箕面三中 校長室からのメッセージ

おもに保護者のみなさまに向けたメッセージです。生徒の近況を伝えるとともに、教育と子育てについての情報をお伝えします。

同じことを繰り返す

2015年12月28日 15時53分54秒 | 校長からのメッセージ


あしたに向かって    宮田滋子(しげこ)

さよならを告げる 水草に
行ってきます を くりかえし
川はながれる
あしたに向かって

なごりをおしむ 木々の葉に
行ってきます を くりかえし
風は吹いていく
あしたに向かって

つぎつぎ出会う 鳥たちに
行ってきます を くりかえし
雲はとんでいく
あしたに向かって

きょうまでの日の 何にでも
行ってきます を くりかえし
わたしも進もう
あしたに向かって




自然の法則の中に身を置いていると、人の心は落ち着きます。

毎日を送る上での雑多なやらなければならないことやしがらみ、固執などから解き放たれます。

これが自然の力です。

また、単純そうに見えても、同じことを繰り返すことが、いかに大切であるかも、この詩は教えてくれている。

人と違うかわったこと、自分らしさ、自分のオリジナリティを発揮することが、成功につながるとか、自己実現であるという方向に時代のベクトルは向いている。

しかし、毎日同じことを繰り返す人は、すべてのものごとに意味を見いだすので、意欲がみなぎり、前向きになる。

もうすぐ、あしたに向かって、踏み出す2016年。
みなさま、よいお年をお迎えください。

✳︎校長ブログは、今回が年内で最終です。
新年は3日頃から始めます。


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ポストの高さは・・・。

2015年12月27日 19時01分55秒 | 校長からのメッセージ


むねに届く   山本純子

からだという住まいの
棟のあたりに
郵便受けがひとつ
取り付けてあって
時たま誰かのことばが届いたりする
郵便受けは手の届く高さにはないので
ほとんどのことばは
軒下に落ちている


意味深い詩です。
おとなが、子どものことばを確実に受けとめているかが、問われているように感じます。

子どものいうことばだからと高をくくっていると、おとなに子どもの声は届きません。

たとえば授業中。机に座っている生徒が、教師に質問をします。このとき、心得た教師なら、膝をかがめ、生徒と同じ高さになり、視線を合わせて、質問を受けます。

高い所から子どもを見おろすように会話するおとなには、すべてがそうだとは言いませんが、子どもとの関係に上下関係の意識が入り込んでいる場合が多いのではないでしょうか。

そのような教師や親の足もとには、子どもの素直なつぶやきが、たくさん落ちているのではないでしょうか。ああ、もったいない!

おとなは子どもを見守り、ときには叱り、ときにはほめ、ときには共に悲しみ、ときにはいっしょによろこび、サポートしていくもの。

そのときのポストの高さは、子どもの手が届くぐらいでないと、メッセージはおとなの胸には届かないのです。

教育に携わる私は、どうしてもおとなと子どもの人間関係で捉えてしまいます。しかし、相手が子どもだけとは限らない。おとな同士でも、相手からのメッセージが届くかどうかは、自分と相手の関係によってきまる。

このようなことを、「むねに届く」の詩から思うのです。
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対等な関係で、英語を使う子に

2015年12月26日 15時38分36秒 | 校長からのメッセージ


今から23年前のことです。メイプルホールで落合恵子さんの講演会があり、行きました。そのとき聞き、ずっと忘れないない言葉があります。
「国際化(Internationalization)とは、英語が話せるようになることではない。多くの外国人とつきあえる人権感覚を身につけることです」

私は、英語科の教員で、この言葉はほんとうにそうだなという実感をもちました。そして、いま国際化(Internationalization)が、グローバリゼーション(Globalizatin)に取って代わっても、この落合恵子さんの言葉は色あせるどころか、ますます鮮やかに色づきだし、私たちが意識しておく意味合いを帯びてきています。

