箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

孤独とつきあう

2024年02月29日 06時49分00秒 | 教育・子育てあれこれ
大阪梅田の高層ビルの最上階から下を見ました。

星の数ほど建物や家があり、そこにはたくさんの人びとが歩いています。

吉田栄作さんは16歳のとき、新宿センタービルの高層階から、窓の外を見下ろすと、スクランブル交差点に行き交う人の小ささを見ました。

「自分もあの中の一粒だな。それなら一度しかない人生なので記録に残るような人間になりたい」と誓ったそうです。

同じ場面に遭遇しても、人はいろいろと違った考えをするでしょう。


わたしは、高層ビルから見える星の数のようなたくさんの人びとは、みんなそれぞれいろいろな思いで暮らしているのだと思いました。

なかには、ひとりぼっちでお茶を飲んでいたり、淋しい気持ちでいる人もいます。

このように考えると、ひとりなのは自分だけでないと気がつきます。

みんなが孤独を感じているのです。

でも、ひとりでいてもひとりではない、いっしょにいてもいっしょではない。

孤独は淋しいとなるのが一般的かもしれません。

でも、私たちはこの世に生まれてきたとき、すでに広い世界にひとりで放り出されたのです。

だから、淋しいとか孤独感をもつのは当たり前のことなのです。

孤独とうまくつきあうことが現代人には必要なことです。

学校の制服文化をたどってみると

2024年02月28日 07時11分00秒 | 教育・子育てあれこれ
一時期、学校では制服か私服かという論議がなされることが、よくありました。

しかし、現在では、当の生徒たちは制服にけっこうな愛着を感じています。

中学生が高校を選ぶとき、とくに女子生徒の場合、その高校がどんな制服かは、進路の最優先条件ではないにしても、けっこう大きなウエイトを占めています。

一時期、平成の頃には、制服を着崩してミニスカートにして、白色のルーズソックスをはく女子生徒が増え、コギャルと呼ばれました。

ルーズソックスが全盛だったからの1990年代の中ほどの頃、私が担任しているクラスの中三女子二人が、ソックスにラルフローレンの紺色のハイソックスをはいていました。

とても目立ちましたが、その数年後には白のルーズソックスはすっかり影を潜め、紺色または黒色のハイソックスに変わりました。

今にして思えば、その二人の生徒は当時、時代の流行の最先端をいっていたのです。

ちなみに、その生徒は美術系の大学に進学し、いまネイルアーティストとして、お店を経営しています。

その後、ソックスは短くなり、くるぶしのあたりまでのソックスをはく中学生が増えています。

さて、高校の場合、関西では、ここ20年の間に、お決まりの男子は詰襟の学生服、女子はセーラーから、男女とも上着がブレザーになり、男子はチェックのズボン、女子はチェックのスカートに、多くの高校が変わってきました。

その傾向は公立高校でも、私立高校でも見受けられます。

それに、最近では、性的マイノリティの生徒への配慮が加わり、女子もズボンの着用ができるように変わってきました。

また、今の傾向としては、制服は着崩さず、きちんと着るのがかわいいという生徒の意識に変わってきていると思います。

その点で、見ればどこの制服かがはっきりとわかるようにもなってきました。

その一方で、女子のセーラー服の制服も根強い人気があります。

セーラー服は、愛知県の金城学院高校が、その前身の女学校だった頃に、全国で初めてセーラーを制服に導入したという説があります。

また、愛知県の学校のセーラー服は、襟に大きな特徴があります。

いわゆる「名古屋襟」という、たいへん大きな襟になっていて、関西や関東のセーラーの襟より、かなり大きくなっています。

今の生徒からすれば、大きな襟は格好悪いと感じるようです。






とにかく、今の制服はとてもファッショナブルになっていますので、気に入っている生徒が多く、時代とともに制服文化も変化してきています。



話すときは聴き手に視線を向ける

2024年02月27日 08時00分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私は教頭・校長をしていたときには、市の青少年弁論大会に出る生徒を指導することが、毎年ありました。

