ねぇさん日記

ねぇさんの「寝言は寝て言え!」的酔っ払いのつぶやき
<2004.10.29~>

忘れられない日

2021-08-12 20:07:47 | 日記
36年前の今日、ワタシはシンガポールのホテルにいた。

フロント横のソファーで日本人が読む新聞の見出しには、
「日航ジャンボ機、御巣鷹の尾根に墜落」という大きな文字が…

翌日のシンガポール航空便で伊丹空港に戻る身としては、
まさか!信じられない!という思いと同時に、恐怖が襲ってきた。

安全だと思っていた飛行機の事故…
それによって失われた多くの命…

何年経っても忘れられない日のひとつ、である。


ふと思い出して、当時の(大学の研修)旅行のしおりと日記帳を引っ張り出してみた。

そこに綴られていたのは、
世の中のことなんてなにも知らない若者の丸文字の独り言で…
我ながらアホやなぁー、と情けなくなり、笑えた。


そして遠い遠い昔のことを思い出した。

いつも煙草をくゆらせ、その雲海の中で考え事をしていた厳格な父…

母もそんな父に気を遣い、父がいる時はいつも家の中はピリピリとした空気が流れていた。
子供心ながらにわいわい騒いだりすることを許されない環境…
甘えることが許されない(と思い込んでいた)幼少期の兄とワタシ…

思春期を迎え、兄貴は早々に達観したように反抗することを諦めた(ように見えた)
ワタシは…折り合いをつけられず、いつもなにかに抗っていた。

数年後、兄貴はお見合いで結婚し、
当時叶えられなかった「距離感の近い仲良し親子」の家庭を作っていった。

ワタシもお見合いで結婚し、
父から逃げたつもりだったが、そんな結婚は歯車が嚙み合うはずもなく、
結局一人になった…(それが今につづく…)


父から逃げることには成功した…
本当の意味で逃げることなんてできないのだろうが…

父に甘えることがいまだにできないのは環境のせいだ、と言えば簡単だけれど、
世の中の仲良し親子を見ると、
うらやましいような、歯がゆいような、なんとも言えない感覚になる。


あの日、伊丹空港に到着したワタシを迎えに来てくれた両親の姿を思い出した。

雨が降ろうが槍が降ろうが、
ワタシの送り迎えなんて一切しなかったあの父が迎えに来たことで、
御巣鷹山の事故がどれほど悲惨なものであったのかをあらためて思い知り、
無事に到着した伊丹空港のロビーで震えがとまらなかった。

周りの友達は彼氏が迎えに来ている中、
両親が迎えに来てくれたことが恥ずかしかったけど、
でも、心底ホッとしたのは事実だった。

父とワタシの関係はこの微妙な距離感でいまでも保たれているのだ、と思う…

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