箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

進む大学の統合

2022年04月30日 07時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ
この4月、大阪府立大学と大阪市立大学が統合した、「大阪公立大学」が開学しました。

4月11日に入学式を行い、第1期生を迎えました。

5.6年前から、日本の大学の統合が進んできていました。

なぜ大学が統合するのでしょうか。 

それは「2018年問題」と呼ばれる少子高齢化の大きな波に対応するためです。 

学生数が減るため競争が激しくなる中で勝ち残っていくため、大学の規模がたいへんに重要になってきます。 また、統合することにより複数領域をまたがる研究が強化されます。

今回の大阪府立大と大阪市立大の統合は学生数の多さでは最大です。

学生数17000人となり、全国の公立大学の中で東京都立大を越え、最多の学生数です。

国公立大学の中でも、大阪大学、東京大学に次ぐ3位の規模となりました。

二つの大学にあった学部を一部統合して引き継ぎましたので、12学部に再編されました。

なかでも、工学部は基礎から応用までの12学科があり、それぞれ単独の大学では困難だった近い分野での連携する研究が可能になりました。

キャンバスは大阪府立大と大阪市立大のもとキャンバスを継続していますが、2025年には大阪市内の森ノ宮キャンバスが開設されます。

今、大学の学びのスタイルは、オンライン授業も併用するなど、多様化しています。

学生さんには学業とキャンバスライフを謳歌してほしいと思います。


「昭和の日」にちなんで

2022年04月29日 13時55分00秒 | 教育・子育てあれこれ
昭和は私の子どもの頃から若い頃に至る時代です。

第二次世界大戦の焼け野原から日本経済が復興して、高度経済成長を遂げる途中がわたしの子どもの頃でした。

1970年に大阪で万博が開かれたときのことは鮮明に覚えています。

会場には「お祭り広場」というスペースがあり、外国人とよく出会いました。

わたしは生まれて初めて黒人の外国人と出会い、握手を交わしました。

その時の驚きは今も忘れません。

わたしは黒人の人は手の甲はもちろん黒色でしたが、手のひらも黒色だと思い込んでいました。

でも、握手をしてわかったのですが、手のひらは黒くなかったのでした。日本人が言う、いわゆる「肌色」だったのです。

そのことに驚いたのでした。

また、その万博には、世界の国々や日本の企業がパビリオンを建てていました。

三菱未来館には驚きました。また感激しました。

その当時にはまだなかった、いわゆる3Dの映画を先進的に体験できました。

乗り物に乗り、館内をクルーズすると、目の前に洪水が立体的に迫ってきます。また、火山エリアではマグマが噴き出し、車は飲みまれそうになりました。

クルーズが終わると、安心したのと同時に、わたしは少年ながら、「科学の力」はすごいと思いました。

思い出せば、あの頃の日本には勢いがありました。

化学万能を信じて、日本経済も右肩上がりで成長していました。

そして、昭和の終わり頃の1980年ごろには、豊かになった日本人は、グッチ、セリーヌなどの海外ブランドのバッグを大学生がもって通学するようになりました。

国内では、一挙に製品が溢れて、品数が一挙に増えだしました。

日本人の消費は大量化・高度化したのでした。

いわゆるバブルの頃と重なります。

その後は、バブルがはじけ、平成の元号になる頃からは、日本経済は停滞し、不況の時代、いわゆる「失われた30年」に入っていくのです。

思えば、わたしが若い頃を過ごした「昭和」のころは、子ども心にも、「努力すれば報われる」と期待できた時代でした。

一転して、今の時代、閉塞感が立ち込め、雇用制度が悪化して、いま子どもたちは未来に期待しにくいと思われます。

大きな自然災害や新型コロナウイルスに見舞われ、社会は少子高齢化しています。

学校教育の役割は、変化がとても大きい時代にあって、不透明な未来に向けても、人同士がつながりあい、協働して、積極的に社会参加していく資質を育むことであると考えています。

部活の今後のあり方

2022年04月28日 09時42分00秒 | 教育・子育てあれこれ
少子化の影響を受けて、中学校の部活動に在籍する生徒が少なくなり、単独の学校だけではとくに団体種目で、チームが組めなくなっている。
 
