箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

ゆく年に想う

2018年12月31日 12時42分58秒 | 教育・子育てあれこれ




少し前まで、新幹線の新大阪-東京間は3時間以上かかっていましたが、いまは2時間20分ほどになっています。

リニアモーターカーが実用化されれば、また速くなります。

今まで、能勢から高槻に行こうと思えば、山あいの道を車で走る方法もありますが、一般的には池田をまわり箕面に出て、171号線を京都に向かい、茨木を通り越して、高槻にたどり着きました。

しかし、最近では、新名神がついたので、川西から高槻インターまで、あまり時間をかけずに行けるようになりました。

これ一つとってみても、人が移動するスピードはどんどん速くなります。

飛脚がひたすら二足歩行で目的地までたどり着いた時代とは、隔世の感があります。

このように、科学や交通は進化発展し続けています。


ところが、大きな自然災害に見舞われた2018年を振り返れば、科学や交通の進化発展は、大自然の力の前にはなすすべがないことを、あらためて思い知らされました。

今年もあと1日となり、今年1年を顧みて、以上のことを感じます。


また、スピードが早くなれば、人間の心はついていけなくなります。

癒しや感情、情緒などは、もっと複雑で微妙で、深いものが求められます。

それらを育むのが教育の役割であるのですが、それ以外にも、私たちの身の周りにはたくさんのものがあります。

一つ例をとれば、私は食べ物や飲み物も、人は複雑で微妙で深い感覚を担うのではないかと思います。

日本には、おいしいもの、美しい料理がたくさんあります。

お正月に食べるおせち料理、雑煮などには、さまざまな癒し、感情、情緒を感じる、日本伝統の文化が息づいています。

それらを楽しむことは、スピードが優先される日本社会にあっては、大切なことかもしれないと感じます。

それでは、みなさまよいお年をお迎えください。

お餅の季節

2018年12月30日 13時24分06秒 | 教育・子育てあれこれ





鏡もちの展示が、三中給食コーナーに飾られています。

うちの家では、私が子どもの頃は、一家総出で杵と臼を使い、餅つきをしました。

そのあとわが国では、東芝が餅つき機を売り出し、これは便利と一般家庭では杵と臼にとってかわるようになりました。

昭和から平成にかけての時代には、多くの家庭が餅つき機を持つようになりました。

そのあと、画期的なのが「サトウの切り餅」でした。手軽に食べたいときに、お餅をサッと出して食べることができるようになりました。

ところで、いまどきのおもちは、焼いても、煮てもすぐ柔らかくなります。

コシが弱いというか、それでいて味は悪くはないと思います。

お雑煮は全国いろいろで、関東圏ではすまし汁で鶏肉を入れて、味付けは醤油味で三つ葉を浮かべるのが一般的とききます。

北海道では、鮭やイクラを入れます。


また、うちの地方では、1月7日には七草がゆ、15日には小豆がゆを食べる習慣があります。

どちらもお餅が入っています。

お餅は常に毎日食べるものではないですが、なくては困る食べ物です。

おおらかなお母さん

2018年12月29日 14時58分46秒 | 教育・子育てあれこれ





昨日の病院(耳鼻科)の待合室でのことです。

私の隣には、小さな子を二人連れたお母さんが座っていました。

その二人のうちの一人は、4、5歳くらいの男の子で、少しもジッとしていません。

その子の一挙一動に、お母さんが言葉を挟みます。

「ちょんと座っていなさい」

「足をブラブラ動かさないの」

「ほら、きょろきょろしない!」

・・・・・

診察室では、耳にあてる赤外線の器具を、その子が外すと、「外さないの。いうこときかないなら、あなただけに、今日はおやつなしよ」

その子は、お母さんの小言には、言われ慣れているのか、平気な様子でした。

診察が終わると、支払いの間に子どもは外に出ようとしました。

「外へ出たらダメ」

・・・・・・


この子が将来、中学生になったら、お母さんに反抗して、まったく親の言うことをきかなくなるだろうと、私は考えていました。

私は、そのお母さんがもう少しおおらかにお子さんに接してくれれば、親も子も救われるのに、と思っていました。



そのおおらかさについて、次のエピソードがあります。

いまは亡き藤村俊二さんですが、生前中は俳優やナレーターとして活動しました。

彼が幼稚園に通っていたとき、いっしに遊んでいた友だちにケガをさせました。

幼稚園をやめなければならなくなったとき、お母さんは「よかったね。明日からはお家でゆっくり遊びなさいね」と言いました。

