箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

さらなる充実が望まれる技能実習制度

2023年07月31日 06時30分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今では、外国人労働者は日本社会を支える必要不可欠な人たちであり、社会の一員です。

このたび、国は外国人労働者の特定技能制度を変更しました。

特定技能制度は4年前に設けられました。

それには1号と2号がありました。

わたしは、人間を「号」という呼称で呼ぶのには賛同できないですが、制度は制度として議論したいと思います。

「特定技能」 をもつ外国人労働者は在留資格をもらえます。

1号は在留が5年が最長で、家族を連れてくることができません。

2号は、試験で熟練技能を持つと認定されれば、在留期限がなく、ずっと日本にいることができ、家族を連れてくることも可能です。

この2号は、対象となる業種が今まで建設業と造船・舶用工業の2分野だけに限定されていました。

それが、このたびの変更で、全分野の業種に拡大されたのです。

その背景には、日本での製造業、農業、飲食業等での深刻化する働き手不足があります。

人口減少に歯止めはかからず、2040年には全人口の1割が外国人になるという推計もあります。

ただし、技能実習生は低賃金、長時間労働の問題が指摘されてきていますが、今回の変更はそれらの問題点は置いたままになっています。

定住化を見据えた生活支援を厚くしたり、日本語教育を充実させなければなりません。

企業の取り組みや地域の取り組みに加え、国が外国人も安心して暮らせる共生政策を打ち出す必要があります。 

2000年以上残るもの

2023年07月30日 13時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ

孟子の言葉の一つに「為さざるなり、能(あた)わざるに非(あら)ざるなり」があります。

 

できないのはやろうとしないからであり、できないからではない。

 

このような意味でしょうか。

 

また、次の言葉も孟子が残しています。

 

至誠にして動かざるものは、未(いま)だこれ有らざるなり」。

 

誠の心で尽くせば、この世に心が動かない者はいない。

 

このよに解釈します。


このような言葉は、2000年以上の時空を越えて、今もなお残っています。

 

長い歴史を通して残っている言葉や考え方があるのは、国を越えて多くの人びとが必要とするから残っているのです。

 

人がどう生きるかという問いに対しては、そういう言葉からしか答は出てこないのかもしれません。


結婚は一つの選択肢

2023年07月29日 08時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今の若い人たちの多くは、SNSを使いさまざまな価値観や生き方に触れて生活しています。

さまざまなグループやコミュニティとつながっています。

そのことにより、恋愛と同列に並ぶ楽しみをもっています。

恋愛がすべてとはならない人が少なくはないのです。

もちろん恋愛に第一の価値を置く人もいますが、学業を優先する人もいますし。仕事を優先したい人もいるのです。

しかし、いまの日本の少子化対策を進める歳の離れたおっちゃん・おばちゃんの前提には、「結婚して子どもを産む」という価値観があります。

そうなると、若い世代は「なぜ」と思うし、「なぜそんなことをきめつけるのですか」と感じます。

異次元の少子化対策と言われても、多くが子どもを産み、育てる場合の補助金であり、前提が違うので、「はあ?」という受け止めになるのです。

また、若い人には人生でのリスクを避けたいという思いが強く、その点ではたいへん慎重なところもあります。

結婚して子どもを産み育てるには、お金かかるし、女子の場合、最近は子育てに父親も関わることが増えてはきましたが、依然として女子の仕事に関するキャリアがどうなるかという不安は拭えません。


さらに、「こうあるべき」という固定的な価値はもっておらず、自分がよいと思うことを選びます。

自分らしさといえる人生を選びたいのです。

こういうことですので、少子化対策として、若い人の心に届くのは、結婚して、出産して、子育てをしても、自分らしく生きることができるという見込みや安心感がないと、結婚する人は増えないと思います。




