箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

被爆体験を「引き継ぐ」

2021年03月25日 08時42分00秒 | 教育・子育てあれこれ

私は中学生の長崎への修学旅行を引率したことがあります。

その修学旅行の前、1993年の夏にはじめて長崎へ下見に行きました。

そのとき、長崎原爆資料館を訪れ、原子爆弾がもたらした惨状を示す写真をみて、足が止まりしばらくじっとしていたのを思い出します。

爆心地公園に立ったときには、この真上から原子爆弾が投下されたことを思い、ここへ生徒を連れてくることを誓いました。

それ以来、中学生に平和を希求する願いと態度を育みたいと、強く思うようになりました。

長崎には、原爆のおそろしさと戦争の悲惨さを伝え、平和を願う社会を実現するため、被爆体験を証言して、中学生を前にして話す「語り部」がおられます。

大阪の中学校も、それを「被爆体験者からの聞きとり」として「ナガサキ修学旅行」のプログラムのメインに据え、平和学習を実践してきました。

しかし戦後70年以上が経過し、その語り部も高齢化が進み、亡くなる人も多く、戦争体験を語れる人が少なくなってきているのが現状です。

そこで、最近は「交流証言」に取り組む動きが出てきています。

高齢化した被爆体験者の話を次世代の人が語りつぐ長崎市の事業です。

証言は被爆者の話をたんに伝えればいいのではなく、1年以上研修期間をもち、発声指導や原爆についてのレクチャーを受けて、はじめて生徒たちの前に立ちます。

話を聴いた生徒たちは、「被爆した時の体験をリアルに感じとることができた」という感想をもちます。

いまの中学生は、授業でも電子黒板を使い動画をみる機会、YouTubeなどで気軽に動画を楽しむ機会をもっています。

動画をみる機会が日常的にある生徒たちですが、人が直接被爆体験を語ってくれることから伝わるリアル感は、動画とは違って中学生に浸み込んでいきます。

いずれは、日本で被爆者がいない時代がやって来ます。その時代を見据えて、被爆体験を話す「人」のバトンが続いていくことを切望します。

語ることができなかった人たちの無念さを代弁することで、少しでも平和を実現させる役に立つことができれば、という願いで「交流証言」は今後も続いていきます。