箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

習慣は力なり

2023年08月31日 09時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ
習慣は続けていれば力になる。

これは真実を突いていると思います。

毎日決まったことをやる。

ルーティンを定着させ、継続することが習慣です。

そのことをたとえる時、わたしはいつも火と水を思います。

ルーティンに合うのは、火よりもやはり水なのです。

燃えたつように信じて打ち込もうとする人がいます。

けれども、燃え立つ火はすぐに消えます。

水のごとく信じる人は、いつも退くことなく信じるのです。

イチロー選手は高校時代には寝る前に10分間素振りをするのを3年間つづけました。

大リーグでも、グランド入りする時間をきめ、ウォーミングアップの内容を決めていました。

それをくる日もくる日も続けたのです。

ルーティンを続けると習慣になります。

ある意味で、「習慣」を続けられることがその人の「才能」と言えるのかもしれません。

また、ルーティンを習慣にすると、その日の自分が、どんな状態か、身体と心の両面から掴むことができるのだと思います。

では、何も考えずに同じことを退くことなく続けていいのかといえば、そうではないようです。

目的のない練習はないのであり、常に意識をもって行うのです。

3年間の10分間の素振りでも、ピッチャーを思い浮かべて、1本1本大切にバットを振っていたのです。

このように「習慣」を続けると、力をつけていくことができますし、運も引き寄せることにもつながるのだと思います。




一人暮らしの高齢者問題

2023年08月30日 05時54分00秒 | 教育・子育てあれこれ
高齢者の一人暮らしで、孤立する人が増えてきています。

日本では今や、全世帯の3分の1は一人暮らしです。

周りから孤立すると、1週間に誰とも話していないという人が増えます。

心身が衰えてきても、本人に自覚がないこともあります。

また、住居の問題が重くのしかかります。

保証人がいないと、不動産屋は一人暮らしの老人には賃貸の家を貸してくれないケースが散見されます。

人生の最終段階に入り、家族がいるかいないかで制約を受けるのはおかしいのではないかと思います。

これが福祉国家日本の現実になってきているのです。

家族がいることを前提につくられた今の制度はほころびがきています。

家族の機能が衰え、地域での人と人のつながりが希薄になっている今、高齢者の孤立を防ぎ、安心して老後を迎えることができる公的な支援のしくみづくりが必要です。






外国人の子に在留許可を

2023年08月29日 05時32分00秒 | 教育・子育てあれこれ

日本国内には、いま在留資格がない外国人の子どもたちがいます。

 

この子たちは、日本で生まれ育ったのに、不自由な生活を強いられています。

 

在留資格がなくても、いまの日本の教育制度では学校に通うことができます。

 

でも、健康保険には加入できず、医療を受けることが困難な状況に置かれます。

 

また、移動したくても、都道府県を超える移動には入管の許可が必要になります。

 

日本での労働もできません。日本で働いて活躍する夢をもっていても難しいのです。

 

国外退去を命じられれば、日本語しか話せない子どもも少なくなく。退去先の国で苦労に直面することにもなります。

 

そこで今回、在留資格がない外国人の子どもの在留を特別に許可する措置に法務省が着手しました。

 

ただし対象は、日本で生まれて小中学校・高校に通う子であり、未就学児や高校を卒業している人は含まれません。

 

子どもの利益を最優先して考えるなら、もっと幅広く特別措置を拡大すべきかと思います。

 

外国人の子どもが家族といっしょに安心して暮らせるようにするのは、国の責任です。

 