善性に働きかける平和の学習

2023年07月28日 06時55分00秒 | 教育・子育てあれこれ
毎年、8月が近づいてくると、戦争や平和の話題がとりあげられることが増えます。

終戦記念日やヒロシマ、ナガサキは投下された原爆の8月が近づいてくるからです。

学校でも、7月、9月に平和学習を行う場合もよくあります。


世界を見れば、今戦争を体験している人もいます。

一人の人間の中にも、真摯に平和を願う正直な心でいる時もあれば、誠実といえない心に支配されている時もあるでしょう。

かくのごとく、人間は0か100のどちらかに二分されるものではないのです。

良い人と悪い人、賢い人と賢くない人、情熱的な人と冷静な人など、どちらかに分けられるのではないのです。

今、戦争に直面している人も、残虐な心情に染まっている時もあれば、心に血を流して悲しんでいると時もあるのではないでしょうか。

自分の信条に反して争いに加担する役割になるのは悲しい限りです。

理不尽や不条理が、胸の奥底にある平和を願う心の心根を傷みつけます。

しかし、人間の心根には善が宿っている。

それに揺さぶりをかけ、心の底の善性に働きかける。

平和学習で、子どもの心の善性に働きかけ、平和を願う心情と行動を引き出す。

そのような平和学習がなされるよう、願います。




心の泉

2023年07月27日 07時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ

この時期、梅雨が明け毎日カンカン照りの夏の太陽が照りつけます。

 

雨が降らないので、田舎の道はカチンカチンのパサパサです。

 

人と人がつながるのは、相手の様子や心情を推し量る、思いを馳せる心です。

 

相手の些細な表情や行動に思いを馳せることで、泉がにじみ出てきます。

 

これが潤いというものです。

 

その潤いがなくなると人と人の間は、無味乾燥したカチンカチンのパサパサになるのです。

 

大地の上を流れ、大地の中を走る水脈により大地が支えられています。

 

社会や世の中がいかに変わろうと、心の泉まで枯らしてはいけないのです。


同情だけを強調するのではなく・・・

2023年07月26日 08時46分00秒 | 教育・子育てあれこれ
最近は減ってきていますが、メディアがマイノリティの窮状を伝える記事を書くとき、取り上げる視点が「かわいそう」とか同情をさそうようなタッチになることがあります。

たとえば、これだけこの国は貧しく、食べるものに事欠き、飢えに苦しみ、子どもたちが痩せ細っている。かわいそうに。支援をしてあげましょう。

わたしは支援が必要ないとは言っていません。支援をするときの視点が問題だと思うのです。

この「かわいそう」や「同情」というあわれみで当事者が抱えている問題の解決にはならないと思います。

「〜してあげる」というとき、わたしは上から下にいる人にほどこすという上下関係も感じとるのです。

飢餓の問題は世界のしくみの問題です。あわれみや同情で解決するものではありません。

世界の人びとは対等な関係で支援をする、支援を受けるという援助関係が成り立つべきです。

まして、メディアが人びとに与える印象は大きく、人びとの見方・考え方を固定化する危険があります。

学校で人権教育を進めるときも、同情や「かわいそう」という心に働きかけるだけでは不十分です。

問題を社会の問題と見抜き、問題を解決するため社会を変えるという視点での行動につながる学習をねらいとするのです。


ストーリー・テリング

2023年07月25日 10時11分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは教職をめざし、教員採用試験を受ける大学生のサポートをする仕事もしています。

採用試験の面接の指導もしますが、Story Tellingの手法も効果的であると言っています。

たとえば、「困難なことに屈せず、乗り越えた自身の経験はありますか?」に対して、答えるときに物語を語るように自分の経験を話しなさいというやり方を説いています。

もちろん冗長にならず、コンパクトにまとめるという条件はつけています。

物語は、聴く人に感動を与えたり、心を動かす効果があります。

「部活でチームがバラバラになる危機に直面したとき、心が折れそうになりました。でもチームメイトと相談し合い、まず後輩とのコミュニケーションを多くとり、後輩との信頼感を高めました。
そこでできあがってきた信頼関係により、活動実績が増えてくると、同期のメンバーともつながりました。・・・」