その生徒たちは5分以内で、自分の弁論をするのですが、弁論は生徒自らが何を話すかの原稿も書きます。

わたしは原稿づくりから本番まで全部の過程を指導しましたが、どの生徒にも原稿を暗唱することを課しました。

弁論大会のきまりでは、原稿を見ながら弁論することも許されていました。

しかし、わたしはどの生徒にも原稿を暗唱するように命じました。

その理由は、原稿を見ながら話すと、視線が聴き手から離れる時間が生まれ、弁論の力が薄まるからでした。

顔は聴いてくれる人や審査員の方に向け、常に視線を合わせなければ、相手に迫るスピーチはできないのです。

アイコンタクトだけでなく、早く読むところ、ゆっくりよむとこころ、間(ま)を開けるところ、強く話すところ、ゆっくりと話すところ、身振り手振りを入れるところなどの指導もしていました。

このようにして、はじめて聴き手に訴える弁論ができるのです。

学校の授業でも、いまは発表する児童生徒には、「先生にではなく、聞いているほかの友だちの方を向いて話しなさい」と、指導します。


さて、私が校長を務めていた中学校では、校長が全校生徒や学年生徒に講話をする機会がたくさんありました。

全校朝礼、進路説明会でのあいさつ、合唱コンクールでの講評、体育祭での朝のあいさつ、文化祭での締めのことば、PTA行事での保護者へのあいさつなどたくさんの機会がありました。

原稿暗唱を生徒に課した以上、自分も生徒に講話をするときは、前もって原稿を書き、可能な限り覚え、どこを強調して生徒の注意力を集めるかなど、練習をして臨みました。

その理由は、弁論大会と同じく、生徒や保護者の方を見て話す必要があり、話に引きつけるためでした。



そのような経験があるので、わたしは日本の総理が話すのをテレビ等で見て、常に原稿を見ながらスピーチや国会での答弁をされることに違和感を覚えます。言葉がこちらに届かないのです。

その答弁は原稿を棒読みしているだけで、情の通った話にならず、質問されたことに自動的に、機会的に応答しているように感じられるのです。

わが国がかかえている問題を、一国のリーダーとして認識できているのだろうかと思うときさえあります。

国民のことを親身になって考えてくださっているようには思えないのです。

多忙で原稿を覚える時間がないのなら、前安倍首相が活用していたスピーチプロムプターを使えばいいのです。

演題に設置された透明なアクリル板に、原稿が映し出され、聞き手には見えないですが、話し手はその原稿を見ながら、聞き手の方に視線を向け話すことができます。

それさえも使おうとしないで、原稿にばかり視線を落としている姿、棒読みしている態度がしょっちゅう見受けられます。

首相や官房長官などの政治家がほんのちょっとだけでも、話し方や話す際の表情、視線を聴き手や視聴者に向けるだけでも、小さな変化は始まると、わたしは思います。

国民のことを親身になって考えてくれていると感じるオーラがあれば、聞き手は話し手に親しみを覚えます。聴きたいと思えます。

それが話し手の説得力、聞き手の納得感を生み出す第一歩です。








 