日本でのメディアの役割として

2023年08月28日 05時51分00秒 | 教育・子育てあれこれ


スポーツと人権尊重は切り離せないのが、世界の常識です。

2014年には、スペインでサッカーのバルセロナとビジャレアルチームの試合が行われていました。

ブラジルのダニエル・アウベス選手がコーナーキックに向かっている際に、観客からバナナ1本が投げ入れられました。

たかだかバナナぐらいと思う人がいるかもしれませんが、バナナを投げ入れるサポーターの行為は、人種差別であり、悪質な侮辱行為だと考えるのが世界的な認識です。

バナナを投げ入れたサポーターは特定され、スタジアムからの永久追放の処分を受けました。

じつは女子サッカーでも、澤選手は2011年のドイツのワールドカップで、宣言を読んでいます。

「日本代表チームは、人種、性別、種族ルーツ、宗教、性的指向、いかなる理由による差別を認めないことを宣言します。

サッカーの力を使い、私たちはサッカーから、社会から、人権差別や女性差別を撤廃することができるのです。

このゴールに向かい突き進むことを誓います。みなさんも共に差別と闘ってください。お願いします。」

日本のメディアは、試合結果や試合実況には力を入れて報道します。

しかし、このように澤選手が宣言したことなどは、ほとんど報道しません。

国連の人権委員会から、日本は外国人の処遇やいちばん最近では、ジャニーズのわいせつ行為など、たくさんの件で改善するようにという勧告を受けています。

世界の基準からは大きく遅れているのが、人権尊重の「後進国」日本です。

わたしは、この遅れにはメディアの態度も大きく影響していると考えます。

青春の夢に忠実でありたい

2023年08月27日 10時59分00秒 | 教育・子育てあれこれ

みなさんは、自分がなりたかった自分になれていますか。

わたしの場合、縁あって教職に志し思い、教職に就きました。


定年退職後今も、教職に関わる仕事をしています。

その点では、なりたかった自分になれていると言えるかもしれません。

しかし、教職について、こんな生徒を育てたいという目的の点でみると、実現できたのかは自問自答するところです。

夢と希望を抱き、中学校の教師になり、初任者として英語を教え、1年生の学級担任をすることができました。

しかし、新設校で1年生しかいない学校であり、英語科の教員はわたし一人でした。

手探りで授業をしていました。

学級担任としては、当時の生徒は正面から担任と向き合ってくれました。

しかし、5月には家出をする女子生徒がクラスから現れて、ずっと学校に来ない日が続きました。

初任者としては、苦労続きの1年間だったことを、いま述懐します。

初任者としての1年目は、なりたかった自分にはとうていなれていませんでした。

そして、今思うに、どの人もときどきは自分を見つめ、昔になりたかった自分になれているかを考えてみたらいいのです。


青春の夢に忠実であれ」という言葉があります。

ドイツのフリードリヒ・フォン・シラーが言いました。

いまの自分から離れて、「あのとき」に戻るのを促してくれる言葉です。









感性を研ぎ澄す

2023年08月26日 08時11分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私は生まれたときから、大阪府の山間部に住んでいます。

自然の風景の移ろいや動植物の様子には、わりと関心の高いほうだと自認しています。

夏も残暑の頃になるとセミはミンミンゼミやアブラゼミからツクツクボウシにかわります。

かと思えば、夜にはもう秋の虫の鳴き声が聞こえてきます。

同じ道を歩いていても、何も感じずに通り過ぎる人もいれば、美しい花を見て感動する人もいます。

ボブ・マーリーのたとえの表現が思い出されます。

雨を感じることができる人間もいるし、ただ濡れるだけの人たちもいる。


過ぎゆく日々をただ無為に過ごすのではなく、心にゆとりをもって、感じとる感受性をもっていたい、感性を研ぎ澄ましたいと思います。

少し暑さがしのぎやすくなる頃

2023年08月25日 06時26分00秒 | 教育・子育てあれこれ
つ8月23日から9月7日までを、旧い日本の暦では「処暑」といいます。

「処」とは落ち着くという意味で、処暑は暑さがおさまる頃になります。

日中はまだまだ猛暑が続いていますが、たしかに朝晩は少しはしのぎやすくなってきています。

秋の虫の音も聞こえています。




ところが、処暑は本格的な台風シーズンとも重なります。

台風は昔は「野分」(のわき)といいました。

そして、台風が過ぎた後にはふつう台風一過の晴天が広がり、「野分晴れ」といいました。

今年はもう台風7号で関西地方を中心に大きな被害が出ました。

今後、台風が日本に到来しても、甚大な被害とならないよう願います。



前例踏襲主義に思うこと

2023年08月24日 09時37分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校でものごとを進めようとするとき、過去の経験をひきあいに出す教職員は少なくありません。

