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井の中の蛙、カイラス山巡礼に挑む!

夢のカイラス巡礼を終え、登山を再開しました。山岳信仰の延長上に四国遍路、カイラス山巡礼があり、原点の登山に戻ります。

カイラス山コルラ 9

2006-09-28 19:25:41 | カイラス巡礼・旅行記
 6月14日 
 朝目を覚ましてテントの外を見ると、
何と一面銀世界となっています。
朝方の寒さは雪が降った寒さだったのです。
一面の銀世界の中に真っ黒なヤクがてんてんと散らばっています。
そのヤクが集められ、私達より上流にあるテントサイトへ
動いていきます。

辺り一面の銀世界です。

 身支度を調えてチャーを飲むとチャーが喉から胃の中へ流れ
身体が温まっていきます。
両手でコップを持つとその温もりで指が熱くなってきます。
生きているという実感を感じるときです。
暖かいチャーとクッキーだけの簡単な朝食を終えると、
出発の準備をします。

 9:20分、この場所ともお別れです。
小さな川に沿って真っ白になっている草の上を下っていきます。
ドイツ人の一団と一緒になったので追いつ追われつを
繰り返しながらこの谷をドンドン下っていきます。

1時間半ほど下ったところで右手の山の下にお寺が見えてきます。
これが、ズルフク・ゴンパです。

このお寺はミラレパが開いたお寺だといわれています。
もちろん、河口慧海もこのお寺に泊まっています。

 私はふくらはぎに軽い痛みを感じていたので30分歩いては
5分ほど休むのを繰り返しています。
それでも、最初に私とゲリーの前を歩いてたグレゴリーと
ヴィジュヌーは遅れてきます。
彼らを追い抜いて自分たちのペースで歩いていきます。

 ガイドが左手を指さすのでそちらを見ると茶色で
体長が30センチほどの動物が後ろ足で立ってこちらを見ています。
ウサギかと思ったのですが耳が見えません。
どちらかというとマーモットみたいな動物のようです。
カメラを出そうとしましたが、すぐに穴に潜っていってしまいます。
気をつけて辺りを見回すと、所々に顔を出しては穴に潜っています。
結局写真を撮ることは出来なかったです。

 辺りの景色を見ていると沢の入り口がずいぶんと開けてきたので、
そろそろ谷の出口かと思い、疲れてきたので少し長い時間
休むことにしました。

今歩いてきた路を振り返ったところです。

ゆっくりと休んでふくらはぎの痛みが和らいだので歩き出します。
前方の山陰を回るとすぐそこに沢山のトラックやランクルが見えます。
出迎えの車がすぐそこで待機していたのです。
小さな沢を越えて10分ほどでランクルが待っている場所に着きます。

 13:20分、2日半を要した私のカイラス山コルラがこれで終わりです。

歩き通すことが出来たという感激が胸にこみ上げてきます。
ゲリーも同じ気持ちのようです。
二人で思わず握手をして抱き合いました。

 エコトレックのランクルを捜します。
駐車しているトラックを見ていくと少し下の方にウェイさんの
ランクルを見つけます。
その辺りに、懐かしい顔のシェルパ達が座っています。
彼らに荷物を預けてグレゴリー達を出迎えに行きます。

 次々といろいろなグループに人達がコルラの
最後を歩いてきます。
ネパール人のガイドが自分たちのグループに
小さなリンゴを手渡ししています。

彼が私に日本語で「日本の方ですか?」と話しかけてきます。
日本人だといって二言三言話していると、
手にしていたリンゴを1個くれます。
「ありがとう!」といってから、手のひらにすっぽり
収まるくらいの小さなリンゴですが、
両手で二つに割ってゲリーにもやります。
しばらくぶりに食べるリンゴです。
ジューシーな果汁が口いっぱいに広がり、とても美味しかった!

 グレゴリーとビジュヌーも無事に歩いてきます。
そのあと少し経ってからミッシェルとジョーも無事に歩いてきます。
それぞれが自分の足でしっかりと歩いてカイラス山のコルラを終えます。

 この2日半の間、ドルマ峠の5,630mを到達最高点として
歩きましたが、心配していた高山病にも罹らず無事に歩き通せたことは
本当に幸運だったと思います。

身体の調子は本当に万全で、ヴィジュヌーの荷物も一緒に持って
歩けたくらいですから、何も言うことはありません。
 このコルラのために身体を鍛えてことが良かったのだと
素直に喜びたいものです。そ
して、私を送り出してくれた妻や子供達に感謝したいと思います。

