箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

男女の権利と性的マイノリティの問題

2021年03月15日 08時21分00秒 | 教育・子育てあれこれ
性的マイノリティの存在が注目され、性は多様であるという認識が少しずつ広がってきており、好ましい社会の流れとなっています。

たとえば、学校にも、自分の性に違和感を感じる児童生徒が一定程度います。どうしても制服のスカートをはきたくない「女子生徒」、黒色のランドセルよりも赤色のランドセルを好む「男子児童」・・・。

いままで、学校では一律に「男の子」「女の子」、「男子」「女子」という固定的な性別に基づき、教育を行ってきました。

昔は、男子生徒がスカートをはき、会場からの笑いをとるというコントや劇が行われていたこともありました。

でも、いまは性の多様性を理解させる教育が、各校で実践されるようになりました。

テレビでも、性的少数者のことを正しく理解する視点での特集番組もあります。

このように、性は多様であるという認識が社会全般でも広がってきています。

それとともに、「いまの時代、もう男とか女であえて分けなくてもいいだろう」という考えや発言をする人に出会うこともあります。
「性別を男女で分けて論じるのは時代遅れだ」という声を聞くこともあります。

なかには、その一方で、女性が不平等に置かれていることを利用して発言する女性もいます。

この前は、「女はうそをつく」と発言した女性議員がいました。

こんな例を引き合いに出して、「(平等を主張するのは)けしからん」とささやく男性もいます。

しかし、そうでしょうか。

日本国内を見てみます。

管理職になる人は圧倒的に男性が多い。
賃金は男性の方が多い。
パート・アルバイトへの従事は、女性の方が男性よりも多い。

歴然とした男女間格差があります。これは、社会のしくみの問題です。男女で分けた場合、いまでも女性の方が圧倒的に低い立場にあります。

この現状を踏まえずに、「いまさら男・女で分けるは時代遅れ」という主張は、名ばかりの男女平等を言っているのではないでしょうか。

そのうえ、女性の権利を正しくとらえ、配慮できない社会が、性的少数者の権利を尊重できるかと言えば、難しいのではないでしょうか。

性的少数者の問題と男女の平等の問題は、別の次元で論議され解決されるべきものです。