箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

1217回目に想うこと

2019年03月31日 16時58分25秒 | 教育・子育てあれこれ



三中のサクラは、ツボミが大きくふくらみ、ツボミの一部から花が咲き始めました。

学校にまた春がやってきました。明日から新年度が始まります。進学・進級の4月になります。



私は三中に着任した2015年4月10日から「箕面三中 校長室からのメッセージ」(校長ブログ)をはじめました。

しばらくは2日に1回のペースで更新していましたが、このペースでは在任中に1000回を超えないと思い、2017年5月ごろより毎日更新にかえました。

そして、今日で1217回目なります。

最初はアクセス数は、さほど多くなかったですが、徐々に増えてきて、最近では1000を超えることもあります。

読んでくださるのは、三中保護者が多いですが、三中生、三中卒業生、三中教職員、地域のかた、学校関係者、私の教え子、知り合いの人がほとんどだと思っています。

一貫して取り上げた話題は、子育てのこと、とくに思春期の中学生とどう付き合うかでした。

それほど、中学生の時期は子育てが難しく、親や教職員の悩みや迷いは尽きないのです。


一方、私が三中生に一貫して求めてきたのは、自立でした。自ら考え、行動を決め、実行することを言ってきました。

それは、子どもがいずれは社会に出て、人と人との関係のなかで生きることになるという将来を見据えた必要性からです。

親はいつまでも、わが子の面倒を見たり、保護したりするわけにはいきません。

問題に直面しても、人との関係のなかで、自分で考え、解決していってほしい。その準備期間が中学時代であると考えるのです。

発達段階からみても、子どもは大人から離れようとしますが、戻りたいときにはいつでも戻れる、甘えたいときにはいつでも甘えることができる、子どもにとっての居場所がいります。


中学生にとって大人の存在は、「安全基地」です。

その安全があるから、安心感があるから、子どもは自立に向かい進んでいけます。

この考えに共鳴して、保護者の方からは、「励まされた」、「参考になっている」という声をいただきました。

さらに、生徒にも、教職員にも伝えてきましたが、中学生は孤立ではなく、孤独になる時間も必要だと言ってきました。

「孤独」は、一人になり、自分を深く見つめ、考えるために必要です。

しかし、「孤立」は人間関係から切り離された状態で望ましくありません。

人との豊かな関係は社会で必ず必要になります。

その意味で、自立とは、「自分で考え、自分が責任を負うことは自分で行動する。しかし、すべて自分一人でできるのではないのであり、困ったときにはいつでもヘルプを求める人間関係を築くこと」です。

三中の子と面談するときも、私はよく話を聴き、子どもが自分でどうすべきかを考えさせるように促しました。

もちろん、必要に応じて「私はこう思うけど」ということも言いましたが、基本的には子どもが自分で考えるように働きかけてきました。

三中の子は、私からのその働きかけによく応えてくれたと思っています。

そして、その後は笑顔の表情を見せる三中の子に、私は、どれほど救われたことでしょうか。

思春期の子の心は柔らかく、力強いと思うのです。

私は箕面三中の子が大好きです。

三中の子は、私の教職経験の中でも、いちばん中学生がどうあるべきかを示してくれた生徒たちでした。


今回をもって、校長ブログはいったん閉じます。

でも、校長退任後もメッセージはネット上に発信していきたいと思っています。

箕面三中ホームページからのリンク(「箕面三中 校長室からのメッセージ」)で、ブログを読んでいただいていたかたは、リンクを外しますので、ホームページからは飛ばなくなります。

