箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

ソロ充と人とのつながり

2024年01月31日 07時55分00秒 | 教育・子育てあれこれ
少し前まで、「リア充」という言葉がよく言われました。

いまでも、その言葉はよく使われます。

現実世界が充実しているようすを表します。

家族は仲が良く、友だちは信頼でき、パートナーは理解してくれる。今わたしはリア充かな。

こんなふうに、使われる言葉です。


ただ、最近では「ソロ充」という言葉も聞くようになりました。

今日はひとり旅で、おいしいディナーをたべることができた。
ホテルの部屋はきれいで、ソロ充を満喫した。

このように、ネットに書き込んだりします。

ひとり旅行、ひとり焼肉、「おひとりさま」など、今の時代は集団でいるかどうかは充実に必要な条件ではなくなってきていると思われます。

集団の規範や同調性から解放されたソロ充は、むしろ個人として幸せ感を追求することを肯定しているとも考えられます。

とくに、最近のコロナ禍で人との接触を避けることの勧めがソロ充の肯定を後押ししたとも言えます。

産業界は、その変化を敏感にキャッチして、「ひとりでもいける」という価値観を商品化しているのです。

ただ、「充実」という感覚は多分に主観的なものです。

その人が「充実している」と感じるなら、他者がそう思わなくても充実なのです。

その一方で、人は他者とつながり生きていくというのは、今回の能登半島地震でも揺るぎない価値として引き継がれています。

価値観が多様化する時代を、私たちいま生きているのだと思います。

修学旅行が直面する課題とは

2024年01月30日 08時24分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校行事の最大のものは、なんといっても修学旅行です。

人生の一生の思い出に残る一大イベントであるのは、昔も今も変わりません。

しかし、コロナ禍の影響で2020年度、2021年度の中学校、高校の修学旅行の実施は大きく落ち込みました。

その後、2022年度からほぼすべての学校で修学旅行が実施できるようになり、現状に至っています。

実施数としては、コロナ前に戻ったのですが、環境の変化に伴い、さまざまな課題が出てきています。

まずは、観光バス等の値上がりです。ガソリン代の高騰、運転手の問題があります。

2024年4月には、ドライバーの働き方改革で、1日につき従来は継続休息時間が8時間でしたが、11時間に延長されます。

そうなると、一人のドライバーで全行程をこなすことが無理になり、交代が必要になってきます。

加えて、コロナ禍の間に、バスガイドさんもかなり退職しましたので、人件費の高騰はバス代にはね返ってきます。

航空機は、いま機種が中型化、小型化していますので、乗降に時間がかかります。

もちろん燃料代高騰は料金を押し上げるでしょう。

宿泊施設は、物価高のあおりを受け、食事代、光熱費、人件費が上がり、宿泊代が高くなります。

学校が生徒から徴収する修学旅行費のうち、交通費と宿泊費が大きなウエイトをしめていますので、コロナ禍後の修学旅行をとりまく環境の変化は、修学旅行費の値上げにつながるのです。