WBCで優勝した日本チームを率いた栗山監督も、インタビューで何度も「物語」という言葉を使われていました。

「9回裏で二死になり、トラウト選手がバッターボックスに入ったときのことです。
最後に大谷選手対トラウト選手で試合の最後が決まるのというときに、勝てるかもしれないと初めて思いました。」(大意)

物語は感動を呼びます。

話すことの論理性や一貫性はもちろん大切ですが、聴く人の心を動かすのは、話し手の感情であることもあります。 

気持ちを切り替える

2023年07月24日 06時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人がこの世界を生きていくにあたって、苦しいことやつらいこと、悲しいことに何度出会うことでしょう。

もちろん、それに打ちのめされるだけではなく、「もう気にしないようにしよう」いう心の働きが起こります。

とはいえ、そんなすぐに気持ちを切り替えるのは難しいときもあります。

そんなときには、「遠回りしてもいい」というゆったりとした心構えがいいのではないでしょうか。

時間が少しずつ経てば、自分の気持ちに余裕
ができます。変わっていけるときがいつか必ずくる。

そう思うことで、気持ちの切り替えが少しずつできるようになります。

「気持ちを切り替えて」と、わたしも落ち込んだ中学生に言ってきました。
 
気持ちの切り替えは、子どもが前を向いて歩き出すときに、とても大切なことです。

入賞を目指して部活にがんばってきた生徒が入賞できなかった。

公立高校の志望校を目指して学習に励んできた生徒が入試で不合格だった。

気持ちを切り替えて、部活での練習の積み上げてきた道筋があるんだから。

気持ちを切り替えて、併願で合格している私立高校へ進めばいいじゃないか。

このように、失敗やつらいことをひきずらないためには、「気持ちの切り替え」はぜひとも必要なのです。

ただし、生徒によってはそうすぐには切り替えられない子もいます。

それでも、「遠回りしてもいい」というゆったりとした心構えでゆっくりと気持ちを切り替えていくという含みをもたせて語りかけるのです。

この「遠回りしてもいい」というゆったりとした心構えは、おとなが日々を生きていくにも有効な手立てです。



真夏がやってくる

2023年07月23日 08時32分00秒 | 教育・子育てあれこれ


7月20日過ぎから8月7日までを、24気節では「大暑」といいます。

夏の象徴である入道雲が空には張り出します。

大暑はちょうど土用と重なります。土用にウナギを食べる習慣は江戸時代に始まりました。

学校では夏休み期間中になります。

近年では大暑は猛烈な暑さになることが多く、危険が伴うほどです。

熱中症に気をつけて、大暑をのりきりたいものです。





科学的か人間的か

2023年07月22日 07時55分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人工知能(AI)が人間の知能に匹敵するものになるのでしょうか。