 
 ランクルに乗ってタルチェンへ向かいます。
土埃をあげて走っているといくつかのグループは歩いて
タルチェンを目指しています。
その中に一人で歩いている私達巡礼団の団長さんを見つけました。
どうやら、団長さんは自分の足でこのコルラをきちんと
一つの輪にすべく歩いているようです。


カイラス山コルラ 8

2006-09-27 21:13:53 | カイラス巡礼・旅行記
 ここからは傾斜の緩やかな谷を下っていきます。
天気は良いのですが、休んでいると谷を吹き上がってくる風が
冷たいので身体が冷えてきます。
 ゲリーに身体冷え切ると動かしづらくなるので出発することを
伝えて歩き出します。

 身体が相当疲れてきています。
30分歩いては5分ほど休むという繰り返しでこの谷を
ドンドン下っていくと、下るごとに谷が広くなっていきます。

 途中で不思議なものを見つけました。
私は鳥葬場だと思ったのですが?
大きな岩の手前に輪を描くように小さな石が並べられています。
そうしてそこに石積みがいくつか造られています。
大きな岩の上の縁の方がドス黒くなっています。


岩の下流側には、ケルン状の石積みが幾つも一列に並べられています。

ゲリーがこの岩の下で休もうとしたので、離れるようにいいます。
ゲリーが不思議そうな顔をして私の方を見ますので、
鳥葬場でないかと思うことを教えます。
ゲリーにその意味が通じたようです。

 3時間ほど下ったのでそろそろ今日のテントサイトが
近いはずだと思いズーッと下流の方ばかり見ていました。
そうするとテントが沢山見えてきたので、ゲリーに指を指して教えます。
ゲリーが笑顔で返してくれます。

やっと、テントがある場所まで歩いてきたのですが、
どうやら他のグループのテントです。
エコトレックのテントはまだ下のようです。
気を取り直してさらに下ります。

 右手の山裾に白いテントと石造りの小屋が見えてきます。
その左手の川のそばに見覚えのあるブルーのテントを建てています。
やっと、エコトレックのテントサイトに着きました。
時間を見ると19:40分になっています。

 ここがズルフク・ゴンパだと思うのですが、
でも、辺りを見渡してもお寺の建物が見つかりません。
でも、他のグループもこの辺りをテントサイトにしている
ぐらいですから、この付近にズルフク・ゴンパがあるのだと思います。

エコトレックのスタッフがテントを建てていますので
その手伝いをします。
まず、ゲリーと二人で自分達用のテントを建てます。
そして、他のテントを建てる手伝いをします。
これらの作業がやっと終わり一息つくと猛然とお腹がすいてきます。
我慢できないので、近くにある石造りの小屋へ行くことにします。
私はこの小屋が今まであったようにお店だと思ったからです。
 ゲリーを誘ったのですが、ゲリーはテントに残るといいます。

(写真は翌日の朝ですので雪景色になっています。)

 一人で小屋へ向かいます。
 粗末なドアを開けて小屋の中へはいると中は明かりもなく
小さな窓から入ってくる光だけです。
薄暗いのでサングラスを外します。

やっと目が慣れてきたので壁の方を見ると棚にカップ麺や
インスタントラーメンが積んであるのが見えました。
その中からインスタントラーメンを1個を手にして、
左手にあるストーブの方へ行きます。

そこには、ヤク使いの人達が7~8人座って休んでいます。
もう一杯機嫌で、楽しそうに話しています。
店の女性からドンブリをもらいインスタントラーメンを
適当な大きさに割って入れてお湯を差してもらいます。

ふたを捜していると、横に座っているヤク使いのおじさんが
インスタントラーメンの袋を指さし、破るような仕草をします。
私は袋の端を手で破って広げドンブリの上にかぶせます。
それを見ていたおじさんが、首を縦に振って私に笑いかけてくれます。
どうやら、正解のようです。

 ヤク使いのおじさん達は楽しそうに話をしています。
寒そうにしていると隣に座っているおじさんが布団を
膝に掛けろと仕草で教えてくれます。
布団を引っ張って膝にかけ、インスタントラーメンが
柔らかくなるのを待ちます。

2~3分経ったので丼をかき混ぜると麺が少し柔らかくなっています。
でも、所々シンが堅いところもありますが、しばらくぶりのラーメン
でしたので美味しく?食べました。値段は4元でした。
おそらく、随分高い値段だと思うのですが、
この場所で売っているのだからしょうがないかと思いました。

富士山の山小屋でもいろいろなものは下界の倍以上でないかと
聞いたこともありますので、同じように考えると
やむを得ないかと思います。

 ラーメンを食べて身体が温まったと思っていたら、
昨日、ドラプク・ゴンパで話をしたピンク色のコートを着た
中国女性が小屋に入ってきました。
挨拶をしたのですが、私の顔を見て不思議そうな表情をします。

「昨日会いましたね!」と声をかけたのですが、
首をかしげているので席を立ってテントへ戻ります。
昨日会ったことを忘れているのでしょうか?不思議な子ですね!