そのため、複数の学校で合同チームを組み大会出場をするケースが増えていることを、前回のブログで書きました。

いまや大都市でも合同チームを組むこともあります。

地方では、自治体内の中学校では組めず、自治体をまたがって合同チームを組まなけらばなりません。

そうなると、日々の練習をするにも、交通の問題などで移動が難しい例も散見されます。

今、文科省は教員の働き方改革を進める点で、部活動を学校主体から地域主体へ移行させようとしています。

地域の指導者が学校の部活にかかわり、顧問の役割をするものです。


かりにそうしたとしても、部員数の減少という問題の解決にはつながりにくいでしょう。

日本のスポーツ人材は、学校での部活体験をした人が支えてきました。

学校の部活人口減は、今後の日本でのスポーツ振興にもかかわる課題です。

かんたんなことではないですが、ここは地域とスポーツの関係を見直して、地域でスポーツを支えていくという取り組みに期待したいところです。

増える合同チーム 中学校の部活

2022年04月27日 07時00分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今の小中学生の親御さんなら、わか子が中学校に入れば、部活に励んでほしい、それがとうぜと考える方も多いと思います。

ただし、親御さんが中学生時代に体験した部活と今の部活では、かなり様子が変わってきていることを念頭に置がなければなりません。

日本社会で進行する少子化は、地域による違いはあるものの、とくに地方部では今の中学校の部活動の運営・存続に大きな影を落としています。

部活のなかでも、団体種目の運動部は直接的に影響が出ています。

たとえば、最近子どもたちの中で人気薄になっている野球は、9人のメンバーが最低必要ですが、そろわなければその学校は試合に出ることができません。

バレーボール部についても、6人揃わなければ出れません。

実際に試合をするとなると、交代の生徒も必要です。

生徒数が一つの学年で200名いるとします。9割の生徒が部活に入るとなると180名です。

そのうち文化部に入る生徒が4分の1程度いたとすると、運動部の生徒は130名ほどです。

多くの学校にある部活動は野球部、サッカー部、バスケットボール部(男女)、バレーボール部(男女)、テニス部(男女)、陸上部、卓球部などの10クラブで、均等に分かれたとしてら、1クラブ13名ほどです。