グローバリゼーションでは、人やモノ、お金、情報等が国境を超えて行き交いします。いまの子どもたちは、いまの大人以上にこれからも、多くの外国人と日本国内においてさえも出会うことになります。

そのとき、遭遇するのが文化や価値観、考え方のちがいです。そこで、外国人と共生していくためには、おたがいに相手のことを尊重しあい、ともに暮らしていく資質が求められてきます。その基盤になるのが人権意識です。落合恵子さんは20年以上も先のことを言い当てていたのだと思うのです。

では、グローバリゼーションの中での英語の役割とは何でしょうか。それは、コミュニケーションのツールです。もちろん、言語にはその国の歴史背景や文化が一体化している面はあります。それも踏まえてですが、英語を使いこなすことは、あくまでコミュニケーションを促すものです。そのため、英語学習は従来以上にその重要性を増しています。

さて、箕面市では平成27年度(2015年度)4月より小1から英語学習を始めています。小1・2は毎日15分の英語活動、小3からは週に1回の45分の英語学習を加えています。また、中学校では週4回の英語の授業に加え、週1回の英語コミュニケーション科の授業を開始しました。

国はもうすぐ小学校4年生から英語学習を始めるというプランを打ち出しています。しかし、私は、外国語学習は小1の早期から開始するのが好ましいと考えています。

その理由は、できるだけ早期に英語の音に触れ、英語に親しみを持つことが、言語習得上、たいへん大切だからです。「臨界期」というものがあり、だいたい研究者の中では9歳ぐらいがそれにあたると言われています。

9歳になるまでに、できるだけ言語の音声に触れておくと、正しい発音ができやすくなり、かりにその後、学習を離れる時期があっても、英語を聴きとる力や正しい発音が身につきやすく、あとで文字を導入してもスムーズに言語の習得ができやすいのです。
(これは、「日本語も十分でない子が、英語を学んでどうしますねん」という主張を否定するもので、日本語と英語の両方の習得ができるというものです。)

すでに、三中校区でも早期の英語学習の効果は、西南小・南小のおもに低学年の児童に現れ始めています。

英語のDVDを見て、ネイティブのモデルを聞きながら、大きな声で英語の歌をうたい身振り手振りを交えて、1・2年生にしては、かなり難しい発話と思える英語を積極的に話しています。私は4.5年後にこの成果がはっきりと見えてくると考えています。

そして、迎える中学校では、ますますコミュニケーション力を高める英語学習が求められるようになると考えています。

その際、外国人と対等な関係で、相手を人として尊重する意識や態度をもち、英語で積極的にコミュニケーションをはかろうとする中学生でなければならないのは、言うまでもないことです。



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同じ時間、同じ空間を過ごしてくれる人と

2015年12月23日 12時19分17秒 | 校長からのメッセージ

昔の友達や教え子に会うと、どれほど長く会っていなくても、すぐに自分の記憶は過去へタイム・スリップします。

思い出話に花が開き、日々の忙しさや日常の雑踏から解放され、心が知らず知らず癒されていきます。

ひとときを楽しく過ごし、また会う日までお互いの健康祈り、相手へのねぎらいを込めて別れる。

ただしその一方で、自分が歳(よわい)を重ねてくると、再会を約束しても、今度はいつ会えるのだろう、場合によってはこれが最後になるのかもという思いも、心のかたすみに浮かんできます。

また、年齢に関係なく、人はみないつ最期になるかわからない危なっかしい土台に立って、生きています。

このように考えると、友と同じ時間を過ごせたことが、限りなく尊いことに思えてきます。

日常の慌ただしさに追われ、周りの誰もが自分のことで精一杯になる中で、ときおり感じる寂しさ。

そんなとき、自分を受け入れてくれ、同じ時空を過ごしてくれる教え子や友は、お互いの人生に深い意味をもっていると感じます。
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乗り越える力