 テントへ戻るとグレゴリーやヴィジュヌーも着いていました。
ジョーもミシェルも着いていたので外国人グループは全員無事に
ドル・マ峠を越えることが出来たようです。
ここまで来れば、明日はこのまま快適な谷間の草原を下っていくだけです。

 寝ていると寒さのため目を覚ました。
ゲリーがテントの外を見て雪が降っていると騒いでいます。
この高度ですので雪が降っても不思議はないかと思い、
身体を丸くして寝ていました。ありったけの服を身につけて
寝ていたのですが、時々寒さのため目を覚まし、
朝方はうつらうつらしていただけです。

カイラス山コルラ 7

2006-09-26 21:19:10 | カイラス巡礼・旅行記


ドルマ峠の向こう側の景色です。
ここまで苦労して登ってきましたが、ここからは下るだけです。
文字通り、コルラの峠を越えたところです。

 16:00分、今日の宿泊地まで4時間はかかると思うので、
ゲリーと先に出発します。

ドルマ峠からは岩だらけの道を下ります。
大きな岩や小さな岩が累々と積み上げられその隙間に
出来ている狭い道を下ります。

ヤクが後ろから追いついてきます。
道の脇へ避難してヤクを先に通します。
ヤクを見ていると短い足で上手に下っていきます。
でも、荷物が岩にぶつかってもお構いなしです。
時々、荷物が岩にぶつかって縄がゆるみ地面に落ちてしまいます。
そうすると、ヤク使いがあわててヤクを止めて荷物を積み直し
ヤクの背中に縛りなおします。
あとは、ヤクが自分で道を見つけて下っていきます。

 目の下にエメラルドグリーン色をした小さな湖があります。
湖というよりは沼ほどの大きさですがその湖面の色が
とてもきれいなのです。
この湖がガウリ湖です。よく見るとガウリ湖は全面結氷しています。




この湖を横目に見ながら岩の上を飛び跳ねながら
ドンドン下っていきます。

 しばらく下っていくと五体投地をしてながら下っている
3人のチベタンに出会いました。
五体投地をしている人に会ったのは初めてです。

五体投地というのは、2~3歩歩いては両腕を頭の上で合わせて
お祈りをしたあと、もう一度胸の前で合わせ、
跪き両手を地面についてその手を地面の上で完全に伸ばし
身体全体を地面に接触させるということを繰り返して行う
お参りの方法です。





画像が見づらいのですが、真ん中で四つん這いになっている人が
今まさに身体全体を地面に着けようとしているところです。

チベットではこの方法でお参りをする人がいることは
聞いていましたが、実際にこの場所で行っているのを見ると
想像以上に大変なことだというのはすぐに分かります。

 カメラを出すと、腕をバツに組んだので写真はだめなのだと
思い少しくだったところから写真を数枚撮らせてもらいました。
この岩だらけの山道を五体投地しているんですから、
頭は当然下になりますし、腰も道に沿って左右に曲げたりしながら
下るので、想像以上に大変なお参り方法だと思います。

下の方で上を見ながらお茶を沸かしている老人がいますので、
この人がこの3人のサポートをしているのでしょう。
五体投地でカイラス山を1周するには何日あれば出来るのでしょうか?
 
 約1時間半ほど下るとやっとこの岩山状の道も終わりが見えてきます。
目の下に緑色の谷が広がり、そこに白いテントが見えます。
どうやら茶店のようですのでそこを目指して下ります。

 やっと一息つけると思いテントの中へはいると、
そこはドイツ人であふれています。
若いでっぷりとしたドイツ人の女性がディパックを背負ったまま
足を投げ出して座り大きな息をしています。
もう、疲労困憊、息も絶え絶えといった感じです。
座って休む場所もないので、テントの外で一休みします。
ゲリーはミネラルウォーターを買います。
私は、持ってきた水を飲みます。


カイラス山コルラ 6

2006-09-25 19:29:16 | カイラス巡礼・旅行記

 高度が上がってくるせいかミッシェルの動きが鈍くなってくる。
休む時間が長くなり、「行くよ!」と声をかけても歩けなくなってくる。
「先に行って!」といわれたので、ゲリーと先に進む。