公立の学校の保護者にとっては、大きな家計の負担になります。

また、いい修学旅行を生徒たちに提供するには、学校と団体旅行業者との連携は欠かせません。

どの旅行業者を選定するかは、学校にとって大きな問題です。

そして、同行してくれる添乗員の動きはかなり大きな役割を担います。

ところが、コロナ禍の間に解雇されたり、退職した人が多く、旅行業者は人手不足であり、教育旅行担当者の経験も豊富ではないのです。

旅行会社から学校にもたらされる情報は大切なのですが、学校は修学旅行に関わる情報が手に入れにくくなってきています。

入札を辞退する旅行会社も出てきているほどです。

このような困難に、学校の修学旅行は直面している、あるいは直面することになるのです。



人とは多面性のあるもの

2024年01月29日 07時32分00秒 | 教育・子育てあれこれ

1976年にテレビドラマ「岸辺のアルバム」が放映されました。

山田太一さんが原作、脚本を書きテレビドラマ化されました。

そのドラマは、当時にしては衝撃的なストーリーでした。

どこにでもある中流家庭の風景から始まり、倦怠期を迎えた夫婦の妻は不倫に走ります。

夫の会社は経営に行き詰まり、ごく普通の中流家庭に亀裂が入ります。

その子どもたちは大人になる過程での揺れる思春期の苦悩を抱えます。

家族がバラバラになっていく様子が描かれ、最後に水害によりマイホームが流されるという危機から、家族が再生するというあらすじでした。

1974年に多摩川が台風で増水し、堤防が決壊して家が20棟ほどの流されたという事実がもとになっています。

山田太一さんは、この作品以外にもこれが「いい人」、それが「悪い人」と言う固定的な描き方はしませんでした。

というより、人間だれしもがもっている多面性を見事に描いていました。

今の時代に「岸辺のアルバム」をみても、古い感覚はもたず、その人間像はむしろぴったりとくるように思います。



 


小さな社会で暮らす

2024年01月28日 09時01分00秒 | 教育・子育てあれこれ
能登半島の被災状況は深刻で、多くの人びとが避難生活を強いられています。

令和6年のスタートである元旦に起こっただけに、今年の年明けは災害の年の幕開けかと感じて、身が引き締まる思いです。

やがで南海地震や東南海地震が起こると言われています。さらに、首都直下型の地震も起こるだろうと言われています。

そのとき、私たちはどうするか。身につまされます。

コロナ禍がおさまり、再び東京一極集中に回帰してきています。

いまの日本は、地域での自給自足がどこもできておらず、食料の自給率は4割程度で、エネルギー自給率は1割で、あとはすべて海外に頼っています。

能登半島地震では、道路が寸断され、水が足りなくなりました。

もし世界規模の災害が起きれば、日本への物の流通は断たれてしまいます。

今のうちに自給率をあげておかないと、たいへんなことになります。

高齢化や過疎化が被害を拡大して、復興の障害になることも懸念されます。

東京一極集中ではなく、生活の軸足を地域に置き、地方で自給自足型の小さな社会をつくり、人びとが助けあう人間関係を維持しておく必要があります。










デジタルアーカイブを活用した学習

2024年01月27日 11時41分00秒 | 教育・子育てあれこれ



関西テレビに「今昔さんぽ」という番組があります。

大阪の昔の白黒写真1枚を出がかりに、それがどこの場所だったかを、地元の人たちにインタビューしてキャスターが探しあてるものです。

その昔の写真といまの映像を比べると、大阪の今昔の移り変わりがよくわかり、興味関心をかき立てます。



さて、全国的にいまけっこうな数の学校が、児童生徒の学習に、デジタルアーカイブを活用しています。

図書館や博物館、美術館が所蔵している写真や作品をデジタル化して教育に役立てるため、「ジャパンサーチ」というサイトに載せています。

図書館、博物館、美術館にすれば、来館があっても子どもたちがなかなか所蔵の作品を見てくれない。

なんとか保存する資料を教育に役立てることはできないかというニーズがあります。

学校側からすれば、たとえば社会の時間に古墳の授業をしても、遠い世界のこととなり、身近な話題となりにくいのです。

そこで、児童生徒が一人1台タブレットを使い、ジャパンサーチから自分たちに地域に昔あった古墳の写真を見つけることで、探求学習を進めるこができます。

そのように、デジタルアーカイブを教材に使う学校が増えてきています。

ふつうにネットで検索しても、出典が不明だったり、派生する情報が多すぎて、目的とする資料にまでたどり着けないことも多いのです。

ところが、このサイトの場合なら、確かな資料がヒットします。

デジタルアーカイブによって、ある意味で、教科書をこえた学習が可能になるのです。

そして問いが子どもなかから出てきて、深い学びにつながるのがデジタルアーカイブです。






きめつけから脱するチャレンジ

2024年01月26日 12時46分00秒 | 教育・子育てあれこれ


日本の大学では、伝統的に理工学部に女子学生が少なくなっています。

そして、社会には理学部や工学部は男子学生がいくものというステレオタイプの固定観念が
あります。
 
高等教育で工学を専攻する女子の比率は、日本は著しく低迷しています。

ところで、関西では奈良女子大は名門大学として名が通っていますが、2022年に工学部を設置し、いま話題になています。


伝統的な工学科のコース以外にも、自己プロデュースや総合デザインなどの学習が専攻できます。

企業も支援したいという申し出がたくさんあります。

「工学を専攻するのは男子」というきめつけを払拭して、「工学女子」を育て輩出するチャレンジに期待します。





「経済大国」がなんぼのものですか?

