は、「田毎の月」が気になったのは、この言葉は俳句の季語にもなっていて、季節は「秋」であることを確認したかったからです。
そのことは漠然と知っていたのですが、「田毎の月」が最も美しく見えるのは、田植えの頃だと思うのですが、季語としては秋になっているのが疑問に感じたからです。おそらく、「月」を表現する一つとして「秋」にされたのではないでしょうか。
そして、上記のホームページにも紹介されていますように、「日本の棚田百選」というのがあることに驚きました。つまり、今日においても、棚田と呼ばれるように風景が、百以上健在だと言うことです。
環境保全と言いますと、地球温暖化だとかCO2の削減などということが連想されがちです。もちろん、地球全体が壊れていっては、身の回りの環境をどうこうしたところで意味がないという考え方もあります。しかし、身の回りや地域の自然や環境をないがしろにして、地球温暖化云々というのも、片腹痛い気がします。
私たちが身近に接する自然美という物は、何らかの手をかけないことには守られないのです。先人の残してくれた遺物や遺跡となりますと、さらに緻密な配慮が必要です。
棚田を残したとて、さほどの米が収穫できるわけではありません。しかし、その環境を守り続けることから得られる、環境面や精神面や文化面などの恩恵を私たちは軽視してはならないと思うのです。
昨日、期日前投票をしてきました。
まだ選挙戦は半ばといったところですし、真剣に検討したのかと言われますと、「イヤァー」と言うしかないのですが、考えが変るとも思えませんので、他の用事とも絡めて早々に投票することにしたのです。
当選挙区も、全国的に見れば、注目を集めている選挙区の一つですが、その注目を集めている論点をどの程度重視するのかとなりますと、なかなか難しいところです。
投票の仕方には大きく分けて二種類あると思っているのですが、その一つは候補者本人の人柄・資質といった面から選ぶことです。もう一つは、所属している政党なり団体なりの主義主張を考慮することに重点を置くことだと思うのです。
私は、どちらかと言えば後者の方で、立候補者本人を直接ではないとしても、かなり承知している場合は人物本位になりますが、そうでない限りは、その所属している政党なりを優先し、よほど好きになれない人物でない限り、所属団体優先になっているようです。
その政党なり所属団体なりといっても、公約や声高く述べられる演説などを聞いていますと、理想と現実の間には、やはり深くて長い乖離があるものだと思わせられます。
選挙期間中に無責任な発言は控えるべきだと思うのですが、例えば、石破首相が自民党総裁になる以前の発言と、就任後の発言にブレがあるのが指摘されていますが、いみじくもご本人も述べられていますように、「我が党は独裁政党ではないので、多くの人の意見を集約する必要がある」はずで、個人的な主張、理想論がそのまま政策として実行できるものではないはずです。
立憲民主党の野田代表も同様で、多くの政策はお持ちだとしても、いざ選挙となれば、政権交代と裏金批判に多くを割いているのは、現実を見ているからなのでしょう。
そもそも理想といっても、人様々ですし、政党や政治家の理想論となれば、実際に実行できるかといえば、多くの困難があるはずです。単に反対者がいるといった問題ばかりでなく、予算の問題、その目的遂行によって疎外されることになる事象など、理想を実現させることは簡単なことではないようです。
多くの場合は、理想は理想としておいて、現実に寄り添っていくうちに何の特徴もない政策になってしまう可能性があり、と言って、強引に推し進めようとすれば、その裏では泣く人が居り、ひずみが生れます。某県の知事などもその一例ではないでしょうか。
少々の犠牲者など無視して理想とする政策を進めるのか、遅々とした低飛行を続けながらも着実な改善を狙うのか、その辺りも、選挙の焦点になってもよいような気がします。
理想だ現実だなどと語ること自体、青臭く未熟の証明のような気もするのですが、かつて、「理想などというものは、額に入れるか、床の間に飾っておくものだよ」と豪語された方がいました。必要に応じて、時々は人目にさらして、自らの志操の高さを知らしめた後は、「権謀渦巻く修羅場を、実利という鉈を振り回して突き進むのが現実なんだよ」ということのようです。
まあ、そうした考えも理想の一つなのでしょうが、多くの一般庶民の一人としては、「理想は額に入れて飾っておく」あたりまでは容認するとしても、日々の生活においては、慎ましやかに、到達困難を承知しながらも、ゆっくりと歩を進め、その道中の風景を楽しむ程度の余裕は持ち続けたいものです。
総選挙は、早くも各選挙区の当落予想や、各党の獲得議席数などの予想が報じられています。