今後は下のアドレスを入力するか、「アドレス」をクリックすると、見てもらうことができます。

https://blog.goo.ne.jp/mi3chu-kocho

アドレス


ただし、ブログタイトルは、明日から「教育Specialistのつぶやき」になります。


私は4月から教育専門員という仕事に就きます。
専門員は英語でspecialistと翻訳することから、名付けました。

今までの1217回の校長ブログは、「教育Specialistのつぶやき」に残しておきますので、必要に応じて読んでもらうことができます。


長い間、校長ブログを読んでいただき、心より感謝しています。

みなさんのご健康とご活躍、ご多幸を祈っています。

ありがとうございました。

2019年3月31日 箕面三中第15代校長 主原照昌





三中生に託す思い

2019年03月30日 11時40分41秒 | 教育・子育てあれこれ




今の子どもたちのなかには、「どうせ」、「無理!」、「別に」、「うざい」、「ダルイ」という言葉をよく使う子がいます。

私は、そのような言葉を100パーセント否定するわけではありません。

しかし、それらの言葉を多用する子は、気持ちがネガティブな感情に覆われていることが多いのだと考えます。

そうなると、未経験なことにチャレンジしようという機会を失ってしまいます。

せっかくもっている自分の可能性の芽を自分で摘んでしまうことになり、残念だと思うのです。



ただ、いまの時代では、この年齢の子は一般的に言って

・周りからどう思われるかを気にして、嫌われないような言動をする。

・みんなの前で失敗することを怖れる。

・ほかの人と比べ、自分は〇〇ができないと、自信を失う。

だから、やりきったという達成感を味わうことができず、意欲が下がっていき、「どうせ」「無理!」などの言葉を発するようになりやすいのでしょう。

また、友人関係では、グループから自分だけが浮かないように空気を読みます。(世間も「あの人は、空気が読めないね」と揶揄するから、余計にそうなります)

一人ぼっちになりたくないので、友だちともめないようにする。

自分の本音は表に出さず、ニコニコして過ごす。

これらの人たちが集まったグループは、一見すると仲良く見えます。

しかし、内部で同調圧力がはたらき、気を使いすぎる「優しい」友だち関係を続けていても、仲間関係がそれ以上深まることはまず望めないでしょう。


このような状況に置かれやすい子どもたちであるからこそ、三中生には自分を大切に感じ、自分の可能性を信じて、周りの人の助けを借りながら、チャレンジを続ける生徒になってほしいと、私は願うのです。

4月からは、進級・進学する三中の子には、気持ちた態度を切り替える機会が訪れます。

「チャンス、チャレンジ、チェンジ」(Chance. Challenge. Change)で、新しい生活をスタートしてほしい。

これから三中生が生きていく将来の社会は、変化が起こりやすく、なかなか予測がつかない様相を示していきます。

予測のつかない社会をたくましく生き抜いていく人になってほしい。それも他者とつながりながらです。


それが、私が最後に三中生に託す成長への思い・願いです。

厚みのある定期演奏会

2019年03月29日 23時12分24秒 | 教育・子育てあれこれ


今日は、吹奏楽ブームの第6回定期演奏会を、メイプルホールで行いました。

最初に演劇部が出演して、オリジナルの脚本を上演しました。






吹奏楽部の演奏は、三部に分かれていました。

この定期演奏会は、先日卒業した3年生も出演します。

また、吹奏楽部OBOGの応援や合同演奏もあり、部員の横のつながりと縦のつながりの強さを感じさせてくれました。

4月からは、3年生はさまざまな高校で吹奏楽を続けます。

1・2年生は、2・3年生になり、新入部員を迎えます。

三中の吹奏楽は、楽器の演奏はもちろんですが、コーラスも入っており、聞き応えがあります。

考える道徳

2019年03月28日 14時25分26秒 | 教育・子育てあれこれ




中学では来年度から、道徳が正式な教科になります。

生徒たちが、「考える力」を身につけて、生活の中で実践していくことをねらいにしています。

国の検定に通った教科書を使うようになります。

私は、その中から全校生徒に読み聞かせをした題材もあります。

しかし、教科書のなかには「ええっ?」と思う話が載っている場合があります。

「日本人のよさとはどんな点だろう」を考えるために、地震のときの人びとの動きをうつしだしています。

「目立った略奪がない。食料や水、ガソリンなどが不足しているのに、誰も口論しないし、クラクションも鳴らさない」

このように、海外メディアが報道しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「これが日本の国民性です。みなさんも、こんな人になりましょう」と、結論づけ、諭すのは早計だと、私は考えます。