元気のなくなったミッシェルです。


私は今日も元気です。

傾斜がきつくなって来ると私の歩みもゆっくりゆっくり
したものになってくる。
息苦しさはないものの、歩こうとする気持ちに足がついてこない。
これは高度が高くなり空気が薄くなってきた影響だと思います。

 ゲリーも苦しいのか遅れがちになってくる。
ここで休んでしまうと歩けなくなってしまうような気がして、
30分間を歩き続けるようにして我慢して歩く。

何度も時計を見ながら歩くが全然時間が進まない。
歩いた距離も後ろを振り返ると進んでいない。
でも、足元を見てゆっくりゆっくりと自分に言い聞かせて歩き続ける。

 ドルマ峠の真下まできた。
ここからの道は斜度がぐんと増している。
岩だらけで歩きづらくなるが、10分歩いては一息ついてを繰り返し、
最後の登りだけで1時間以上かかってドルマ峠にたどり着く。

ドルマ峠への登りの途中です。
下の方に、峠へ向かって歩いてくる人が見えます。
ヤクはこんな道でも元気に登ってきます。


首が痛くなるくらい上を見るとタルチョがたくさんはためいています。
タルチョのあるところがドルマ峠です。
すぐ近くに見えるのですが、ここからでも30分はかかったでしょうか。


 13:50分、ドルマ峠にはおびただしい数のタルチョンが
風にはためいている。
下を見ると今歩いてきた道が真下に見えている。

ドイツ人の一行が奇声を発しながら護符をまき散らしている。
その護符が風に乗って舞い上がる。
黄色の小さな紙が青空の中でキラキラと輝く。
事前に用意してきたタルチョンを結びつける人もいる。
ここまで来たことに随分興奮しているようだ。




そういう人もいるかと思えば、
私に横にいるドイツ人の男性は荒い息をしながら
横になって動けないでいる。

ドルマ峠にはおびただしい数のタルチョが結ばれています。
下の方のタルチョは色もなくなっています。

ここは標高5,630m、このカイラス山巡礼の最高点、
私にとっても人生で初めて体験する標高なのだ。

 ここからカイラス山は見えません。
目の前にある岩峰の陰に隠れているのです。
でも、この岩峰も青空を背景にものすごくきれいです。

 ドルマ峠の小石をお守りにするために拾います。
この峠の石は花崗岩と思われますが角が鋭くなっています。
まだ、誰も来ないので昼食を食べます。
クッキーをジュースで流し込みます。

峠は風が強く吹いていますので、風の当たらない岩陰で
日の当たる場所を探して横になっていると、
いつの間にかウトウトしたようです。

 ゲリーの声で目を覚ますとゲリーはジョーの荷物を持っています。
風が当たらない岩陰へ座るようにいって他の人が来るのを待ちます。
時計を見ると私がついてから1時間が経っています。

ウトウトしただけだと思ったのですが30分以上
寝てしまったようです。
これも、空気が薄いために脳が酸欠状態となって
意識が薄らいだのでしょうか?
目を覚ましたときにはとても気持ちが良かったので、
身体のためにはちょっとした休憩となったようです。

 やっと、グレドリーとヴィジュヌー、ミシェルもやってきます。
これで、インド人以外の私達は全員がドルマ峠にやってきたことになります。
 ヴィジュヌーがかなり疲れているようですが、顔を見ると笑顔が出ています。
そんなに心配することはないかと思い、ここからは下るだけなので寝袋を返します。


カイラス山コルラ 5

2006-09-23 21:30:52 | カイラス巡礼・旅行記
6月13日 ドルマ峠へ向かって

対岸にあるのが、ドラプク・ゴンパです。

 若い女の子の声で目が覚めた。
こんな所に若い女の子がいるのか?と思ってテントの外を見ると、
ヤク使いの女の子達だ。
隣にテントを張って泊まっていたようだ。
すでにテントを片付けてヤクに荷物を背負わせる準備をしている。

帽子代わりに巻いている真っ赤なマフラーが印象的です。
このマフラーで顔も隠してしまいます。
彼女たちの笑い声を聞いていると、ここが4千メートルを
超えている場所だということを忘れさせてくれます。 

ヤク使いのおじさん達です。
私にはなかなかダンディーないでたちだと思います。
地にしっかりと足を着けている人達、
という感じが伝わってきます。



 外は厚い雲に覆われてカイラス山の北壁も下の方しか見えない。


朝食はコンフレーク、私はチャーをコップに1杯もらい
それをゆっくり飲む。
チャーの甘くコクのある味が喉を落ちていくのが分かる。
 昼食はクッキーに飲み物が渡される。

