もうすぐ東北地震から10年になります。
地震の当日、私は大阪の中学校校長で卒業式が終わり、一息ついているときでした。職員室が大阪にいても大きく揺れているのを感じました。
あれから10年になり、おとなたちは10年の節目に意味を見いだそうとします。
10年という節目を東北の人たちや子どもたちがどうとらえているか、私は東北地方に思いを巡らせます。
当時、小学校1年生だった子どもは、もう高校生です。
東北の子どもたちにとって、「震災からまる10年」という言葉は、なにかの節目や回顧ではありません。記念日でもありません。
地震による被害、津波による被害、放射線漏れによる被害、風評被害、風化しかねない心配など、今もずっと被害は続いているのです。
震災から10年、特に子どもたちは、みんなが言葉にならない気持ちでいると思います。なかには、言葉にすることをあきらめて過ごしている様子が浮かんできます。
かりに教室の中で笑顔でいたとしても、心の中は笑顔ではない子が多いのです。
子どもたちは、もう元には戻らないことをよくわかっています。悲しいのは自分だけではなく、家族やまわりの人たちも同じであることも理解しています。
言葉にできない子どもたちも気持ちや声に、教師は耳を傾けようとしてきた10年間だったのではないでしょうか。
その気持ちや声に教師が耳を傾け、言葉にしたくない気持ちや声を認めることが、おそらく東北地方の教師たちに求められことでしょう。
そして、認めることで、のちに言葉として表現する力を育んできたのです。それが子どもたちを支えることになってきたという意味で10年間を、捉えるべきだと思います。
東北の若い子たちは被災した子どもという見られ方をするつらさを感じてきました。「支援するべき子」として見られることをつらく感じてきました。
そんな子どもたちにおとなができることは励ましだけでなく、「問うこと」です。
苦しくつらい経験をして、その傷口がふさがり、やがてはかさぶたに変わっていく。
その途中で、「きみたちはどう生きるか」という問いをもらいたいのです。
問われることによって、自分で考え「また、歩き出そう」という行動することができるのです。
悲しみは乗り越えられるものではないのです。悲しみを抱え、それでも、自分はどう生きるのかと自己を見つめるのです。
教師をはじめとする大人たちが問うことで、子どもの中に希望や光が射してくるのではないでしょうか。