彼が兄とケンカをして、家の障子を破ってしまいました。

おかあさんは、兄弟にこんな言葉かけをしました。

「疲れたでしょう。さあ、お茶にしましょう」。

このお母さんは子どもを甘やかしているように見えるかもしれません。


しかし、このお母さんは、「他人に迷惑をかけること」には、厳しく叱りつけたそうです。

たとえば、「洗面台を使ったあとは、次に使う人のことを考え、かならずきれいにする」といったマナーなどは、厳しく躾けました。

藤村さんが些細なことをあまり気にせず、周りの人への気遣いができる人だった理由が理解できます。


おとといの朝、私はセブンイレブンでホットコーヒーを買いました。

フタのしめかたが十分でなく、店外に出て一口飲もうとしたら、ジャーとコーヒーが溢れ出し、ネクタイ全面とカッターシャツにかかりました。


少し熱くて、服は茶色になり悲しかったですが、自分のフタのしめかたが悪かったので仕方がありません。

もし、これが上記のお母さんと子どもで、子どもがジュースを服にこぼしたら、「どうして、そんなことをするの」とお母さんはいうかもしれません。

子どもは服を濡らして、困った気持ちなのに、親の大声に驚き、楽しいジュースの時間は、怖い思い出としてインプットされていきます。

「たいへんやね。服までぬれてしまったわ。大丈夫か?」と、優しく余裕をもって言うと、子どもは笑顔で「うん、大丈夫」と答えるかもしれません。

母親のおおらかさで、子どもは些細なことを気にしないような、おおらかさな人になっていくのだろうと、この2日間で感じた次第です。




子どもが許してくれている

2018年12月28日 11時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ



今年のクリスマスは、あっという間に終わりました。

この頃は、クリスマスケーキは予約制にしている店も多く、飛び込みで売ってくれる店も数量を絞っているようです。

仕事で遅くなり、夜の9時前にお店に寄りましたが、どの店もきれいに台が片付いていて、ケーキのカケラもありませんでした。

25日夜の値引きセールは、昔の話なのだと思いました。



さて、クリスマスににちなんで、私にはサンタからの贈り物について、次の子ども時代の思い出があります。

5、6歳の頃だったと思い出しますが、12月25日の朝起きると枕元には、サンタの帽子が置いてありました。

それはサンタの帽子に似せた紙製のものでした。

その帽子の中には、お菓子やおもちゃの詰め合わせが入っていました。

夜中にサンタがプレゼントを届けてくれたのだと、思いました。

もちろん、大人になってふりかえれば、両親が帽子を作り、夜に帽子を置いてくれたのだとわかります。

そんなクリスマスプレゼントの習慣は、今もわが国で続いています。

多くの子が今年はサンタクロースが何をくれるのかを楽しみにしています。

でも、本当は子どもたちだってわかっています。サンタクロースなんていないことを。

サンタクロースの着ぐるみを見てもニセモノだと知っています。

サンタクロースがいるなんて、不条理なことを大人は言うものだと思っています。

ただ、知っているけど、「まあ、許しておこう」と、だまされてままにしてくれているのです。

子どもは寛大な許しで、不条理を受け入れてくれます

子どもを喜ばせようという大人の思いと、その思いを受けて、だまされてくれる子どもたち。

ニセモノのサンタも、温かい心に包まれ許されているのです。

こういったことは、中学生と教師の関係にもあります。

教師が教室で言う、つまらないダジャレや寒ーくなるようなジョークに対しても、あえてニコッとしたり、楽しそうにしたりして、生徒の温かい心で許されているのです。

生徒を喜ばせようと発する教師の言葉を受け、それを許してくれる生徒の寛容さに助けられている。そんな温かい関係があれば、教師不信は起きないのでしょう。

相手の自由を認める

2018年12月27日 11時28分13秒 | 教育・子育てあれこれ



私たちは、対人関係で、相手の言葉に反応するのが普通です。

もし、相手がネガティブな言葉を言っているなら、それに反応することは、おそらくポジティブな会話にはならないものです

それが親子関係なら、お互いの言いあいになり、「またケンカになってしまった」とあとで後悔することになります。

相手に対して、「私のいうことをわかってほしい」と思って話すから、相手に要求するような言い方になります。

相手の言葉に反応して、かりに相手を言いくるめる、あるいは押さえ込んで勝ったとしても、相手の納得がないので、恨らまれたりして仲良しの関係にはなれることは、まずないでしょう。