 ヴィジュヌーの様子が気になったので見に行くと、
思ったより元気にしている。
昨日、私がディパックを持ってここまで来たことを
随分気にしている。
私は大丈夫だからといって自分のテントに戻る。

テントが畳まれてくるとインド人のおばさんが数人いる。
どうやら頑張ってここまで来たようだ。
でも、この先を歩いていくのは私達外国人グループの6人に
アメリカから来たインド人の2人組、インド人の団長に
もう一人年老いたインド人の10人となる。

私達巡礼団の団長です。
この団長はなかなかの人物です。
あとでこの人のことを紹介したいと思います。


 9:10分、ドルマ峠を目指して出発する。
天気はドンドン良くなり、上を見ると青空が広がってくる。
ヴィジュヌーの歩く様子を見ていると普通に歩いている。
どうやら、調子は戻っているようだ。

 進行方向となる左手の谷には沢山の人達が歩いているのが見える。
谷を渡った対岸の岩だらけの斜面にいろいろな色が花が咲いている
ように散らばっている。
でもその花は斜面の上へ向かって一列に伸びている。
まるでアリが列をなして歩いているように見える。

 谷を渡る丸木橋がある。川幅は10メートルほどだが
水はほとんど流れていない。
ヤクは適当な場所から川を渡っていく。

ミッシェルがこの橋を渡るのを恐がり私の肩につかまる。
高さも1メートルほどしかない橋なのだからそれほど恐がる
必要もないと思うのだけれど必死になって
私につかまるので、手を取ってエスコートする。

この先、金髪のフランス人女性をエスコートできることもないと思い、
しっかりその役を務めさせてもらいました。
 内心では、妻にだってこれほどのサービスはしないのにと
思いながらミシェルの手を取ってエスコートしました。
 
 ここからは前日とは違って少し急になった斜面を登っていきます。
先を歩いていたヴィジュヌーの足が止まりそうになり、
顔を見ると苦しそうですので寝袋を外して持ってやります。

 しばらく歩いて、やっと尾根筋に出ると辺り一面に
色とりどりの衣服が散らばっている場所があります。
ここが、鳥葬場といわれるところのようです。

脱ぎ捨てられたシャツやセーター、靴下などもあります。
石を積み上げて、その石にシャツを着せ、帽子をかぶせているものもある。
日本では恐山などの霊場といわれている所と同じような感じがします。
ここに足を踏み入れたときにはなぜこんなに衣服が投げてあるのだろう?
と不思議に思っただけで、鳥葬場だとは気がつきませんでした。

鳥葬場であれば、大きな岩などがありそこに小さく切り裂いた遺体を
載せて鳥のついばみを待つ場所というイメージがあったが、
そんな岩を見つけられなかった。

ここに衣服を脱ぎ捨てるのは、この場所が人間の魂を再生させる
場所だと思われているからです。
古いものをこの地に置き、ここから新しい世界に出発する。
その願いを込めて、古着を置いていくのだと思います。
ミシェルがディパックから白い靴下を取り出し、近くの石の上に置きます。


 後ろを振り返ると前方の山陰にカイラス山が顔をのぞかせている。
山頂部は雲の中で見えない。

手前の岩峰の右奥にカイラス山が顔を出しています。

カイラス山コルラ 4

2006-09-22 21:57:56 | カイラス巡礼・旅行記
 グレゴリーがテントを出ようと荷物をまとめている。
私は、必死になってグレゴリーを止めた。
なぜかというと、外は冷たい風が吹いているし、このテントを出ても
私達には行く場所がない。
エコトレックのシェルパ達が来てテントを立ててくれないことには
私達には行くところがないのだ。

まして、具合が悪くて寝ているヴィジュヌーをどうするんだ。
このような内容を片言の英語でグレゴリーにいうと、
グレゴリーも分かったようで腰を下ろしてくれる。 

お茶代の支払いをする。
おじさんが計算機を出しお茶代が2元、長い時間休んでいたので
2元を加え合計で4元だという。
4元を払おうとすると私には6元だという。
まあ、2時間以上このテントで厄介になったしお茶も沢山飲んだので
仕方がないかと思い6元を支払う。

 何回もグレゴリー達やエコトレックのシェルパが来ないか
見ていると、テントの横にある馬使いに
何か話しているインド人がいる。

どうやら、自分の妻が歩けなくなったので途中の道端で
休んでいるようにいって自分だけが先にここまで歩いてきたようだ。
そして、妻のいるところまでこの馬で迎えに行って連れてくるように
お願いしているようだ。
着ているものの色などを話しているのが私にも理解できる。

このように馬を使ってここまで歩いてくる人もいるが、
いったいいくら払えばいいのだろうか?