実際に現地の人から聞きました。日本でも、災害時の泥棒はいました。犯罪もあります。

また、海外でも災害時の助けあいはあります。


「考える道徳」とは、海外メディアの報道を、生徒に紹介して、これについて「あなたはどう思うか」と問う教材として使うべきです。

要は、教師が教科書をどう使うかが問われているのです。






たくましく、笑顔をふりまく

2019年03月27日 22時46分39秒 | 教育・子育てあれこれ





春になると、たんぽぽが俄然元気になり、ギザギザの葉を広げます。

たんぽぽは、ふつう黄色の花をつけます。

私は少年の頃から、毎年春になるとたんぽぽの花を見てきました。

そして、この歳になっても、毎年春に1回はすること。

それは、たんぽぽの花の茎を3cmほどの長さにちぎります。中が空洞になった茎からは白い液が滲みますが、その片方を噛んで丸い空洞を少し楕円にします。

唇にくわえて、その茎を吹くと音がして、笛になります。

子どもの頃は何度もしてましたが、これを毎年1回はしているのです。

さて、そのたんぽぽの花はふつう黄色ですが、箕面二中の中庭には、白い花のたんぽぽと中心だけが黄色く周りが白色のたんぽぽが生息しています。

25年ほど前、二中に着任したとき、見つけました。



たんぽぽは寒い冬の間は、地下に根をおろし、寒さに耐え、周りが暖かくなると、たとえ人に踏まれてもたくましく葉を伸ばします。

そして、花は鮮やかな黄色で、笑顔をふるまくかのように咲きほこります。

中学生も、たんぽぽのようにたくましく、笑顔をまきちらすようになってほしいものです。

笑顔は無敵、笑顔は最高のメイクアップです。

じっさい、笑顔の中学生は、輝き、まぶしいと思うこともあります。

心からほめる

2019年03月26日 18時51分17秒 | 教育・子育てあれこれ



三中には、全ての職種を合わせると、50人程度の教職員がいます。

それぞれの事情を抱えて、三中のために勤務しているのだから、「評価する」という言葉をあえて使わず、平たく言って教職員のことを「ほめたい」と思います。


子どもであれ、大人であれ、ほめられてイヤな思いをする人は、まずいないでしょう。

だから、教職員をほめて力づけたいと思います。

教職員のなかには、私が心でつながっていると感じる人がいます。



あるとき、私が学級担任をしているとき、なかなか人間関係ができなかった生徒がいました。

かなり悩んだ末に、その子を心にも思っていない言葉でほめてみました。

すると、今まではソッポを向いていたのに、それからは、「先生、・・・」と言って、話しかけてくるようになりました。

しかし、私にはしっくりとこない感情が残りました。

心にも思っていないことでほめても、わたしはその子を人として、ちゃんと認めていたのではなかったからです。

私は、何とか関係を作りたいと思い実感が伴っていないほめ言葉を使ったのです。

その子をていねいに扱わなかったという、後味の悪さが残りました。



三中の教職員を、ほめて励まし、力づけたいと思いますが、そのほめ言葉は、私の心で感じており、心から出したものであるべきです。

また、自分も納得できる言葉でなければならないと考えるのです。



年度末の面談を三中教職員としていると、こんな人がいました。

自分の1年間の教育実践を振り返り、自己を見つめ、素直なまっすぐな気持ちで、実践の意味を見出している教員がいました。

こういう教員は伸びます。私も自然と応援したい気持ちになりました。自分も納得できる言葉で、その教員をねぎらい、ほめることができます。

子どもたちに育てられ

2019年03月25日 13時50分09秒 | 教育・子育てあれこれ




箕面市の公立小中学校の卒業式はすでに終わり、いまの時期は大学の卒業式シーズンです。

地域でも、瀬川保育園やせいなん幼稚園の卒園式は終わりましたが、本日は桜ヶ丘保育所の保育証書授与式に行ってきました。

地域の保育所ということで、三中から私が出席しました。

保育所の子は、親御さんの共働きが多く、なかにはお子さんが0歳のときから入所していた場合もあり、親にしては長年通った保育所を終えることには、格別の思いがあることでしょう。