こんな学校行事をしようと若い教員が提案すると、「過去の前例がない」と言うのはたいていベテランの教員です。

わたしが校長のとき、職場づくりの方法として教職員を3つのグループに分け、グループ内でテーマを決めて話し合う「ハートミーティング」を提案しました。

これは、教職員同士が知り合うために行なった人間関係を深める職場づくりのためのミーティングでした。

ふだん他人に話したことのないことを話し、聞いた人が言葉を返すのです。

ある養護教諭は語りました。

自分がなぜ保健の先生になったのか。

大阪府の堺市の学校給食では、1996年にO157の集団食中毒が起こりました。

そのとき、小学生だった自分のクラスで大切な友だちを亡くした経験が、保健の先生になろうと思ったきっかけだったことを語りました。

そうやったんや。知らなかったけど、そういう経験があって養護教諭になっているんやね。
大事なことを話してくれて、ありがとう。

同僚同士で、あ互いのことをよく知らないままで、いい仕事ができるはずはない。

職場では、構成員同士がよく知り合うことが必須である。

その信念で、わたしは「ハートミーティング」を始めました。

始めるときには、教職員の反対もありました。

前例がない。ただでさえ忙しいのに・・・。

でも、始めると結構有意義だと感じた教職員が多かったようです。

それは、話してよかった。聞かせてもらってよかった。

そう思ったからだと思います。

前例がないと批判する人は、どこの世界にもいます。

でも、考えてみると、すべてのものに最初は前例がなかったのです。

前例がないから違うもの、新しいものが生まれるのです。


次への移行も考えておく

2023年08月23日 10時19分00秒 | 教育・子育てあれこれ

私は家で野菜づくりをしています。

 

売りに出すのではなく、畑があるので家庭菜園の延長のようなものです。

 

かぼちゃの花が咲き、やがてかぼちゃが結実し、しばらくすれば収穫できるようになります。

 

収穫の目安はがぼちゃのへたが茶色に変わった頃です。

 

今は、黄色の花がたくさん咲いていますが、一つ言えることがあります。

 

インドの詩人が言った言葉です。


花は その花弁の すべてを失って 果実を見いだす。

 

 

花はきれいで、人目を引きます。わたしたちはとかく花びらにばかり目が行きがちになります。

 

でも、花びらに集中しすぎると、次の果実というビジョンが見えにくくなってしまいます。

 

野菜づくりの目的は、果実の収穫にあるのです。

 

ものごとをなす際には、次への移行も考えておかなければならないという戒めの言葉と、わたしは解釈します。




 



一人住まい世帯が増えている

2023年08月22日 06時49分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私の子どものころは、祖父祖母、両親、姉と私の三世代の6人家族で過ごし、大きくなりました。

田舎でしたので、近所もたいてい三世代同居でした。

でも、いまはうちの近隣でも核家族の家が増えてきました。

なかには、老夫婦だけの家、高齢者の一人住まいの家もあります。

最近では都会を中心に、一人住まいの家が全国的に増えてきていると聞きます。

今の日本社会の変わりようは急速です。

今年7月に厚生労働省が発表した数字では、単身世帯(一人暮らし)は、全世帯のなんと33%にもなっています。

つまり、全世帯の1/3は一人暮らしなのです。

いまや家族の形態は激変してきているのです。

一人暮らしが増えたのには、さまざまな要因があるでしょう。またひとりの世帯が増えるとどんな影響が出てくるでしょうか。

日本では、今まで「家族が大事」と思う人が多かったのですが、今ではそうでなくなり、孤立していく人が増えるのではないか。

家にずっといる人は、1日のうちで誰とも会話をしなかったということも起こってきます。

いや、1日でおさまらず、今週は一度も他の人と話さなかった。口を開けなかった。

こういうことも起こってくるでしょう。

これからは、無縁社会がさらに進行していくのではないでしょうか。

当然、亡くなったとき、それを看取る人もいなければ、入るお墓も定まらない。

いまや、じっさいに引き取り手のない遺骨を自治体は約6万個ほど保管しています。

引き取り手がない例や親戚が引き取りを拒否しているのです。

亡くなってからのことも大きな問題ですか、ききている間に話す相手がいない社会を社会と呼んでいいのか。

できるだけ健康なうちに、縦の人間関係、横の人間関係、ナナメの人間関係を増やしておきたいものです。

ナナメの人間関係とは、縦や横はお互いの利害関係がからみますが、地域のおっちゃんやおばちゃんなどと、ある地域の活動を通して、ゆるやかにつながっているという、利害関係のない人間関係です。

