高島平発・文化的居場所「ミストラル」への夢

地域をファッション・音楽・お酒の“文化”の力で元気に!……地元に文化的な居場所作りを模索しています。

相手への思いやりが感じられない、ホワイトデー前日の風景

2007年03月17日 23時17分20秒 | ●美意識・ファッション・デザイン私的考察
先日のホワイトデー前日の一コマ。

たまたま通り掛った、東京駅八重洲口地下の洋菓子売り場一帯が、男性たちの長蛇の列でロープ規制。翌日のホワイトデーのために、有名ブランドメーカーへの行列ですが、どの売り場も購入まで20分以上は覚悟しそうな混みようです。

女性から見れば涙ぐましい努力の姿でしょうが、同性から見ると画一的で、無機質にも見える似たような色合いの集団に、少し“おぞましさ”も感じて足早に、その場を通り過ぎました。(少し言い過ぎ?)

バレンタインデー、ホワイトデーを菓子メーカーのための日と言う人もいますが、コミュニケーション下手の日本人にとっては、一つのきっかけにもなり、意義が大変にあると思います。

しかし、夕方の仕事帰りに、脂ぎった男同士で混み合う中で並んで、画一的にブランド菓子を買うことが、コミュニケーションの本当の努力なのでしょうか?

どうみてもスマートとは言えないし、つまらない労力の無駄使いは、気持ち的に何か見返りを求めがちになるもの。

本当の努力とは渡す相手毎に“その人らしさ”を考え、どこかに“贈り手らしさ”も、反映して選ぶことだと思うのですが、あんなに混んだ中で、ゆっくり渡す相手のことを考えて選べは出来ない筈。

仕事が忙しいと言えばそれまででしょうが、どうせ贈るなら喜んでもらいたいから、数日前からリサーチして選ぶことに努力し、当日は混まない場所、時間にスマートに購入したいもの。

最近の男性ファッションを見てても、画一的な黒のオンパレード。
みんなと同じ方が安心するのでしょうか、自分らしさを演出できる男が少ないように思えます。

大体、自分らしさも表現できない人に、相手らしさなど理解できない気がします。

ホワイトデーとは違いますが、私の二人の娘が旅行の土産と父の日で、それぞれに私をイメージして、コロンをプレゼントしてくれましたが、面白いことに香りがまったく違います。

二つとも大変に気に入り、その日の気分や会う人に合わせて使い分けしてますが、実の娘から親を見ても、別々なイメージがあるように、本来、自分らしさにも“色々な自分らしさ”がある筈。


漠然と周りと同じような行動していると、“本質”や“変化”に気が付かず、知らぬ間にコミュニケーション能力を失う気がします。





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