2024年01月25日 07時03分00秒 | 教育・子育てあれこれ
いまから3年前の秋、首相が就任したときには、「格差是正」の方針を打ち出していました。

でもいまはそのことに触れることはあまりないようです。

そもそも、格差があるのはなぜよくないのでしょうか。

経済格差が抑えられて、所得が平均して富が配分されている社会では、生活が安定していてみんなが力を発揮しやすいからです。

「失われた30年」を通して、日本の経済は低迷した賃金、不安定な非正規雇用にたより続ける構造になっています。

いま、日本は世界第3位の経済大国ですが、ドイツに抜かれるのは時間の問題で、人口減少と円の価値が下がり、経済成長率はあがりません。

また、東南アジア諸国がいま著しく経済を成長させています。もはや発展途上国ではありません。

政府は、少子化対策と経済成長に全注力を投入し、世界第3位の経済大国を維持するといっています。

でも、経済成長がそれほど大切なことなのでしょうか。

わたしはそうは思いません。

そもそも経済成長は、生産や消費の経済活動を示すものです。

それは、人びとがお互いに助け合い、豊かな生活を送れているかどうかにはなじまないものです。

高度経済成長の時代が終わり、いま日本は、五木寛之さんの言葉を借りれば、山の頂上から下っていく「下山の時代」に入っています。

山をおりると聞けば、とかくマイナスのイメージをもつかもしれません。

しかしながら、下山していくにしたがい、登るときには気がついていなかった足元には咲く高山植物の美しさを知ります。

山を登るときにはがむしゃらで気にかけなかった、はるか彼方に光る海の美しさをゆっくりと眺める余裕もあります。

つまり、下山の時代は、人びとにとって、社会にとって、「成長」ではなく「成熟」のときです。

人は人とつながり、助けあうことこそが真価なのです。国の豊かさはそこから生まれます。

いつまでも、経済大国という幻の影を追い求めるのではなく、助けあう豊かな人間関係の社会づくりを標榜して、生まれ変わるのが日本の将来像です。







詩の学習で言葉を楽しむ

2024年01月23日 06時50分00秒 | 教育・子育てあれこれ
詩「むねに届く」  
山本純子

からだという住まいの
棟のあたりに
郵便受けがひとつ
取り付けてあって
時たま誰かのことばが届いたりする
郵便受けは手の届く高さにはないので
ほとんどのことばは
軒下に落ちている