 そういえば、ここへ来る前に休んだタムドンのテント前では、
馬に乗ったインド人が馬使いと口論し、
馬から引き下ろされるところを見た。
値段の交渉が不調に終わったのだと思ってみていたのだが、
この時の値段もいくらだったのか?

いずれにしても、こういった状況では馬使いの言い値を
払うしかなと思うのだが、この考え方は日本人だからなのでしょうか?

馬から引き下ろされたインド人は、しっかり交渉していたのですが、
その結果、馬から下ろされてしまった。
どちらが良いのか、私には分からない?
でも、私なら値段の交渉ができる立場にはないと思い
言い値で払うだろう。

20:00分、やっとエコトレックのポーターが一人
大きな荷物を背負ってテントの前を通っていく。
でもテントを持っていない。
あとの人はいつ来るか聞くと「もうすぐ来る」という。

20:30分、やっとエコトレックのシェルパ達が来たので、
テントの設営を手伝う。
そして、ヴィジュヌーをテントへ呼んで寝袋の中へ入れる。
ヴィジュヌーが私の顔を見て苦しそうな顔ですが
「MIKO,サンキュー!」といってくれる。

 今日はとてもハードな一日だったけれど、
私は高度順応がうまくいっているようでヴィジュヌーの
荷物を持っても普通に歩けてしかも息が乱れなかった。
感謝!感謝!ですね。


カロリーメイトの袋がパンパンに膨らんでいます。
これは高度のため空気が薄い証拠です。

タルポチェの標高は約4,600m、ドラプク・ゴンパは4,900mほど
なので、今日は約300メートルほど標高を上げたことになる。
明日は、いよいよドルマ峠(標高5,630m)への挑戦となる。

カイラス山コルラ 3

2006-09-21 21:33:32 | カイラス巡礼・旅行記




 ここから、今晩の宿泊場所となるドラプク・ゴンパまであと2時間はかかる。
いつもの4人で歩き出すが、やはり、ヴィジュヌーの調子は悪そうだ。
足が全く進まない。
私は、ヴィジュヌーの前に立ち、ヴィジュヌーの背負っている
ディパックを外し、私が胸に抱いて歩くことにした。

ヴィジュヌーのディパックを肩から外そうとしたらヴィジュヌーが
ビックリして私の顔を見る。
そして、私の意図を感じたのか済まなさそうな顔をしたので
「オーケィ!オーケィ!」といってヴィジュヌーの肩を
ポンとはたいてディパックを取り、胸の方で抱えて歩き出す。


この様子を見ていたグレゴリーが私に寄ってきて
ヴィジュヌーの寝袋を外して持ってくれる。

 空身になったとはいえヴィジュヌーの歩くスピードが遅いので、
ゲリーと二人して先へ進むことにする。

右手の上を見るとカイラス山の山頂が少しずつ形を変えて
見守ってくれている。

疲れや高度障害で歩けない人が目に付いてくる。
馬の背に揺られながら見るカイラス山はどんな感じなのだろうか?

空を見ると雲が少しづつ厚くなってくる。
 
今晩の宿泊場所となるドラプク・ゴンパが見えてくる。
ドラプク・ゴンパは対岸にあるお寺だが、タルチョが
はためいているのですぐ分かる。

川のこちら側には黄色いテントが無数に建てられている。

 このドラプク・ゴンパには、あの河口慧海が宿泊したことがあると、
以前読んだ本に書かれていた。
 私は、明治時代にこの地まできた河口慧海が歩いた道を
今日歩いてきたことになる。
そして、明日も明後日も!同じ道を歩く!

 左側を見るとカイラス山の北壁が顔を出している。
そうそう、この北壁の写真を見たときいいしれぬ
感動が心をふるわせたのだ。
その写真で得た感動唐子のカイラス山へ来たいという気持ちが
子供の時から私の頭に居続けていたのだ。

その写真と同じ光景が目の前にある。
両側の谷の奥にその山がどくときの縞模様を浮かべて静かに
こちらに顔を向けている。
いいしれぬ威圧感を感じる。
言葉がでない。
ただただ、この岩峰の前でため息をつく。
この光景は写真で見た以上に心にジーンと来るものがある。
来てよかった!
心からそう思う!