2015年12月22日 18時20分31秒 | 校長からのメッセージ


好奇心旺盛な年齢の子どもは小さいときに、よく親に尋ねます。「あれはなに? どうして?」 このとき親はできるだけ子どもにもわかる言葉を使い、ていねいに説明します。

「あ~、あれはね・・・ということなんよ。」 子どもは「あー、そうなんか。わかった!」・・・。親はこれで親子の関係が深まったと思い、満足します。

しかし、子どもの発する疑問に対して、親が言葉を尽くし、子どもにわかりやすく、親切に教えてあげることがつねにいいとは限りません。

子どもの疑問に対し答えをポンと与えるのは簡単だけれども、それでは自分で考えることをしなくなってしまいます。

考える力をつけるためには、考える習慣をつけさせることも大切です。
「どう思う?」
「自分で考えてみなさい」
「どうしたらいいと思う?」。

このような言葉で返すと、子どもは一生懸命考え、答えを探し出そうとするのだと思います。

この習慣は、中学生になるとさらに発展していきます。自分で調べることができる年齢です。自分の頭で考えられるだけ考え、答えを見つけるという過程や時間を大切にしてほしいのです。

社会に出れば、模範解答も、答えすらない問題や課題もたくさん出てきます。情報や答えを与えられることに慣れてしまわぬよう、考える訓練をすることが、壁にぶつかったときに、乗り越える力になると思います。
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大切にしたいのは生きる楽しさ

2015年12月21日 19時26分24秒 | 校長からのメッセージ

一般的に、人よりも何かができることは、子どもにとっての自信になります。

勉強ができる、運動ができる、絵がうまい、ダンスが秀でている。

親も、子どもたちが自分の得意なことや才能を見つけてほしいと願います。

ただし、親も子も、自分の才能を見つけることを最優先すべきものではないと、私は考えます。

それよりも、勉強や運動など以上に、人間的な成長をめざしたいのです。

子どもが勉強、運動、芸術などができるようになればなるほど、大人は、子どもがほめられたりするために努力するようになっていないかを見きわめる必要があるようです。

むろん、子どもがいい結果を出したときにはその努力を認めますが、そうでないときも認めてください。自分を認めることのできる子は、成功したときに心からの充足感をもつことができます。

生きることは、楽しい。
大人から愛されて育った子は、このような感覚をもっています。成功しようが、しまいが、自分に自信をもって人生を生きていけます。また、他者を大事に思い、つながってい生きていきます。


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冬に冴える大空

2015年12月20日 13時15分13秒 | 校長からのメッセージ

遥かなる 行方(ゆくえ)の冴え(さえ)や ぬくめ鳥(松瀬青々)

鷹や鷲は、凍りつくような冬の寒い夜に、小鳥を捕まえつかみ、その羽毛で自分の足を温めるそうです。

そして次の朝、小鳥を逃がすのです。そしてその日は、小鳥の逃げ去った方向には飛ばないといいます。

この句は、ぬくめ鳥が飛び去った空は、とおくまで澄みきっているという意味でしょう。古人は心優しく青空を遥か彼方まで眺めているのでしょう。

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澄んだ心で見る

2015年12月19日 15時37分54秒 | 校長からのメッセージ

今日、少し曇り空ですが、家の周りの山が美しく見えます。

紅葉は過ぎたとはいえ、色とりどりの色彩を帯びて、山はたいへん美しいのです。

ところが、考えごとをしているとか、ほかのことに気をとられていると、毎日同じ景色をみていても、美しいとは感じない。視界にも入らない場合もあります。

何が違うのでしょうか。それは山が違うのではなく、私たちの心の状態が違うのです。

つまり、これがきれいだとか、これが楽しい、これが辛いという決めごとを作っているのは、すべて自らの心なのかもしれません。

目前に美しい山があるのは、あなたの心が澄んでいるからです。心が曇っていたら、美しい景色がせっかくあったとしても、その美しさを感じることはできないでしょう。

心の状態を保っておくのは、たいへん大事なことと思います。

現代のように人間関係が複雑化し、あふれんばかりの情報の中に身を置いていると、心は緊張やストレスでいっぱいになります。

私たちが心を澄んだ状態にしておくことは大切ですし、とりわけ教育に携わる者は、子どもの豊かな感性を感知する上でも必要なことだと考えます。
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一歩下がるとうまくいく