仕事を持ちながら長年送迎して、これはど大きくなり、いのちを育み成長した今日の姿を見るのは、親として嬉しい限りです。

子育てと仕事を両立させながら、今日の日までお子さんを育まれた陰には、親御さんの並々ならぬご苦労が見えてきます。

私まで、その喜びや思いが伝わってきて、感激しました。長年の子育てをねぎらいたいと思います。

私はこのごろ涙腺が弱くなり、すぐ涙が出やすくなっており、もらい泣きをしていました。



一方で、教育や保育に携わる者は、お子さんの成長にかかわることができた喜びを感じます。

それは、保育所であっても、中学であっても、共通のよろこびであり、私たちのその喜びは、職務への無限のモチベーションになります。

私たちは、子どもに育てられるのです。

私も三中の子に育てられ4年が過ぎました。


所長先生からは、小学校に入学したら、「やってみよう」という態度と自分の「うれしい」とか「悲しい」という気持ちをほかの人に伝えるような子になってくださいというお祝いの言葉がありました。

おめでとうございました。



やりたいことをやりなさい

2019年03月24日 08時46分33秒 | 教育・子育てあれこれ




働き方改革は、学校の教員も例外ではありません。

時間外勤務の長さが取り上げられ、文科省も本腰を入れ、救育行政も働き過ぎを是正するベクトルがはたらきます。

それと並行して、救育に成果主義を導入する流れが、近年定着してきました。

学力が何ポイント上がったとか、英語のこの取り組みをして、コミュニケーション力がこれだけ向上したとか、目に見える数字を学校に求める傾向があります。

しかし、「やらされ感」だけになると、仕事は面白くなく、辛さが生まれます。

自分が創意工夫する救育であれば、仕事が楽しくなってきます。

「数字を上げなさい」ではなく、子どものために「やりたいこと、楽しいことをやりなさい」となる学校は、元気な学校になると思います。

校長が教員に指示して短期的に結果を出すというやり方もあるでしょう。

ただし、それで一時的にうまくいったとしても、長くは続きません。

とくに、今の若い人は「〜しなさい」には従順に従う人が多いですが、押し付けられることには、内心は反発することが多いものです。

教員の考えや意見に耳を傾け、自分で創意工夫して学年・学級づくりや授業研究を進める方がいい教育活動になると考えています。

卒アルに書いた言葉

2019年03月23日 10時05分09秒 | 教育・子育てあれこれ


私が、先日3年生の卒業アルバムに書いた言葉を紹介します。

その子は卒業式が終わってから、卒業アルバムの最後のページに、何か言葉を書いてほしいと、わざわざ学校にアルバムをもってやってきました。

少し考えてから、私が彼に書いた言葉は・・・

「人は時間と経験によって作られる」でした。

簡単に短時間で完成させるものなど何もありません。

また、経験せず、教科書通りの理屈で成就できるものもありません。



学校の教師なら、生徒との人間関係を例にとると、その子と接する時間をかけずに信頼関係は生まれません。

生徒とともに喜び、ともに悲しんだ人のみが信頼関係をつくります。

また、教職の経験を積んだからこそわかることもあります。

時間をかけた長さと、経験の多さが、人を教師にします。

教職以外でも、なんでもそうです。

たとえば、プロのスポーツ選手だって同じ、ケーキ職人だって、介護の仕事をする人だって同様です。

先日のイチロー選手の引退会見を聞いても思いましたが、かけた時間の長さと経験の積み重ねをした人の発する言葉や応対は、相手に納得感を与えます。

時間と経験でつくられていくのが人であるというのが、私の信念でもあります。

だから、三中を卒業しても、一つのものごとにかける時間を惜しまない、楽しい経験、苦しい経験を嫌がらず、地道に一つの道を追求してほしいと願いながら、この言葉を書きました。