報道機関によって、若干の差があるのは当然ですが、その報道によって結果に微妙な影響が出ることもあるようです。また、一覧表になっているデーターにはそれほど差がない場合で、見出しの表現にかなり差があるようです。何か意図があるような気がしてなりません。
また、注目を集めている選挙区の候補者の演説などが報道されていますが、主張されていることにはかなりの差があり、なるほど、国会で本格的な論戦が難しいことが分るような気がします。
そうした中で、共通と言ってよいような主張もあります。比較的年齢の低い人は「若さ」を強調し、比較的高齢と思われる人は「経験」を強調しています。国会議員の資質には、どちらがより必要とされるのでしょうかねぇ。
そう言えば、自民党の総裁選挙では、30歳台から70歳台まで幅広い人が立候補していました。立憲民主党の場合は、むりやり女性の立候補者を生み出したかのように見えましたが、もしかすると、両党とも、政治には幅広い人材が関わるのが良いと考えているのでしょうか。それとも、幅広い層の支持を得るためだけだったのでしょうか。
国会議員に適正な年代というものがあるのかどうか知りませんが、スポーツなどには、種目によって強い年齢層はあるようです。オリンピックのメダル獲得者を見てみますと、競技種目によって、かなり年齢層に違いが見受けられます。スポーツの世界以外でも、同様の傾向はあるものなのでしょうか。
あるセミナーで、「若さを失ってはいけない」という論点で、アメリカの詩人であるサミエル・ウルマンの「青春の詩」の冒頭部分、「青春とは、人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」という所を再三紹介して、「青春は年齢ではないのだ。心のあり方しだいだ」と強調されました。
聞いている人の多くは、30~40台ぐらいだったと思うのですが、自分たちが青春時代だとは思っていないまでも、それほど年寄りだとも思っていない年代でした。60歳をかなりすぎていると思われる講師の絶叫は、少々痛々しく感じた記憶があります。
「青春」という言葉は、もともとは「春」を表す言葉だったようです。また、陰陽五行説では15歳から29歳までを指したようです。青春映画という言葉が現在でも使われているのかどうか知らないのですが、この場合も、似た年代を対象にしているのではないでしょうか。
「若くありたい」という願望を持つ人は少なくないと思います。古い友人と出会ったときには、ついついその時代に戻ってしまい、若い頃を懐かしむこともあります。
しかし、そうとう長い間飯を食ってきた人が、「今も青春真っ只中だ」だなどと胸を張られますと、「ご苦労さん」と言いたくなってしまいます。
そう言えば、立ち上がるときに「どっこいしょ」と思わず口にすると、周りの人からは「年寄りみたい」という声が飛んできます。十分年寄りの人に対してでも同様です。
この「どっこいしょ」という言葉の語源には諸説あるようで、一つは、掛け声などから来たというものです。例えば、河内音頭には「イヤコラセー ドッコイセー」と言う部分がありますが、ここからの転嫁らしいのです。もう一つは、修験者や行者が険しい山道を「六根清浄(ロッコンショウジョウ)」と唱えながら行くのを見て、生れたというものです。どちらにせよ、「どっこいしょ」は由緒正しい言葉なのです。
また、ある研究では、立ち上がるときにこの言葉を出せば、ギックリ腰や転倒防止などの予防になり、実力以上の力が出せるらしいですから、遠慮せずにどんどん「どっこいしょ」を口にしましょう。
いつまでも元気でありたい、若くありたい、というのは、素朴な願いだと思います。
しかし、人は、確実に老いていきます。いろいろな競技や技術や思考などにも、最適の時期があるかもしれませんが、その年齢でなければ感受できないレベルというものがあると思うのです。
年を数えるごとに失うものがあるだけ、何かを得ることが出来るはずだと思って、人生をキョロキョロ生きるのも面白いかも知れませんよ。
衆議院選挙は、本日告示となり、27日の投開票にむけての選挙戦がスタートしました。
もっとも、テレビでは何度も党首会談とか記者会見といった名前のもとに、党首を中心に、テレビでの露出が何倍も増えています。
また、当地においても、明らかに選挙カーといえる車が、候補予定者の名前を堂々と伝えていますし、ポストにはチラシが投入されています。
確かに、衆議院選挙での投票を勧誘していないから合法ということなのでしょうが、テレビ出演も街頭演説もチラシも、衆議院選挙を意識しているからこそ行われているのであって、明らかな事前運動だと思うのです。もちろん、厳格な法が定められていて、これらの行為は法的に問題ないのでしょうが、事前運動として選挙違反に問われるのは、よほど悪質な物なのでしょうね。
それにしても、今回の選挙、「金権政治」「裏金議員」「政治と金」といった言葉が、あまりにも多すぎて、食傷気味です。