地域が活動の拠点

2024年02月26日 07時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ

これまで私たちには、「未来はよくなる」という印象をもっていたのではないでしょうか。


少なくとも、わたしの少年・青年時代はそうでした。


第二次世界大戦後から大きな戦争は起こらず、経済は成長し、技術も向上しました。


民主主義と経済繁栄がグローバル化を通じて、世界全体に広がっていく。


そのようなビジョンが共有されていました。


しかしながら、その結果が現在の気候変動のような環境破壊、格差社会であり、複合した危機がやってきたのです。


これからは、地球的規模で環境保全に協力しながらも、地域を大事に、活動拠点地域に置き、地域で相互共助しながら、生きる。


そのことが、多くの人びとのしあわせにつながるのでないでしょうか。


Think globally, Act locally.を体現していくのです。








いい品は残る

2024年02月25日 08時02分00秒 | 教育・子育てあれこれ
昭和の話で恐縮ですが、50年の歳月や風雨にをものともせず、今でも残っているモノがあります。

こうなると、もはやビンテージ物と言ってもいいでしょう。

カバー写真の右側のお菓子ケースは、「番重」というもので、せんべいを計り売りする場合に使っていました。

昔は市場やスーパーマーケットでは、商品が積まれていて、「〇〇グラムください」と言うと店の人がはかりで計ってうってくれました。

実は、令和の今でも、この番重をまだ置いている和菓子屋を大阪市内で見つけました。

また、以前は商品広告用の看板を外壁に貼っている店や民家をよく見かけました。

この看板は金属製で、表面に商品の広告がプリントしてあるもので、当時人気があった俳優が描かれていました。



この看板は神戸市内で見かけました。古びた飲食店でしたが、トタン板の外壁に貼ってありました。

それらの商品は、今も売られています。

時代とともに、広告のメディアは移り変わってきました。

でも、すぐれた商品、良い品は時代が変わっても、不易の人気をもつのだと、改めて思います。




親が家にいるなら、保育園をやめてもらいます

2024年02月24日 08時32分00秒 | 教育・子育てあれこれ

2015年に子ども子育て支援制度が確立しました。

この制度は、親が育児休暇をとっていても、継続して保育園を利用できることが定まっています。

ところが、実際の運用面では、最終的な判断は自治体に任されていて、「育休退園」が実施されています。

育休退園とは、一人目の子どもを保育園に通わせていましたが、二人目の子どもができて親が育休をとると、年上の子どもが保育園を退園させられることです。

これを実施している自治体は少なくありません。

家に親がいるなら、保育は必要ないですね。
他の家庭には、待機児童がいるのですよ。

そのような論理で、「容赦なく」やめてもらいますと、退園させられるのです。

辛いのは、保育園に慣れて楽しく過ごしている子が、通えなくなり、家で遊ぶようにしむけられることです。

子どもファーストでないのです。

親もたいへんな思いをしなければなりません。

昔とちがい、親以外に子どものことをみてくれる人がいない家庭もあります。

その一方で、下の子が1歳になるまでは、上の子を保育園に預けることができるようにする。

このように、育休退園を見直す自治体もあります。

子どもを預けたい人が、なんの制約もなく、とがめられることなく、預けることができるサポートがあるべきであり、受け皿がいるのです。

安心して子育てをできる寛容さを、自治体はもってほしいのです。


被爆体験者から「証言」を聴く

2024年02月23日 08時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ
2月17日に箕面市の催し物で、広島から被爆体験者を招聘して、被爆体験を語ってもらう(「証言」してもらう)学習会を行いました。

その体験者は、広島市内から19キロメートル離れた山間部で被爆し、原爆後の「黒い雨」に打たれ、被爆者と認定された人でした。

戦後およそ80年になりますので、その方もかなりの高齢になられていますが、熱く原爆の非人道性、平和への強い思いを語ってくださいました。

聴き手は、小学生から高齢者までが参加し、質問・感想・意見が出されました。
 
被爆体験者から原爆の実相を聴きとることは意味があると、あらためて思いました。





生理に追試措置を

2024年02月22日 08時36分00秒 | 教育・子育てあれこれ
長い間、高校受験(公立高校)日程に女子生徒の生理が重なって、生理痛がはひどく試験に影響する場合でも、特別な措置はとられていませんでした。

しかし、文科省は2023年12月に追試を可能にするようにという通知を出しました。


この通知は、センシティブでタブー視されがちな女性の体調にも配慮して、受験機会の均等につながるという意味があります、


加えて、生理の認識に対する就労関係や社会全体への問題提起だとも言えるでしょう。


教育行政・学校は家庭と連携し、女性の声をしっかりと受け止めることができる体制づくりを進めていくべきです。


長期的なサポートが必要

2024年02月21日 06時44分00秒 | 教育・子育てあれこれ
能登半島地震から50日ほど過ぎ、復興は少しずつですが進んでいます。

なかでも、教育関係者として気になるのは、子どもたちの様子です。

被災した子どもたちは、一見元気そうに見えても、心身にストレスを抱えて、感情をためこんでいることが多いものです。

大人には余裕がなく、仲良しだった友だちとは避難先が別々になり、会えないなどの状況に置かれています。

そのようなやるせない気持ちを出せる居場所が必要かと思います。

そんなとき、ケアされるべきは子どもたちとなるのが当然です。

しかし、わたしは中高生はケアされるべきでありながらも、ケアする側にまわることができると考えています。

能登半島には、今被災した子どもたちを集め、学習したり、食事をいっしょにとる民間ボランティア発の「集う場」ができています。

地元の中高生は自らも被災しながらも、小学生のケアをすることで、自分の「出番」があり、自己有用感を高めることができるからです。

小学生の不安やストレスを軽減することができるという、役立ち感が中高生の自信になります。

それは、とりも直さず、中高生の「居場所」づくりになるのです。

子どもたちの「復興」には時間がかかります。

震災で受けた心の傷は、かなり後になってから表す子も少なくはありません。

長期的なサポートが必要です。







人は一人と思いながらつながる

2024年02月20日 07時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは子どものころから、「そもそも、自分ってひとりだなあ」と感じていたことがあるのを思い出します。