これが少子化による生徒数減で、学年が120名になると、1クラブ8人程度にまで減ってしまいます。

いま、まさにこの状況が、地域にもよりますが、実際に起きています。

加えて、学校では生徒数に応じて教員数が決まります。

学校の先生が顧問をするとなると、10もの部を維持するのは困難になります。

ですから、生徒減に伴い、部員が集まらない部は廃部にならざるをえないのです。

かといって、生徒数が減ったからといって、子どものやりたいニーズが減るのではないのです。

かえって、今の時代はダンス部をしたいというような生徒の新たなニーズもあり、それに応えるため、大阪府箕面市ではここ数年で創部した例もあります。

そのような例もありますが、全般的には生徒数の減により、部活動の維持継続が難しくなってきているのは確かです。

部活動に入っている以上、子どもが試合や大会に出たいと思うのは当然です。

そこで、数校の同一の部で合同チームを作るケースも増えてきています。

そもそも中学生の公式戦・大会は、中体連、つまり中学校体育連盟が主催します。

中体連の大会は、地区予選→都道府県予選→地方ブロック(近畿大会や東海大会など)予選→日本中体連の全国大会へとつながっていきます。 

その中体連が、地区予選の段階から数校の学校を跨ぐ合同チームでの大会参加を認める場合が増えています。

2021年度には、合同チームはすべての都道府県にあります。1700をこえるチームが存在しています。

2000年ごろと比較して、6倍以上増えました。

この傾向は、都市部ではなく地方に多いというのが現状で、少子化の影響を部活動はこれからますます受けていきます。

ファンの存在

2022年04月26日 07時14分00秒 | 教育・子育てあれこれ
CDが売れない時代です。

ダウンロード数で曲の売れ行きを判断するデジタルの時代だからです。

今でもアーティストがミリオンセラーを出せば話題になりますが、レコードやCDが全盛だった頃、百万枚売れれば大ヒットだと言われました。

これは考えてみればすごいことです。そのアーティストの友だちや家族、親戚の人がどれだけ買っても、100万枚にはぜったい届きません。

そのアーティストと縁もゆかりもない、あかの他人、見ず知らずの人が買ってくれたのです。

それが「ファン」という存在なのです。

ここにはファンに対する感謝しかありません。

ファンを大事にするアーティストはこのことを深くわきまえているのです。

そこから「ありがとう」という気持ちがわきます。

その「ありがとう」という気持ちは、ファンに届きます。

そして、アーティストとファンは、「ありがとう」という気持ちでつながっているのです。


笑顔でいるから楽しくなる

2022年04月25日 07時49分00秒 | 教育・子育てあれこれ
笑顔は大切だと、最近よく思います。

笑顔が絶えない人には、いいことが起こるというのは本当でしょう。

笑顔でいると、いい情報が届くようになります。

笑顔でいると、気持ちが前向きになってきます。

人は、どんなときに笑顔になるのでしょうか。

私たちは楽しいと笑顔になるように考えがちです。

ても本当は、笑顔でいるから楽しくなるのです。

つまり、行動によって気持ちは変化するのです。

藤の花と星に想う

2022年04月24日 08時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私は中学生の頃、国語の授業ではじめて短歌をならいました。
 
その当時の国語の先生は、私の中学校入学といっしょに教員になり着任した若い女性の人でした。

授業のやり方に拙いところはあったのでしょうが、初々しく私たちを国語の世界に向かせようとする真摯な態度とともに、私は国語の作品に引き込まれていきました。

2年生のときの国語で、出会った短歌の中でも、私がとくに惹かれたのは、正岡子規の作品でした。

「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり」

ちょうどいまの季節はこれから藤の花が咲きます。

この短歌の意味は、次のようなものでしょうか。

机の上に置いてある花瓶にさした藤の花は今、真っ盛りの美しさだ。しかしその垂れ下がっている花ぶさが短くて、あとほんの少しのところでたたみに届かないでいることだ。

このとき正岡子規は病気であり、布団で寝ていました。

寝たままの姿勢で机の上の花瓶に生けられた藤の花を見上げていたのです。

房になって垂れ下がる藤の花を、屋内で見上げるということはふつうはない体勢です。

病床にある子規だからこそ見出した視点だったのだという解説を、先生は加えてくれました。

わたしは、病気であるからこそもつことができる視点があるのだと学びました。

同時に、自分が病気で寝ることになったら、ここまで冷静にものごとを見つめることができるだろうかと感じたのを思い出します。



さて、その正岡子規の詩を最近のある冊子で姜尚中さんが紹介されていました。

真砂ナス(まさごなす)
数ナキ星ノ其中ニ(かずなきほしのそのなかに)
吾ニ向ヒテ(われにむかいて)
光ル星アリ(ひかるほしあり)

この詩について、「死期が近いことを感じつつ、病床から窓越しに見えた星座が不世出の俳人にどんな風に見えていたのか。
そこには死の床にあっても希望を失うことのない感受性豊かな気迫すら漂ってくる」と姜尚中さんは評されていました。

私自身も小さい頃から豊かな自然の中で、満天の星を見て育ちました。

ときどき、じっとある星を眺めたことが何度もありますので、この感覚はよくわかります。

どれもが同じように見える星の中で、一つを選び自分の星のように感じることが確かにあり、その星をじっと眺めた体験があります。

姜尚中さんは続けます。

「無数のスターダストの中で、自分に、しかも自分だけに『呼びかける』ように光を届けてくれる星がある。
それは『あなたのいのちは、広大無辺の宇宙の中でもただ一つ、どんなものにも代えられない、唯一無二のものであり、それを授かったあなたは、かけがえのない価値を持っているんですよ』と語りかけているようだった」。

これを読んで、正岡子規の作品により、私はさらに生命力を吹き込まれるように感じるのです。













学習したくない子が増えている

2022年04月23日 08時19分00秒 | 教育・子育てあれこれ
大学の研究所と民間の教育研究所が、全国の小学生・中学生・高校生に親子の意識、行動の変化を尋ねた調査の結果が報道されていました。