国語の授業では、児童生徒には詩を学習する時間があります。

でも、鑑賞のしかた、つまり味わい方がわからないという子が少なくありません。

わたしは、そのことにあまりこだわらなくてもいいと考えています。

この詩が好き、あの詩は好きになれないと感じることはあるでしょうが、まずは詩に出会って知ることが大切です。

そのため、教科書にはたくさんの詩が載せてあります。

大きな自然の風景を連想する詩。

読んだときにジーンとくる詩。

リズム感があって、楽しくなる詩。

・・・・・・・・・・・・


そのような経験はしたことがない。

そうなのかなあ。

何か不思議な感じ。

そのように、子どもはいろいろな受け取り方をしますが、それでいいのだと思います。

また、詩は短いことばで書かれているので、いろいろな感じ方や読み方ができるのです。

「わたしはこの詩が好きです。なぜなら・・・」

「ぼくはこちらの詩にひかれます。この〜」

自分の考えたことを交流しあい、対話が生まれる授業ができます。



さて、冒頭の詩は、わたしは読んだときに、ハッとしました。

わたしは教師なので、おとなが、子どものことばを確実に受けとめているかが、問われているように感じました。

子どものいうことばだからと高をくくっていると、おとなに子どもの声は届きません。

おとな同士でも、相手からのメッセージが届くかどうかは、自分と相手の関係によってきまるとも思いました。



また、詩は声に出して読んだ方がいいと思います。

声に出すと語感やリズムを味わうことのできる詩があるからです。

さらに、詩を正確に写す学習もあります。

句読点をわざとつけていない詩があるかと思えば、たくさんつけている詩もあります。

句読点にも作者の思いがつまっているのです。

要は、詩の学習で言葉を楽しむことができるのです。

それが、詩の学習の意義なのです。

男女雇用機会均等社会が発展する

2024年01月22日 05時58分00秒 | 教育・子育てあれこれ
「24時間働けますか」とか「モーレツ社員」 と言う言葉がもてはやされた時代がありました。

残業や転勤をいとわず、会社が言う通りに働く人がもてはやされたのでした。

高度経済成長の時代から2000年ごろまでがそういう働き方に価値がおかれました。

そのように会社に拘束される働き方が求められた中心的な社員は正社員のなかでもおもに男性でした。

正社員の中でも、あまり拘束されないのは一般職で女性が多く、さらにもっと拘束されないのは非正規雇用やパートで、女性が担う構造になっていました。


しかし、今の時代は、そこまで仕事や会社に価値を置かなくなっています。

転職や兼業はふつうと考える人は、とくに若い世代の中で増えています。


その反面、自分をいかすことができる仕事がしたいという人が増えています。

会社に拘束されずに、プライベートな時間もほしいと思う働き方を男女を問わず求めています。


しかし、男女間格差の問題は据え置いたままであり、賃金格差がある中で、自分らしさを発揮できる職場を若い世代が求めているのです。

女性は、男性のような正規雇用は少なく、昇進の機会もあまりありません。

女性を労働力としか見ない社会は、これからの時代には発展しません。

男女格差の問題の解消とワークライフバランスは並行して推進されていくべきです。



本質は現場にいつも宿っている

2024年01月21日 07時37分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは、大学で教員志望の学生を集めた授業を担当しています。


今は、教職志望の大学生が減少傾向にあります。

それでも、なんとしてもでも教員になりたいという強い意志で、授業に臨む学生もいます。

その学生たちは、教職教養の講座や面接練習の講座に熱心に出席してくれます。

授業中もポジティブにリアクションしてくれます。

わたしとしてできるのは、実際の学校で勤務するようになったときをイメージして、学校現場の実態を伝えます。

もと中学校の教員であるからこそ、現場の話ができます。

わたしは「本質は現場にいつも宿っている」と考えています。

一生けん命に応えてくれる人には、誠心誠意でかかわるのが当然と思わせてくれます。

事実がデマかを確かめる

2024年01月20日 08時40分00秒 | 教育・子育てあれこれ

災害などの非常時に偽の情報をSNSで発信する人がいます。

およそ100年前に起きた関東大震災時には、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマが広がって、朝鮮人虐殺が広がったのは、歴史上の事実です。