同時に、この言葉は私が三中生のすべての子に願う言葉でもあります。


修了式を迎えて

2019年03月22日 10時31分29秒 | 教育・子育てあれこれ


3学期の最後の日を迎え、朝から生徒は大掃除をしました。

1年間使ってきた校舎・教室を丁寧に掃除しました。




その後、平成30年度の修了式を体育館で行い、1・2年生が集まりました。

私からの講話は、次の通りです。

❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎

修了式校長講話〈H31(2019).3.22〉  

「過去を引きずるな」

みなさん、今日、平成30年度の修了式を迎えることができました。
どんな1年だったでしょうか。

満足できた1年だったでしょうか。それとも満足のいかない1年だったでしょうか。
自分の学級は、楽しいクラスだったでしょうか。

先日の合唱祭では、私はみなさんに、4月からは「Chance Challenge Change」だと言いました。

気持ちや行動を切り替えるChance、新しいことに挑戦するChallenge、そうすると、あなたは変わることができるChangeだということでした。

きょうは、この3つのCHを実現するために何が必要かを言います。
私がみなさんに、アドバイスすることは、「過去をひきずらないようにしよう」ということです。

つまり、4月から進級したクラスで、前のクラスの方がよかったと比較しても、いいことはないということです。


私は、前にある中学校で2年B組を担任して、自分ながらいいクラスづくりができたと思っていました。そして次の年、3年B組を担任して、去年の2年B組のようにいいクラスにしたいと思いました。

だから、3年B組の学級開きのとき、「2年B組のようないいクラスにしよう」とは言いませんでしたが、その後の話で、2年B組の話を生徒たちにときどき出していたのです。

でも、多くの生徒は2年B組でなかった生徒はもちろん、2年B組だった生徒までもが、先生はなぜこんなことを言うのだろうと思ったことでしょう。去年の学級がどうであろうと、今年度の学級の子どもには、まったく関係がないことです。

進級して希望でいっぱいの子どもの気落ちを考えず、過去の良い話をしたって、生徒たちには「はあ~? 2年B組、関係ないし。私たちは3年B組やん」となってしまいます。

だから、みなさん、今日の学活が終わったら、もう今のクラスのことは忘れてください。

みなさんは4月からは、新しいクラスになります。
どうか前のクラスという過去を引きずらず、また、前の学年では自分はこうだったからという過去を引きずらず、心機一転、新しいクラスで新しい学校生活をスタートさせてください。

4月はあなたが変わるチャンスなのです。

❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎

私の話のあと、給食委員会から報告がありました。

三中生は、ご飯を「あと一口食べましょう」という呼びかけがありました。

また、三中生は「酢の物」をよく食べる傾向にあるということでした。

よく食べたクラスの表彰は、1年B組が1位、1年D組が2位、2年C組が1位、2年D組が2位でした。



今日で1年の学校生活が終わります。三中生の前途に幸あれ。







意識の連続が無意識になる

2019年03月21日 09時03分27秒 | 教育・子育てあれこれ


私は、2年前の5月からブログ「校長室からのメッセージ」を毎日更新し続けるようになりました。

よく、ほかの校長先生や教育委員会の人から、「毎日更新するのはたいへんでしょう?」と言われます。

しかし、たいへんだと私は思いません。

ブログを始めたときは、2日間で1回くらいの更新でいいか、ぐらいに思っていました。

ときどき、コメントをもらうようになりました。

よんでくださり、ありがとうございます。

とくに修学旅行レポートでは、莫大なアクセスがあります。

わが子が旅先で、どうしているか。

親なら誰もが気にかけます。

無事に帰ってこれたとき、お礼のコメントをもらいました。

その頃から、私は毎日更新しようと心に決めました。

そのためには、ストックを常に10ほどは保存しておき、忙しいときにはそのストックから、その日の三中のトピックを必要に応じて加え、一つをネット上にリリースする。

こうやって、毎日更新してきました。

ですから、毎日更新の意識を常にもっていれば、無意識のうちにできるようになります。

このほかにも、自転車の乗り方一つとってみても同じです。

まずペダルに足を置き、ハンドルを真っ直ぐにして、右足で勢いよくペダルを踏む、そのときヨロヨロとしても、ハンドルをまっすぐにしたまま、左足でペダルをこぐ、バランスをうまくとる。