おそらく、会話をしながら、いったん感情的になってしまうと、引くにも引けない状態になるのが、ネガティブな感情の一番の問題なのです。

このことは、冷静に考えればわかるのですが、それでも人と人が、また親と子がよく言い争いになります。

そこで、私は考えるのですが、お互いがしっくりと親密な関係になるには、おたがいが満足しなければならないということです。

では、お互いが満足するにはどうすればいいのでしょうか。

それは、まず相手に自分の主張をきかせるという見返りを求めないことです。

そして、相手の「自由を認めること」でないかと思います。

「あの子の自由なんか認めたら、やりたい放題にするわ」

このように思われるかもしれません。

しかし、中学生は大人です。

相手を自分の言う通りにしたがわせたいという言い方は相手に見返りを求めます。相手がきめる自由を許さないことになります。

自由を許すと、相手はこちらが欲していることを断ることもあるでしょう。

でも、その断りを許すことも、相手の自由を保っていることになるのでないでしょうか。

お互いを認め合うコミュニケーションは、ここに生まれるのでないかと考えます。

結果的に、会話はポジティブな関係になるのだと思います。


「遊んでばかりいてはダメよ。今日は出かけたらダメ!」

それよりも、「遊んでばかりいたら心配よ。今日は家にいてくれないかなと思うんだけど」

それでも、子どもに遊びにいく自由を許すことです。

子どもの方も、自由を認めてくれたことを知って、「わかった。早く帰るから」。

自由を認めてもらった子どもは、満足して帰る時間を気にします。

親には、早く帰ってきた子どもに対して、満足感が生まれます。

ポジティブな会話とは、こういうふうに、しっくりとした、親密な人間関係をつくりだします。

今年もあとわずかになりました。

来年もどうか親密な親子関係を保っていかれることを願っています。



多様化する学習方法

2018年12月26日 16時42分36秒 | 教育・子育てあれこれ


ここ数年で、いわゆる「アクティブラーニング」の授業が、もてはやされてきました。

学習の課題を探究して、学習者間の対話を促進して、話し合いで思考を深め、プレゼンなどの表現を行う。

このような能動的な学習が、小学校から大学まで授業に取り入れられてきました。

先日、学校教育自己診断を、保護者のみなさんを対象に行いましたが、じつはあの学校評価は教職員に対しても行っていました。

その結果をみると、「思考力を重視した課題解決的な学習指導を行っていると答えた三中教職員は約9割に達しています。

昨年度の場合は、約67パーセントでしたので、この平成30年度で20パーセント以上増えたことになります。

もちろん、アクティブラーニングは流行ではありません。

社会からの要請があり、三中の授業も一定程度変わってきているのです。


では、次に到来する学習法は何でしょうか。

私の私見ですが、「個人に適応する学習」だと考えています。

その子その子にあった学習のことです。

子どもが学習する項目は、今後ますます増えていくでしょう。

事実、この数年間でも、中学には英語コミュニケーション科が導入されました。

小学校では1年生から英語の学習が入りました。

タブレットも使いこなせるようになるべきだということで、小学校には一人1台のタブレットが配られています。

さらに、英検などの外部検定の資格が入試時の英語のテストの点数に読み換える制度が、定着してきています。

また、国はこれから「プログラミング教育」を必修にすると言っています。

2020年は、大学入試の改革の年になります。記述式の思考力や表現力を問う問題や英語の4技能をはかる外部試験が導入される予定です。

このように、学習者としての子どもは学習する項目が、みなさんの学生時代と比べて、圧倒的に増えていますし、今後も増えていきます。

こんな時代には、勉強できる子は適応していくでしょうが、勉強が苦手な子は学習のやる気が下がりやすくなります。

結果的に、学力差が開きやすくなります。

いまの子どもたちは、このような時代を生きているのです。

やることが増えたからといって、教員の定数が増えるかといえば、そうではないのです。



そこで、私が考えるところでは、個人の学習の進み具合にあわせた学習ツールが使われるようになるというのが、私の予測です。



今から3年前に、三中では、2年生を対象に「ドリームスクール」という学習を試行的に行いました。