2015年12月18日 18時35分37秒 | 校長からのメッセージ

500名以上の人が集まる学校にいると、自分と違った考えをする大人や生徒に出会うことが時々あります。私たちが出会う価値観はじつに多様です。

自分と似た価値観をする人、「それはどうも」と言いたくなる価値観、「あー、そうなん」ですむものなど、なかなか対応していくのは簡単ではありません。

子どもに注意をするときでも「相手はわかったと言っているのだから、そこまでとことん、しつこく言わなくても」と思っても、その人にしてみれば「ここまで言わないとダメなの、この子は」と、主張する人に出会うこともあります。

自分の価値観と反するものにでくわすと、やっかいです。感情的にならずにいようと思っても、心が平静になりにくい場合もあります。まして二人でなく三人になればこれはもうたいへんです。

もし、三人がそれぞれの価値観を主張しあえば、平行線をたどります。
「宝くじなどに手を出せば、どんどんお金が無くなる」
「年末ジャンボ宝くじは、あたると大きいのよ。買う方がいいの」
「宝くじであてた人は、ボクにお金をくださいな」
という具合となり、収拾がなかなかつきません。

こう思うなら、自分はみずからの主張を控え、「ま、そういう考えもあるよな」と、まず相手への理解を示すのがいいかもしれません。このほうが、何よりも自分の心が穏やかになります。

この場合、理解と同意は別物です。なのに、理解と同意をイコールと考える人(日本人に多い)は、「私の言うことがわかったなら、なぜあなたはそうしないのか」と責めよってきます。

しかし、理解と同意は本来的に違うのです。私は同意するかは別として、理解できるという意味で、「ま、そういう考え方もありますね」と思い、相手に伝えるようにすれば、日常会話は、たいていうまくいくように思います。
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幸せはあるのでなく、認めるもの

2015年12月16日 17時37分31秒 | 校長からのメッセージ

私は思いますが、自分のことはなかなか自分ではわからないものです。

しかし、自分では自分のことはわからないのに、はたから見れば、その人がどんな状況にあるのかを冷静に把握している場合が多いものです。

当の本人はどうしても目先のことに集中しがちですが、周りの人は全体を俯瞰して見ているので、客観的に状況を判断できるからでしょう。

同じことが、幸せか幸せでないかについても言えるのではないでしょうか。はたからみればこの人は幸せなのに、本人は自分が幸せと思っていないことがよくあります。

「あなたは幸せですね」と言われて、はじめて自分の幸せに気づくことがあります。

その一方で、「私の何があなたにわかるの」と抗議する人もいるでしょう。

「あなたは幸せですね」という言葉に対して、自分が幸せだと思うのも、思わないのも、結局は自分で決めることです。

自分で自分の幸せを認めることが大切であり、幸せとはあるものではないのだと思います。
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年賀状をみて、2015年をかえりみる

2015年12月15日 19時54分44秒 | 校長からのメッセージ




師走に入り、三中では年賀状のデザインを二階の渡りローカに掲示しています。

昨年度に美術の授業で、生徒が創作した作品です。

投票により、賞を決めました。

なかなか秀作ぞろいで、けっこう見ごたえがあります。

生徒たちにとって、2015年はどのような年だったでしょうか。

今年もさまざまな自然災害にわが国は、見舞われました。自然の力が猛威を振るうと、人間の力ではとうてい太刀打ちできない。

東北地方大地震にしてもしかり。人類が科学をいくら発展させたとしても、大自然の力の前では、人間は立ちすくむことしかできない。このことを、今年も実感させられました。

ならば、私たちのできることは、つながり合い、助け合うことことなのでしょう。

このことを、生徒にも伝えていきたい。年賀状を見て、思いを巡らせています。

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関心は他者に向ける

2015年12月14日 20時42分17秒 | 校長からのメッセージ

               
私が小学校6年生か中1の頃、ちょうど大阪万博が千里で開催されていたころ、「三無主義」という言葉がはやりました。(保護者のみなさんはご存じないかとは思いますが、1970年前後です。)