最初は、このように意識する人が多いと思います。

でもいつのまにか、こんなことを意識せずとも、無意識のうちに自転車に乗れるようになります。

つまり、「意識の連続が無意識になる」のです。

無意識でできるようになるまで、意識して継続することは、人が生きていくうえで、いろいろな点で求められることです。


やっと校歌が体育館に

2019年03月20日 14時55分05秒 | 教育・子育てあれこれ



今日は1年生の球技大会がありました。

春の陽射しをいっぱいに浴びて、生徒たちは熱心にプレーしていました。

印象的だったのは、クラスの応援を一生懸命にしていた生徒たちの姿でした。




また、昨日、今年度の懸案になっていた箕面三中の校歌木彫りを、ついに体育館に取り付けることができました。



この木彫りは、昨年9月に1年生が文化祭の取り組みで作りました。

文化祭当日は、生徒昇降口に展示して、そのまま3月までそのままでした。

年度末になり、今回、体育館に足場を組んで木彫りパネルをもちあげ、体育館ステージに向かい右側の壁面に取り付けました。

なお、この木彫りにかかった費用は学校の予算も使っていますが、三中同窓会「ささゆり会」からも資金援助をいただき、制作されました。

あらためて、同窓会に感謝申しあげます。

これで、4月の入学式には、木彫りを眺めながら、校歌を歌うことができます。

そして、本日、球技大会を終えた1年生が、体育館に取り付けた木彫りの下で記念に校歌を歌いました。





柴山に 人知れず咲く

そは ささゆり

たくましき いのちを

秘めて 気高く 優しき姿

我が学舎の 泉なり

強し 麗わし

箕面第三中学校




私は、着任して4年が過ぎようとしていますが、三中の生徒は、基本的にささゆりを体現したような子が多いと思っています。




3つのCH

2019年03月19日 16時03分46秒 | 教育・子育てあれこれ





今日は、1・.2年生の合唱祭でした。

審査基準は

・声がよく出ているか

・.全員が歌っているか

・ハーモニーがきれいか

・歌詞が聞き取れるか

・ステージマナーと鑑賞態度がいいか

でした。



また、1・2年合同の全体合唱は、「時の旅人」だした。

試聴できます。→ 「時の旅人」(クリック)

1年は、金賞がB組、銀賞がD組でした。

2年は、金賞がB組、銀賞がC組でした。

おめでとうございます。


私からの講評を紹介します。

1・2年合唱祭講評<H31(2019).3.19>

みなさん、今日はお疲れさまでした。

一生懸命に歌ったみなさんと、合唱をリードしてくれた指揮者の人たち、また懸命に練習していいピアノを奏でてくれた演奏者の人たちなど、すべてのみなさんの努力を讃えます。

