一燈照隅

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童話「魔法の森」、忘れ物を思い出すのはいつ?

2006年10月19日 | 日本の戦後
小柳陽太郎氏が『教室から消えた「物を見る目」、「歴史を見る目」』のはし書きに書かれている文の抜粋を掲載します。


戦後の思想界の中でとりわけ心を惹かれる人に数学者岡潔先生がいる。その岡先生が大好きだった童話「魔法の森」、これは明治四十一年に編集された『お伽花籠』という童話集の中の一篇だが、明治三十四年生まれの先生が、その幼いころ親しんだものの中で特に忘れがたい童話として、昭和四十一年に書かれた「大いなる安らぎ」という文章に紹介されている。昭和四十一年といえば、その三年前の昭和三十八年、『春宵十話』の出版を契機として、戦後の思想界、教育界への警鐘を乱打された先生の憂国の文章が続々と発表されていた、そのさなかであった。少し長い文章になるが、先生の言葉に沿ってその概略を紹介しておきたいと思う。

「ある村に姉と弟が母親に育てられていたが、ある日突然その母が病のため世を去ってしまった。よるべのないその姉弟はお互い励ましあいながら隣村に行こうとしたとき、ある大きな森の中に迷いこんでしまう。

ふと見るとそこには真赤な苺が一面に敷きつめられている。喜んだ二人がその苺を摘んで食べようとしたとき、一羽の美しい小鳥が飛んできて『一つの苺は一年ワースれる。アッチアッチ』と言う。姉はすぐに食べかけていた苺を捨てたが、弟は姉の止めるのも聞かないで十三も食べてしまった。

苺を食べて元気になった弟は『ちょっと行って見てくるから、お姉さん待っていてね』と言い残して駆け出してしまう。姉は自分が動くと弟が帰ってきてもわからなくなると思ってそこを動かない。そうしているうちに恐ろしい夜になって、たちまち魔法が働いて姉は一本の小さな木に変わってしまった。

一方、弟のほうは森を出てしばらく行ったところで、ある上品な老夫婦に出会い、姉のことなどすっかり忘れてその夫婦の子供として幸福な日々を送る。

こうして九年の月日が経ったころ、弟の胸には何かしら不安なおもいが拡がってきた。何か非常に大切なものをどこかに忘れてきたような気がしてならないのである。こうして十二年目になったときに矢も楯もたまらなくなった弟は両親の許しを得て、どこかに忘れてきたにちがいない『何か非常に大切なもの』を探すために旅に出る。

そしてどこをどう旅したのかわからないうちに、ある日、大きな森の前を通りかかった。そのときが丁度あの日から数えて十三年目に当たっていたのか、彼の頭の中に稲妻のような光が走って、一切が刹那に思い出されたのである。
『そうだ!お姉さんがぼくを待っている!』
飛ぶように見覚えのある森の小道をたどって姉を待たせておいた苺畑に来てみると、そこに小さな一本の木が立っている。弟は直観的に、それがなつかしい姉の変わり果てた姿だと知って、その木にすがりついてハラハラと涙を流した。その涙がその木の葉にかかったとき、木はもとの姉の姿にもどった。そこにあの日の小鳥が姿を現わして森の外に導いてくれた」

以上がこの話の概略だが、幼い日に親しんだこの話を、改めて書きとめた岡潔先生の気持ちはいうまでもなく、その日から二十年さかのぼった昭和二十年、戦いに敗れた日本が見失ってしまった美しい日本の歴史、日本人ならではの豊かな情感に対するはげしい思慕のおもいだったのだろう。あの少年が九年目をすぎたころからの胸さわぎ、何か大切なものをどこかに置き忘れてきたような不安は、そのまま日本の歴史、日本の情感へのなつかしさに重なって、深いおもいをこめて先生はこの童話を書きとめられたにちがいない。

だがその日からさらに三十数年、あの少年のように過去を蘇らせることもないままに、われわれはいまだに荒涼たる世界を歩んでいる。さらには「学校崩壊」「家庭崩壊」という言葉が連日、新聞の紙面に躍り、これが日本人のすることかとわが目を疑うような無惨な世相がニュースを埋めつくしている。このような惨澹たる時代にわれわれは一体どのようにこの身を処したらいいのか。


戦後日本は苺をいくつ食べたのだろうか。



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6 コメント

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親と子 (人生の厄介息子)
2006-10-20 00:51:12
とても心にのこるお話ありがとうございました。このような話はなぜか姉、弟か 兄、妹がでてきます。今風ならば火垂の墓でしょうか(佐久間のドロップがあまりにもかなしい、でもそれをひきずってもうひとつうえ?の感じ方を失ってしまったいまの日本人なのかもしれません)。いろいろなsituationがあります。私には安寿と厨子王の話が忘れられません。悪い人にあったらにげるときにひとつずつ投げて逃げなさいと親がもたせてくれた大事なもの。昔の日本の話にはものの哀れと魂のよる小さなよすががあります。いまの世、それはものの哀れ、不条理を受け入れることのできない未明の世ですね。



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Unknown (J)
2006-10-20 13:50:55
小鳥はお母さんだったんでしょうか。

最近のニュースは本当に暗い気持ちになります。

弟が不安を持ち続けたように、日本人の中にも何か変だという違和感や不安感があったのだと思います。

弟の涙が姉を元の姿に戻せたように、私たちも昔の日本を知って、美しい日本を取り戻したいですね

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Unknown (まさ)
2006-10-20 22:33:57
人生の厄介息子さん、

佐久間のドロップ、当時何処の家にもありました。

安寿と厨子王は人身売買や母親が目暗になる悲しい物語でもありましたね。

世の中社会に出れば不条理なことは多いのですが、その事を認めない風潮があります。その事によって、不条理なことに耐えられない人が増えているのが今の日本のようです。
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Unknown (まさ)
2006-10-20 22:41:32
Jさん、

今までは経済成長や繁栄を目指していましたが、心の中に違和感や不安感に気づいてきたのではないでしょうか。

多くの人がそのような気持ちになれば美しい日本になるでしょう。
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Unknown (ハーグ竹島)
2007-03-06 00:38:57
TBからやってきました。

こういう物語って、世の中の機微を強く含んだものが
多いですね。
この「弟」がまだよかったのは、いかに効果が切れた
(?)からとはいえ、姉の事を自らが思い出した事。
戦後日本人は、思い出そうとすらしないのですから…。
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Unknown (まさ)
2007-03-06 17:54:17
ハーグ竹島さん。
今までは思い出そうとしなかったですが、安倍総理になってから少しずつですが変わろうとしていますね。
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