枕草子 第八十二段 西の廂に・・その1
職の御曹司におはしますころ、西の廂に、不断の御読経あるに、仏など懸けたてまつり、僧どものゐたるこそ、さらなることなかれ。
(以下割愛)
職の御曹司に中宮様がおいでになられた頃、西の廂の間で不断の御読経がありますので、仏の画像などを懸けたてまつって、僧侶たちが詰めていましたが、それは言うまでもなくいつものことです。
始まって二日ほど経った頃、縁のもとに、いやしげな者の声で、
「ぜひ、あのお供えものを、お下げ渡しいただきたく」と言うと、
「どうして、やれるものか。まだ、法事はすんでいなのだから」
と僧侶が言っているらしいのを耳にして、
「何者が言っているのかしら」と思って、端近くに出て行ってみると、少々年取った女法師が、ひどく汚らしい着物を着て、猿みたいな恰好で言っているのです。
「あの尼は、何を言っているのか」
と他の人に聞くと、その尼は気取った声を出して、
「仏のお弟子でございますから、仏のお供えのお下がりを戴きたいと願いましたのに、お坊様方が物惜しみなさるのです」と言う。その声は、調子がよく派手過ぎる。「このような物乞いは、しょんぼりしている方が同情を引くものです。いやに調子よい尼だこと」と思って、
「他の物は食べないで、ただ仏のお下がりだけを食べるのか。随分見上げた心掛けね」などと言うと、こちらの気配を察して、
「どうして、他の物を食べないことなどありましょう。それが無いものですから、お下がりを頂戴するのです」と言う。
果物や、のし餅などを、器に入れて与えたところ、いやになれなれしくなって、いろいろなことを話す。
若い女房たちも出てきて、
「夫はいるのか」
「子供はいるのか」
「どこに住んでいるのか」
などと口々に聞くと、滑稽なことや、冗談などを言ったりするので、こちらも興味がわいて、
「歌は謡うのか」
「舞などはするのか」
と問うと、、聞き終わるか終わらないうちに、
「夜はどなたと寝ようか~、常陸の介と寝るとしょう~、添い寝したその肌のよさ~」と謡いはじめた。
この歌の先がまだまだ続くのです。その挙句に
「男山の峰のもみぢ葉、さぞなは立つや、さぞなは立つや~」と謡いながら、頭をくるくると振り回す。
(男山の、峰のもみじ葉が色を染め、さぞ恋の浮名が立つことよ、ところで
お前は立つかいな~。・・卑猥な歌謡として知られていたようです)
その様子が余りに憎らしく、可笑しくも腹が立ってきて、
「立ち去れ」
「立ち去れ」
と若い女房たちが言うので、
「かわいそうですよ。この尼に、何をやろうかしら」
と私が言うのを中宮様がお聞きになって、
「何とまあ、そばで聞いていてもきまりの悪いようなことをさせたものですねぇ。とても聞いていられなくて、途中から耳をふさいでいたのです。その巻絹を一つ与えて、早く向こうへ行かせてしまいなさい」
とお申しつけがありましたので、
「これ、お上がお前に下さるのだよ。着物が汚れているようだ。これできれいな物を着なさい」
と言って、投げ与えたところ、何と生意気なことに、伏し拝んで、巻絹を肩にうちかけて拝舞の礼をするのですよ。本当に憎らしくて、みな奥に引っ込んでしまったのですが・・・。
その後、味をしめたのでしょうか、いつもわざわざ人目に付くようにうろうろと歩きまわっている。それで皆は、歌の文句をそのまま「常陸の介」とあだ名をつけたのです。
着物もきれいにせず、相変わらずすすけ汚れた着物のままなので、「この前の戴き物は何処へやってしまったのかしら」などと、みなで憎らしがる。
右近の内侍が参上している時に、中宮様が、
「こうこういう者を、女房たちが手なづけて出入りさせているようなの。うまいことを言って、いつもやって来るんですよ」
ということで、最初からの出来事などを、小兵衛という女房に口真似させて、そっくりそのままお話しになると、右近の内侍は、
「その者をぜひ見たいものでございます。必ずお見せ下さいませよ。どうやらこちらのごひいきのようですね。決して、口説き落として横取りなんかしませんから」などと言って笑う。
その後に、、また別の、尼姿の物乞いで、とても品の良いのがやってきたのを、また呼び寄せて、身の上話など尋ねると、この尼は、とても身の上を恥じていて、かわいそうなので、前と同様に巻絹一つをお下げ渡しされると、型通りに伏し拝むのですが、この尼の場合は、嫌味がありません。
そして、泣いて喜んで帰っていったところを、早くも、この常陸の介が、来合わせて見てしまったのです。
それから後は、久しく常陸の介の姿が見えませんが、誰が思い出すことなどありましょうか。