家族はいたし、友だちもいました。いっしょに楽しい時間を過ごしていましたが、ひとりだとを感じることがありました。

私たちは生まれたその瞬間から、早いか遅いかはともかく、確実に死に向かって生きているのです。

それは紛れもない事実です。私たちはいつかは必ず死にます。

それなら、今できることを懸命にやりたいのです。

人はひとりで生まれて、ひとりで死んでいきます。

そういう意味では、孤独な存在なのです。だれもその孤独性から逃れることはできません。

それならば、ひとりや孤独はイヤと言わず、孤独をいったんは受け入れるのです。

その上で、ほかの孤独な人とつながることはできます。

ほんとうに人と人がつながるとは、そういうことでないかと思うのです。

「わからない」につきあう

2024年02月18日 07時42分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校の授業でいま教師が踏まえる留意点は、「正解のない問い」を児童生徒に示すことです。

いかに子どもの思考力を深め、判断を適切
にさせ、豊かに表現させるかという観点で、発問をします。

「鎌倉幕府が成立したのは何年ですか」

「はい、1192年です」

このやりとりは正解のある問いです。

だから、児童生徒の学習は知識を暗記することが中心になります。

ところが、「鎌倉幕府が成立して、日本文化にどのような影響を与えましたか」

これは、簡単には答えが出せないですし、答えはいくつもあります。

それを児童生徒は、知識をもとに、資料・史料などで考え、根拠をもって答えを導きだすのです。

このとき、児童生徒にとっては、発問を聞いたときはまず「わからない」という状況です。

それを教師は子どもに、投げ出さず粘り強く取り組むように、意欲を高めながら思考させるのです。

その点では、今の学校では授業をする教師には高い専門性が求められるようになっています。



さて、この「わからない」は、ある意味で今の時代を映し出しているといえます。

現代、とくにこの20年間でインターネットは飛躍的に発展拡大し、私たちの生活の隅々にまで入り込んでしました。

まさしく「情報の洪水」が押し寄せてきます。

そして、真実が見えなくなりました。

フェイクニュースも横行しています。何が真で、何が偽かもわからない。

そうです。今は「わかりにくい」という時代なのです。

そこで、人はわかりにくいことに我慢できずに、ネットに横たわっているわかりやすい答に飛びつくのです。グレーゾーンやあいまいさを残さないのです。

しかし、わたしは思うのですが、人が人たるゆえんは、深く考える、思索することにあるのでないでしょうか。

パスカルの「人間は考える葦である」という言葉のように。

ですから、今の時代は、まず答えの出ない状況に向き合う耐性が、私たちに求められます。

その耐性のことを、ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)というそうです。

早急に答をもとめず、まず聴くこと、そして待つことで、よく考え自分の答を見つけることを大切にしたいのです。



















進む高大連携

2024年02月17日 07時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ

関東では、いま私立の中高一貫校と連携協定を結ぶ大学が増えています。

 

大学の教員が中高に来て講座をもったり、キャンパスの見学に中高生が来たりしています。

 

入学の推薦枠を設ける大学もあります。

 

大学を受験の対象としてだけで捉えるのではなく、中高時代から社会に関心をもち行動する意識をもった人にを入学させるというのが大学側のねらいです。

 

また、工業系の大学は理系女子学生を増やすため、女子校と連携協定を結んでいます。

 

医学部系の大学の場合なら、成績がいいからという理由でなく、明確な目標を持ち医学部をめざす学生に来てほしいと、中高連携を進めています。

 

中高側からすれば、大学入学のイメージや明確な目的を持って大学進学する生徒が増えるというメリットもありますし、何よりも連携している大学進学を目指して中高へ進学してくる生徒が増えることが期待できます。

 

関西での高大連携も、大学が「高大連携センター」を設置し、研究活動に関心をもって入学してきて、次世代の人材が育成できるという点を重視しています。

 