最近のAIの進化には目を見張るものがあります。

しかし、本来心配すべきは、AIが人間に近づくというよりは、AIを使うことで人間が人間らしさを失うことになるかもしれないということです。

AIは人間の思考レベルには到達できないのではないかと、わたしは思います。

人間の思考は複雑で、感情の機微もあります。

さらに、それよりも危惧されるのは、Chat GPTや生成AIを使う時間が増えて、デジタルの枠に私たちが押し込まれてしまうことです。

その結果、物質的・数学的思考に基づく論理性のある思考を正しいとする科学万能論に人間が陥ってしまう危険があります。

人間の思考には感情が入り込み、論理性よりも優先してものごとを考えるという特徴があります。

それが人間です。

つまり、論理性よりも人間性が出るのが思考というものです。

だからこそ、考えるのは難しいのです。

AIにたよるのは、考えなくても済むという習慣を固定化していくという危惧を抱きます。



移民へのハードルを低く

2023年07月21日 08時32分00秒 | 教育・子育てあれこれ


日本は移民に対しての壁が厚い国です。

移民と難民の区別もなく、外国人が定住することに抵抗が強いのです。

本来、移民を受け入れることは、受け入れる側の国で活躍できる人を、その人の言語力や職務の経験をもとに受け入れることです。

ほかの先進国は、そのようにして移民を受け入れ、人口減少を防ぎ、経済を発展させています。

日本史を見れば、過去に日本は異文化、外国人を積極的に受け入れ発展してきました。

いまや日本文化として定着しているものの中に、大陸の文化の影響を受けたものも少なからずあります。

現代の日本は、国が外国人への日本語教育に本腰を入れず、日本社会への定着に後ろ向きでした。

それを引き受けてきたのが、地方自治体や地域の公立学校でした。

もういまはハードルを低くして、移民を受け入れないと日本社会の発展は望めないでしょう。


子どもかかわいいと思える世の中に

2023年07月20日 06時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ


教育関係者として思うのは、年齢を問わず子どもとはかわいいものであるということです。

理性をもって感情を抜きにして考えると、子どもを育むのは手間がかかります。

子育てはどのように考えても楽な仕事ではありません。

しかし、子どもには論理性を越えたかわいらしさがあるのです。

小さな子なら、極端にいえば、一日一日で昨日できなかったことが、今日はできるようになることもあります。

小学生なら、おとなに絶対の信頼を寄せるのがふつうです。

中学生・高校生なら、自分で考え、自分で行動することに、おとなは成長を感じてうれしくなります。

大学生なら、おとなとして対等にコミュニケーションができることに頼もしさを感じます。

わたしは、それが子どものかわいらしさだと思います。

ところで、生物学的にみると、人間は動物、とくにほ乳類のなかでも、ヒトの子どもはとても「ひ弱」です。

赤ちゃんは一人で食べ物をえることができないですし、危険に直面しても避けることができません。

放っておいたら、一人で生命を維持できず死んでしまうのです。

それなのに、なぜ人類は生き残り、ここまで繁栄したのでしょうか。

それは、他者との関わりの中で、集団で子育てをしてきたからではないでしょうか。

日本の場合なら、父母のみならず、祖父母や近所の人、地域の人が子育てにかかわるしくみが社会の中にありました。

しかし、昭和から令和に移り変わる間に、そのしくみはまったくと言っていいほど、なくなってしまいました。

今の若い子はそのような時代がついこの前まであったことなど知るよしもないほど、育ててもらうのはお母さんやお父さんしか思い浮かばないのです。

今の時代、一人の子どもが成人するまでにかかわるおとなの数は、50年前に比べて圧倒的に少なくなっています。

だから、両親への子育ての負担が、かってないほど重くなっているのです。

幼児虐待や育児放棄は、ある意味で子育てを両親だけに押しつける社会の歪みが生み出しているとも考えることができます。

それが、「子育てはたいへん」となり、少子化を加速させるのです。

だだ、それでも、基本的に子どもは理屈をこえてかわいい存在です。

中学校教育でも、まだまだ幼かった1年生が卒業のとき、体格的にも精神的にも大きく成長して巣立っていくとき、万感の思いで送り出す教師の喜びは大きいのです。

できるだけ多くのおとなが、子どもの成長にかかわる、昔とはちがうゆるやかなつながりの人間関係で、子どもがかわいいと思える子育て・教育を編み直していくべきかと思います。










「総合知」が必要になる時代

2023年07月19日 10時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ
日本では、まことしやかに考えられているのが、人の学習には文系向き・理系向きがあるという思い込みです。