これは、タブレットを使い、生徒個人が自分の学習段階にあわせて学習する方法でした。

タブレットの画面には、先生が登場して、自分の学力状況にあわせた内容で、授業をしてくれました。

生徒は一人ずつヘッドフォンを付けて学習しました。

この学習は、三中の生徒の学力にはあわず、「簡単すぎる」という感想が多く、好評ではなかったです。

しかし、今後は教材も整えられ、生徒個人が自分の学習の進み具合にあわせて、活用されていく時代がやってくると、私は考えています。

これが、アクティブラーニングの次に来る、あるいは並行して行う「個人に適応する学習」です。

いまの子どもたちの学習方法は、これからますます多様化していくのです。

家庭環境を受け入れる

2018年12月25日 19時31分42秒 | 教育・子育てあれこれ



わたしが若い頃、「実家からカニが届いたよ」と妻が言いました。

「そうか、楽しみ!」と私は答えました。

しばらくして、届いたカニを見ました。

そのカニは、わたしが思っていたのと似ても似つかぬものでした。

わたしが連想していたのは、松葉ガニつまりズワイガニでした。

松葉ガニは、父が日本海に旅行に行って、よくお土産に買ってきました。

だからわたしは、大きなハサミと長い足のズワイガニしか食べたことがなかったのでした。ハサミにも足にもたっぷりと身が入っている。

でも、四国、瀬戸内海でとれるカニは、ワタリガニでした。足にはあまり身が入っておらず、どちらかといえば甲羅の中を賞味するらしいのです。

ワタリガニは、ズワイガニより小ぶりで、足の先はヒレになっていて、食べればズワイガニよりもどちらかといえば濃厚な味がします。

それは、後になってわかったことです。

それよりも最初に思ったのは、「赤の他人」が夫婦になるというのはこういうことなんだ、ということでした。

ズワイガニを食べる家庭とワタリガニをたべる家庭が一つになったのでした。

夫婦というものは、出会ったときは他人同士です。

それぞれが、別の家庭で長年育ってきました。

その二人が新しい家庭をつくり、実家の文化を加え、新しい文化をつくっていきます。

そのようにして、他人が他人でなくなっていくのです。

それが結婚の価値だという考えもあるでしょう。

しかし、それはそれです。30年以上連れ添ったわが家庭でも、夫婦がときとして意見があわないときもあります。

それをつきつめていけば、不一致が広がり、お互いが「あわない、別れよう」となることもあります。

そして、両親がいっしょであろうと、別れようと、子どもは、その家庭環境を受け入れたうえで、自分の生き方を模索して、確立していかなければなりません。

夫婦の関係はいろいろであり、子どもは自分の環境を受け入れ、自分がどう生きていくかをきめるよう支えていきたいと考えます。



楽しませ、楽しむ芸術家

2018年12月24日 17時17分17秒 | 教育・子育てあれこれ



私は思うのですが、音楽や美術の価値は、人に喜びを与えることでないかということを。

ということは、音楽家や画家という芸術家は、受け手に喜びを与える人ということになります。

ウォルトディズニーは「遊園地を作りたい」と言いました。

それを聞いた妻は、「なぜ、遊園地なんか作るのよ。ゴミが散らかるし、きれいじゃない」

「ボクが作る遊園地はそうならない。夢の国になるからだ」と言いました。

はたして、まるで夢の国にいるように感じたお客さんは、ディズニーランドを気にいりました。

ディズニーはそれを見て、喜々としてじつに楽しそうだったのです。

つまり、他人を楽しませるのが好きな人は、自分自身も楽しみ、喜びと満足感を得ているのです。

世にヒット曲を送り出すアーティストやプロデューサーは、聞く人に喜びを与え、自分自身も喜びと満足感を得ていると言えます。


必要かを問う

2018年12月23日 17時04分43秒 | 教育・子育てあれこれ



教職員たるものは、

自分の行なっている教育活動が学校に必要かどうか。

自分が学校に必要な人間かを、常に自分にといかける謙虚さを失くしてはなりません。

「わたしのやっている授業は、これほど素晴らしく、生徒の成長に役立っている」と、自分の授業をふりかえろうとしない教師。

反対に、「どうせ自分なんか」と卑下する自信の乏しい教師。

教師もいろいろです。

大切ななは、常に生徒に必要な授業をしようと努めることです。