自民党内で長年に渡って起きていた、パーティー券にまつわる不適切な処理は、厳しく糾弾されなくてはならないし、例えほとんどが不起訴になったとしても、該当者全員が脱税事件として調査されるべきだと思うのですが、この件に限らず、国会議員や首長などにまつわる事件そのものが、特権により守られすぎではないかと、部外者の一人としては感じています。
しかし、国政選挙の最大のテーマが、「金にまつわる問題」かのように見えるのは、実に情けないことです。国政を担う国民の代表を選ぶ選挙なのですから、外交・内政共に語るべき多くの課題があるように思うのですが、それらは、ついでに述べられているように見えてしまいます。
こんな名文句があるそうです。
曰く、「それにつけても 金の欲しさよ」という文句です。
この文句は、狂歌はもちろん、名高い俳句や短歌の後ろに、この文句を付けると、本来の意味を大きく変え、しかも、えも言われぬ味が出るそうです。
もちろん、個人で和歌(短歌)を詠む場合も、上の句さえ少々頭をひねれば、下の句に「それにつけても 金の欲しさよ」と付けさえすれば、多くの庶民の共感を呼ぶ名作になるようですよ。
そういえば、かつて、和歌の世界で、「秋の夕暮れ」という語を使ってはならない、という時代があったそうです。限られた流派だけのことかもしれませんが、かなり厳しく禁じられたようです。
「秋の夕暮れ」が詠みこまれている和歌は、著名なものだけでも数多く伝えられていますし、多くの人が使うだけの魅力のある美しい言葉だと思うのですが、何故それを禁じたのかといいますと、ごく平凡な内容の和歌であっても、「秋の夕暮れ」で結びさえすれば、それなりの風格が出てしまう「魔法の句」なので、歌人として修行する上で障害になるという意味もあったようです。
「それにつけても 金の欲しさよ」も、「秋の夕暮れ」も、もしかすると「金権政治云々」といった言葉も、確かに「魔法の句」のような力を持っているのかもしれませんが、多用しますと、自らの成長も、やはり、もしかすると、品格さえ低下させるかもしれませんよ。
「羊が一匹・・、羊が二匹・・、羊が・・」と数えていって、千匹まで数えた経験はありませんが、効果があったと実感したこともありません。
私は、そう寝付きの悪い方ではないと思うのですが、それでも、夜中に目覚めた後、なかなか寝直すことが出来ず、羊の数を数えるなどは序の口で、明日の予定や、いろはかるたや百人一首などを手当たり次第に思い浮かべたり、さらには世の行く末を・・、と言ったあたりまで行くまでには、たいていは寝入ってしまいますが、時には、そうした呪文もどきの物を追えば追うほど目が冴えてしまうこともあります。
そうした時、ふと、「無我の境地」になれば良いのだ、と思ったことがありました。その後は、どうしても眠れない時には、「無我の境地」に入るように、何も考えないことに務めるのですが、これがなかなか難しいのです。
そうしているうちに、いつの間にか何も分からなくなって寝てしまうことがあるのですが、時には、眠ったという実感がないのに、いつの間にか2,30分が過ぎていることがあります。もしかすると、この間は「無我の境地」に入っていて、聖人か仙人の域に一歩近づいたのではないかと考えたりするのですが、同時に、単にうとうとしていただけのことかとも思われて、自信が揺らいでしまいます。そして、そもそも、「無我の境地」と「睡眠中」と、どう違いがあるのか、と考えたりするのですが、この課題は、眠ろうとしている時にはますます目が冴え、昼間に考えると眠くなってしまう作用があるようで、なかなか厄介です。
「無我」という言葉は、辞書によりますと、「①我意のないこと。無心なこと。私信のないこと。②我を忘れてすること。」とありますから、私が考えているような、意識がなくなるような状態を指しているわけではないようです。
辞書には、③の意味として、「[仏教]我(ガ)の存在を否定すること。無常・苦と共に仏教の根本思想の一つ。我は人間存在や事物の根底にある永遠不変の実体的存在。」とあります。
こちらは、とても私の手に負えませんが、どうやら私は、「無我の境地」の意味を、自分の中で中途半端に育てていたようです。
眠れないからといって、どういう状態を指すのが正しいのかは別にして、「無我の境地」を「羊が一匹・・」の代用にするのは、少々不謹慎だったようです。
ただ、私たちの生活の中で、ややもすれば、「我利、我利」に流れそうな中で、もっと平穏な心境の時を持つ事は必要だと思うのです。
人間だけではありませんが、私たちに「睡眠」という時間が設計されているのは、そのような状態が必要だと造物主のような方が考えたのかもしれません。
ただ、その大切な睡眠中にさえ「我利、我利」の夢を見がちな身としましては、せめて、「無我夢中」になれる何かを見つけ出すことが必要なのではないかと考えています。