わたしの場合、小学校・中学校、そして高校2年生(普通科)まで文系とか理系に関係なく、クラスでは文系・理系の授業を受けてきました。

ところが、高校3年からは文系クラスに入る生徒と理系クラスに入る生徒に分かれました。

わたしは文系のクラスでしたが、当時学年は10クラスで、そのうち文系クラスは8クラス、理系クラスは2クラスでした。

そして、理系クラスはほとんどが男子生徒で占められるという状況でした。

この文系・理系という高校段階での分かれ方は、選択するのが高校1年に下がったぐらいで、数10年たった今でも、日本ではそう大きくは変わっていません。

「わたしは文系向きの頭」「オレは理系が得意だから、大学も理系へ行くよ」。

そんなふうに、世間では「文系人間」・「理系人間」がいるかのように語られ、学校卒業後もの考えを引きずって、日常会話でも文系・理系いう言葉が、人びとの口から出てきます。

この傾向は、日本特有の傾向です。

中学生の時には、数学や理科が得意な生徒は男女に関係なく同程度にいます。

しかし、高校段階で理系コースを選択する女子の割合は約15%までに低下します。

そもそも、理系は女子には向かないという考え方はジェンダーバイアスのすりこみです。

「女の子は女の子らしく」

「女子は理系に向いていない」

「女の子なのに理数ができてすごいね」


そのような教師や保護者からの子どもへの声かけが、女子の理数系の学習への苦手意識や敬遠する意識を知らず知らずのうちに生み出しているという状況が実際にあるのです。


今、少しずつですが大学で理系学部を選び、入学する女子学生が増えてきているのは、好ましい傾向です。


また、文系・理系という分け方は、今の時代の流れにミスマッチしています。


現代の社会課題は複合的な要因が絡み合っています。


その解決には科学技術の力は欠かせないですが、今まで以上に人間の社会との調和的な科学技術が必須になっています。


それは科学的な視野で問題をとらえ、分野を横断する、つまり学校での教科を超えた多様な知識が必要になります。


つまり「総合知」が必要となるのです。


だから、文系・理系と分断されている教育のしくみは時代遅れになってきています。


今は、サイエンスのみの力での課題解決は難しく,万能ではないことが多いのが今という時代です。


新たな価値を創造するには、さまざまな分野の知識や知恵を結集する必要があるのです。


このような必要性を意識した学習が、「STEAM教育」として始まり、探究力を涵養する目的で始まっています。


教師からの問いかけ

2023年07月18日 06時30分00秒 | 教育・子育てあれこれ
「学問に王道なし」という言葉があります。

There is no royal road to learning.
地道に学習を積み重ねることの大切さを説いています。

効率よく学習をして、学力をつけたり、学問を成就することはありません。

中学生で、しっかりとした学力をつけている子は、環境にも影響されますが、やはり地道に家庭学習に取り組み、授業での学習意欲も高いことが多いです。

今の時代、汗をかくことを、どこかさげすむ風潮がありますが、そんな時代であるからこそ、授業で教師からの生徒への単純で真っ直ぐな問いかけが重い意味をもつのです。

虹のかかりかた

2023年07月17日 05時58分00秒 | 教育・子育てあれこれ
昨日7月16日は「虹の日」でした。

なないろだからです。

ただし、日本では虹の色は通常7色と言われていますが、海外では6色としていたり、4色と考えていたりします。

目に涙を
宿すことがなければ、
魂に虹はかからない。

(ジョン・ヴァンス・チニー アメリカの作家、詩人)



わたしは、学校で生徒が卒業していくときや感動的な場面で、何度か涙を流しました。

でも、人が涙を流すのは、感激したときやうれしい時ばかりではありません。

悲しかったり、つらかったりするときにも、涙は出ます。

鮮やかな虹は、雨が降ったあとにかかります。
悲しかったり、つらかったりしたときでも、いつかは希望の虹が架かります。

泣いて涙を流すことは弱い人間のように思われることもあるでしょうが、涙を流すときは流せばいいと思います。そのあとに、希望の虹が架かることを願って。



Double Rainbows.
大阪市住吉区、2015年7月13日に撮影しました。