ふだんは、いつもいっしょというわけではないけど、いざというときには助ける、助けてもらうという関係です。


今日できないことは、明日もできない

2023年08月21日 08時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ



わたしは小学生の頃、メキシコオリンピックのテレビ中継を観ていて、はじめて重量挙げという競技があるのを知りました。

その当時、三宅義行選手が出て、銅メダルを獲ったと覚えています。

その娘さんである三宅宏美選手も、重量挙げでリオオリンピックで銅メダルをとりました。

彼女の言葉が、自身が歩んできた努力の道のりを語っていました。

今日できないものは、明日もできない。

いつもそう思って、毎日を大切にしていく。



今日できないことでも、明日はできるかもしれない。

そうではなく、自らに厳しく課題を課す言葉として大切に思いたいです。

水やりは自分でする

2023年08月20日 08時01分00秒 | 教育・子育てあれこれ


台風7号では大雨が降りましたが、その後は暑さが続き、地面はカチンカチンで、水分がありません。

そんなとき、思い出す詩かあります。、

パサパサに乾いてゆく心を
人のせいにするな。
みずから水やりを怠っておいて。

詩人茨木のり子さんの『自分の感受性くらい』の一節です。

余裕をなくし、自分を見失いそうになったとき、誰かを責めたくなります。

そんなとき、まずは、自分のことをふりかえり、反省し、誰かのせいにするのを思いとどまるようにしたいです。

戦争を日常生活に引き寄せてとらえる

2023年08月19日 07時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 

 

第2次世界大戦の終結から78年が経った今、当時10代だった人も今年で90歳ちかく、または90歳代になっておられます。

 

学校の平和教育では、戦争の悲惨さや平和の尊さを児童生徒に伝えるとき、戦争体験者の高齢化で、直接当事者から体験談を聞ける機会が減っています。

 

さらに今後、もっと難しくなることが予想されます。

 

また、私も戦争は知りませんし、学校教育現場には戦争体験者の教員は一人もいません。

 

みんなが知らないのです。とくに若い教員が増え、世代交代が進むなか、教員側のとまどいもあります。

 

このような実態を考慮し、戦争体験を話したり、原爆の被爆伝承を継続していくため、デジタル教材に頼っていくのも方法の一つになります。

 

長崎市の核兵器廃絶研究センターは被爆体験をデジタル化して教材に役立ててもらえるよう取り組んでいます。

 

今の児童生徒への平和学習の課題は、日々の暮らしのと隣り合わせの連続性のなかで戦争体験や被爆体験を学習することです。

 

「78年前って、こんなたいへんだったんだ(でも、それは昔のことだよね)」と子どもたちがとらえるだけで終わってしまわない学習にしたいわけです。

 

ところが、考えてみれば広島平和祈念資料館にしても長崎原爆資料館にしても、展示は原爆投下による被害を記録したものがほとんどです。

 

そこで、長崎のこの研究センターでは、被爆前の人びとの日常生活がわかる資料や写真もデジタル化して、原爆被害の状況と合わせてデジタルで見ることができるように工夫されています。

 

78年前の戦争を、いまの児童生徒が自分の日常生活に引き寄せて考え、平和の尊さを学ぶかが、学校の平和教育の課題となっています。

 


教育を受ける機会の確保のために

2023年08月18日 06時13分00秒 | 教育・子育てあれこれ
不登校の子どもが通うことの多い、いわゆるフリースクールは、法律上は「学校」とは認められていません。

一般に「学校」とは幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学(短期大学および大学院を含む)、高等専門学校のことです。

これらの学校は、学校教育法第一条で学校として掲げられていて、いわゆる「一条校」とよばれています。

そして、フリースクールは一条校には含まれていません。つまり、フリースクールは義務教育を行う学校と認められていませんでした。

2017年に教育機会確保法が施行されました。

この法により、国籍や年齢に関わらず、すべての人が義務教育と同等の教育機会の確保をめざすことになりました。

そして、フリースクールで子どもが学習するのも「多様な学び」と認め、国や自治体が不登校の子どもを支援することが明記されました。

とはいえ、自治体等からの財政的支援は十分ではなく、フリースクールは学費が高くつくという状況がずっと続いています。

入学金は5万円以上かかります。学費は月3万円以上です。

とくに母子家庭の子が通うには、経済的に厳しいものがあります。

新型コロナウイルスの感染が広がったとき、退職を迫られた保護者は収入が減りました。

費用が高いので、不登校の子が通いたいのに通えていないという場合もあります。

国や自治体からのフリースクールに対する公的な支援が必要です。

学校に通えていない子が、フリースクールに通いたい場合には通えるようになるべきです。









良き日々として今もある

2023年08月17日 08時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ


人はとかく思い出を振り返り、「あの頃はよかったなあ」と口にしたり、思ったするものです。


現状がうまくいってないと、昔のよかった思い出を懐かしんで哀しくなることがあります。

しかし、過去は過去です。今は今なのです。

それは良き日々だった。それは良き日々として今もあるのです。

昔の素晴らしいと思う日々をそれぞれ胸の中にしまいながら、今を精一杯生きていきたいと思うのです。