新型コロナウイルス感染が広がる中で、医療従事者に対する偏見・差別のまなざしが向けられ問題となりました。
これに対して、文部科学省やメディアは「新型コロナウイルスに関係した偏見や差別はあってはならない」と情報発信しました。
学校でも新型コロナウイルスについての偏見・差別をなくす学習をしています。
しかし、日本ではこんな偏見や差別は、ついこの前にもあったことを、人びとは覚えているでしょうか。
福島原発事故の被害者が偏見の「きめつけ」にさらされ、中傷・誹謗が投げかけられたことはついこの前のことでした。
「たくさんの賠償金をもらっているだろう」
「パチンコばかりしている」
悪意のある言葉が当事者に突き刺さります。
「いつまで避難者づらしているんだ」
被害者は原発事故で苦しんだうえに、さらに人びとの偏見・差別に苦しみます。
原発事故直後に、福島の人が避難場所を求めて他県を車でまわっていると、埼玉県で見知らぬ女の人がウインドウをたたいてきました。
「福島から放射能をもってきているじゃないの」と言ってきた実例が報告されていました。
福島にしても新型コロナウイルスにしても、またその前のハンセン病に関しても「うつされるのでは」という不安心理が働きます。
不便な日常生活や経済状況が厳しくなると、人びとはその理由や原因を誰かに求めたくなる心理になるのです。
不安な心理は、さらに虚偽の情報を拡散させることになります。それを支えるものは「正義感」や義憤です。「自粛警察」はその典型です。
差別はふだんは現れていなくても、自分に利害が及ぶときには、むくむくと起き上がってくるのです。
利害関係が絡んでも、差別しない側に回ることが結局は本人の利益につながるような社会のしくみを作らなければなりません。