それによると、子どもの学習意欲が低下しているのがわかりました。

「勉強する気がわかない」に対して、「とても(まあ)あてはまる」と答えた割合が、小学生が43.1%、中学生が58.6%、高校生が61.3%が2021年度でした。

2019年度の場合、小学生が33%、中学生が47.7%、高校生が54.6%だったので、2年間で子どもの学習意欲は低下したと考えていいでしょう。

これはやはり、コロナ災禍で学校生活が制限されていることが影響していると思われます。

現場経験から言うと、学校の学習と学校生活は別物ではありません。密接に関連しあっています。

たとえば、子ども学校行事でがんばったり、「完全燃焼」したからこそ、気持ちを切り替えて学習に意欲的に臨むのです。


中学生の場合、
がんばって学習して定期テストに臨んだ。

だから、次は体育祭にがんばる。

がんばって楽しんで、クラスの団結が深まった。

気持ちを切り替えて、次は中間テストに一生けん命がんばる。

中間テストが終わったから、次は文化祭で燃える。

このように、学習と生活は関連があるのです。

もともと学校の行事はこのように組まれているのです。

しかし、ここ2年のコロナ災禍は、学習にも生活にも制限が大きく、子どもにとってはどちらも「不完全燃焼」になっていることが多いのです。

学習意欲の低下はこのようないきさつがあると思います。

コロナ災禍の影響は、大人が思う以上に、子どもに大きな負荷をかけていると、教育関係者は認識しておかなければなりません。



本当は光の中に自分がいた

2022年04月22日 09時45分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私たちはの思考には、「比較する」とか「比べる」という働きがあります。

こちらのほうが大きいとか小さい。

あちらほうが高いとか低い。

あの人の方が人気がある。

こちらの人の方が仕事ができる。

友達の方がお金をたくさんもっている。

そして、自分が優越感や劣等感をもつのです。

そんななかでも、他者と比較せず、自分の足りないところだけを考え、努力を続ける人がいます。

その人の心には、区別もないし、卑下もないのです。

おそらく、そういう人ほど心は安らかなのだと思います。

その人はすべてが肯定されていて認められているのだと思います。

人間の本質の世界は、比較することではなく、その人自身がどういう状況や状態にあるかをみて、自己を改善する点にあるのだと思います。

自己を見つめるのは苦しいです。悲しくなることもあります。

でも、苦しみが終わってみてはじめてわかることがあります。

じつは、悲しくて涙を流して泣いていたときが、いいちばん輝いていたことに。

そうか、闇の中に自分がいたのではなく、本当は光の中にいたことに、あとになって気がつくのです。



多様性はガマンではない(続き)

2022年04月21日 07時07分00秒 | 教育・子育てあれこれ
前回のブログでは、多様性を尊重するというとき、日本人は「いろいろな人がいるんだから」と相手の言い方や行動になじめなくてもガマンする傾向があることにふれました。

多様性が今のように広まった背景には、
今の社会の特徴であるプライバタイゼーション(privatization:「個人化」)をあげることができます。

これは古くから日本の地域社会でみられた濃いつながりの人間関係の村落共同体とは対になるものです。

個人の関心がグループやグループ内の人ではなく、自分に向く現象です。

1980年代になり、製品やものが豊かにあふれるようになり、所有の単位がグループではなく個人になってきました。

たとえば、農業なら共同で農機具をもち、順番で個人が使い回すやりかたから、個人がそれぞれ農機具をもち、自分の農地にだけ使うようになりました。

高度経済成長を通して、みんなが豊かになり、さまざまなものを個人でもてるようになったのでした。

昭和の頃には、家族が一堂に家の同じ場所に集うことが多かったのに、子ども部屋や書斎のような個室をもつことが珍しくなくなりました。

このように、暮らしや生活が個人化してきたのでした。

また、1990年代の頃から、個性を尊重し、自己選択や個人の自由を尊重する考えや行動様式が、自己実現という言葉とともに、重んじられるようにもなりました。

これがプライバタイゼーションを加速したといえるでしょう。

そして今の時代では、人はいろいろであり、個人として自由であり、それぞれの人を尊重しようという価値観が多様性を下支えしているのです。

ところが、人はいろいろ、それぞれという価値観が浸透し出したいまの日本社会では、相手と考えや意見がちがっても、反論することを避け、「ガマン」にまわります。

それが進むと、わたしはガマンしているのに、あの人はなぜ勝手なことをするのだ。許せない!となるのです。

新型コロナウイルスの感染症に見舞われているこの2年間で、私たちは周囲がどう思うか、自分がどう思われるかを気にすることが増えたと思います。

つまり、「多様性(=人はいろいろ)は尊重されなければならない」と言いながら、人びとの動きや心理は、自分が突出しないように、周りから浮かないように気をつかう傾向が、今まで以上に強くなりました。