また、必要であろうと、努力を続ける意思が教師に求められます。

そのような意思があって初めて、教師は必要なこと、正しいかとをやり抜くことができます。

存在理由がない学校は、社会から認知されません。

このことわりは、私学では顕著にあらわれます。

まして、この少子化が進むわが国です。

公立の学校も、存在理由のない学校は、どことなく元気や活気がなくなります、

地域にとって「必要かどうか」を問いかける謙虚な姿勢が、三中にも教職員にも問われるのが、いまの学校事情でないかと、考えます。


喜んでくれる人がいる

2018年12月22日 18時41分27秒 | 教育・子育てあれこれ



今日は西南小のあそびりクラブで、三中吹奏楽部が演奏させてもらいました。


箕面市内の高齢者、障害をもつ、または認知症の高齢者に充実した生活を提供するデイサービスがあそびりクラブです。

寝たきりを予防して、認知症の改善を図る活動をすすめ、地域福祉を推進しています。

三中から中学生がやってきて演奏するのを楽しみに待つ高齢者に、最初は童謡の演奏とコーラスを聴いてもらいました。

また、クリスマスが近いので、クリスマスソングを演奏しました。

「花は咲く」では、おじいちゃん、おばあちゃんもいっしょにうたってくれました。

視聴「花は咲く」(クリックしてください)

演奏やコーラスにうなずきながら聴いてくれる人、手拍子を入れてくれる人たちの様子に触れた吹奏楽部員は、貢献感を高めたようでした。

自分たちの演奏を聴いて喜んでくれる人たちがいる。自分たちも、人を楽しませて、喜びを作り出す力をもっている。

この手ごたえを感じた中学生は、自分たちへの自信を深めることができたようでした。

地域での部活動の意義は、この点にあります。

ムダなことは一つもなかった2学期

2018年12月21日 12時06分00秒 | 教育・子育てあれこれ




今日は、日中は暖かい日でした。

本日、2学期の終業式を迎えました。

私からの全校生徒へのあいさつをしました。

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2学期終業式校長式辞(2018年12月21日)
 
私の上の娘は結婚して名古屋に住んでいます。近くに住んでいると、すぐに娘に会えるのに、かわいい孫にもすぐ会えるのに。普通はこう考えます。

でも「せっかく」名古屋に住んでいるのだから、名古屋に行ったときは名物の名古屋名物「味噌煮込みうどんを食べよう」となります。

じつは、あれはあまりおいしくない。大阪のきつねうどんの方がぜったいにうまい。まあ、でも、「せっかく」名古屋に来たから、味噌煮込みうどんも一回は食べることができた。

「せっかく」名古屋に住んでいるから、何よりも孫にめったに会えないので、会ったときによけいにうれしくなる。


平成30年、2018年の終わりにあたって、きょう私がみなさんに伝えたいのは、この「せっかく」です。

みなさんにとって、今年はどのような1年でしたか。

定期テストで目標にした点数が取れた。部活で賞状をもらった。クラスで友だちができた。体育祭で優勝した。文化祭がいい思い出になった。このような人たちもいるでしょう。

でも、その一方で、目標にした点数が取れなかった。頑張ったのに部活で賞が取れなかった、など悔しい思いをした人がいるでしょう。病気で十分学校に来ることができなかった。クラスになじめなかった。こんな悔しい思いや残念な思いをした人もいるでしょう。

私は、それら全部の思いに対して、「せっかく」という言葉をプレゼントします。

たとえば、けがをして部活の試合に出れなかった人には・・・。

「せっかく、けがをしたんだから、今しかできないことをやろう」。これで学習に頑張ります。

「せっかく、学校を休むことになったのだから、家で好きなことをやって過ごそう」

「せっかく、風邪をひいて休んだんだから、ゆっくり休んで家で録画したドラマを見よう」

この「せっかく」は無敵であるといえるかもしれません。

そうです。みなさん、どんな時でも、どんな状況でも、「せっかく~したのだから」と思ったらいいのですよ。そうしたらすべてが力になるのです。

こう考えると、みなさんにとって、この1年は無駄なことなんて何もなかったのです。

みなさん、どうか来年もいい年を迎えてください。
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その後は、表彰伝達をしました。