(その2に続く)
職の御曹司におはしますころ、西の廂に、不断の御読経あるに、仏など懸けたてまつり、僧どものゐたるこそ、さらなることなかれ。
(以下割愛)
職の御曹司に中宮様がおいでになられた頃、西の廂の間で不断の御読経がありますので、仏の画像などを懸けたてまつって、僧侶たちが詰めていましたが、それは言うまでもなくいつものことです。
始まって二日ほど経った頃、縁のもとに、いやしげな者の声で、
「ぜひ、あのお供えものを、お下げ渡しいただきたく」と言うと、
「どうして、やれるものか。まだ、法事はすんでいなのだから」
と僧侶が言っているらしいのを耳にして、
「何者が言っているのかしら」と思って、端近くに出て行ってみると、少々年取った女法師が、ひどく汚らしい着物を着て、猿みたいな恰好で言っているのです。
「あの尼は、何を言っているのか」
と他の人に聞くと、その尼は気取った声を出して、
「仏のお弟子でございますから、仏のお供えのお下がりを戴きたいと願いましたのに、お坊様方が物惜しみなさるのです」と言う。その声は、調子がよく派手過ぎる。「このような物乞いは、しょんぼりしている方が同情を引くものです。いやに調子よい尼だこと」と思って、
「他の物は食べないで、ただ仏のお下がりだけを食べるのか。随分見上げた心掛けね」などと言うと、こちらの気配を察して、
「どうして、他の物を食べないことなどありましょう。それが無いものですから、お下がりを頂戴するのです」と言う。
果物や、のし餅などを、器に入れて与えたところ、いやになれなれしくなって、いろいろなことを話す。
若い女房たちも出てきて、
「夫はいるのか」
「子供はいるのか」
「どこに住んでいるのか」
などと口々に聞くと、滑稽なことや、冗談などを言ったりするので、こちらも興味がわいて、
「歌は謡うのか」
「舞などはするのか」
と問うと、、聞き終わるか終わらないうちに、
「夜はどなたと寝ようか~、常陸の介と寝るとしょう~、添い寝したその肌のよさ~」と謡いはじめた。
この歌の先がまだまだ続くのです。その挙句に
「男山の峰のもみぢ葉、さぞなは立つや、さぞなは立つや~」と謡いながら、頭をくるくると振り回す。
(男山の、峰のもみじ葉が色を染め、さぞ恋の浮名が立つことよ、ところで
お前は立つかいな~。・・卑猥な歌謡として知られていたようです)
その様子が余りに憎らしく、可笑しくも腹が立ってきて、
「立ち去れ」
「立ち去れ」
と若い女房たちが言うので、
「かわいそうですよ。この尼に、何をやろうかしら」
と私が言うのを中宮様がお聞きになって、
「何とまあ、そばで聞いていてもきまりの悪いようなことをさせたものですねぇ。とても聞いていられなくて、途中から耳をふさいでいたのです。その巻絹を一つ与えて、早く向こうへ行かせてしまいなさい」
とお申しつけがありましたので、
「これ、お上がお前に下さるのだよ。着物が汚れているようだ。これできれいな物を着なさい」
と言って、投げ与えたところ、何と生意気なことに、伏し拝んで、巻絹を肩にうちかけて拝舞の礼をするのですよ。本当に憎らしくて、みな奥に引っ込んでしまったのですが・・・。
その後、味をしめたのでしょうか、いつもわざわざ人目に付くようにうろうろと歩きまわっている。それで皆は、歌の文句をそのまま「常陸の介」とあだ名をつけたのです。
着物もきれいにせず、相変わらずすすけ汚れた着物のままなので、「この前の戴き物は何処へやってしまったのかしら」などと、みなで憎らしがる。
右近の内侍が参上している時に、中宮様が、
「こうこういう者を、女房たちが手なづけて出入りさせているようなの。うまいことを言って、いつもやって来るんですよ」
ということで、最初からの出来事などを、小兵衛という女房に口真似させて、そっくりそのままお話しになると、右近の内侍は、
「その者をぜひ見たいものでございます。必ずお見せ下さいませよ。どうやらこちらのごひいきのようですね。決して、口説き落として横取りなんかしませんから」などと言って笑う。
その後に、、また別の、尼姿の物乞いで、とても品の良いのがやってきたのを、また呼び寄せて、身の上話など尋ねると、この尼は、とても身の上を恥じていて、かわいそうなので、前と同様に巻絹一つをお下げ渡しされると、型通りに伏し拝むのですが、この尼の場合は、嫌味がありません。
そして、泣いて喜んで帰っていったところを、早くも、この常陸の介が、来合わせて見てしまったのです。
それから後は、久しく常陸の介の姿が見えませんが、誰が思い出すことなどありましょうか。
(その2に続く)