「三無主義」とは無気力・無関心・無責任で、日本で学生運動が下火になったころ、政治に関心を示さず、この当時の高校生や大学生は、「ぼくたちは周りにしばられずに、好きなように生きますよ」。

ちょうど高度経済成長期の矛盾として、四日市ぜんそく、水俣病、イタイイタイ病などの公害が表出してきて、モーレツな働き方に反対する若者の心情を表現していたのかもしれません。ガツガツ働いてもしょうがないでしょう、周りで起こっていることには関係ないし、関わらないから、自分に責任はありません、といったものだったのでしょう。

そして、いまや右肩上がりの経済成長は望むべくもないいま、再び無気力・無関心・無責任の人が増えてきたように思います。

「意欲を高めて」というと「しんどいし」とか「疲れるし」、「興味関心をもちなさい」というと、「興味や関心で、なにかもらえるの」、「それはあなたの責任だろ」というと「なんで私だけが責任をもたなあかんのよ」・・・。

でも、これではなんのために日々を暮らしているのでしょうか。ものごとに関心をもつことで、いきいきしている人がいます。その人の話は聞いていてもたいへんおもしろいものです。何ごとにも関心をもっているので、話題が新鮮なのです。いっしょに話していると楽しくなります。

とかく、関心が自分に向きやすい時代です。そのため、他者のことに無関心な人が増えているように感じます。

いみじくもマザー・テレサは言いました。
The opposite of love is indifference.(愛の反対は無関心である。)
わたしも、できるだけいろいろなことに関心をもつようにしています。

生徒でいえば、クラスのとなりにいる子のことを気にかけて、つながりあって生活していく。それが、クラスの団結とか一体感に高まっていくものだと思います。中学校では、3年生に近づくにしたがって、子どもにとってのクラスの意味が大きくなってくるのが普通です。
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子どもは信頼関係を求める

2015年12月11日 19時01分12秒 | 校長からのメッセージ


私の上の娘は、一昨年の3月に大学を卒業して就職しました。そして今年の2月に結婚しました。

子どもがほんとうの意味で親の「保護」から離れるのは、このように社会人として経済的に独立し、新しい家庭を築く頃ではないかと思います。

子育てに万能の方法はありません。子どもが「ちゃんとした」大人になったかどうかをみれるのは、独立して家庭をもつ頃でないかと思うのです。

親はどの親も、子どもに幸せになってもらいたいと願うものです。しかし、親が子どもの生き方を決めることはできません。

では、子どもは大人になっていくとき、何にいちばん影響を受けるのでしょうか。いちばん影響を受けるのは、人との関係(人間関係)です。

自分がうまく人とかかわりを持つことができると、意欲や満足感が生まれます。しかし、うまく人とのかかわりを持つことができない場合、気持ちが満たされないので、他者に迷惑をかけたり、犯罪、酒に溺れる、薬物乱用などにつながっていくことがあります。

子どもにとって親との関係ほど大切なものはありません。だからこそ、親にシャットアウトされたり、拒否されたりすることほど子どもが傷つくことはありません。

虐待などは、いちばん親しい関係を求める相手からはねつけられるのであり、子どもにとってはどれほど辛いことでしょうか。

こう考えた時、親が子どもにとって信頼できる存在であるかは、たいへん大きな意味をもっていることになります。

人は相手への信頼感がないところでは、相手の言うことを聞き入れようという感情は生まれません。信頼感がなければ、親は子どもにきいてもらえず、成長を支えるサポーターにはなれないのです。