「時の旅人」の伝えるメッセージは次のようなものだと、私は考えました。

時はまたたく間に過ぎてしまいます。だから、現在の出来事はあっという間に過去の出来事になっていくのです。

ということは、現在を大切にしておくと、いずれ過去もよくなるし、その積み重ねで未来も開けてくるのです。

みなさんは4月から2年生・3年生になります。

という意味で、みなさん一人ひとりがいわば「時の旅人」なのです。


そんなみなさんに、私は「3つのCH」を送ります。

「3つのCH」とは、頭文字をとっています。つまりCHANCE、CHALLENGE、CHANGEです。


学年が変わるときは、気持ちや行動を切り替えるCHANCEです。

だから新しいことに挑戦するのがCHALLENGEです。

そうすると、あなたは変わることができるのでCHANGEです。

「CHANCE・CHALLENGE・CHANGE」を合言葉に、4月から新しいスタートを切ってください。

みなさんに、4月からの三中を託します。

どうか三中をよりよくしてほしいと願っています。


明日の合格発表のときに

2019年03月18日 13時58分15秒 | 教育・子育てあれこれ






今日は3限から2年生の球技大会でした。昼からはとくに暖かく、生徒たちは思いっきり、サッカーとバスケットを楽しんでいました。

和やかなようすで、ほんのひと時でも、リラックスできる機会となりました。






あす、大阪府立高校一般選抜入試の合格発表があります。

希望通りの第1志望校に合格できた生徒には、「おめでとう。よくがんばったね」と、まわりの大人も、みんなが喜べます。

しかし、残念ながら不合格になってしまた生徒には、私たち大人はどんな言葉をその子にかければいいのでしょうか。

この声かけは、けっこう難しいものです。



近年の一般選抜の入試倍率は、20年以上前とちがい、1.3倍を楽に超えてしまう高校が珍しくありません。

以前は、1.2倍を超えたら「高いなあ」と言っていたものです。

したがって、1.3倍越えになると、不合格になる子が私たちの近くにいて不思議ではないという状況です。

まして、中学入試を受けていないほとんどの子には、入試で初めての不合格を経験することになります。

ひょっとすれば、人生初の挫折かもしれません。

ちょっと怠けていたので合格できなかった。

明らかに努力が足りなかった。

もともと「難しいよ」と言われたいたのに、「チャレンジ受験」をしたから、やはり不合格だった。

これなら、本人も仕方ないと思えるかもしれません。

ところが、あんなにがんばって学習していたのに、精一杯がんばったのに、不合格だった場合には、その子の落ち込みは大きいのです。

そんなとき、「あなたは精一杯がんばったよ。私立高校にもいいところはたくさんあるよ。またがんばったらいいんだから」というのが普通かもしれません。

しかし、本人は精一杯やってダメだったのです。そうなのに、「あなたは精一杯がんばったよ」と慰められても、あまり本人の心には届かないでしょう。

そこで、がんばったのに不合格だった子に対して、親はわが子を「抱きしめて」やってください。

発表のすぐ後は、子どもの気持ちは落ち込み、沈んでいるはずです。となりに合格で喜んでいる子がいると、なおさらです。

なかには涙ぐんでいる場合もあります。


そんなときには、優しく肩を抱いたり、手を握ってやるスキンシップで、本人の気持ちが落ち着きます。

つまり、抱きしめるといっても、体ごとを抱擁するのではなく、その子の「心をしっかりと抱きしめてやる」のです。

人生というものは、壁にぶつかったとき、もっともつらいときに、脚に力を入れて踏みとどまり、立ち直れるか、それが正念場です。

心の強い子にするには、しっかりと心を抱きしめてやります。

心を抱きしめられた子は、今後も困難や失敗に出会ってもへこたれませんし、落ち込んだとしても、回復力を持ちます。

ただ、となりにいてやり、何も言わなくても、ジーと息づかいをあわせ、呼吸を整え、目があえば優しく微笑むだけで、子どもの心を抱きしめることもできます。

私だったら、
「残念やったな。わたしも残念に思うよ。気持ちはよくわかるよ。

ただ、今は難しいかもしれんけど、あなたがこれから生きていく中でな、いつか『ああ、あのときの不合格があったから、いまの自分がある』と思えるときが来ると思うよ。

自分がする経験には、意味のないことは、何一つないんやで」

生徒にもよりますが、私はこう言って、三中の子に話します。

心を抱きしめられた子は、必ず再びたちあがります。

立ち上がること

2019年03月17日 08時24分51秒 | 教育・子育てあれこれ



教職経験値の少ない教員は、子どもとの関係や親御さんとの応接で、まちがえたり、失敗したりすることが多いという傾向は、たしかにあります。

でも、若いからといって頼りない教員であると一括りにしてしまうのは、間違いです。

三中の中でも、教職経験が少なくて、生徒から信頼され、保護者の人から支持を受ける人がいます。

まちがえたり、失敗した教員に対して、私には伝えたいことがあります。

「あなたがつまづいてしまったことよりも、そこから立ち上がることに関心がある」

立ち上がることで、本人は成長します。

親御さんから見れば、自分より歳下の教員の場合、頼りなく、もっと人としての成長がいるねと、思われることもあるでしょう。

そのときは、ご迷惑をかけ申し訳ないですが、厚かましくも、どうか立ち上がるのを見守ってくださると助かります。

基本的には、このように考えています。