“先生”との出会いは30年近くも前の正月に、妙高のスキー場が最初です。
たまたま、同じ部屋で仲良くなった人がスキー教室に入り、その人のスキー教室の“先生”と、生徒の“知合い”という三角関係(?)のスタートでした。
正月以降、東京に帰ってからスキー教室の“生徒”たちの、先生を交えた飲み会に何度か呼ばれたのが、親交が始まりです。
当時はスキー教師と自分もデザイナーという、どちらも少し花形風?(明日の保障が何も無いヤクザな仕事)の職業で、価値観が合ったのかもしれません。
それ以来、年賀状のやり取りが殆どで、何か大きな節目でしか、会う機会がなかったのですが、昨年、会社を辞めてブラブラしている時に、お酒を飲みながら話して頂いた“先生”の、さり気ない一言一言がアドバイスになり、いま新たなスタート地点にたどり着けた気がします。
世の中に“先生”と呼ばれる人は沢山いますが、本来、字の成立ちから言うと“先に生まれた”と言う意味で、そういう意味では誰もが“先生”と“生徒”の役目の時がある筈。
自分のことを先生と言わせたい、権力志向の人がいっぱいいますが、残念ながらそういう人に限って、こちらから“先生”と呼びたくなる人は皆無のような気がします。
結局、良い“先生”というのは、良い“生徒”の一面を持つのでしょうね。
“島本先生”に会って飲む度に、何事へも謙虚な“生徒”のような姿勢と、周りへの気配りに“先に生まれた人”としての、お手本を示しているような思いがします。
こういう“良い先生”が身近にいるのだから、いつまでも何かに挑戦する姿勢がないと“生徒”としての資格がなくなりますね。
たまたま、同じ部屋で仲良くなった人がスキー教室に入り、その人のスキー教室の“先生”と、生徒の“知合い”という三角関係(?)のスタートでした。
正月以降、東京に帰ってからスキー教室の“生徒”たちの、先生を交えた飲み会に何度か呼ばれたのが、親交が始まりです。
当時はスキー教師と自分もデザイナーという、どちらも少し花形風?(明日の保障が何も無いヤクザな仕事)の職業で、価値観が合ったのかもしれません。
それ以来、年賀状のやり取りが殆どで、何か大きな節目でしか、会う機会がなかったのですが、昨年、会社を辞めてブラブラしている時に、お酒を飲みながら話して頂いた“先生”の、さり気ない一言一言がアドバイスになり、いま新たなスタート地点にたどり着けた気がします。
世の中に“先生”と呼ばれる人は沢山いますが、本来、字の成立ちから言うと“先に生まれた”と言う意味で、そういう意味では誰もが“先生”と“生徒”の役目の時がある筈。
自分のことを先生と言わせたい、権力志向の人がいっぱいいますが、残念ながらそういう人に限って、こちらから“先生”と呼びたくなる人は皆無のような気がします。
結局、良い“先生”というのは、良い“生徒”の一面を持つのでしょうね。
“島本先生”に会って飲む度に、何事へも謙虚な“生徒”のような姿勢と、周りへの気配りに“先に生まれた人”としての、お手本を示しているような思いがします。
こういう“良い先生”が身近にいるのだから、いつまでも何かに挑戦する姿勢がないと“生徒”としての資格がなくなりますね。