ゲリーと二人でこの北壁をバックにお互いの写真を撮り合う。

 17:30分、ドラプク・ゴンパのテントサイトに着く。
しかし、エコトレックのシェルパ達はまだ誰も来ていない。
彼らが来てテントを立ててくれないことには私達が休む場所さえない。

 茶店になっているテントの中へ入りお茶を飲んで待つことにする。
このテントの広さは6畳間ほどあるだろうか?
真ん中が土間になっておりそこにストーブがある。
ストーブの上にはススで汚れたヤカンが載せてある。

奥の方に棚がありそこにはビールやジュースの飲み物の他
カップ麺などもおいてある
。さらに宿泊も出来るのか布団が奥に積んである。

ここで飲んだお茶は、日本の番茶のような色と味がした。
1杯2元だという。1時間ほど経つが誰も来ない。
この間、勧められるままにお茶を飲む。

 やっとグレゴリーとヴィジュヌーが来る。
ヴィジュヌーの具合はさらに悪くなっているようだ。
奥の方で寝せる。

ジョンとミッシェルもやってくる。
しかし、エコトレックのシェルパ達の姿はまだ見えない。

 ここで不思議な中国人の若い女性と話をする。
この女性は片言の日本語が話せるようで、
私に「日本人ですか?」と聞いてきた。
「日本人です。」というと「私は、広島に行ったことがある。」
などと日本語で話す。

でも、日本語はあまり話せないのでお互いに英語で話をする。
といっても、私の英語力ではそれほどつっこんだ会話にはならない。

 この女性はピンク色の膝下ほどのコートを着ており、
肩から掛けた小さなポシェットだけが荷物のようだ。
まるで都会へ来た観光客のようだ。
このテントでインスタントラーメンを食べている。

 彼女の話では、中国の大連に住んでいるようで、
カイラス山には観光にきたと話している。
そしてラーメンを食べ終わると「帰ります。」といって
テントの外へ出て行った。
この場には違和感のある不思議な女性だった。

カイラス山コルラ 2

2006-09-20 22:13:04 | カイラス巡礼・旅行記
対岸にお寺が見えてきます。このお寺はチュウ・ゴンパです。

覆い被さるような岩の下で回りの岩山に融け込むように建っています。


ヤクが自分達で歩いていくので、その後をヤク使い達が
のんびりと話をしながら歩いていきます。




覆い被さるような西壁の下でゲリーと二人でお互いに記念写真を写し合います。
私が被っている毛糸の帽子は、娘が手編みしてくれたものです。
暖かくてとても役に立ちました。


 3時間ほど歩くと向こうの方に白いテントが見えてくる。
グレゴリー達とは随分離れてしまったようで後ろを振り返っても
全然見えなくなってしまった。
風も強くなり寒くなってきている。

道の両側にテントがある。
ここはタムドンという場所のようだ。

どちらへ入るか迷ったが右手のテントの方が広そうなので
右手のテントの中へはいる。
中央に土間がありその真ん中にはストーブが燃えている。
両側は寝ることが出来るほどの幅で端の方に布団が巻いて置かれている。
一番奥にはビールなどの飲み物の他、カップ麺などが積まれている。
どうやら、ここは、商店と宿泊所を兼ねているようだ。

数人の白人男性が休んでいる。
ゲリーと二人で空いている場所に座る。
ここで、出発するときに渡されているクッキーとジュースを
食べて昼食にする。

 時々、テントの外へ出て歩いてきた方を見るが、
グレゴリー達の姿は見えない。
フランス人のミッシェルが来たので、
テントの中で休むように話して引き入れる。

 向かいの席にチベタンの家族が座っている。
お爺さん夫婦に息子と男の孫といった構成か?

小さな子の仕草とはにかんだ顔がかわいいので
写真を一枚撮らせてもらう。
そのお礼に、クッキーをあげるとはにかみながら手を出した。

息子と思われる人が手にしていたヤクの干し肉をナイフでちぎって、
食べないか?という仕草で差し出してくれる。
お礼を言って一切れもらう。

早速、口に入れると、堅い肉で油のきつい肉だった。
咬んでいるとドンドン口の中が油でべとべとしてくる。
味の方はちょっと塩味が利いているだけで、臭みもなく美味しかった。

