一燈照隅

日本が好きな日本人です

12月8日、この日を忘れてはならない。

2006年12月08日 | 大東亜戦争
12月8日、開戦記念日です。
9日から「硫黄島からの手紙」が公開されます。
映画では栗林中将の手紙がメーンのようですが、硫黄島の手紙では海軍少将、市丸利之助がルーズベルト大統領宛に書いた手紙もあります。
これは、現在アナポリス海軍兵学校の博物館に保管されています。

ルーズベルトに与ふる書

日本海軍市丸海軍少将書を「フランクリン・ルーズベルト」君に致す。我今我が戦ひを終るに当り一言貴下に告ぐる所あらんとす。
日本が「ペルリー」提督の下田入港を機とし広く世界と国交を結ぶに至りしより約百年此の間日本は国歩艱難(こくほかんなん)を極め自ら欲せざるに拘わらず、日清、日露、第一次欧州大戦、満州事変、支那事変を経て不幸貴国と干戈を交ふるに至れり。之を以て日本を目するに或は好戦国民を以てし或は黄禍を以て讒誣(ざんぶ)し或は以て軍閥の専断となす。思はざるの甚きものと言はざるべからず。
貴下は真珠湾の不意打を以て対日戦争唯一宣伝資料となすと雖も日本をして其の自滅より免るるため此の挙に出する外なき窮境に迄追ひ詰めたる諸種の情勢は貴下の最もよく熟知しある所と思考す。
畏くも日本天皇は皇祖皇宗建国の大詔に明なる如く養正(正義)重暉(明智)積慶(仁慈)を三綱とする八紘一宇の文字により表現せらるる皇謨に基き地球上のあらゆる人類は其の分に従ひ其の郷土に於てその生を享有せしめ以て恒久的世界平和の確立を唯一念願とせらるるに外ならず、之曾ては

四方の海皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ

なる明治天皇の御製(日露戦争中御製)は貴下の叔父「テオドル・ルーズベルト」閣下の感嘆を惹きたる所にして貴下も亦熟知の事実なるべし。
我等日本人は各階級あり各種の職業に従事すと雖も畢竟其の職業を通じこの皇謨、即ち天業を翼賛せんとするに外ならず。我等軍人亦干戈を以て天業恢弘(てんぎょうかいこう)を奉承するに外ならず。
我等今物量を恃(たの)める貴下(米)空軍の爆撃及び艦砲射撃の下外形的には退嬰のやむなきに至れるも精神的には弥(いよいよ)豊富にして心地益(ますます)明朗を覚え歓喜を禁ずる能わざるものあり。之天業翼賛の信念に燃ゆる日本臣民の共通の心理なるも貴下(ルーズベルト大統領)及び『チャーチル』君等の理解に苦しむ所ならん。今茲(ここ)に卿等の精神的貧弱を憐れみ以下一言以って少くおしゆる(教える)所あらんとす。
卿等のなす所を以て見れば白人殊に『アングロ・サクソン』を以て世界の利益を壟断(ろうだん)せんとし有色人種を以て其の野望の前に奴隷化せんとする外ならず。之が為姦策を以て有色人種を瞞着(まんちゃく)し、所謂悪意の善政を以て彼らを喪心無力化せしめんとす。近世に至り日本が卿等の野望に抗し有色人種殊に東洋民族をして卿等)の束縛より解放せんと試みるや卿等毫(ごう)も日本の真意を理解せんと努むることなく只管(ひたすら)卿等の為の有害なる存在となし曾ての友邦を目するに仇敵野蛮人を以てし公然として日本人種の絶滅を呼号するに至る。之豈(あに)神意に叶ふものならんや大東亜戦争に依り所謂大東亜共栄圏の成るや所在各民族は我が善政を謳歌し卿等が今之を破壊することなくんば全世界に亘る恒久的平和の招来決して遠きに非ず。卿等は既に充分なる繁栄にも満足することなく数百年来の卿等の搾取より免れんとする是等憐れむべき人類の希望の芽を何が故に若葉に於いて摘み取らんとするや。只東洋の物を東洋に帰すに過ぎざるに非ずや。卿等何すれ
ぞ斯くの如く貧欲にして且つ狭量なる。
大東亜共栄圏の存在は毫も卿等の存在を脅威せず却って世界平和の一翼として世界人類の安寧幸福を保障するものにして日本天皇の真意全く此の外に出づるなきを理解するの雅量あらんことを希望して止まざるものなり。
翻って欧州の事情を観察するも又相互無理解に基づく人類闘争の如何に悲惨なるかを痛嘆せざるを得ず。
今『ヒットラー』総統の行動の是非を云為(うんい)するを慎むも彼の第二次欧州大戦開戦の原因が第一次大戦終結に際しその開戦の責任の一切を敗戦国独逸に帰しその正当なる存在を極度に圧迫せんとしたる卿等先輩の処置に対する反揆に外ならざりしを観過せざるを要す。
卿等の善戦により克く『ヒットラー』総統を斃(たお)すを得るとするも如何にして『スターリン』を首領とする『ソビエットロシア』と協調せんとするや。凡そ世界を以て強者の独専となさんとせば永久に闘争を繰り返し遂に世界人類に安寧幸福の日なからん。卿等今世界制覇の野望一応将に成らんとす。卿等の得意思ふべし。然れども君が先輩『ウイルソン』大統領は其の得意の絶頂に於いて失脚せり。願わくば本職言外の意を汲んで其の轍(てつ)を踏む勿(なか)れ」


この手紙を読めば大東亜戦争と欧州の戦争は全く違うものである事が分かります。その事は「宣戦の詔勅」を読めばよく分かります。
戦後占領軍によって自由を奪われた日本は、占領軍の作る歴史が正しいと教えられてきました。
今、大東亜戦争と欧州戦争を一緒くたにして第2次世界大戦と言いますが、市丸少将の手紙を読めば全く性質の違う戦争であると分析しています。
しかし、戦後多くの人はこれを一纏めにして捉えてしまっています。これは改める必要があります。


1957年(昭和32)5月に来日したインドネシアのブン・トモ情報・宣伝相は日本政府の要人にこう言って謝意を述べています。
「われわれアジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は三百五十年も。それなのに、日本軍が米、英、蘭、仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。われわれは白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと思った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北した時、これからの独立戦争は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかると思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。そして実はわれわれの力でやりたかった。それなのに日本だけに担当させ、少ししかお手伝いができず、誠に申し訳なかった」


あの時、日本が立ち上がらなかったら世界はどうなっていたでしょうか。
しかし、その事は誰も言いません。

記憶せよ、十二月八日
12月8日は開戦記念日。