全国書画コンクールの書の部での入賞

秋の火災予防コンクールでの図画の部、書の部での入賞

税の作文での入賞
(豊能税務署長賞:1500点以上のさくぶんから1点のみ)

箕面アイデアメニューコンテストでの入賞
(タロキャロポークのジンジャーソテー、オニキャベグラタンスープを、三中姉妹チーム「タナネギ」が提案して、調理して受賞)

演劇祭での入賞

マーチングコンテストでの入賞

バレーボール大会での入賞などの表彰状を伝達しました。



生徒会からは、生徒会の秋の取り組み報告をしました。


そのあと、給食委員会からのプレゼンテーションがあり、準備を始めてから「いただきます」までの時間が発表されました。

1年生は平均で、27.8分。

2年生は平均で、22.5分。

3年生は平均で、21.5分でした。

給食委員と他の生徒の協力を求め、早く食べれるようにしようという呼びかけがありました。

「よく食べたクラス」への表彰もしました。

1位は、1年A組、2年D組、3年B組でした。



さて、冬休みに入りますが、12月29日〜1月3日の間は、学校閉校日となります。

校長ブログは、閉校日も関係なく、毎日更新します。






間違いを認める

2018年12月20日 13時06分19秒 | 教育・子育てあれこれ



若い教員と接していて思うことがあります。

経験が少ないので、やはり過ちや失敗はします。

そのあと、その教員と話をすると、多くの人が自分の過ちをふりかえり、失敗を認めます。

次は、こう気をつけます。

こういう場合がほとんどです。

ところが、ごくたまに自分の失敗を認めない人がいます。

失敗を認め、言い訳をせずに、素直に謝ると本人もスッキリします。

そんな態度をみた周りの人も、その態度を評価します。



中学生の場合は、大人に近いですが、まだ子どもでもあります。

未熟なところがまだまだあります。

だから、過ちや失敗をするのは当然です。

教師が、その過ちや失敗を指摘して指導すると、迷惑をかけた相手がいる場合に、素直に謝ろうとする子は伸びます。

しかし、「相手がこうだったから」とか「こんな事情があったから」と言い訳をする子は、言い訳をする習慣が身につきます。

それでは子どもは伸びません。

間違いをすることは問題であることは確かです。しかし、それを認めないのはもっと大きな問題なのです。

心の持ち方次第

2018年12月19日 11時37分49秒 | 教育・子育てあれこれ



最近の天気予報は精度が高くなり、雨が降ると言えば、本当に雨がかなりの確率で降ります。

20、30年前の天気予報とは、その正確さでいえば大きく進歩しました。

しかし、そんな天気予報でも、雨が降るとは言ってなかったのに、小雨が降ることは時々あります。


でも、そんなとき、「雨が降れば、雨を楽しめばいい」のです。

晴れの日があれば、雨の日もあるのです。



今から、30年ほど前のことです。

ある女子中学生が、病気になり、箕面市立病院に入院しました。

学年の生徒でしたので、私はお見舞いに行きました。

病室をノックすると、その子のお母さんが迎えてくれ、話しました。

「先生、よく来てくださいました。娘は、『みんな学校へ行っているのに、なんでわたしだけが病院にいないといけないの』と嘆いているんですよ」

「そうですか・・・」

わたしは、その生徒と学校の様子などを話しました。

そして、最後に付け加えました。

「◯◯さん、なんで私だけがと思う気持ちはわかる。人には晴れの日もあるなら、雨の日もあるとわたしは思うよ」。

あとで、お母さんから聞きました。

娘は、先生の一言で、「そうだな」と思い、気が楽になりました。あの言葉は忘れないだろうと言っています。




こんな経験から、思うのです。

人には晴れの日も、雨の日もあります。

不幸だと思うことに出会ったときには、つとめて「こんなときもあるよ」と、雨を楽しめばいいのです。

幸せも、不幸せも、心の持ち方次第です。


三者懇談に思うこと

2018年12月18日 15時37分30秒 | 教育・子育てあれこれ




今日、1・2年生は箕面市子どもステップアップ調査の学力テストでした。



午後からは、恒例のしめなわづくりを美術室で、後藤弘友さんを講師に招き、教えてもらいました。

参加したのは、美術部の生徒、教職員、保護者の方たちでした。