そして、多様性尊重だからと、他者に深く関わりをもつことを避けるのです。

しかし、言いたいことを言えず、ガマンを重ねる人間関係は、寂しいものです。なんとも言えない乾燥した寂しさが、いまのコミュニケーションにはついてまわるのです。

そこで、大人はこどもと話してみる。子どもは大人が失った無垢な、真っ直ぐな心をもっています。

また、さまざまな世代の人に声をかけます。その人たちのつぶやきに耳を傾けます。

そうすると、お互いの考えを整理できることもあります。他者の思いに触れることができます。

どちらがいいとか悪いとかではないのです。どちらにもいい面と悪い面がある。

この真実に立ち戻り、相手の考え方や文化には少しなじめないことがあるが、とりあえずときにはいっしょに過ごしてみよう。

このようなきつくない、強すぎない、ゆるやかにつながる人間関係を保っていってはどうでしょうか。

このゆるやかにつながるガマンやストレスをためない人間へのかかわりが、多様性を尊重することになるのです。









多様性はがまんではない

2022年04月20日 08時05分00秒 | 教育・子育てあれこれ
グローバル時代のキーワードは多様性の尊重です。

多様性はダイバシティであり、外国人と交流したり、いっしょに暮らしていくとき、おたがいのちがいを認めあうという意味で使われます。

学校教育の中では、とくに在日外国人教育の分野で、「ちがいを豊かさに」というキャッチフレーズで、人権教育の実践を重ねてきました。

今では、個人の考え方や行動様式をその国のわく組みに押し込めず、それぞれを尊重しあう社会をつくっていこうという流れになっています。

この流れを受けて、SDGs(持続可能な開発目標)の主軸として、国連でも2015年あたりから多様性を推奨しています。

多様性はとても大切な概念ですが、日本ではともすれば人と人を分断してしまう危険性をもっていると、わたしは考えます。

他者を尊重するために、相手に踏み込まないでおこうとする態度につながるからです。

多様性があるから、いろいろな人がいる。自分とちがう考えをする人にも「いろいろな人がいるんだから」と話しあうことをやめる日本人は多いのではないでしょうか。

それでも、いっしょに活動したり、暮らしていかなければならないのなら、そこには「ガマン」が必要になります。

つまり、日本人が多様性尊重というとき、多くの場合、「ガマン」がついてまわるのです。

しかし、世界でいう多様性尊重は「ガマン」ではないのです。

考え方や行動の仕方がちがうと、話し合います。深掘りして議論をします。

これが日本人との決定的な差です。

おたがいが話し合って、どちらもが納得できる合意を見つけようとします。

合意形成のうえに、共に暮らしていく道すじができるのです。

ガマンを続けるとどうなるのでしょうか。

いつかは爆発してキレます。

みんながやっていることをなぜやらないのだ!

新型コロナウイルス対策で、「自粛警察」がはやったことから考えても、枠組みから外れる人に容赦のない攻撃へと転じる可能性があります。

昨今のSNSでの「炎上」のように、「許せない」という「正義感」が集中的に現れるのです。

違った考え方や感覚、行動をする人を叩くことになります。

これでは多様性を尊重して共生をめざすどころか、かえって分断化が進みます。

次回のブログでは続きを書きます。



一人1台タブレットが活用され出した

2022年04月19日 07時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ
新型コロナウイルス感染症第6波は、今年の1月中旬ごろ到来しました。

2月中旬にはピークが過ぎたとはいえ、感染者の劇的な減り方はせず、現在にいたっています。

そこ約1ヶ月の間に、5日以上の休校や学年閉鎖、学級閉鎖になった全国の小中高の学校は、4600校以上ありました。

それらの学校の約7割が、タブレットを使い双方向のやりとりができるオンラインの授業を行なっていました。

授業の動画を流す、またはデジタル教材で学習できる単方向型の活用を含めると、約85%の学校でタブレットを活用していました。

昨年度に急ピッチで進められた「GIGAスクール構想」による端末整備は、学校に一定程度の活用を促したといえるでしょう。

今後は学習する上でさらに効果的な活用方法の研究や教員の指導技術の向上などを図っていく必要があります。


absolutely invaluable

2022年04月18日 07時10分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私たちは日々生活を送る上で、たくさんの大切なものに包まれています。