 テントの入り口をグレゴリーが通りかかる。
あわてて外へ行ってみるとヴィジュヌーの調子が悪く吐き気が
するといっている。どうやら高山病の症状が出ているようだ。

ヴィジュヌーは、ここまでとても元気で高度順応も順調だと
思っていたのでこんな所で症状が出るとは意外だった。
私が持っているダイアモックスを1錠飲ませる。

カイラス山コルラ 1

2006-09-19 23:54:41 | カイラス巡礼・旅行記


カイラス山のコルラへ行く者、タルチョンで待機する者、
カトマンズまで戻ってしまう者、それぞれが別れを惜しんでいます。

カトマンズへ戻ってしまう中に、このグループ最年少の
インド人女性が3人います。
彼女たちのサリー姿はとても可愛かったです。

 12:10分、やっとドラプク・ゴンパへ向けて出発する。
広い河原を上流へ向かって歩く。
それほどの傾斜もなく快適なトレッキングが続く。



私達の前を歩くグレゴリー達です。
静かにカイラス山の山頂が見守ってくれています。
ここからは南面が見えています。


途中、後ろから来るヤクに抜かれたり、
馬に乗って登っていく人に抜かれたりしながら
ゲリーと二人して調子よく歩く。





ヤクの背中は大きな荷物が満載されています。
ヤクは自分で判断して道を選んで歩いていきます。
利口なものですね!

右手にはカイラス山の頂が時々顔を出す。
カイラス山の山頂の手前にいろいろな形をした岩峰があり、
まるで、山頂を守っているように見えます。

そうだ、山頂が大日如来だとするとこれらの峰峰を含んで
曼荼羅を描いているように見える。
そう思ってみると一つ一つの岩峰が仏像のように見えるから不思議です。

このあたりは西面だと思います。
この姿を楽しみながら歩いていくと、先行していたグレゴリーと
ヴィジュヌーを抜いてしまいます。




またまた、事件が・・・

2006-09-16 21:52:32 | カイラス巡礼・旅行記
 6月12日 いよいよカイラス山のコルラへ
 いよいよ今日からカイラス山周回の巡礼路を歩くことになる。
朝、目を覚ますと天気は上々だ。

今朝のカイラス山です。静かに見守ってくれています。


 またまた事件が勃発です。
さてさて、何時に出発することになるかと思いきや、
どうやら我がエコトレックのツァーグループはヤクもポーターも
まったく手配が出来なかったようだ。

 ゲリーが聞いてきた説明によると、
ヤクもポーターも手配できなかったので自分の必要な荷物は自分で
持って歩いてもらうことになる。
そして、その条件で歩くことが出来る者のみをサポートする
ことになったようだ。

 ゲリーに「MIKOはどうする?」と聞かれたので、
「もちろん行くよ!」と答える。
もちろんグレゴリーやヴィジュヌーも行くので、
私達4人は全員が行くことになった。

あとのメンバーがどうなるか聞いたところ、
インド人男性の2名、オーストラリア人のジョン、
フランス人のミッシェル他、総勢15名ほどだという。

今回のツァーのインド人以外の参加者です。
左から、ヴィジュヌー、グレゴリー、ジョー、ゲリー、ミッシェルです。


インド人の二人です。この人達はアメリカから来ているようです。


あとの人達は、このまま我々が帰ってくるまでタルチョンで
待っているグループとカトマンズへ帰るグループに分かれるらしい。

陽気なインド人のおばさま達です。しばらくのお別れです。


このご夫婦もアメリカから来ています。
カルフォルニアから来ているようですが、とても仲に良いご夫婦です。


 シェルパに猛然と抗議しているインド人の男性がいる。
ブリーフィングでもらった資料を手にして大きな声で何か言っている。
どうやら、最初の契約でカイラス山を周回する巡礼路を
きちんとサポートすることになっているのに、
なぜこのようなことになるのか?
自分たちをを巡礼路が歩けるようにサポートする義務があると
いうようなことをいっているようだ。

 しかし、ヤクもポーターも雇えない現状では、
エコトレックのサポート10人ほどで運べる荷物の量は
たかがしれている。
どう考えても、このグループ全員の荷物を持って山越えを
することは不可能だ。
 執拗な抗議にシェルパの方も声が大きくなってくる。
結局、インド人の方が折れたようだ。

 私は、貴重品を全部持って行くことにしてパッキングを済ませた。
寝袋はエコトレックのサポートが持ってくれるとのことだが、
グレゴリーやヴィジュヌーは自分たちで持って行くといっているので、
ゲリーと一緒に私達も自分で持って行くことにした。

 さて、周りにいる他のグループはドンドン出発していなくなってしまう。
私達はいつ出発するのか、ゲリーに聞いてみたけれど知らないという。
エコトレックのシェルパ達がテントを畳み出す。
ドンドン、テントサイトの撤収が進んでいく。


このヤクはどこのグループの荷物を運ぶのでしょうか?