特定高校と連携する大学もありますが、広くどの高校とも連携を進めるというスタンスで進めている大学も多いのが実状です。

 

 


みんなにとっての快適なトイレ

2024年02月16日 06時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今の公共トイレは進化しています。

学校の場合なら、トイレは3Kと言われていました。

「きたない、くさい、こわい」の3Kでした。

駅などのトイレは、同じく3Kでした。

「きたない、くさい、くらい」の3Kでした。

ところが、公共トイレ(以前の呼称は公衆トイレ)の役割は大きくかわりました。

用を足したら、一刻も早く出たい場所から、入りやすくて気分転換ができる場所に様変わりしたと言えるでしょう。

街の公共トイレは、ウォシュレットも完備していて、外出したとき排泄のことを気にしなくてすむ、いわば共有財産のようなものに変貌しました。

快適なトイレは、ある意味で社会の豊かさを表すと言えるでしょう。

2006年にはバリアフリー法(高齢者、障害者等の移動等の円滑化に関する法律)が施行されました。

それにより、高齢者や障害者たちにとって利用しやすい設備が公共トイレに求められることになり、公共トイレの設備の充実が進みました。

ただ一つ新たな問題が発生しています。

バリアフリーのトイレは、学校では「多目的トイレ」、街の公共トイレでは、「だれでもトイレ」というような名前がついています。

また、そこにジェンダーに関する視点が合わさり、「男女共用トイレ」という名称がつく場合もあります。

だれが使ってもいいのだから、みんなが使うのですが、車いすの人が使いたいときに、そうでない人が利用していて使えないことがあると聞きます。
 
「ユニバーサルデザイン」は、対象者だけでなく、すべての人が使いやすい、それを促進する概念です。

ただし、プライオリティは、そのトイレの利用をするのがいちばん必要な人にあるのです。

そのことを意識しているか、していないかによってユニバーサルデザインの意味が変わってしまうことを自覚しておきたいものです。

移住者とともに暮らす町とは

2024年02月15日 07時56分00秒 | 教育・子育てあれこれ
最近はうちの地域でも過疎化が進行しています。

高齢者が多くなり、子どもが少なく、教育委員会は、当然学校を統廃合しようとします。

地域から人通りがなくなり、このままでは「限界集落」に陥ってしまう。

その危機感から、全国的に地方の行政は移住者を歓迎します。

「田舎暮し」に魅力を感じる人もいて、引っ越ししてくる人がいます。

しかし、多くの場合、行政は人を呼び込むだけで、どんな地域にするかという地域の将来像に基づく「戦略」を描けていません。

成り行きまかせというところでしょうか。

そもそも、田舎の地域には、薄くなったとはいえ、古くからの習慣やしきたりがあります。

移住してきた人が、道で出会ってもあいさつもしない。

地域の行事に参加せず、無関心をきめこんでいる。

都会から来た人は、そのような習慣がないのが普通だったのです。

また、地元の人たちには、移ってきた人を「よそ者」あつかいする閉鎖性もあるかもしれません。

生活ステージが違う人同士が、いっしょに暮らそうとするのですから、ある程度のあつれきが生まれます。

行政がほんとうに町の将来を展望するのなら、地元の人と移住者の関係の調整役をしなければなりません。

まして、今の時代はSNSで情報が拡散できるのです。

移住者が地元に不満をもち、それをつぶやくとあっという間に拡散されます。

今までなら、田舎の情報は外に出ることがあまりなく、閉じられた世界でしたが、今は開かれた世界です。

関係のない人が「それはよくない。そこはそんなひどい地域なのか」と炎上することにもなります。

だから、行政の適切な舵取りが必要になります。


また、地元の人と移住者の歩み寄りも大切です。

いっしょに地域で暮らすということは、時間と空間を共にすることです。

地域の人が長年地域の活動に汗を流してきた労苦や思いに一定の敬意をはらう必要もあるでしょう。

地元の人も、地域の発展を引き継いでくれる、町おこしをしてくれる人として歓迎し、活動をいっしょにする歩み寄りも求められます。

人は活動を共にすることで、つながりや連帯が生まれるからです。

お互いに折り合いをつけ、共生の道を探っていくべきでしょう。