たしかに、子どもの考えや選択、やろうとしていることに賛成できない場合もあるでしょう。そのとき、親は強い口調で言わなければならないことは言うべきです。

しかし、それは親が子どもを拒否していないことが条件です。べつに子どもを傷つけようとしているのではないし、争いごとを好んでいるわけではないということは、メッセージにして伝えましょう。

話し合って、歩み寄って、親子間の距離を小さくしようとする親と子のかかわりあいによって、子どもは人から信頼される生き方を身につけていきます。子どもはどんなときでも信頼しあえる親子関係を求めているのです。
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受けた恩を返す

2015年12月09日 20時03分29秒 | 校長からのメッセージ

先日、「海難1890」という映画が封切られました。私はまだ観ていませんが、いい映画だと思いますので、保護者のかたはお子さんと観にいかれたらどうでしょうか。
ご存知の方もおられるでしょうが、この映画は歴史上の事実に基づいています。

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明治23年(1890年)、トルコからの初の使節団を乗せた船、エルトゥールル号が日本を訪れました。使節団は3か月間の日本滞在を経て帰国の途につきましたが、折悪しく台風に遭ったエルトゥールル号は和歌山県の串本沖で沈没し、600名以上が大荒れの海に投げ出されのです。

ただちにその救助に乗り出したのは、和歌山県沖に浮かぶ紀伊大島の島民たちでした。現場は約60メートルの崖下にある海です。しかし島民たちは一人でも多くの生存者を助けようとひるむことなく海に降り立つと、息も絶え絶えな遭難者を背負って絶壁をよじ登りました。

そして傷の手当てはもちろんのこと、冷え切った体を抱き寄せて自分の体温を分け与え、さらには非常事態に備えてたくわえてあった食糧の一切を提供するなど、懸命にその命を救おうとしました。結果として、69名のトルコ人が助かったのです。

このエルトゥールル号遭難時のエピソードは、トルコの歴史教科書にも掲載されており、トルコでは誰もが知るほど歴史上重要な出来事であるということです。

エルトゥールル号の遭難から95年を経た、昭和60年(1985年)の出来事です。イラン・イラク戦争中の中東から、衝撃のニュースが発信されました。

イラク側が「イランの首都・テヘラン上空を航行する航空機は、どこの国のものであろうと撃墜する」という方針を決定したのです。タイムリミットはわずか2日後。日本政府は現地にいた日本人の救出のために手を尽くしますが、限られた時間の中で、もはや万事休すという事態に追い込まれました。

このとき、取り残された日本人215名を救出してくれたのがトルコ航空機でした。現地のトルコ大使館から日本大使館へ「日本人に席を割り当てるから利用せよ」と連絡が入り、間一髪、無事に脱出することができたのです。

トルコの人たちはなぜ、危険を冒して日本人を助けてくれたのでしょうか。その答えは平成13年、駐日トルコ大使であったヤマン・バシュクット氏への『産経新聞』の取材の中で、こう語られています。「特別機を派遣した理由の一つがトルコ人の親日感情でした。その原点となったのは、1890年のエルトゥールル号の海難事故です」と、まさに95年も前の日本の先人たちによるトルコ人遭難者への献身が、トルコの人たちの胸に「恩」として刻まれ、後世に「送られてきた」ということができます。(「ニューモラル」平成27年12月号(NO.556)「次」に送る「恩返し」モラロジー研究所発行)
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人から受けた恩は、返していきたいと、子どもたちにも伝えたい、と思います。
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微笑みが溢れるひととき

2015年12月08日 21時00分07秒 | 校長からのメッセージ

きょうの3C,Dの体育(女子)では、保育体験の授業でした。

瀬川保育園の園児たちが三中の体育館にやってきました。

写真は鬼ごっこをしている場面です。みんなやさしいお姉ちゃんになっていました。

小さな子どもといっしょに遊ぶ3年生の表情は、たいへん柔らかく、笑顔がこぼれます。

師走のバタバタする慌ただしい日々ですが、3年生の子にとっては、つかの間のホッとできるひとときだったのではないでしょうか。

私も見ていて、温かな気持ちになりました。
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