しかし、その当時は口コミで広がったもので、インターネットが発達した今では、偽情報の拡散のはやさや広がりの程度はケタ違いです。

今回の能登半島地震でも、「津波が来ます。逃げてください」という呼びかけを東北地震のときの津波の動画をアップして投稿しているものがありました。

ツイッターは「X」に変わり、表示回数が多いアカウントに広告収入を渡すようになりました。
非常時に乗じて荒稼ぎをする人を助長します。

PayPayの送金リンクを貼った投稿もありました。

今後の生活のため、資金のため寄付をしてもらえると助かります」というメッセージが添えられていました。

私たちにはネット情報が真か偽かを見きわめることが求められるようになりました。

それは学校教育でメディアリテラシー教育が実践される必要性を提起しています。

学校教育以外では、「ファクトチェック」を利用することもひとつの方法です。

ファクトチェックとは、その言説・情報が事実に基づいているかどうかを、具体的な根拠を調べて、その結果を発表する活動です。

各報道機関が慎重にファクトチェックを行っています。

人間が行なっている活動なので、100パーセントを保証するものではありませんが、「ファクトチェックナビ」というアプリを使えば、情報の真偽を確認できます。

いま、なにが大切なのか 家族と離れることでしょうか

2024年01月19日 08時10分00秒 | 教育・子育てあれこれ

能登半島地震の被災地では、学校運営にも大きな影響が出ています。


とくに震源地に近い石川県の奥能登地方では、再開のめどすら立てられない学校が多く、避難所になっている場合もあります。


そこで輪島市は、市内3中学校の生徒約400人を別の自治体に集団で避難させる方針を打ち出し、すでに移動が始まっています。


今回の大地震を受け、子どもたちの学びの機会が確保できず、進路選択に支障を来すようなことがあってはならないのは当然です。


とくに中学3年生の生徒には高校受験が迫っています。


しかしながら、「疎開」は3年生に限定すべきで、中学1・2年生まで避難させる必要があるのでしょうか。わたしはこの間の対応に疑問をはさみます。


それほど学習が、いまこの時期に大切なのでしょうか。


勉強よりも、家族といっしょに助け合って、この困難を乗り越える経験を積むことが、その子たちの人生でどれだけ大切なことかと思います。


人同士が助け合うことが経験できる期間を家族から「引き離し」て被災現場にいないという空白期間を行政が先導するのは、子どもの成長をどうとらえているのかと疑問に思うのです。


日本では、中学生は大人から保護される存在という捉え方しかされないことを残念に感じます。


とかくわが国では、学習至上主義、生徒は学習していればいいという考えが蔓延しています。


新聞やテレビのメディアも、学習の保障に賛同する論調でこの輪島市の対応を報じています。


しかし、非常時なのだから、学習にある程度影響が出るのはやむをえないと、わたしは考えます。


学習は、長い人生でいつでも取り返しはできます。


中学生も復興にあたってスタッフとしてできることはあります。


阪神淡路大震災では、神戸市立鷹取中学校の生徒たちは、避難所運営のスタッフとして活動をしました。


ともに悲しみを抱え、ときには涙をながしながしながら、家族のため、地域の復興のため貢献する活動をこの時期に目の当たりにすること、また自ら体験することで、人と人のつながりの大切さを身をもって学ぶことができます。


もっとも、子どもにとっていま大事なのは何かがわかる親御さんは、他地域へ避難させることに同意はされないでしょう。


少なくとも、中学生がみんな避難するから、わが子も避難させるにはならないほうが望ましいと思います。


市や教委にすれば、移動するかどうかは、本人と保護者に選んでもらい、強制避難をしてもらっていないという反論もあるでしょう。


しかし、行政がその「疎開の方針」を先導して打ち出したことに、わたしは疑問を抱くのです。


それほど、行政の役割は重く、影響力があるのだから、現状を深く分析した上での適切な舵取りが求められています。


集団避難よりも、行政は被災した家庭に対して、入学金の減免や奨学金の給付など経済的なサポートを手厚くしてほしいと思います。





大局観とは

2024年01月18日 06時32分00秒 | 教育・子育てあれこれ
何か商品を購入しようとするとき、思わず気に入って衝動買いすることもあります。

でも、ふつうはいろいろと手にとり、検討するのことが多いと思います。

わたしなら、気にいった上着があれば、まず値札を見て、いくらするかを確かめます。

デザインを見たりしながら、自分が着た姿をイメージします。

縫製はしっかりしているか。

それにどんなボトムスを合わせればいいか。

それは今家にあるのか、ないのか。

下に着るシャツはどれがコーディネートできるか。

その結果、買うのを見送ることもあります。

その結果、買うとなると支払いは現金かカードか。

カードにするなら、その月分の支払いは合計でどれほどになるか。

いろいろと検討するのです。



さて、そのように検討するのは固定した角度から全体を把握する難しさ、より客観的にものごとや状況を知ることの必要性からくるものなのでしょう。

私たちは日頃は、自分なりのルーティンで行動しています。

習慣などはまさしくルーティンです。

それはそれで、深く考えなくてもすみ、悩みや迷いが起こらず楽なことです。

ところが、人は仕事や生きていくうえで、判断し選択しなければならない局面にどこかでは遭遇します。

そのときには、客観的に判断するため、思考を集中させなければなりません。

適当に判断すると誤ることもあります。もっとも思考を集中して判断しても間違うこともあるのですが。

でもやはり、思考して客観的に判断、選択したことは、何も考えずにするときよりも間違うことは少ないはずです。

だから、ときには主観的な見方に揺さぶりをかけ、さまざまな角度、複数の面から検討することなどの工夫が、大局観をもった自分へと導いてくれるのです。

中学生は守られる存在であり、他人を守ることができる

2024年01月17日 06時40分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今から28年前、阪神淡路大地震が起きました。