後藤さんは、となりの人間国宝の認定を受けられています。

今年は、凧をバックにして、しめなわを作りました。

立派なしめなわができました。



さて、昨日から、4日間の2学期末の三者懇談が始まっています。

親御さんは、お勤めされている人が多いですが、わが子のため、時間をやりくりして学校に来られると存じています。

ありがとうございます。

生徒は、部活の合間を懇談のため、教室に向かいます。

なかには、親子が教室前で待ち合わせ、自分の順番を待ちます。

先生からどんなことを言われるのか、期待と不安が交錯するのが、生徒の心情でしょう。

わずか15分ほどの懇談ですが、教室に向かう生徒に声をかけると、

「今から懇談?」

「あっ、校長先生。はい、そうです」と答えてくれます。

「おうちの人は?」

「もう着いて待っていると思います」


ごく普通の会話ですが、懇談を大切に思っていると、感じます。

子どもらしい様子に、心が和みます。


三者懇談で、生徒も保護者の人も、いい思いをして終えてくれればいいなと、願います。

先生が、子どもの様子をよく見てくれていると感じてもらえれば、懇談でいい思いができます。

でも、先生の言葉や一方的な見方で生徒が傷つくこともあるかもしれません。

親御さんが、納得できないこともあるかもしれません。

私が自分の娘の懇談で、小学校へ行ったときのことです。

若い経験の少なそうなクラス担任が、「家でもっとお父さんが勉強をみてあげないとだめですよ」と言いました。

そのとき、私が感じたこと。

子どもに勉強を教えるのは、あなたの仕事だろう。わが子にどれだけかかわってくれたのか。

学校で、残してここまで勉強をみています。だから、お父さんもできればみてくれるとありがたいです。

こんな話し方ではなく、一方的に家庭に責任を投げる。

私は、そのとき、学習が苦手な子に学習会などをして、向き合ってきた経験をもつ中堅教員でした。

「学校の教師たるものは・・・」と論破して、その担任を教え諭そうかと思いましたが、思いとどまりました。

親が教員である場合、自分の子どもの担任である教員には、思うとおりのことがなかなか言えないのです。



教室を後にして、「勉強にがんばろな」と子どもに、悲しい思いで伝えながら学校を後にしました。

三者懇談で、「来てよかったね」「いい先生だね」「来年もがんばろうね」と親子で話せる懇談になることを、切に望んでいます。

守られるべき、守るべき中学生

2018年12月17日 19時17分10秒 | 教育・子育てあれこれ



阪神淡路大震災を契機として、救援や復興のためのボランティアをする人が多くなりました。

2011年3月11日の東日本大震災に際しては、世界中の人たちから、日本へたくさんのメッセージが届きました。

これは、そのメッセージの一つで、フランスから届きました。


「私は日本が好きです、

私は72歳です。

でも、50キロの荷物を運ぶことができます。

いつでもお役に立てます。

見返りはいりません。

旅費もいりません。

24時間働きます。」


遠く距離が離れた国からも、見返りを何も求めず、ボランティアを申し出る人がいるのです。


阪神淡路大震災のとき、須磨区の神戸市立鷹取中学校は避難所になりました。

長田区の住民も避難してきました。

この避難所では、鷹取中学校の生徒がボランティアで避難所の運営にあたりました。

配給のお弁当は数が限られ、配給数よりも多い避難者に配りました。

学校の受水槽から水を汲み出し、避難者に配りました。

トイレに溜まった汚物をかき出し、使う水をプールからバケツで運びました。


東北地震のとき、釜石中学校の生徒は、小さい子の手をひき、高台まで登り迫り来る津波から、幼な子のいのちと自分のいのちを守りました。

中学生は、災害時には保護される子どもでもありますが、同時に人を助けるサポーターになりうる存在なのです。

箕面三中の生徒たちも、潜在的にボランティアとして活躍する力を持っていると思っています。


中学生なら誰もがボランティアになれる可能性があります。

災害時には、小学生には少し難しいかもしれませんが、中学生ならできることはたくさんあります。

箕面市の防災計画にも、ボランティアとしての中学生の役割をもっと盛り込んでいけばいいというのが、私の考えです。

災害時には、中学生は守られるべき存在であると同時に、人を守る存在なのです。