仕事をいっしょにする同僚や上司、友だちや親・きょうだいなどの「人」やスマホ、パソコン、テレビ、冷蔵庫などの「もの」など、どれもが大切です。

今の時代、大切なものが多すぎるのです。

だから、その大切なものの中に、かけがえのないものがあることを忘れがちになります。

その人やそのものをなくしてはじめて本当にかけがえのないもの、それが存在する意義にあらためて気がつきます。

日々慌ただしい日常を送っていると、流れていくように過ぎていく時の中で、かけがえのないものを見失いがちです。

それは安心して暮らせる平和であったり、文句一つ言わずに仕事をしてくれる人、ごはんをつくってくれる母親であったり、どんなときも味方になってくれる先生、いつも支えてくれる恋人、人とつないでくれるスマホであったりです。

そのありがたさを再考し、感謝の気持ちをもつ。かけがえのないものを見失わないようにしたいのです。

学校教育でも、子どもたちがかけがえのないものにあらためて気がつく教育を浸透させるのです。


こんな曲(2004年)かあります。


「かけがえのないもの」

作詞 坂井泉水

この降りそそぐ ビルの星空に
ふと孤独感(ひとりきり)がよぎる
自宅を出る 一歩手前までは
いつもと変わらない自分がいて

あれから どうしているのかと
ずーっと思っていたけど
あの頃 心の門閉ざして
近くて 遠い人だった

かけがえのないもの
君と話していると
伝染してくるよ 嬉しい事も
君の悲しみも 全部受けとめたい
昨日と違う朝日が昇る
(心の)泉から溢れ出るこの気持ち

かけがえのないもの
それはあなたよ
こんなに距離が縮まってきたよ
太陽がふりそそぐ
丘に佇み

absolutely invaluable love
absolutely invaluable love again

同じ風、同じ月

2022年04月17日 07時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ
「千里同風」という言葉があります。

遠くはなれていても、そこにはここと同じ風が吹いているという意味です。

人はどこにいても、その人とわたしは、同じ風をうけていることで、心と心が通じ合っているのです。

風だけでなく、月をとりあげて同じことが言われてきました。


インターネットの今の時代で、遠く離れた人同士はオンラインでつながります。

でも、昔の一人は遠く離れていても、同じ風を受けたり、同じ月を見ていることで心が通じ合っていたのでした。

おだやかな表情がコミュニケーションの秘訣

2022年04月16日 06時52分00秒 | 教育・子育てあれこれ
よく入社面接を受ける就活生が、コミュニケーション力が大事といいます。

しかし、採用側はコミュニケーション力は当然と考えています。

その上で、いっしょに仕事をしていくうえで、その人にキラッとした資質があるかをみているのです。

つまり、コミュニケーション力は、採用の必要条件ではあるが、十分条件ではないのです。

かといって、コミュニケーションがいらないかといえば、けっしてそうではありません。

お互いがあたたかい気持ちになる人間関係が深まれば、ものごとはスムーズに運ぶことができます。

自然と笑顔が出てくるようなあたたかな表情や態度が大切です。

それは、相手に寄り添いながら、希望していることをいっしょに実現していく姿勢のことです。

自分の考えや期待を一方的におしつけると、相手は反発するか逃避するかのどちらかになります。

自分がおだやかな表情でいると、相手もおだやかな表情になります。

私も、心がけたいのですが、自分の考えを伝えるときは、強過ぎても行けないし、弱過ぎてもいけないのです。

また、事実と気持ちのバランスをとり、伝える工夫もいります。

おだやかな人間関係は、問題に直面したときに役に立ちます。

自分一人よりと、考え方や選択の幅が広がります。

そのとき、「なぜこうなったか」より、「どのようにすればいいか」と問題解決の手立てをさかすほうが、建設的なコミュニケーションになるのです。

大切なことほど、他の人といっしょに取り組むことが大切です。