大阪のわたしの家でも、かつて経験したことのない激震でした。

下からドーンと突き上げだと思ったら、すぐに猛烈なガタガタガタガタという横揺れが長い時間続きました。

家が潰れると思いました。

揺れがおさまると、家族の住む母屋へ行き、無事を確認したことを覚えています。

その後、神戸市など阪神間の大規模な被害をテレビで目の当たりにして驚きました。
 
当時は避難所を開設しても、運営するノウハウも手探り状態でした。

神戸市立鷹取中学校(須磨区)も避難所になりました。

その当時の校長先生から後日聞いたお話を紹介します。

それは中学生の活躍です。

地震後、すぐに鷹取中学校には生徒が集まっていました。

避難所であっても水が出ない。

生徒たちは自分たちの判断で学校の受水槽を壊して、水をバケツで運び、避難所になっている体育館へ届けました。

トイレは水洗がきかないので、便器に溜まった便を板切れでかき出し、掃除をしました。

避難所に届いたお弁当を避難者に配る手伝いもしました。配り方にクレームをつける避難者にも、女子生徒はひるまず泣きながらも公平に弁当を配給しました。

被災したおばあちゃんを病院で看病した女子生徒は不登校の子でした。

看病の甲斐なく、おばあちゃんは亡くなりました。

学校で「おばあちゃんは亡くなった。でも、ありがとうと言って死んでいったんよ」と、涙を流しながら語るその子は、その後学校へ登校するようになりました。


それらの実話を聞くにつけ、わたしは中学生がもつ力をあらためて思ったのでした。

しかし、現状をみると、多くの場合、中学生は大人から守られる存在として捉えられ、避難所の運営スタッフに加えられたり、ボランティアの一員として加えてもらえないのが、多くの自治体で見受けられる風景です。

避難者の一員として、組み込まれていきます。

中学生は大人から守られる存在でもあるのは確かですが、じつは大人を守る存在でもあるのです。

中学生はそれだけの力をもっているのです。

どこの自治体でも、防災計画を備えていますが、中学生を避難所運営スタッフに組みいれているところは皆無でないかと思います。

わたしは中学生の役割を、無理のない程度で計画に組み入れていけばいいと考えています。

もし、一部でもその役まわりを中学生が果たせば、自分がかかわることで喜んでくれる人と出会え、自分も社会に役立つことができると知ります。

それは中学生にとって、大きな自信となるでしょう。


大学での4年間を実りあるものに

2024年01月16日 07時14分00秒 | 教育・子育てあれこれ

人の一生の中でも、18歳からの4年間は人として大きく成長できる時期です。

その時期に大学でどう過ごすかは大きな意味をもちます。いえ、もつはずです。

だから、自分はこれだけ成長したという実感をもてるような大学教育であるべきです。

そのためには、既存の知識や技能を身につけるだけでは、今の時代では不十分です。

自分で研究し、問いをもつことができ、その問いは今までに誰も答えたことのないもの。

学生がそういう学習をするのが大学です。

もちろん、そういう学習をするためには、基礎的な知識・技能は土台としてしっかりと身につけるのが、前提条件にはなります。

それにはかなり負荷がかかる学習や研究が求められます。

わたしの大学のときのような、授業をサボっても単位がとれ、レジャーに興ずるようなやり方はもちろん通用しません。

もっとも、わたしも大学生の指導に関わっていますので、その実感から言うと、今の大学生は基本的に授業をサボったりはしません。

真面目に授業を受ける大学生がほとんどです。

でも、学習に受け身の態度の人が多いので、工夫が必要です。

「どう思うか」「どう考えるか」

「なぜそう考えるのか」「どういう理由や根拠からそう思うのか」

「どうすればいいか」。

このように、常に問うこと、考えること。

そのために、レポートを課すこと。

そういった学習の過程があり、土台ができるのです。

大学は真の意味での「高等教育」を提供する場として、君臨していくべきと考えています。